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僅かな幸せを噛み締めました
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ゆっくり目を開けると私はベッドの上にいた。
目覚めは爽快であるはずもないが特に混乱することもなく、頭では失っていた前世の記憶を夢として見たのだということはわかっていたし、今も自室のベッドで目覚めたのだということを理解できている。
心の整理がついたとは言い難いが決心はついたので冷静になれているのかもしれない。
外を見れば空は茜色を混ぜ始めていて、少なくない時間が経ったのだと教えてくれている。
一部とはいえ数年分の記憶を見たのだから短い時間で終わるはずもないが、それにしても寝過ぎだ。
「……ぉ、きな、きゃ…」
一気に色々思い出したせいで頭が痛むが、またしても殿下との話し合いの最中に意識を失ってしまったから早く起きたことを知らせないと殿下がまた侍医さんに怒られてしまうかもしれない。
こんな大国の成人済みの王太子が臣下に怒られるというのも不思議な話だが、ここでは日常のようなので深く考えることは無意味だ。
きっとそれが殿下の築き上げた彼らとの関係性なのだから、後から来た私がとやかく言えることじゃないし。
そう思いながら窓の外に向けていた視線を戻し、そのまま反対側を向こうと身動ぎすると、
「起きたか」
ベッドサイドには椅子に腰掛けた殿下がいた。
「具合はどうだ?」
柔らかく微笑んだ殿下の手が私の頬をさらりと撫でていく。
以前倒れた時はその手の冷たさが熱が出ていることを教えてくれたが、熱いくらいに感じる今、私はきっと血の気の引いた青ざめた顔をしているのだろうと察せられた。
「大丈夫です…」
私は驚いたまま固まってしまっていたが、すぐに硬直は解けてきてゆっくりと体を起こす。
さり気なく支えてくれた殿下に礼を言い、殿下から手渡された水を煽った。
「ほら、冷える前にこれを羽織るといい」
殿下は私からグラスを受け取ると、椅子の背に掛けてあったショールを広げて私の肩に掛けてくれる。
なんというか、手慣れているというよりは甲斐甲斐しいという印象を受けるほど殿下は私に気を遣ってくれていた。
本当に優しい人。
まるであの牢で私を助けてくれた黒髪の男性のようだ。
殿下の黒の方が深いけれど、同じ黒髪だったから私は無意識に惹かれたのだろうか?
「アンネローゼ?」
『アンネローゼ!?』
じっと自分を見つめる私を不審に思ったのか、殿下が私を呼んだ。
同時に先ほど夢の中で聞いた声が私を呼ぶ。
殿下の方が少しだけ高いけれど、それは同じ音だった。
そして抱きしめられた時に近くで見た綺麗な緑は、殿下の瞳と同じ色。
「……あっ」
そこでようやく私は気がついた。
あの時あの牢にいたのは殿下本人だったのだと。
というか殿下が私を殺したと言っていたのだから同一人物であることは明白なのに、服装や髪形、雰囲気が違うせいで今まで気がついていなかった。
でも、ということは…。
「ああっ……!!」
私は絶望した。
夢で見た前世で、私は殿下と結ばれる資格なんかないのだと痛感するほど汚されていた。
あんなことをされれば普通なら男性に強い恐怖と忌避の感情を抱くだろう。
貴族の令嬢でなくとも結婚など望めるはずもない。
出来ることなら誰の目にも触れられずに、永劫胸の奥深くに眠らせておきたい記憶。
なのに、よりによって殿下はその私の姿を誰よりも間近で見ていたのだ。
「もう、駄目…」
自分の一番知られたくない部分を、よりにもよって初めて好きになった人に知られているなんて。
気づけば私の目からはボタボタと雫が零れていた。
「ど、どうした!?どこか痛むのか!!?」
殿下は慌てて私の頬に手を当てる。
親指で何度となく涙を拭ってくれるが拭うそばから涙が零れていくので、殿下の親指も涙塗れになってしまった。
それでも私の涙は止まらない。
止められるはずもない。
自分が消したかった前世を思い出して、実りかけた恋が実らせてはならないものだと知って失恋して、なのに追い討ちをかけられたようなこの状況で泣くななんて言わないでほしい。
「……アンネローゼ、大丈夫だ」
殿下は止まらない涙を拭うことを諦めたのだろう、私の頬から手を離すとベッドに腰掛け直し、そっとその胸に私を囲い込んでくれた。
「心の問題なら好きなだけ泣け。もう我慢することはない」
背に回された腕が、鍛えられた厚みのある胸が、まるで殿下の心のように温かい。
私を大切そうに包んでくれる温もりが愛おしい。
そう思って安堵するのに、でもそれがもう手に入らないことを思い出してまた涙が出てくる。
それを察したのか私を抱く腕に少しだけ力が入った。
触れる面積が増えて包む熱も増える。
きっとこの温もりを人は幸せと呼ぶのだろう。
突然泣き出す面倒な女に泣き止めとも言わずに泣かせてくれる優しい人。
私が唯一心から愛した人。
けれど絶対に結ばれてはいけない人。
そんな人が齎してくれる幸せを、絶望の中で甘受した。
「今だけだから」と心の中で自分自身に言い訳をしながら。
目覚めは爽快であるはずもないが特に混乱することもなく、頭では失っていた前世の記憶を夢として見たのだということはわかっていたし、今も自室のベッドで目覚めたのだということを理解できている。
心の整理がついたとは言い難いが決心はついたので冷静になれているのかもしれない。
外を見れば空は茜色を混ぜ始めていて、少なくない時間が経ったのだと教えてくれている。
一部とはいえ数年分の記憶を見たのだから短い時間で終わるはずもないが、それにしても寝過ぎだ。
「……ぉ、きな、きゃ…」
一気に色々思い出したせいで頭が痛むが、またしても殿下との話し合いの最中に意識を失ってしまったから早く起きたことを知らせないと殿下がまた侍医さんに怒られてしまうかもしれない。
こんな大国の成人済みの王太子が臣下に怒られるというのも不思議な話だが、ここでは日常のようなので深く考えることは無意味だ。
きっとそれが殿下の築き上げた彼らとの関係性なのだから、後から来た私がとやかく言えることじゃないし。
そう思いながら窓の外に向けていた視線を戻し、そのまま反対側を向こうと身動ぎすると、
「起きたか」
ベッドサイドには椅子に腰掛けた殿下がいた。
「具合はどうだ?」
柔らかく微笑んだ殿下の手が私の頬をさらりと撫でていく。
以前倒れた時はその手の冷たさが熱が出ていることを教えてくれたが、熱いくらいに感じる今、私はきっと血の気の引いた青ざめた顔をしているのだろうと察せられた。
「大丈夫です…」
私は驚いたまま固まってしまっていたが、すぐに硬直は解けてきてゆっくりと体を起こす。
さり気なく支えてくれた殿下に礼を言い、殿下から手渡された水を煽った。
「ほら、冷える前にこれを羽織るといい」
殿下は私からグラスを受け取ると、椅子の背に掛けてあったショールを広げて私の肩に掛けてくれる。
なんというか、手慣れているというよりは甲斐甲斐しいという印象を受けるほど殿下は私に気を遣ってくれていた。
本当に優しい人。
まるであの牢で私を助けてくれた黒髪の男性のようだ。
殿下の黒の方が深いけれど、同じ黒髪だったから私は無意識に惹かれたのだろうか?
「アンネローゼ?」
『アンネローゼ!?』
じっと自分を見つめる私を不審に思ったのか、殿下が私を呼んだ。
同時に先ほど夢の中で聞いた声が私を呼ぶ。
殿下の方が少しだけ高いけれど、それは同じ音だった。
そして抱きしめられた時に近くで見た綺麗な緑は、殿下の瞳と同じ色。
「……あっ」
そこでようやく私は気がついた。
あの時あの牢にいたのは殿下本人だったのだと。
というか殿下が私を殺したと言っていたのだから同一人物であることは明白なのに、服装や髪形、雰囲気が違うせいで今まで気がついていなかった。
でも、ということは…。
「ああっ……!!」
私は絶望した。
夢で見た前世で、私は殿下と結ばれる資格なんかないのだと痛感するほど汚されていた。
あんなことをされれば普通なら男性に強い恐怖と忌避の感情を抱くだろう。
貴族の令嬢でなくとも結婚など望めるはずもない。
出来ることなら誰の目にも触れられずに、永劫胸の奥深くに眠らせておきたい記憶。
なのに、よりによって殿下はその私の姿を誰よりも間近で見ていたのだ。
「もう、駄目…」
自分の一番知られたくない部分を、よりにもよって初めて好きになった人に知られているなんて。
気づけば私の目からはボタボタと雫が零れていた。
「ど、どうした!?どこか痛むのか!!?」
殿下は慌てて私の頬に手を当てる。
親指で何度となく涙を拭ってくれるが拭うそばから涙が零れていくので、殿下の親指も涙塗れになってしまった。
それでも私の涙は止まらない。
止められるはずもない。
自分が消したかった前世を思い出して、実りかけた恋が実らせてはならないものだと知って失恋して、なのに追い討ちをかけられたようなこの状況で泣くななんて言わないでほしい。
「……アンネローゼ、大丈夫だ」
殿下は止まらない涙を拭うことを諦めたのだろう、私の頬から手を離すとベッドに腰掛け直し、そっとその胸に私を囲い込んでくれた。
「心の問題なら好きなだけ泣け。もう我慢することはない」
背に回された腕が、鍛えられた厚みのある胸が、まるで殿下の心のように温かい。
私を大切そうに包んでくれる温もりが愛おしい。
そう思って安堵するのに、でもそれがもう手に入らないことを思い出してまた涙が出てくる。
それを察したのか私を抱く腕に少しだけ力が入った。
触れる面積が増えて包む熱も増える。
きっとこの温もりを人は幸せと呼ぶのだろう。
突然泣き出す面倒な女に泣き止めとも言わずに泣かせてくれる優しい人。
私が唯一心から愛した人。
けれど絶対に結ばれてはいけない人。
そんな人が齎してくれる幸せを、絶望の中で甘受した。
「今だけだから」と心の中で自分自身に言い訳をしながら。
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