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「おまえオメガだったのか」
全く予想もつかなかったが、今の状態を見ればそれは明らかだった。小鳥遊がそう聞くと岸本は項垂れるようにゆっくりと頷いた。その表情は暗く深い影を落としている。こんな表情をした岸本を小鳥遊は知らない。
「正規雇用で昇進するために選んだ茨の道でしたけど、3ヶ月でその夢も散りましたね」
はぁ、と大きなため息をひとつして岸本がこちらを見つめてくる。その瞳がゆらゆらと揺れていた。諦めと、恐れと、不安に満ちた表情だった。
「横溝課長に報告しますか?」
「……いや報告はしない」
じわりと汗の滲んだこめかみをハンドタオルで拭きながら答える。小鳥遊の身体の疼きはなかなかおさまらない。それを悟られぬよう、真顔で応じると岸本は少し驚いたように目を見張った。口をぽかんと開けている。
「おまえは仕事に対しては真面目だし実力もある。オメガだとバレなければこのままアルファとしてやっていけるはずだ」
それは小鳥遊の本音だった。見た目も性格もアルファ以外の何者にも見えない。発情期さえ抑えられれば。仕事ぶりはアルファの中でもトップクラス。そんな逸材を小鳥遊は手放したくなかった。もちろん、会社の大切な人材であるとともに小鳥遊の部下であるからだ。この3ヶ月の間に岸本が貢献した仕事が山ほどあった。先輩である佐久間にひけをとらないほどだった。横溝課長からの信頼も少しづつ得てきている。そんな社会人としておいしい時期に辞めさせたりなどしない。それが小鳥遊の心情だった。
「大学時代はうまくやっていけたんですけどね。抑制剤を隠れて飲みながら……ベータの友達に助けてもらったり。発情期で大学の授業を休んだときには、代わりにノートやレジュメをコピーしてくれたり。でも、社会人はそう甘くないみたいです。毎朝、思うんです。会社の人にバレやしないか。発情期のせいで仕事を休んでしまったらどうしようって寝る前にも不安に駆られるんです」
ベッドに突っ伏す岸本の表情はここからではよく見えない。片腕を顔に載せている。よほど今の顔を見られたくないらしい。もし、これが小鳥遊の立場だったらと仮定する。自分はオメガだが高い意欲と恵まれた体格を活かして大企業でバリバリ働きたい。キャリアを形成したい。けれど、発情期やそれに伴うフェロモンの対処は必須だ。さぞ、苦労をしてきただろうと思う。小鳥遊とはまったく異なる人生を歩んできた若者の未来を潰したくなかった。努力家で真面目な彼を失いたくない。部長の自分が守ってやらなくては、と責任を感じた。ふと、ある考えが小鳥遊の頭をよぎる。気づけばそれを口にしていた。
「……俺に種がないということを他人に公言しない代わりに、俺はおまえをオメガだと会社に報告はしないと言ったらこの条件のむか?」
ぴくん、と岸本の身体が揺れる。そうして、ゆっくりと岸本が身体を起こす。
「取引ですか」
その表情は真顔で何を考えているのか小鳥遊には読み取ることができなかった。小鳥遊は言葉を続ける。
「そう思ってもらって構わない。俺はもしおまえが社内で発情期になったら助けてやるし、言い訳もしてやる。だから、俺のことは誰にも言わないと誓ってくれ」
提案のようでいて、それは自分の知られたくない秘密を守る言い訳のようだった。
「ほんとに助けてくれるんですか?」
ふっと鼻で笑う岸本を真剣な目で見つめる。「馬鹿にするな」と、岸本のそのアーモンド型の目が言っている。しかし、ふと表情が抜け落ちたように岸本は笑うのをやめた。
全く予想もつかなかったが、今の状態を見ればそれは明らかだった。小鳥遊がそう聞くと岸本は項垂れるようにゆっくりと頷いた。その表情は暗く深い影を落としている。こんな表情をした岸本を小鳥遊は知らない。
「正規雇用で昇進するために選んだ茨の道でしたけど、3ヶ月でその夢も散りましたね」
はぁ、と大きなため息をひとつして岸本がこちらを見つめてくる。その瞳がゆらゆらと揺れていた。諦めと、恐れと、不安に満ちた表情だった。
「横溝課長に報告しますか?」
「……いや報告はしない」
じわりと汗の滲んだこめかみをハンドタオルで拭きながら答える。小鳥遊の身体の疼きはなかなかおさまらない。それを悟られぬよう、真顔で応じると岸本は少し驚いたように目を見張った。口をぽかんと開けている。
「おまえは仕事に対しては真面目だし実力もある。オメガだとバレなければこのままアルファとしてやっていけるはずだ」
それは小鳥遊の本音だった。見た目も性格もアルファ以外の何者にも見えない。発情期さえ抑えられれば。仕事ぶりはアルファの中でもトップクラス。そんな逸材を小鳥遊は手放したくなかった。もちろん、会社の大切な人材であるとともに小鳥遊の部下であるからだ。この3ヶ月の間に岸本が貢献した仕事が山ほどあった。先輩である佐久間にひけをとらないほどだった。横溝課長からの信頼も少しづつ得てきている。そんな社会人としておいしい時期に辞めさせたりなどしない。それが小鳥遊の心情だった。
「大学時代はうまくやっていけたんですけどね。抑制剤を隠れて飲みながら……ベータの友達に助けてもらったり。発情期で大学の授業を休んだときには、代わりにノートやレジュメをコピーしてくれたり。でも、社会人はそう甘くないみたいです。毎朝、思うんです。会社の人にバレやしないか。発情期のせいで仕事を休んでしまったらどうしようって寝る前にも不安に駆られるんです」
ベッドに突っ伏す岸本の表情はここからではよく見えない。片腕を顔に載せている。よほど今の顔を見られたくないらしい。もし、これが小鳥遊の立場だったらと仮定する。自分はオメガだが高い意欲と恵まれた体格を活かして大企業でバリバリ働きたい。キャリアを形成したい。けれど、発情期やそれに伴うフェロモンの対処は必須だ。さぞ、苦労をしてきただろうと思う。小鳥遊とはまったく異なる人生を歩んできた若者の未来を潰したくなかった。努力家で真面目な彼を失いたくない。部長の自分が守ってやらなくては、と責任を感じた。ふと、ある考えが小鳥遊の頭をよぎる。気づけばそれを口にしていた。
「……俺に種がないということを他人に公言しない代わりに、俺はおまえをオメガだと会社に報告はしないと言ったらこの条件のむか?」
ぴくん、と岸本の身体が揺れる。そうして、ゆっくりと岸本が身体を起こす。
「取引ですか」
その表情は真顔で何を考えているのか小鳥遊には読み取ることができなかった。小鳥遊は言葉を続ける。
「そう思ってもらって構わない。俺はもしおまえが社内で発情期になったら助けてやるし、言い訳もしてやる。だから、俺のことは誰にも言わないと誓ってくれ」
提案のようでいて、それは自分の知られたくない秘密を守る言い訳のようだった。
「ほんとに助けてくれるんですか?」
ふっと鼻で笑う岸本を真剣な目で見つめる。「馬鹿にするな」と、岸本のそのアーモンド型の目が言っている。しかし、ふと表情が抜け落ちたように岸本は笑うのをやめた。
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