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ariya

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ファンタジー

銀の月

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 未完にした作品ですが、きりがいいので短編であげます。
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 世界は大きく分けると地と天と二つある。

 一つは天………
 この世界には天帝を中心に、神・天人・仙人と呼ばれる存在が住んでいると言われている。
 天帝は天から地……人の世界を見据え管理している。それだけでなく、気の流れ、水の流れ、地の流れ、全ての物…………万物の均衡を保ち世界の運営を維持していると言われている。

 一方、地……人の世界では
 大陸には多くの民族が住んでおり、多くの集落が存在した。集落は人の多さでどんどん形を変え、村へ邑へ町へ国へと発展していく。
 中でも中原にて大きな力を持つようになった国があった。国の名は商と呼ばれた。この時代に人々の政・習慣・文化………等は大きく発展したといえよう。
 軍事力も他の民族と比べ群を抜いており、多民族はこぞって商に従うようになった。こうして商の権勢は中原に留まらず大陸のかなり広範囲まで伸びていった。

 本当にこの強大な国に喧嘩をふっかけてやろうという馬鹿がいたら、神様の良い笑いのネタだろう。
 俺だってそう思う。

 さぁ、ここは天の中でも地に近い場所。@仙道たちが住まう為、仙人界とも呼ばれる場所である。
 ここでは才能に恵まれ認められた人が入り、修行を積み仙人になる場所である。@仙人を目指す者を人は道士と呼んだ。@彼らはここで仙人になる為に日夜努力を惜しまなかった。


 どーーーーん。


「哪吒だーーーー!」
「哪吒がまた大暴れが過ぎたぞ」

 土煙りが激しく舞う建物の中から道士たちは逃げ出し、喚きふためいた。
 普段ではこの建物は色んな仙人の元で修行を積む道士たちが授業を受けたり、議論を交わす場である。
 このように騒ぎたてるのは滅多にない。
「ああ、まーた哪吒が騒ぎ起こしちゃってるし」
 建物の傍の木に身を休める少年はやれやれといった具合に様子を伺っていた。
 十をいくつか超えた程の幼い印象の残る少年である。
 しかし、普通の少年ではないのは一目見てわかった。
 彼の背には白い羽がついていたのだ。
 おそらくは人外の身で仙道の仲間入りを果たした者なのだろう。

「今回はさすがに原始天尊様、黙っていないだろうなぁ」

 そういって彼は、羽を大きく広げ飛び立った。
 向う先は玉虚宮。
 玉虚宮につくなり、少年は大きく深呼吸をした。
 そして、…………

「原始天尊様!@大変でございますっ!!」

 先ほどのとりすました様子からうってかわって、彼は慌てて原始天尊の元へと走った。

「そう慌てるな。すでに儂の耳に入っている、白鶴よ」
 少年を白鶴と呼ぶ老人は極めて落ち着いた様子で応えた。
 彼こそ白鶴の師であり、上司にあたる者、そしてこの仙道の世界を二分する派閥・闡教の教主・原始天尊であった。

「またあの悪童がやりおったか」
「はい、哪吒がまたやらかしました」

 被害は十人の負傷者。しかもそのうち三人は崑崙十二大師といった大物仙人直接の弟子である。
 怪我などの被害は受けていないものの仙界よりもずっと上の天上界から勉強に来た者もいる。

 今まで何度か哪吒が騒動を起こすことはあった。その度に天界からも下界の地神からも苦情が殺到して崑崙山は頭痛のネタを増やしていく一方であった。

 何度も頻繁にこんなことを続けられればたまったものではない。

 原始天尊は皺を大きく動かし、白鶴に指示を出した。
「太乙真人を呼ぶがよい」
「はい」

 これはひと波乱の予感だ。今までどんな悪行を起こしても大目に見られた哪吒は今回こそお咎めを受けるであろう。

 白鶴によって玉虚宮に呼び出された太乙真人は己が師の前に膝を折り、深く礼をした。
「原始天尊様、乾元山・金光洞の太乙真人、参りました」
「うむ」
 原始天尊は弟子の中でもトップクラスに入る太乙真人の姿を認め大きく頷いた。
「太乙よ、儂がお主を呼んだ理由はわかるな」
「はい、さすがにそろそろ言い逃れはできないと思っておりました」
「そうじゃ、…………今までは例の計画の為に大目に見てきたのだがちとやんちゃがすぎる」
「はい、それは師であり生みの親である私にも責任があります。何なりとご処分を」
 太乙真人はそれ相応の覚悟でこの玉虚宮にやってきたのである。
 原始天尊はそれを認め、ゆっくりと顎髭を撫で下ろして指示を出そうとした。
「お主が来るまで、主ら師弟をどうしたものかと思案しておった。そこで天界のさる方よりお達しが来ての、丁度いいということで儂は哪吒にある試練を与えようと思う」
「天界のさる方………」
 原始天尊がそこまで言う者ならばたいそうな身分の方なのだろう。一体どのような厳しい試練を与えようというのだろう。
 太乙真人はきゅっと唇を結び弟子の行く末を案じた。
「太乙真人、その方の弟子李哪吒に………」

「やぁい。くそじじぃ!!」

 突然玉虚宮にこだまする少年の叫び声に原始天尊も太乙真人もその方へ視線をやった。
 そこには白群色の髪に黄朽葉色の瞳をした可愛らしい少年である。
 しかし、口調はとても粗野なものであった。

 少年はギンっと原始天尊を睨み付け、手にした金色のわっかを原始天尊に向ける。手にしているものは仙道の魔法道具宝貝・乾坤圏である。

「俺の師に何をする!! 師匠を人質にとって俺をおびき寄せようって魂胆はみえみえなんだよ。この卑怯者!!」

 とても闡教の長に対する態度とは思えない。
 さすがの太乙真人も呆れてため息を禁じえなかった。

「哪吒、少し落ち着きなさい」
「待ってください、師匠!! 今俺が助けて見せますからね!!」

 師の話すら全然聞いていない。
 原始天尊はちらりと太乙真人に目配せさせ、太乙真人はこくりとうなずいた。

 太乙真人は空に陣を描き、それをナタに向かって発した。
 陣から出てきたのは白い蛇のような光。

 その光の縄で哪吒の身をぐるりと縛り付けてしまった。

「ぎゃん!!」
 さすがの哪吒も身動きが取れないのかその場に身を崩してしまった。
「何するんすかぁ、師匠」
「少し、黙っておきなさい」
 太乙真人はそう言い残し、原始天尊に再び膝を折り、拱手した。
「師よ、我が弟子のご無礼をどうかお許しを」
「この童子が哪吒か………この目でじかに見たのは初めてじゃ。しかし、随分やんちゃに育ちすぎたの」
「恐れ入ります」
 太乙真人にはそう言うしかなかった。
 先の騒動の上に教主に対する暴言、…………もはや許されないと思った。
「どうぞ、ご処分を。覚悟はできております」
「うむ、………ところで太乙真人よ。あれが下山してから何年経つ?」
「あれ、………ですか?」

 あれ、とはなんだ?
 哪吒は首を傾げた。しかし、師の顔からあれが何なのかわかっている様子だった。
 自分だけ仲間はずれにされた気分がしてあまりいい気がしない。

「師より破門されて七年?になるのでは」
 何千も生きている仙人にとって数年の時などあまり感覚がない。しかし、この闡教の者たちにとってあれの裏切りは今もなお鮮明に残っていた。

「惜しい人材でした。もう少しでこの闡教総本山崑崙山の十本指に入る道士になれたものを」
 太乙真人は心よりあれの才能を惜しんだ。
「嘆いても仕方あるまい。よもや朔まで連れて行くとは思わなかった」

 朔?………朔とは誰だ??
 ますます意味がわからない。

「それによってあやつは『天命』から外された。されど、皮肉なことに次の『天命』の子はあれの傍におる」
「…………っな!!」

 太乙真人は絶句した。あまりの事実に驚いてしまったのだ。

「師よ、そのことはいつからご存知で………」
「あれが下山してより一年後、新たな『天命』の子を拾った頃よりの」

 原始天尊はふと宙を仰いだ。
「今までわしらがあれに注いだ教育をそのまま子に与えたのだ」

 そしてその子はすでに十六歳、そろそろあれから巣立とうとしている。

「わしは考えた。哪吒をその者に遣わせてみてはどうかと。そして哪吒にはその者が『天命』を果たすように守り抜かせようと」

「まさか、師よ」
「うむ、それを哪吒への罰………試練にしてみようと思う。こやつには限度というのがわかっておらん。『天命』の子と多くを学ばせればちとましになるのでは?」
「しかし、哪吒は………」
「やるっ!! それやれば俺と師匠への罰はちゃらになるんだろ!!」

 それだったらおやすい御用。
 哪吒はそう言わんばかりに叫んだ。
 それに今の話を聞くとつまり哪吒は下界へ降りることを許されるということになる。くそつまんない修行と仙道の世界にしばらくおさらばできるということだ。

「哪吒、もう少し大人しくしてな」
「っほっほっほ、哪吒も随分やる気のようだ。うむ、任せたぞ。ナタ」

 おうっと息巻く哪吒に太乙真人はやれやれとため息をまたついた。



「いいかい、哪吒。『天命』の子とは仲良くするんだよ。@喧嘩はしない。物は壊さない。暴力は振るわない」
「わかっているよ、まったく師匠は心配性だなぁ」

 今までそれを守れた験しがないから太乙真人は小姑のように繰り返し言っているのだ。
「で、師匠………そのテンメーの子ってのはどんな奴なんですか?」
「さぁて私もついさっき知ったばかりなので何とも………だが、名前は聞いている。確か………」

 その名を聞いて哪吒はわかったといわんばかりに頷いた。
「ちゃんと使命を果たすんだよ」
「おう、そいつに危害加える奴を片っ端からぶっつぶして守れば良いんだろ」
 飛び立った弟子の行く先を見つめながら太乙真人は大きくため息をついた。
「全然わかってない」
「あっれー、もう哪吒行っちゃったの?」
 ばさばさと翼をばたつかせ、太乙真人の目の前に現れたのは原始天尊に仕える道士・白鶴。
「やぁ、白鶴童子。見送りにきてくれたのかい?」
 すまないねぇと太乙真人はにこやかに礼を述べた。
「まぁ、それもあるんですけど………一応私、哪吒と仙界を繋ぐ連絡係ってことになっているんです。ですので近々会うと思いますので」
「そうかい、それなら哪吒に渡したいものがあった場合も頼めるかい」
「ええ、お駄賃は頂きますけど」
「君は現金な子だねぇ」
 何かとちゃっかりしている少年に太乙真人は苦笑いを禁じえなかった。

 哪吒が下山しようとしている道中にそれを阻む者が現れた。
「待ちなさいっ、哪吒!」
「うわっと………あっぶね。何だよ、木吒兄さんじゃないか」

 道を阻んだのは哪吒の兄木吒であった。@師は異なるが同じ崑崙山脈にて修行中の身である。哪吒も何度か修行を共にしたことがあった。

「お前、自分が何をやったかもう忘れたのかい?」
「? 兄さんには関係ないと思うけど」
「おおいにある!!」

 今回怪我をした子は木吒の弟弟子でもあった。
「ふーん」
 哪吒は興味なさげにしていた。@それに勘に触った木吒はさらに怒気を強くする。

「全く原始天尊様は甘すぎる。哪吒のしでかしたことをおつかい程度の使命で済ませようなんて」
「おいおい、天尊様に向かってその言い方はないんじゃねぇの?」
 先ほどくそじじぃとか暴言を吐いたことをすっかり忘れている哪吒であった。

「いい? 哪吒、下界へ行く前に傷つけた子たちに謝りに行きなさい」
「やだよ、面倒くさい」
「面倒でもしなければならないのっ」
 ひとを傷つけたらまず謝る。どうしてそんな基本的なことができないんだ。
 木吒は心の底から弟のありようを嘆いた。
 哪吒は面倒だなぁと頬をぽりぽりと掻く。
「なぁ、俺行っていい? 使命果たさなきゃならねぇからさ」
「行くのはかまわないけど、その前に謝罪をしにいくんだ」
 僕もついていってあげるからさ、と木吒はナタの手をとるが哪吒は逃げ出す。
「あー、やだやだ………それにあの程度で怪我するよわっちぃ奴らが悪いんだろ。何のために修行してんだよ、あいつら」
 その言葉に木吒はぶっつんと何か切れる音を耳にした。
「そうかい、君は本当にわからないようだね」
 木吒は腰に履いていた二つの剣を取り出す。木吒の宝貝『呉鉤剣』である。
「唸れ、呉鉤剣」

   ◇   ◇   ◇

 森の道の中、馬を歩かせながら望は背伸びをした。
 望は姓を呂。名を望。字を子牙という。

 呂という名と彼の服装からわかるように彼は羌族である。
 彼は朝歌に向けて旅をしていた。

「えぇと………もうすぐ、商の領域だから着替えないとな」
 望はちらりと脇に抱えている包みを見つめた。この森に入る前に知人より譲り受けた商族の衣装が入っている。

「さ、急いでこの森を抜けないとな」
 もう一度背伸びした望はふと空を仰いだ。
 なんだ。あれは………

 空にちかちかと光るものがある。
 鳥だろうか。いや、鳥にしては随分と様子がおかしい。
 では何だろうか。

 その光るものはずっとこちらに近づいてくるようだった。
 望はずっとその光るものを見つめているとどんどんでかくなっていく。@そのうち輪郭が見えてきた。
 その輪郭は鳥ではなく人の四肢と胴の形に見えた。

 あれは………人?
 いや………まさかな。

 そうしている間に物体は目の前に落下した。
 随分派手な音と、砂埃がそこらを舞った。

「なななななな………」
 望は唖然としてその落ちた方を見詰めていた。

「いってぇ」
 落ちた方から少年の声がした。@埃がまきおさまり、少年の姿がくっきり見える。
 少年は羽衣を肩に羽織り、手と足には変わった装飾品を身につけている。髪を上に二つに結い、髪には蓮の髪飾りがつけられている。
 少年は女の子のように愛らしい顔立ちをしていたが、粗野な動作が目立った。

「あの野郎………本気で怒るかよ。普通あそこで宝貝を突然出すなんて卑怯だ………ん?」
 落ちて来た少年は先ほど兄と口論していた哪吒であった。
 哪吒はじっと望の方を見詰める。
「何見てんだよ。餓鬼。見せもんじゃねぇぞ」

 餓鬼っ

 望はかちんときた。
 何なんだ。この子は。

 まるでちんぴらのようなことを言って………しかも餓鬼? 明らかに自分より年下の少年にそんなことを言われる理由はどこにもない。

 望は馬から降り、哪吒の方へ近づく。
「なんだよ……… あでっ」
 望は重いきしって哪吒の頭にげんこつをお見舞いした。

「何すんだよっ。死にてえのかっ」
 さっきの君の方が死にそうだったぞ。
 というツッコミをしたいのだが望はまず言いたいことを言う。

「あのねぇ。君、年長者への礼儀をもっと知るべきじゃないか?」
「あん? なんだよ、説教かよ。ったく、偉ぶってんじゃねぇよ。くそちび」
「ちびっ、明らかにお前の方がちびだろっ」
 望はかちんと来て、怒った。

「はんっ。見た目で人を判断すんじゃねぇよ。俺は………て何するんだっ」
 望はふと少年の手を掴んだ。彼の手から血がだらだらと流れていた。

「いや………血が出ているだろ?手当てしないと」
「別にいいよ。どうせ、すぐ治るんだ」

「よくないっ」
 望は哪吒をどなりつけた。

「化膿したら大変なんだぞ。とりあえずそこらに座れ。今消毒してやるから」
 哪吒は望の剣幕に何故か逆らえず、おずおずと道脇の草の上に座った。
 望は馬に積んであった包みから小さな貝と布をとりだした。そして水筒も出す。


「ほら、手を出して」
 哪吒は面白くなさげに手を出す。
 望は血を水筒の水で洗い流し、貝の中に入れている薬を塗る。

「いってぇ」
「我慢しろ。よくきくんだ」
「……………」
 哪吒はじっと望を眺めた。彼は彼女の手に布を巻きながら聞いた。

「さっきの。どこから落ちてきたんだ?」
「別に。ただ遊んでたら落とされただけだよ」

 何をどう遊んだらあんな高いとこから落とされるんだ。
 見たところこの彼女はふつうの人間じゃなさそうだ。この姿は………

 仙人? いや………子供だから道士か。
 昔、尚………知り合いから聞いたことがある。

 尚は若い頃、さる山にすると言われる仙人のもとで修行していたので、その折に出あった仙人の姿や身につけているものを面白おかしく話したものだ。

 仙人関係の人間だったら、あの高さから落ちても平気なのだろうか。そういえば、常人より丈夫だということを昔聞いたのを思い出す。


「ほら………これで良し。もう、落ちたりするなよ」
「別に落ちたくて落ちたわけじゃねぇ………」
 哪吒はぷうと頬を膨らませた。
 哪吒は立ち上がり、こんこんと足で地面を蹴りそして宙に浮いた。

 望は目を丸めてそれを見詰めた。
 その様子に哪吒は面白いのかにやりと笑う。

「おい、お前、名前は?」
「呂望………字は子牙だ」

「ふぅん。俺は哪吒だ。李哪吒。じゃなっ」
 そう言い、哪吒は空へのぼり上がり消えてしまった。
「驚いたな………本当に空を飛ぶんだ」
 望は感心した。

「はぁ………それにしても騒々しかったな。なぁ、四不象」
 四不象という名の馬は頷くように望の袖に鼻を摺り寄せた。
 望は馬に乗り、再び、道の続きを進もうとしたその時。
 さっきの哪吒の台詞を思い出す。

 じゃな。
 その中に「またな」の意味が込められているような気がするのだが………気のせいだろう。
 望は笑って道を進めた。

 空を飛んでいる哪吒は手をさすった。先ほど望が手当をしてくれた場所だった。

「変な奴だな………こんなの本当にすぐ治るのに」
 哪吒はさっきの男の顔を思い出した。

「………子牙か」
 ぷぷっと突然笑みがこぼれる。
 最後のあいつのあの間抜け面………傑作だったな。

「あぁ………あの木吒兄さんにぶっとばされたのは腹立つが………ま、いっか。@面白いのに会ったし」

 そういえば、使命の為に『テンメー』の子に会わなければならないけど、なんて名前だっけ?
「ま、そのうち思い出すだろう。せっかく降りて来たんだ。ぱぁっと息抜きしよっと。ひっさびさに俺の廟にでも行くかな」

 哪吒には哪吒を神と崇める廟がある。

 その廟が出来るには長い説明があるのだが………哪吒は暇つぶしにあそこの廟にやってくる人々の願いを聞き、叶えてやることがあった。

 失せモノを見つけて届けたり、怪我病気をしたものに薬をつくってやったりと………そうしている間に人々からの評判が上がり参詣者が増加していった。
 人の願いを叶えるのは面倒なことなのだが、崇められ感謝されるのは中々悪い気がしなかった。だから、昔哪吒はしばらくこれにはまっていた。

 最近、行ってなかったので、久々に自分の廟へ行ってみようと進路を変える。

「………なんだこれは」
 自分の廟にたどり着くと哪吒は唖然とした。自分の廟がことごとく壊されていたのだった。
「………うぅ」
 哪吒よりもひとまわり小さい童子が倒れているのを発見した。哪吒の廟を守っている護宝童子である。
 哪吒は護宝童子に詰め寄った。

「おい何があった」
「あ、哪吒様」
 童子は哪吒に少し似たかわいらしい目をうるうる潤ませて事の次第を説明した。

「突然不審な男どもがやってきまして、私の必死の抵抗も空しくこのように壊してしまったのです」
「何だとっ俺様の廟をよくもっ」
 哪吒はぎぃっと怒りだし歯軋りをした。

 この廟は哪吒にとって気に入っていた場所なのだ。それをこのように無残に壊すとは何て不届き千万な男どもだ。
「で、そいつらはどんな奴らだ」
「はい………皆どこぞの役所の兵なのか、なかなか良い身なりをしておりました。そして指示をしていた男は文官のような格好でございました」

「で、そいつの人相は?」
「はい、ただいま念写でこの水溜りに写しましょう」

「早くしろっ」
 哪吒は童子をせきたてた。
 童子は急いで手をかざし印を結び、水溜りに人間の姿を映し出した。

「この男でございます。指示を出した文官風情の男は。仙道の心得があるのか私の動きをいとも簡単に封じてしまったのです。おかげで男どもに好き放題この廟を壊された次第でございます」

 童子の説明を全く無視して、哪吒はじっと水溜りの中の男を見詰めた。彼女の瞳には怒りの焔をめらめらと燃やしていた。

「哪吒様?如何なさいましたか」
「あんのぉやろう」

 哪吒はきいっとヒステリックな声をあげながら、風火二輪を再び回し、宙を飛び出した。
「あの野郎、よくもよくもよくもぉ………」
 絶対ぶっころしてやるっ。


 ナタが復讐の焔を燃やしている最中、望はある男と歓談していた。
「いやぁ、助かりました」
 男はにこにこ笑って、頭を下げた。

「そんなに頭を下げないで下さい。かえって困ります」
「いえいえ、あそこで子牙殿が助けてくだされねば私は身ぐるみを剥がされていたことでしょう」

 哪吒と別れたすぐ後、望は盗賊に襲われそうになった男を助けたのだ。
 それが彼である。
 男は救い主の望に深々と頭を下げた。

 男は黒い服を身に纏い赤い布を肩から下げている。髪は綺麗に剃りあげた坊主頭である。

 変わった姿だと望が聞くと男は名を燃灯といい異国の宗教の僧侶だという。彼は自分の宗教をこの地に広める為、日夜行脚をしているのだとも言った。

「燃灯殿はこんな物騒な世の中を丸腰で行脚しているとは、いささか無用心では」
「何々、私の宗旨で無益な殺生は禁じているのです。故に武器は一切所持していません」

 無用心なことだだ。この森には前々から盗賊の棲家があると言われている。その為、ここを通るには誰か腕の立つ者を用心棒に雇う人が多い。

 ならずものに捕らえられ、奴隷として市場に売られてもおかしくないこの時代によくそのような無謀なことができるものだ。

 僧侶というのはそういったものだろうか。

「それにしても望殿は何やら変わっておりますな。その服装から羌族でしょう。私が聞いたところによると羌族は武器を一切所持しない平和な民族だというではありませんか。どうしてあのような剣技を………」

「必要だからですよ」
 望は苦笑いした。

 この時代我々、羌族はあまりに弱い存在だ。その上、武器も持たない。戦い方も知らない。それはつまり周りの強大な民族に襲ってくれと言っているようなもの。

 望は今まで幾度も羌族の村が商族に襲われ、滅ぼされるのを目にしてきた。
 何度も歯がゆかった。しかし、村を護るどころか自分の身さえ護れない己を何度呪ったことか。

 だから、望は剣を取り戦うことを選んだ。
 それは平和な民族羌から平和を奪うことに繋がる。しかし、このように羌族の村々を滅ぼされて平和であろうか。

 何もせず、平和を求め、滅ぼされるよりは、剣をとり、新たな道を切り開くべきだ。

「ほう………」
「私の考えは同胞から見れば異端ですが、ね」

「いえいえ、なかなか興味深いです。そう………」
 燃灯は目を細め宙を仰いだ。

「人は変わらねばなりません。悪い状況から脱したいと思うならね。その手段は人それぞれ。子牙殿にとってその手段とはまず剣をとること、だったのでしょう」

「おかしいですね………」
 望は燃灯の言葉を聞いて笑った。

「何故会ってまもないあなたにそのようなことを言えるのでしょう。あなたは私が何者かわからないでしょうに………」
「わからないからこそ言える事もあるのですよ」

「何だか、不思議な人ですね。あなたは」
「ふふ………」

 お互い見合わせ、笑っている時に遠くから騒音がした。そして男の悲鳴が聞こえる。

「たすけてぇ~」
 望と燃灯はぎょっとし、音と悲鳴の方を探る。
「な、何?何が起こったんだ?」
 望は四不象に急いで乗って男のいる方向へ向かおうとした。しかし、燃灯がそれを制す。

「待たれよ。子牙殿、ここは私が見てまいります」
「いえ………貴僧に何かあったら」

「大丈夫ですよ。あれは私のような者の分野ですので。」
 燃灯は意味深に笑って、悲鳴のする方へと走った。
 彼の足は思ったよりも速くすぐに燃灯の姿が見えなくなってしまう。
「………燃灯殿って一体………」

 何者なんだ?

 望は唖然と燃灯が消えてしまった方向へ視線を向けた。
 森の中――望のいる場所にて、ひぃひぃと息を切らしながら必死で走る男の姿があった。

 先ほどの悲鳴の主である。
 男の名は李靖。格好からして文官だというのがわかる。

 この男は若き頃、仙人たちが住むと言われる崑崙山脈に登り仙人の下で修行を積んでいた経験があった。しかし、修行はあまりに厳しく彼は仙人になる夢を諦め下山してしまった。
 下山後、実家に戻り、家督を継ぎ、嫁をとり、さる土地の地主として幸せに暮らしていた。
 その李靖が何故悲鳴をあげ、逃げているかというと。
 後ろで愛くるしい顔を般若の如く歪ませ、襲ってくる哪吒が追ってくるからだ。

「なんで、にげんだよっ」
「ばか者っ。お前が襲うからだ」
 哪吒と李靖は何度もその問答を繰り返し、鬼ごっこを続けていた。

 ぜえぜえ………

 李靖の息が切れていく。さすがにもう限界なのだろう。
 しかし、止まるわけにはいかない。止まったら殺される。

 奴なら本気でやりかねん。

 李靖はそう考え、意地でも足を休めようとしなかった。
 しかし―――

 足を挫き、転んでしまう。

 しまった。

「ふふふふふ………ようやく追い込んだぜ。かくごっ、くそ親父っ!!」
 哪吒は不敵に笑い、手にしていた光る輪を李靖に投げ込んだ。
 李靖は無駄あとわかってても、頭を抱え少しでも奴から来る衝撃が和らぐようにと願った。

 しかし、哪吒の攻撃は見事に打ち返され、彼女の手元に戻ってきた。
「なんだ、お前?」
 そこには李靖を庇うように哪吒の前に立ちはだかる燃灯がいた。哪吒は彼をがん見する。

 只者じゃない。

 哪吒の武器・乾坤圏を跳ね返したのだ。おそらく同じ仙界の者だろう。

 哪吒は燃灯を前に緊張した。
「っふ、お前が李家の哪吒か。噂に聞く悪童ぶりだな。お前の悪評はこの燃灯道人の耳にも届いている………悪いことは言わん。李靖を襲うのはもうやめておけ」

 燃灯はにやりと笑い哪吒を窘めるように言った。
「んだよ、おっさん。そこどいてくれる。怪我すっぞ」
「礼儀もなっておらんとは………太乙め。甘やかしすぎたな」

「何、ぶつぶつ言ってんだよ!速くどけよ。さもねぇと………」
「やれるものならやってみなさい」
 哪吒は頬を引きつらせ、乾坤圏を構えた。

「ふぅん、じゃ、遠慮なく」
 そして、投げるその瞬間、燃灯は袖から建物の模型のようなものを取り出し、哪吒に振りかざした。

「ゆけっ、玲瓏塔!!」

 哪吒の頭上に突然大きな塔が立ちはだかりどんっと降りてきて、彼女を上から閉じ込めてしまった。
「なんだよ、これっ。おい、出せっ!」
 塔は半透明になっているため、中の様子が見える。@燃灯は塔の中に閉じ込められ暴れる哪吒を見下ろした。
「では、李靖を襲うのをやめるか」
「……………や・だ・ね」

 しばらく沈黙して考え込む仕草をした後哪吒はにんまりと笑ってべー、と赤い舌を出した。あくまで燃灯に逆らうということだ。

「これで三度目だ。李靖を襲うのはやめるんだ」
 燃灯の瞳は先とは全く別の冷やかな物に一変する。普通の人間なら怯えるだろうが、怖いもの知らずの哪吒には関係ない。


「っへん。何度言われても嫌だねっ。こんな小細工で俺を閉じ込めて良い気になんなよ。糞坊主!」
 哪吒は塔の中で胡坐をかき、燃灯を馬鹿にした。

「やれやれ、仕様のない子だ………哪吒よ。仏の顔も三度までだぞ」
 燃灯は印をかざし「疾っ」と叫んだ。

 すると塔の中は突然の業火に襲われ、哪吒は火達磨になった。
「ぎゃー暑いっ、暑いっ」
「ほう………霊珠でも暑いと感じるのか?」
 燃灯は興味深げに目を細めて笑った。

「うるせぇ、暑いものは暑いんだよっ。ここから出しやがれ」
「燃灯殿、どうしたんですっ。子供の悲鳴が聞こえますよ」
 望が茂みから現れた。そして事の次第を見詰め、ぎょっとした。
「お………お前は哪吒じゃないかっ。どうしたんだっ」
「暑いっ。助けてくれっ」
 哪吒は情けない声をあげながら泣き叫んだ。

「子牙殿………」
 燃灯はやれやれと肩をすかした。

「気にすることない。これはこの悪童の自業自得というものだ」
「燃灯殿、………これはあなたの仕業なのですか?」

「そうだ」
 望は哪吒を捕える塔を見つめる。塔の中で哪吒は拷問のように火で苦しめられているのが外から見てもよくわかる。

 どう考えてもこれは人間の作った塔ではない。
「あなたも仙人なのですか?」
「そうだ。私は崑崙山脈霊鷲山元覚洞の主・燃灯道人。仙人であることを黙っていたことを詫びよう」
 望はじっと哪吒と燃灯を交互にみやった。
「哪吒を助けてください。このままじゃ死にます」
「死にやしないさ、こいつは霊珠なのだから」

「霊珠?」
「つまり人間じゃないということだ」
 望はじっと哪吒を見詰める。塔の中で苦しそうに呻く少年の姿は見てて楽しいものではない。

「哪吒を出してください」
 望はじっと燃灯を睨みつけた。再度の望の要求に燃灯はやれやれと苦笑いした。

「断る。これは我ら仙道の問題だ。人間のそなたが関わることではない」
 燃灯ははっとし、身体を横にずらす。

 望は剣を燃灯に向けた。彼は強い眼差しで燃灯を見つめ、懇願する。
「哪吒を解放してください」
 さもないと戦うことも辞さないと彼の瞳は言っていた。

「ほう、人の子が仙人の私に楯突くというのかい」
 燃灯は愉快そうに笑った。
 ここで『天命の子』と戦うのも面白そうだが………万が一傷がついては面倒だな。

 燃灯は苦笑いし、塔に近づいた。
「哪吒よ。李靖を襲うのをやめるか?」

「やめるっ。やめるから出してくれっ」
「やれやれ………痛い目に合わないと言う事を聞かないとは本当に子供だな」

 もう少し、痛めつけた方がいいのではと思ったのだが。
 燃灯は印を解き玲瓏塔を手のひらサイズに戻した。

「ぜぇぜぇ」
 哪吒はへたっと地面に手をつき、息をきらせた。

「おい大丈夫かっ」
 望は必死で両手に水筒を持ち、哪吒にありったけの水をかける。
「あそこに川がある。立てるか?」
 息をもとに戻した哪吒はいつもの生意気な目で望を睨みつけた。
「お前はさっきの………平気だよ、これくらいの………すぐ治る」
「痛いくせに何を強がっているんだっ。子供は子供らしく素直になれ!」

 望は哪吒を叱咤した。哪吒は一瞬でしゅんと大人しくなった。
 そして哪吒を引きずるように川へと連れて行った。

「ほう………これは面白い」
 あの哪吒が本当の子供のようにされるままになっているではないか。


「実父のお前にあれはどう見える?李靖よ」
 李靖も驚いたように、望に連れられる哪吒の後姿を見詰めていた。
 燃灯の言う通り、哪吒が追っかけたこの李精という男は哪吒の実の父親であった。

「今回の件そなたは心当たりがあるのであろう」
「ええ………」
 しゅんと彼は項垂れ、答えた。

 哪吒がお気に入りの場所だった哪吒の廟を壊したのはこの李靖であった。
 李靖は哪吒が幼き頃より彼の常人離れた才能と無鉄砲さに手を焼いた。哪吒は好奇心が旺盛で、様々なことに関心を持ったし新しい遊びに敏感だった。

 彼は龍神が住む河で魚を採って殺したり、通りすがりの眷属に喧嘩を吹っ掛け遊ぶのが常の日課であった。
 そうした所業は土地神の怒りを買い、実父の李精はいつもその尻拭いをする羽目となった。

 何度も哪吒を叱り怒らせた神に謝るように言ったが、哪吒は悪びれもせず俺、わるくねぇもん、としらを切った。
 李靖はひょっとして哪吒には善悪の感情がないのだろうか、と本気で心配した。

 『子供のすることだから仕方がない』という限度を超えていた哪吒の所業に李靖は頭を抱える日々を送らずにはいられなかった。哪吒はいつか神々仙人のとんでもない怒りを買い、家族に災禍をもたらすのではないのかと李精は恐れた。

 そして、その予感は的中した。
 哪吒は遊び半分で喧嘩をし、龍王の息子を殺してしまったのだ。当然、龍王の怒りを買ってしまったのだ。
 龍王はナタの命だけでは飽き足らず、一族や土地の者も殺すといってきかない。
 それだけ龍王の怒りは大きいのだ。

 哪吒が悪いとはいえ、息子に全ての罪を償わせるわけにはいかない。
 我が子の罪は監督不届きであった我が罪。

 李靖は白装束を身に纏い龍王の前に参じた。そして、彼は父としての情を訴え、自分の命を差し出す代わりに龍王の怒りを鎮めようとした。

 しかし、突然哪吒が龍王と李精の間に入ってきて「父に罪はない、殺すなら俺一人を殺せっ」と竜王に叫んだ。
 龍王は李精の父としての情と哪吒の懇願を受け入れ哪吒の身体を粉々に打ち砕いてしまった。そして、哪吒以外の者には一切の危害を加えないまま去ってしまった。

 李靖は呆然とし、変わり果てた我が子の姿を目の当たりにした。それを白い衣装に包み、持ち帰って妻の元へ持ち帰った。
 哪吒の生みの母親である彼女は哪吒の遺骸を抱きしめさめざめと泣き暮らした。

 李精は彼女に「龍王の手前、葬儀は行えないが………この子を好きなように弔ってあげなさい」と言い、妻はこくりと頷きその遺骸をどこかへ持っていき弔った。

 あれから数年後、李精は近所に廻っているとある噂を聞いて不審に思った。
 哪吒様にお願いすると何でも願いが叶うという噂だ。

 哪吒………わが子の姿を思い出し、噂をしている住民に「その哪吒とはなにか」を問いただした。聞くところによるとそれは哪吒という少年神の廟の話らしい。

 李靖は噂の廟の中の哪吒の像を見て、愕然とした。哪吒が死に、悲しんでいたというのにここでわが息子は神のまねごとをして何をしているのだ。

 またよからぬことを企んでいるのではないか?
 そしてまたいずこかの神の怒りを買うのではないか?

 そう考えると夜も眠れず、悩み上げた末に部下を引き連れ廟を壊してしまった。
 哪吒の悪巧みでまた災禍が起きる前に―――

「まぁ………お前の気持ちはわからなくもない。死してもなお息子のことで悩むとは父親とは不憫な生き物だ」
「…………」
 李靖は何も応えない。何かを考えているようだった。

「何を考えている、李靖?」
 李精の視線の先を燃灯は確認して、にやりと笑った。
「どうやら私と同じ事を考えているようだな」


「は?」
 哪吒の火傷が治まった頃、望の素っ頓狂な声が森に響く。
「今、何て言いましたか?え、と李靖殿」
「言ったとおりのことでございます。わが子・哪吒をどうか、預かって欲しい」
「ふざけんなっ。お前なんか親じゃねぇっ!!」

 哪吒は威勢よく李靖に殴りかかろうとした。が、燃灯が玲瓏塔をナタに見せびらかすので殴るのをやめた。
「我が息子はあの通り、素行の悪い子でございます。父の私が何度もたしなめても一向に聞く耳を持ってくれません」

 しかし―――

「哪吒のあなたに対する態度を見ますと、あなたの言うことは聞くような気がします。どうか、哪吒の更正の手助けと思って哪吒を預かって欲しいのです」
「いや、しかし、李靖殿。私はこの通り仙道でもない、何も教えられない人間の男でございます」
「よいのです。哪吒があなたに接することによって哪吒は良い方向へ変わるのですよ」

 いや、それは持ち上げすぎではないだろうか。

「私はこれより朝歌を目指しています。そして私は羌族」
「おお、やはりあなたは羌族なのですね」

 まぁ、望の服装を見れば羌族だとすぐにわかるであろう。李靖は見た感じ商族の………商族の連なる民族の文官だと思われる。その彼が望が羌族だというのをあまり気にしている様子ではないようだ。

「ああ、私は昔崑崙山にて仙道の修行を積んでいましたから」
 その折羌族出身の道士見習いとも交流を持っていたし、彼の出身地は商族の中心部ではない為か、商族の持つ羌族への差別的認識は薄いようである。

「ですが、商族の文官のあなたならどんな危ないことが待ち受けているかおわかりでしょう。それなのに、大事なご息女を巻き込むわけには………」

「よいのではないか?」
 燃灯は望の言葉を遮った。
「な、燃灯殿っ」

「哪吒はこの通り頑丈で、危険な目に遭っても物ともせん仙界一無鉄砲な娘だ。それに、ナタが側にいればきっと役に立つと思うぞ」

 望は燃灯をじっと見詰めた。その目はなんだか不審に満ちていた。

 先ほどの丁寧な修行僧の言葉と風体と違い今は何だかどこそこの貴人のように見えて仕方がない。
 それに先の技を見る限り、「あの時賊に襲われた時、私の助けなど必要なかったのでは?」と思えて仕方がない。

 それを知ってか知らないか燃灯はあいも変わらず不敵に笑う。

「でも、燃灯よっ」
「私は主の師匠の兄弟子にあたるぞ。@もっと敬意を以て話せ」
 不服そうにするナタであったがまた反発してさっきの塔に入れられては敵わない。

「燃灯様、俺は『天命』の子に会って守るという使命があります」
「『天命』の子の護衛?お前が………」
 おうと頷く哪吒をじっと見つめ、燃灯は吹きだしてしまった。
「何笑ってんだよ。失礼な奴だな!!」
「ああ、その辺は心配ない。@彼がそれだ」
 は、と哪吒はぽかんと口を開ける。
 今なんと言ったのかわからない具合だった。
 燃灯は念を押すように再度言った。

「この呂望、字・子牙こそが例の『天命』の子である」
「な………な………」
 哪吒はじっと望を見つめた。望は何のことを言っているのかわからないと首を傾げている風だった。

「なんでそれを先にいわねーんだよ!!」
 耳がキーンと来るまで大声で怒鳴られ望はちょっと待てと言いたかった。

「さっきから何の話をしているんだ。訳がわからないぞ」
「だから、俺は下界に降りて来たのは『天命』の子のあんたを助けるという使命を背負ってやってきたんだよ」

 話をはしょりすぎてますます意味不明だ。困り果てた望はちらりと燃灯を見つめた。

「『天命』の子にそれを守るように使命を追った道士、まさかすでに会っていようとはこれも『天』の導きというものか」

「あの、その『天命』とは何ですか?」
「知らんのか?」
「ええ、知りません」
「………尚は何も教えていないのか」
 ぼそりと呟く燃灯の言葉を聞きとれず望はますます首を傾げた。
「まぁ、とにかくお前がまだわからぬというのならばそれはまだその時ではないということだ」
 いずれわかる。己が何の為に生かされてきたのかを。

 燃灯は口の端をつっと釣り上げ笑った。
 もはや何も教えてはくれないのだと知った望は諦めた。

「なんだ、なら話が早いわ。俺も行く行くっ。それに何だか面白そうじゃねぇかっ」
 哪吒は望にしがみ付いて、連れて行けとねだった。

「だから遊びに行くわけじゃ」
「俺も行く行く!連れて行け!!」
「ああっ。もうどうなってもしらないぞっ」
 望はあまりの暑苦しさにナタの要望に応える羽目になった。

「ありがたいっ」
 李靖はがばっと望にしがみついた。
「ぎゃっ。親子一緒にくっつかないでくれっ。くるしいっ」
 しばらく李精の感激の抱擁と哪吒も父に負けずと望にぴったりしがみつくのが続いた。
 助けてください、と望は燃灯に助けを求めるが、燃灯はふふと不敵に笑うだけだった。
「さぁ。どうなるか楽しみだね」


「はぁ………」
 宙にぷかぷか浮く哪吒を見詰めながら、望は愛馬・四不象に跨って道を進む。

 今日は何て災難な日だろう。
 わけのわからない仙道のごたごたに巻き込まれ(半分は自分で足を突っ込んだようなものの)、人様の娘の面倒を任されてしまった。

 望はなおもため息をつく。
「おうおう、ため息をつくなよっ。子牙。楽しくいこうぜっ」
 そんな望の心中を察してないのかナタは気楽な声をあげた。

 お気楽なことで羨ましいよ………

「子牙っ」
 哪吒はニヤニヤ笑って、望を呼ぶ。
「俺、お前のことは気に入ったぜ。何があろうとお前は俺様が守ってやるからさ、安心しなっ」

 哪吒はどーんとまかせろと手で仕草をした。それを見た望は苦笑いをするばかりだった。
 望は陽気に笑う哪吒を見詰め、笑った。
 まぁ、朝歌につくまで供がいるのも悪くない………

「それはありがたいことだ」

 そして二人と一頭は朝歌へと向かった。
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