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9 花祭りの中で
目を覚ますと見覚えのない天井でアデルは慌てて起き上がった。ゴート市の高級ホテルの一室である。
大きいベッドにまさかとアデルは頭を抱える。
自分の着ている服はホテルの用意した寝間着であった。コルセットや窮屈な下着は全部取り払ってくれている。頭と顔に触れると髪のセットや化粧が綺麗に取り払われてケアをしてくれている。さらっとした髪の感触に驚いてしまった。
あのままクラウスと一緒に寝てしまったのか。
「うー、あー、腰が痛い」
広々とした部屋は巨大なベッドと、さらにリビングスペースが広げられていた。ベッドから距離のあるソファからクラウスは起き上がる。
「あなた、そこで眠っていたのですか?」
「そうだよ。はぁ、このソファはに合わないな。藁ベッドの方がまだましか」
とんとんと腰を叩いて起き上がった。クラウスはゆっくりとアデルの傍に近づき、ベッドの端に腰をかけた。
「そんな、無理してソファで寝なくても」
「一緒に寝ても良かったのか」
「私がソファで寝てあなたがベッドで寝ればよかったのです」
さすがにそれは男としてどうだろうとクラウスは笑う。
「私の髪、服は?」
アデルは動揺しながら確認する。さすがにクラウスがそこまでできるはずがないだろう。
「ホテルのサービスだよ。女の使用人がお前の髪と肌の手入れをしてくれた。まさかあんなされるがままでびくとも起きる気配がないとは、余程疲れていたんだろう」
少し考えればわかることだろうとクラウスはアデルの頬に触れた。
アデルはクラウスに視線を合わせようとしない。
昨日のことを思い出してしまった。
クラウスがアデルのことを「好き」ということに未だに受け入れができていない。
「どうして突然言うようになったのです」
「何を」
「す、好き、という言葉です」
慣れない好意の言葉のようで、アデルの反応が思った以上に面白い。
「ヨハンに言われたんだ。お前も、ヨハンも誤解していたとなればこれからは自分の感情はきちんと伝えるようにと」
「すごく今更です」
アデルとしては離婚する気満々伯爵家を出ていった後なので遅すぎる言葉である。
「お前は私のことをどう思っている?」
逆に聞きたい。回収した手紙の中にはアデルの感情はみえてこなかった。クラウスを頼ろうとするがどれも事務的な内容である。クラウスが今まで返事を書かなかった為に感情は現れてこなかった。最後の方は頼りない印象で「大事な話があるから帰ってきて」というもの。その大事な話が離婚だから困る。
「私のことを夫として向き合おうとしてくれたんだったな」
ブランでの久々の会話を思い出す。
「2年前のことです」
「ということは好いていたということだろうか」
それとも好きになろうと努力していたということか。
アデルの顔がおおいに赤く染まっていく。これ以上は限界かもしれないが、なかなかやめられない。
「今は嫌いです」
「今は……ね」
耳元で囁くとアデルは悔し気にクラウスへ枕を投げつけた。彼は全く気にせず枕をキャッチした。
「旦那様、今よろしいですか?」
部下がこのように朝の会話を邪魔するなど何か余程のことであろうか。
「ヨハン殿からの手紙と、王都の別邸の報告です。王都の方は早く戻ってきて欲しいと悲鳴をあげている様子」
ヨハンからの報告では伯爵領の屋敷での使用人の総入れ替えは終了している。ヨハン自身にも罰が与えられている。給与の3割をカットし、待遇を執事補佐に落とした。それでも仕事内容は大きく変えていない。
アデルの手紙を隠した例のメイドがようやく動機を口にしたという。金銭と将来の待遇について甘い餌を仕掛けられアデルの手紙を盗み続け、またアデルの立場を引きずり落とすように中傷を続けていた。その雇い主の名をみて「はっ」と思わず笑みがこみあげてきた。
そして王都別邸からの要請ではただ帰ってきて欲しいという内容。居候のマリアが女主人のようにふるまい好き勝手しているという。注意するとマリアは実家に言いつけて、子爵が使用人を訴え貴族侮辱罪で裁判を起こそうとしている。誰もマリアに注意できなくなってしまっているという。
「弁護士の依頼書を作成する……そして、マリアを追い出すには私が戻る必要あるのか」
「そうですね。旦那様じゃないと厳しいと思います」
部下の言葉にクラウスは深くため息をついた。何の為に2か月、代理人と引継ぎを作ってきたと思うのだ。主人が不在でもうまくいくために作ったのに、マリアの暴走は思ったよりもひどかったようだ。
「朝食の用意をしてくれ。せめて朝食くらいはゆっくりしても許されるだろう」
部下はホテルの給仕に朝食を部屋に持ってくるように依頼した。
「アーデルハイト」
「何でしょう」
朝食を口にしながら会話を続ける。
「一度王都に戻らなければならない」
「……そうですか」
ここから王都まで汽車と馬を使って10日はかかることだろう。
「用事を済ませたらすぐに戻ってくる」
戻ってこなくても良い。アデルはそう口にしようとしたが、うまく声を出せずにいた。
「その時は一緒に帰るぞ」
「帰りません」
何度目になるかわからない問答にクラウスは呆れたことだろう。アデルはちらりとクラウスをみると、彼の表情に特に呆れた様子はなかった。
ただアデルを見つめ微笑んでいた。
アデルは困ったように視線を伏せた。話題を変えてしまおう。
「そうだ。改めてお礼を言います」
何をだとクラウスは首を傾げた。
「一番は私の家庭教師の手伝いをしてくれたことです。あなたのおかげでマーシャ様のデビューは問題なくすみました。ヴィムへの教育は私には難しかったので」
もはや突貫工事で動いて覚えさせる作戦であった。理由など後、手と足を動かせ何度もあいさつ文を朗読させる。
クラウスがヴィムにしたことは、紳士の所作で相手がどう反応するかというものである。何故、そういう考えに至ったかについてを男性の視点で教えてくれた。クラウスの教えでヴィムの動きが明らかに変ったのは確かである。
「そして、あのドレス……」
目立ってしまったのはアデルとしては困ることだ。しかし、用意されたドレスを身に着けた時、少しだけ心が弾んでしまった。アデルの為に用意されたドレスであり、クラウスがはじめてアデルの為に用意したドレス一式である。
「実際綺麗なドレスで、私には二度と着られないものです。良い夢を見させてもらいました」
「また着ることはできる。私の妻なのだから」
離婚を全く考えていない様子に困ってしまう。
「そうだな。お礼をもらいたい?」
「帰りませんよ。離婚もしてもらいます」
言われる前にアデルは拒否の姿勢を示す。
「その話は次に戻った時にしよう」
クラウスは食後のコーヒーに口をつけて、かたんと茶器を置いた。
「外は花祭りで盛大なようだ」
「部下の話では急いで帰らないといけないのでは」
王都別邸で問題が起きたようで、観光できる余裕はなさそうに思えた。
「人が多い。馬車を動かすことはできないだろう。駅までは歩くしかない。私と手を繋いで、見送って欲しい」
「そ、そのまま私を連れ出そうとしているのではないのですか?」
警戒心を示すがクラウスは困ったようにため息をついた。
「お前を迎える前に片付けるべきことがあってな」
アデルはこのアルフォス山脈から離れなければよいと考えるようになった。
「エミル卿を置いていく。何かあれば言うように」
後ろに控えている騎士の一人が頭を下げた。寡黙な、騎士である。婚約式の時にみた顔である。
「山羊飼いの娘に騎士は必要ありません」
「お前が嫌がってもエミル卿はお前の傍を離れないぞ」
命令しているのはクラウスだから。
いくら何でも気の毒である。アデルの為に、辺境に置いて行かれるなど。
ホテルを出ると軽快な音楽が流れて来た。吟遊詩人が物語を披露し、人形師が劇を繰り広げている。道化師の技で人々は拍手喝采であった。本当に大きなお祭りでびっくりした。小さい頃は、祖父に連れて行ってもらった覚えがない。祭りは人が多く危険だからと言われていたのを今も覚えている。ヴィムから聞くと人さらいが問題になり警備が厳重になったという。アルフォス団の兵士も警備に駆り出されているようだ。
クラウスはアデルの手を握り祭りの中を歩く。
いつもみる出店もあるが、普段よりも多くの展示をしている。
「ああ、あの時のお嬢さんじゃないか。今日はもっと珍しい代物を準備しているよ」
呼び止められアデルは首を横に振った。今はクラウスの見送りをしないといけない。
「ほう、アメジストの装飾品が随分多いな」
急いで帰ると言っていたはずなのにクラウスは歩を止め展示品を眺めた。
「ええ、メルティーナからわざわざ取りそろえた品だ」
「では、こちらを貰おうか」
クラウスが手にしたのはアメジストのブローチであった。小さい石がちりばめられて花の形を作っている。
それはアデルの胸元に取り付けられた。
「どうしたのですか?」
クラウスならば出店で宝石を買う等想像つかない。
「折角の祭りだ。祭りの気分で買うのも悪くないだろう」
彼の口からそんな言葉が出るとは思わなかった。
「悪くない……だが、お前には赤い宝石の方がいいな」
赤はローゼンバルトの色である。クラウスの瞳は美しいルビーの色であり、一族の象徴であった。
「あなたが私にはじめて買ってくれたのは緑でした」
「実際着けた姿がどうかわからなかったからな。昨日の姿でお前には赤が良いと確信した」
クラウスは再びアデルの手を握り、駅へと歩く。人通りの多い道、後ろをみるとクラウスの部下が主人を見失わないようについてきていた。大きな荷物を持ちながら大変そうだ。
駅についたところ、汽車の出発は近い。
部下に急かされる形でクラウスは汽車の入り口まで案内された。
「エミル卿、任せたぞ」
クラウスは置いていく部下に声をかける。詳しくは言わない。エミルは承知していると背筋を伸ばした。
「アーデルハイト」
再びクラウスはアデルの方へ向いた。彼はアデルを抱き寄せた。
「王都での問題を片付けたらすぐに戻る。だから、私の手の届かない場所にいくなよ」
「見張りを置いておいて何を言っているのです」
無論アデルはアルフォス山脈を離れる予定はない。クラウスに居場所を知られてしまっているがアデルにとってここが大事な故郷なのだ。
汽車の音が鳴り響き、巨体はゆっくりと動き出す。次第に早くなり汽車はアデルの前から姿を消した。
「え、と。エミル卿でしたね」
アデルはくるりと騎士の方へ振り向いた。
「はい、奥様の身辺を御守します。夜は安心してお眠りください」
小屋の外で警護しようというのか。さすがに夜は冷え込むだろう。
「しょがないから、屋根裏にベッドを作るわ」
祖父の部屋を使わせようと思ったが、主人が使っていた部屋で遠慮されてしまった。藁を敷き詰めて、新しく買った毛布があればそれなりに温かいだろう。真冬の時ではなくて良かった。念のため湯たんぽも用意しておこう。
いろいろしたい気分であった。大きな仕事が終わったばかりというのもあるが、クラウスがいなくなって寂しいと感じるなど自分はどうかしている。あれ程早くいなくなって欲しいと願ったのに。
数か月前の自分では考えられないことだ。
こんなところまで追いかけてこなければよかったのにとアデルはクラウスを恨みがましく感じた。彼の知らない顔をみて恋しいと思うなど、知りたくもなかった感情である。
大きいベッドにまさかとアデルは頭を抱える。
自分の着ている服はホテルの用意した寝間着であった。コルセットや窮屈な下着は全部取り払ってくれている。頭と顔に触れると髪のセットや化粧が綺麗に取り払われてケアをしてくれている。さらっとした髪の感触に驚いてしまった。
あのままクラウスと一緒に寝てしまったのか。
「うー、あー、腰が痛い」
広々とした部屋は巨大なベッドと、さらにリビングスペースが広げられていた。ベッドから距離のあるソファからクラウスは起き上がる。
「あなた、そこで眠っていたのですか?」
「そうだよ。はぁ、このソファはに合わないな。藁ベッドの方がまだましか」
とんとんと腰を叩いて起き上がった。クラウスはゆっくりとアデルの傍に近づき、ベッドの端に腰をかけた。
「そんな、無理してソファで寝なくても」
「一緒に寝ても良かったのか」
「私がソファで寝てあなたがベッドで寝ればよかったのです」
さすがにそれは男としてどうだろうとクラウスは笑う。
「私の髪、服は?」
アデルは動揺しながら確認する。さすがにクラウスがそこまでできるはずがないだろう。
「ホテルのサービスだよ。女の使用人がお前の髪と肌の手入れをしてくれた。まさかあんなされるがままでびくとも起きる気配がないとは、余程疲れていたんだろう」
少し考えればわかることだろうとクラウスはアデルの頬に触れた。
アデルはクラウスに視線を合わせようとしない。
昨日のことを思い出してしまった。
クラウスがアデルのことを「好き」ということに未だに受け入れができていない。
「どうして突然言うようになったのです」
「何を」
「す、好き、という言葉です」
慣れない好意の言葉のようで、アデルの反応が思った以上に面白い。
「ヨハンに言われたんだ。お前も、ヨハンも誤解していたとなればこれからは自分の感情はきちんと伝えるようにと」
「すごく今更です」
アデルとしては離婚する気満々伯爵家を出ていった後なので遅すぎる言葉である。
「お前は私のことをどう思っている?」
逆に聞きたい。回収した手紙の中にはアデルの感情はみえてこなかった。クラウスを頼ろうとするがどれも事務的な内容である。クラウスが今まで返事を書かなかった為に感情は現れてこなかった。最後の方は頼りない印象で「大事な話があるから帰ってきて」というもの。その大事な話が離婚だから困る。
「私のことを夫として向き合おうとしてくれたんだったな」
ブランでの久々の会話を思い出す。
「2年前のことです」
「ということは好いていたということだろうか」
それとも好きになろうと努力していたということか。
アデルの顔がおおいに赤く染まっていく。これ以上は限界かもしれないが、なかなかやめられない。
「今は嫌いです」
「今は……ね」
耳元で囁くとアデルは悔し気にクラウスへ枕を投げつけた。彼は全く気にせず枕をキャッチした。
「旦那様、今よろしいですか?」
部下がこのように朝の会話を邪魔するなど何か余程のことであろうか。
「ヨハン殿からの手紙と、王都の別邸の報告です。王都の方は早く戻ってきて欲しいと悲鳴をあげている様子」
ヨハンからの報告では伯爵領の屋敷での使用人の総入れ替えは終了している。ヨハン自身にも罰が与えられている。給与の3割をカットし、待遇を執事補佐に落とした。それでも仕事内容は大きく変えていない。
アデルの手紙を隠した例のメイドがようやく動機を口にしたという。金銭と将来の待遇について甘い餌を仕掛けられアデルの手紙を盗み続け、またアデルの立場を引きずり落とすように中傷を続けていた。その雇い主の名をみて「はっ」と思わず笑みがこみあげてきた。
そして王都別邸からの要請ではただ帰ってきて欲しいという内容。居候のマリアが女主人のようにふるまい好き勝手しているという。注意するとマリアは実家に言いつけて、子爵が使用人を訴え貴族侮辱罪で裁判を起こそうとしている。誰もマリアに注意できなくなってしまっているという。
「弁護士の依頼書を作成する……そして、マリアを追い出すには私が戻る必要あるのか」
「そうですね。旦那様じゃないと厳しいと思います」
部下の言葉にクラウスは深くため息をついた。何の為に2か月、代理人と引継ぎを作ってきたと思うのだ。主人が不在でもうまくいくために作ったのに、マリアの暴走は思ったよりもひどかったようだ。
「朝食の用意をしてくれ。せめて朝食くらいはゆっくりしても許されるだろう」
部下はホテルの給仕に朝食を部屋に持ってくるように依頼した。
「アーデルハイト」
「何でしょう」
朝食を口にしながら会話を続ける。
「一度王都に戻らなければならない」
「……そうですか」
ここから王都まで汽車と馬を使って10日はかかることだろう。
「用事を済ませたらすぐに戻ってくる」
戻ってこなくても良い。アデルはそう口にしようとしたが、うまく声を出せずにいた。
「その時は一緒に帰るぞ」
「帰りません」
何度目になるかわからない問答にクラウスは呆れたことだろう。アデルはちらりとクラウスをみると、彼の表情に特に呆れた様子はなかった。
ただアデルを見つめ微笑んでいた。
アデルは困ったように視線を伏せた。話題を変えてしまおう。
「そうだ。改めてお礼を言います」
何をだとクラウスは首を傾げた。
「一番は私の家庭教師の手伝いをしてくれたことです。あなたのおかげでマーシャ様のデビューは問題なくすみました。ヴィムへの教育は私には難しかったので」
もはや突貫工事で動いて覚えさせる作戦であった。理由など後、手と足を動かせ何度もあいさつ文を朗読させる。
クラウスがヴィムにしたことは、紳士の所作で相手がどう反応するかというものである。何故、そういう考えに至ったかについてを男性の視点で教えてくれた。クラウスの教えでヴィムの動きが明らかに変ったのは確かである。
「そして、あのドレス……」
目立ってしまったのはアデルとしては困ることだ。しかし、用意されたドレスを身に着けた時、少しだけ心が弾んでしまった。アデルの為に用意されたドレスであり、クラウスがはじめてアデルの為に用意したドレス一式である。
「実際綺麗なドレスで、私には二度と着られないものです。良い夢を見させてもらいました」
「また着ることはできる。私の妻なのだから」
離婚を全く考えていない様子に困ってしまう。
「そうだな。お礼をもらいたい?」
「帰りませんよ。離婚もしてもらいます」
言われる前にアデルは拒否の姿勢を示す。
「その話は次に戻った時にしよう」
クラウスは食後のコーヒーに口をつけて、かたんと茶器を置いた。
「外は花祭りで盛大なようだ」
「部下の話では急いで帰らないといけないのでは」
王都別邸で問題が起きたようで、観光できる余裕はなさそうに思えた。
「人が多い。馬車を動かすことはできないだろう。駅までは歩くしかない。私と手を繋いで、見送って欲しい」
「そ、そのまま私を連れ出そうとしているのではないのですか?」
警戒心を示すがクラウスは困ったようにため息をついた。
「お前を迎える前に片付けるべきことがあってな」
アデルはこのアルフォス山脈から離れなければよいと考えるようになった。
「エミル卿を置いていく。何かあれば言うように」
後ろに控えている騎士の一人が頭を下げた。寡黙な、騎士である。婚約式の時にみた顔である。
「山羊飼いの娘に騎士は必要ありません」
「お前が嫌がってもエミル卿はお前の傍を離れないぞ」
命令しているのはクラウスだから。
いくら何でも気の毒である。アデルの為に、辺境に置いて行かれるなど。
ホテルを出ると軽快な音楽が流れて来た。吟遊詩人が物語を披露し、人形師が劇を繰り広げている。道化師の技で人々は拍手喝采であった。本当に大きなお祭りでびっくりした。小さい頃は、祖父に連れて行ってもらった覚えがない。祭りは人が多く危険だからと言われていたのを今も覚えている。ヴィムから聞くと人さらいが問題になり警備が厳重になったという。アルフォス団の兵士も警備に駆り出されているようだ。
クラウスはアデルの手を握り祭りの中を歩く。
いつもみる出店もあるが、普段よりも多くの展示をしている。
「ああ、あの時のお嬢さんじゃないか。今日はもっと珍しい代物を準備しているよ」
呼び止められアデルは首を横に振った。今はクラウスの見送りをしないといけない。
「ほう、アメジストの装飾品が随分多いな」
急いで帰ると言っていたはずなのにクラウスは歩を止め展示品を眺めた。
「ええ、メルティーナからわざわざ取りそろえた品だ」
「では、こちらを貰おうか」
クラウスが手にしたのはアメジストのブローチであった。小さい石がちりばめられて花の形を作っている。
それはアデルの胸元に取り付けられた。
「どうしたのですか?」
クラウスならば出店で宝石を買う等想像つかない。
「折角の祭りだ。祭りの気分で買うのも悪くないだろう」
彼の口からそんな言葉が出るとは思わなかった。
「悪くない……だが、お前には赤い宝石の方がいいな」
赤はローゼンバルトの色である。クラウスの瞳は美しいルビーの色であり、一族の象徴であった。
「あなたが私にはじめて買ってくれたのは緑でした」
「実際着けた姿がどうかわからなかったからな。昨日の姿でお前には赤が良いと確信した」
クラウスは再びアデルの手を握り、駅へと歩く。人通りの多い道、後ろをみるとクラウスの部下が主人を見失わないようについてきていた。大きな荷物を持ちながら大変そうだ。
駅についたところ、汽車の出発は近い。
部下に急かされる形でクラウスは汽車の入り口まで案内された。
「エミル卿、任せたぞ」
クラウスは置いていく部下に声をかける。詳しくは言わない。エミルは承知していると背筋を伸ばした。
「アーデルハイト」
再びクラウスはアデルの方へ向いた。彼はアデルを抱き寄せた。
「王都での問題を片付けたらすぐに戻る。だから、私の手の届かない場所にいくなよ」
「見張りを置いておいて何を言っているのです」
無論アデルはアルフォス山脈を離れる予定はない。クラウスに居場所を知られてしまっているがアデルにとってここが大事な故郷なのだ。
汽車の音が鳴り響き、巨体はゆっくりと動き出す。次第に早くなり汽車はアデルの前から姿を消した。
「え、と。エミル卿でしたね」
アデルはくるりと騎士の方へ振り向いた。
「はい、奥様の身辺を御守します。夜は安心してお眠りください」
小屋の外で警護しようというのか。さすがに夜は冷え込むだろう。
「しょがないから、屋根裏にベッドを作るわ」
祖父の部屋を使わせようと思ったが、主人が使っていた部屋で遠慮されてしまった。藁を敷き詰めて、新しく買った毛布があればそれなりに温かいだろう。真冬の時ではなくて良かった。念のため湯たんぽも用意しておこう。
いろいろしたい気分であった。大きな仕事が終わったばかりというのもあるが、クラウスがいなくなって寂しいと感じるなど自分はどうかしている。あれ程早くいなくなって欲しいと願ったのに。
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