【完結】アーデルハイトはお家へ帰る

ariya

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7 ロゼ=マリア

 マーシャのことが心残りであったが、ここで居座り続ければ、マーシャの付き添いであると知られマーシャまで嘲笑されてしまう。
 辺境伯の館を飛び出し、馬車の中をくぐりぬける。ジーク男爵の馬車で帰るわけにはいかないので門の外で辻馬車を拾おう。
「お待ちください、レディ」
 使用人がアデルを呼び止めた。
「申し訳ありません。ドレスがダメになってしまったので、私は退場させていただきます。辺境伯には申し訳なく思います」
 惨めな言い訳を伝えると使用人の男は首を横に振った。
「申し訳なくする必要はありません。私たちの采配が行き届かずレディに恥を欠かせてしまいました」
 気を遣っていただいてありがたいと思うが、早く帰らせて欲しい。嫌な思い出を何度も頭の中で繰り返してしまう。めまいと吐き気がする。
 折角伯爵家を出たのにここでも嘲笑されるアデルは惨めでたまらない気持ちを抱えていた。
「顔色が優れません。休憩の為の部屋を用意しております。旦那様に許可を頂き、誰も出入りできないようにしております。どうかそこでお休みになられてください」
 必要ないと言っても使用人の男はなかなか解放してくれない。
 確かに今、門を出たらそのまま倒れてしまいそうに苦しい。
 彼の言うように少し休んだら帰ることとした。
 案内されたのはパーティー会場から離れた別館である。用意された部屋には見事な赤いドレスが飾られていた。赤をベースに、白と黒のレースがあしらわれている。
 赤いドレスは趣味ではなかったので避けていたが、このデザインはアデルの目を惹きつけた。きっと辺境伯令嬢の持ち物なのだろう。となるとこの部屋は令嬢のプライベートルームだろうか。
「お召しください、レディ」
 後ろに控えていた使用人の男の言葉にアデルは首を横に振った。
「いいえ、見るだけで幸せです。さすが辺境伯令嬢のドレス。とても素晴らしいです」
「これはあなたのドレスですよ」
 突然の言葉にアデルは首を傾げた。使用人が後ろへ控え、代わりにメイドが二人前に出た。使用人が礼をして扉を閉ざすとメイドは目をきらきらさせてアデルの方へ近づく。
「さぁ、さぁ、お着換えの時間ですよ」
「そのドレスも素敵でしたわ。これは後でクリーニングに出しジーク男爵家へお届けいたします」
 ぽいぽいとメイドたちはアデルのドレスを脱がせる。
「折角です。髪型も整え直しましょう。蝶の花飾りも素敵ですが用意されたルビーと薔薇の飾りもきっと似合いますわ」
 されるままに着替えさせられる。サイズは思ったよりも合う。化粧を直され、髪を解き再度結い上げられる。
「見てください。こんな綺麗な大きなルビーみたことありません。さすがロゼ=マリア、ルビーの輝きは国内一番ですね」
 今、ロゼ=マリアと聞こえた気がする。気のせいであろう。
 髪のセットが終わり、鏡に映し出されたアデルは先ほどの惨めな姿ではなかった。華やかな赤いドレスに彩られた貴婦人がそこにいた。
「奥様、疲れたでしょう。ひとまずこちらのお水を」
 メイドは冷たい水の入ったコップをアデルに渡した。そういえば喉が渇いていたと気づきアデルはお礼をいいごくごくと水を飲んだ。
 少し生き返ったここちがする。

「さぁ、お迎えが来ましたよ」

 少し休んだ後に扉が開かれて現れた男にアデルは驚いた。確かパーティーには呼ばれていないと言っていたはずだ。
「さすがに辺境伯に来て挨拶をしないのも悪いと思ってな……直前だったが、快く招待をいただいた」
 赤い刺繍の施された紳士用の衣装を身に着けたクラウスはアデルに手を差し伸べた。
「いつ、このようなものを用意したのです。2週間前に、デザイナーに注文した。衣装作りに関してはさすがに男爵家の使用人たちの負担が大きいので、ホテル滞在の部下たちに針子を10人集めてもらった。髪飾りも一緒にしたててもらったぞ」
「マーシャ様のデビューで、付添人が目立ってしまいます」
「ジーク男爵には既に了承してもらったぞ」
 それは、自分より地位の上のクラウスが言えば頷くだろう。
「問題なくレディ・マーシャとヴィムの仕事が終わってお前が無事に帰ればこのドレスはお蔵入りする予定だった」
「まさか、それって」
 クラウスはエミリアが参加するのを知っていた。そしてアデルが今までどのような目に遭っていたのも。
「勿体ない……いくらしたのです」
「必要経費だ。今までお前のドレスを用意したことがなかったし、2年分だと思えば気が楽だろう」
 気が楽になどなるものか。
「レディ・マーシャのことは気にするな。既に役目を完遂させている。辺境伯とその令嬢に挨拶を終わらせて今はダンスに集中している。お前のことが心配で心ここにあらずといった具合だ。行って安心させてやりたいだろう」
 クラウスの意地悪気な言葉にアデルははぁとため息をついた。
 ダンスの曲が流れる中、アデルはクラウスのエスコートのもと再びパーティー会場に現れた。先ほどの令嬢が見事なドレスを身に着け、そして麗しい貴人にエスコートされているのをみてあたりはざわついた。
「ロッシュ辺境伯」
 クラウスはまっすぐとパーティーの主催者の元へ参る。
「突然の私の我儘を聞いてくださり感謝します」
「いやいや、ローゼンバルト伯爵に一度は会いたいと思っていたところだ。運悪く私が参加する頃にはあなたは参加しておらず、なかなか機会に恵まれず残念に思っていた」
「ローゼンバルト伯爵、夫人。お会いできて光栄です」
 ロッシュ辺境伯とその令嬢ヨハンナは快くアデルたちを迎え入れた。
「先ほどはとんだ災難でした。ですが、あなたの新しい美しい姿をみられて逆に良かったかも」
 ヨハンナは皮肉をこめてアデルを褒めたたえた。皮肉はもちろんアデルに恥をかかせた令嬢に対してである。
 曲が変わり、クラウスはアデルを引っ張ってダンスの輪へと入っていく。
 ジーク男爵家でクラウスと踊った曲である。
「踊ると言っていないのに」
 強引なクラウスにアデルはじっと睨みつける。
 先ほどよりステップの激しい曲で、参加しているのは自信のある者たちだけである。3組のダンスを人々はじぃっと見つめていた。特にローゼンバルト伯爵夫妻を。
「仲が悪いと聞いたが、とんだサプライズ参加だな」
「素敵なドレスだわ。伯爵が夫人の為に用意したと聞きました」
 アデルの惨めな噂は一掃される。
 アデルはそれに気づく余裕がない。ただでさえ疲れてしまった中でこのダンスはきつい。クラウスに追いつくので必死だった。
 あともう少し、もう少しで終わるから耐えるのよ。
 覚えている自分の足に語り掛けて懸命に踊り続けた。

 ぐしゃ

 アデルは体制を崩し、倒れそうになる。すっと血の気が引く。
 アデルは床に膝をつくことがなく、気づけばクラウスに抱き上げられていた。両のふとももを大事に抱きかかえられクラウスは曲に合わせてくるくると回る。アデルの体重を支えながら大した体力である。
 曲の終わりと同時にクラウスはすとんとアデルを下ろし、アデルはクラウスに支えられる形で立った。
「ご、ごめんなさい」
 拍手の中アデルはクラウスに謝った。
「謝る必要はない。パートナーをフォローするのが私の役割なのだから。お前は今までよく頑張ったよ」
 その言葉にアデルは胸が熱くなった。伯爵家にやってきてからクラウスから一度も褒められたことがなく認められないこと感じていた。
 今クラウスからその言葉をもらえるとは思わなかった。2年間ずっと求めていた言葉、もう必要ないと思った今になって何故もらえるのだ。

 もう今更すぎる。遅すぎる。

 そう口にしたかったが、自然と何もでてこない。ただアデルの瞼が熱くなり、大粒の涙が零れ落ちた。
 クラウスはアデルを再び抱き掲げ、ダンスホールから離れた。去り際にロッシュ辺境伯令嬢がいたので声をかける。
「レディ・ヨハンナ。王都でお会いできるのを楽しみにしております」
「ええ、王都に行った際は是非お二人と、特に夫人とゆっくり話がしたいわ」
 クラウスはアデルを抱きかかえたままパーティー会場を後にした。アデルは誰にも涙をみせたくなくクラウスの肩に額を押し付けて声を押し殺していた。クラウスの衣装が涙と化粧で汚れてしまうが、今はそんなことどうでもいい。
 馬車の中でもクラウスはアデルを抱きかかえたまま腰をかけた。アデルは馬車が動き出しても変わらずクラウスの肩に額を押し付けている。
「今日はこの姿でブランに戻るわけにはいかないだろう」
 ホテルに行くぞというとアデルは拒否しなかった。今のドレスはあの小屋で脱ぐにはためらいがある。
「随分レディ・ヨハンナと親しいのね」
 肩越しで響くアデルの言葉にクラウスはため息をついた。
「レディ・ヨハンナはまだ公にされていないが、皇太子妃候補だ」
 そんな話ははじめて聞いた。まだ内密であるが、五人の候補者が決まったという。他は公爵令嬢、伯爵令嬢であり長く王都で教育を受けてある。
「彼女はどちらかというとお前の方に興味がある」
 何故と聞くとクラウスは説明した。
「アルフォス山脈を愛しているからそこで育ったお前が王都にいると心強いみたいだ」
 ヨハンナは早い段階で王都に過ごすよう説得されたが、デビューするまでは故郷に留まりたいと言った。
「ふーん、未来の皇太子妃のご機嫌の為に私を利用しようっていうの」
「いや、少しでもお前と共通の話題を持つ令嬢がいればいいなと思っただけだ。お前が嫌だというのだったら今まで通り伯爵領の屋敷で過ごしてもいい。今度はパーティー参加するとき私もなるべく時間を調整しておこう」
「そんなの、今更いりません」
「ああ、今更だがお前の為に時間を作ろう」
「必要ありません」
「私は必要だ」
 何故とアデルは尋ねる。クラウスは耳元で囁いた。

「お前のことが好きだから」

 アデルはむくりと顔をあげた。真っ赤になったぐちゃぐちゃの瞳でクラウスを睨みつける。ほんのりと薄いアメジストのような瞳が涙できらきらと煌めいて綺麗だった。そういうとアデルは怒るだろうから口にしない。
 はじめは何度かアデルに反発していた。それでもアデルのことが気になって仕方なく、気づけばクラウスはアデルに惹かれていった。
「嘘ですね」
「嘘ではない。本当だ」
「そんなこと今まで聞いたことがありません」
「今はじめて言った気がするな」
 確かにとクラウスは頷いた。頭の中でヨハンの助言が聞こえてくる。

「旦那様はもっとしっかりと自分の感情を口にすべきだと思います。奥様には全く伝わっていません。むしろ嫌われているとすら思っていますよ。私自身がそうでしたから」

 ヨハンにもクラウスはアデルを嫌い避けていると思われているとは思わなかった。2年間、ヨハンにアデルが必要な物はなるべく迷わず買うようにと伝えていたが、まさかそれは適当に黙らせておけと伝わっていたとは思わなかった。全くアデルの様子を伺う手紙を送ってもいない。送ってしまえば、気になって仕方なくなる。あれだけアデルが自分を嫌がっているのだから下手に刺激してさらに嫌われるのは避けておこうとしていた。
 はじめて出会ってから喧嘩して、途中で会話すらしなくなってしまったのがクラウスにとっての最大の過ちだったのだ。

 怖かった。

 クラウスが未だに頭から離れないのはアデルの幼い頃。アデルが伯爵家にやってきてから2年、暗闇の中、アデルの様子がおかしく声をかけると発せられる彼女の声であった。

「もうここにはいたくない。おじいちゃんに会いたい。私は望んでここに来た訳じゃないのに、あなたも、伯爵様も、クリスも嫌いよ」

 暗闇の中、アデルから聞いたあの言葉をまた耳にするのは怖かった。

「あなたははじめて会った時私にいいました」
 アデルの言葉にクラウスは現実に戻された。一瞬だけ幼い少女だったアデルの記憶に囚われてしまった。
「こんな田舎娘と一緒になるのは嫌だと」
 確かに言ったなとはじめて出会ったことを思い出した。
「それは、父上が突然お前を連れてきて俺の花嫁だと勝手に決められて……あの時は俺も反抗的だったんだ。素直になれなくて心にないことを言った」
 実はいうとアデルに初めて会った時アデルを好ましいと感じていた。しかし、それ以上に仕事でなかなか一緒にいてくれない父に不満を覚えていて急に勝手に決められたことに反抗してしまった。
 その後にアデルは大声でクラウスのことを嫌い、自分も結婚したくないと叫んだ。それにかちんときて二人は喧嘩を繰り返すようになった。
 クラウスはアデルの左側の頭に触れた。軽く髪をかき分けるとぷくりと膨らんだ線状のものがある。縫われた後である。喧嘩をしてアデルを階段から落ちしてしまい傷を負わせてしまった。
 クラウスの父は傷の場所をみて「顔ではなくて良かった」と安心していた。
 それ以降アデルはクラウスに怯えた表情をみせるようになった。
 何度かアデルはこのまま自分の元から離れた方が幸せかもしれないと思うようになった。だが、それでも手放すのは躊躇する。会えなくても自分の手の届く範囲にいてほしいと願ってしまう。
「すまなかったよ」
「良いです。あの後私も酷いことを言いました。私も悪かったなと思います」
 はじめて出会った時のことをアデルは思い出しながら唇を尖らせてクラウスの謝罪を受け入れた。
「帰ろう」
「帰りません」
 ここまで来てそういうかとクラウスはため息をついた。何度か問答を繰り返しているうちにアデルはクラウスの腕の中で寝息をたてていた。早朝からパーティーの支度で随分と疲れただろう。その上で先ほどの騒動だ。
 ホテルに到着し、クラウスはアデルを抱きかかえて宿泊の部屋へと向かった。
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