ものがたり

ariya

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創作戦国

仄暗き世界、目映き世界

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 弁丸は幼い頃、年に一度だけ信濃の神社に預かれた時期があった。
 その神社は古くから真田の祖、滋野一族が庇護していた神社で、諏訪大社を本山にしていた。名前はあまり知られていない。大社に比べ本当に小さな神社なため小社と呼ばれていた。
 そこで滋野一族の流れを汲むものから諏訪大明神に仕える神官になる為に養育する勉強の場となっていた。
 弁丸は幼い頃より、神官の素質があると小社に言われた。
 弁丸を先祖代々崇拝している諏訪大明神に仕えさせる修行をさせるのに、父・武藤喜兵衛昌幸は何の不満もなかった。しかし、弁丸は武藤家の二男として甲斐にいた。武藤家の養子に入った昌幸は実家の真田が武田に裏切らないという意思を示す人質の役割を果たしていた。その子である弁丸は主君の許しを得て、修行のため信濃に戻ることができた。

「弁丸。筍がこんなになっているぞ」

 弁丸が供に小社で修業をする六郎は小社のある山の中で大きい筍を示した。
「おお、今日は大漁だな」
 弁丸は瞳をきらきらさせ、筍を見入った。
「今日は筍ご飯、筍の汁物……」
 弁丸は今晩の夕餉の想像を膨らませ、にこにこ笑った。
「全く弁丸は食い意地が張っているなぁ」
 六郎はくすくすと笑って、弁丸を小突いた。
「いたっ。別に食い意地などはってはいない」
 弁丸は恨めしげに六郎を見詰めた。
 海野六郎は弁丸の本家・真田家の同族の家の子であった。
 海野の家は真田の主流であるが、六郎は海野本家の者でなかった。真田と同じ傍流の海野の子であった。立場的には武田の家臣として実力を備えている真田に六郎の家は家臣として従っていた。
 しかし、子供の二人のはそんなもの無意味だし、二人が今いる場所は世俗から切り離されていた。幼い頃より、小社に認められ稚児として修行を積んでいた。小社にやってきた弁丸の唯一の遊び相手であり、修行が終わった自由時間になるとこうして山の中で供に筍を狩るのであった。
 彼は弁丸より3つ年上のため、弁丸に兄貴風を吹かせていた。弁丸も六郎を信頼しきっており、兄貴風を吹かされること自体は嫌ではなかった。 

「?」

 弁丸は耳を澄ませ辺りをきょろきょろさせた。
「どうした弁丸」
「変だな。今笛の音が聞こえたような……」
「笛?」
 弁丸はこくりと頷いた。
 六郎はあたりに耳を澄ませてみるが、しばらくして言った。
「何も聞こえないぞ」

 気のせいではないのか?

 そう言う六郎に弁丸は首を振った。
「いや、今聞こえた」
 間違いない。
「小社で先生が奏でているのでは?」
「違う。小社の方からではなかった。こっちだ」
「そっちは奥だ。誰もいないぞ」
 弁丸の指した方向の山奥は日が当たる昼間でも暗い場所であった。しかも、小社の者以外この山には誰もいない。奥は神域で神官である先生以外入ることはない。
 修行している六郎も弁丸も許可なくして入ることの許されない所であった。

「いや、いる」

 弁丸はささと奥へ進んだ。
「おい、よせ。先生に怒られるぞ」
 六郎はぱしっと弁丸の腕をとって止めるが弁丸は奥へ行こうとするのをやめなかった。
「だって気になるではないか?唯一入れる先生は小社にいる。奥に先生以外の誰かがいるってことだろう」

 気にならないのか?

 弁丸の大きな眼が六郎に訴えかけた。
「いや、気になりはするが……やっぱりだめだ。神様かもしれんぞ」
「神様だったらこの目で見てみたいではないか」
「恐れ多いことを言うなっ」
 六郎はぶんぶんと首を振った。
「罰があたるだろう。絶対だめだ」
 六郎に強く言われ、弁丸はふぅっと溜息をついて頷いた。
「わかった。じゃ、先生に許可を取ろう。そうすれば、文句はないだろう」
 弁丸は筍の詰まった籠を持って、小社へ歩いた。六郎はとりあえずほっと胸を撫で下ろした。
「いや、……でも、先生が許可をとるはずないだろう」
 六郎の予想通り、先生は頑として却下した。
「では先生。山の奥には何があるのです?」
 弁丸が聞くと、先生は答えた。
「この山には諏訪大明神の姫君の一人が住まわれているという。姫君は決して人前には出ず山奥に住んでいるという」
「では、山奥には姫神さまがおられるのですか?」
「姫神だけではない、鬼も住んでいる。姫神様はその鬼の見張りもしているのだ」
「鬼?」
 弁丸は興味津々といった具合に何度も聞いた。
「鬼とは何でしょう?どんなものなのです? 本当にいるのですか?」
「弁丸様。一度にそんなに聞かれては私は答え辛うございます。とにかく、姫神さまは人の気配を避けたがる方だ。昔、神官の許可もなく姫神のおられる山奥に入った修行中の稚児が姫神さまの怒りに触れ、殺されたといわれる……弁丸様、決して許可なく入ってはなりませんぞ。もし、弁丸様が姫神さまの怒りに触れ、何かあれば私は武藤様にお叱りを受けます」
 神官に固くそう言われ、弁丸はうぅんと考える所作をして頷いた。
「わかった。武藤家にも先生にも迷惑をかけるわけにはいかないもんな」

 あやしい……

 六郎は弁丸の言動に顔をしかめた。素直すぎた。
 六郎の思ったとおりだった。
 弁丸と六郎は同じ修行中の稚児ということで同じ部屋で過ごしていた。弁丸が甲斐武藤家に帰る時は六郎の一人部屋になった。
 その夜、皆が寝静まったのを見計らって弁丸は部屋から出た。

 やっぱり……。

 六郎は弁丸が出た後、むくりと起き上がって服を取り出し、急いで着替えた。弁丸の後を追い、小社を出た後の弁丸に追いついた。
 弁丸はふぅっふぅっと何かを吹いていた。
「六郎いるんだろ?出て来いよ」
「……」
 六郎は物陰から出てきて、弁丸の前へ出た。
「何をしているんだ? それは何だ?」
 弁丸の手には小さな細い管があった。何か白い石のようなもので作られていた。
「これは……ああ、来た」
 説明しようと思ったが、弁丸は宙を仰ぎ叫んだ。
「来た? 何が? ……っ」
 すとんと宙から黒い影が落ちてきた。野猿であろうか。
「な……な、なんだっ」
「意外に早かったな。佐助」
 弁丸はぱふっと佐助の懐にしがみ付いた。
「麓にいましたので」
 驚く六郎と対照に弁丸と佐助と呼ばれた黒い影の青年がふつうに会話をした。
「弁丸っ、なんなのだ。その男は」
 六郎は佐助を指さした。
「ああ、佐助は……猿飛佐助といって、私の忍びなんだ」
「忍び? お前、まだ子供なのに、忍びを侍らせているのか?」 
 六郎は驚いたように聞いた。
 この戦国の世、武家の者で忍びを従える者は珍しくもない。
 しかし、まだ十にも満たない幼い子が忍びを従えているのはかなり珍しいのではないか。
「うん、私は年に一度こうして甲斐と信濃を渡って歩くからね、同じ武田領内と言っても何が起こるかわからないから祖父様が佐助を下さったんだ」
 弁丸の祖父とは真田幸隆のことだろう。
 ということはこの男は真田幸隆の従えていた忍びということになる。
 そして、弁丸の護衛として傍に置いているのか。
 六郎はじっと佐助を見詰めた。まだ若い……ように見えるが十代ではないだろう。二十代をいくつか過ぎた頃の青年か。 
「佐助。こいつは海野六郎。以前話していただろう」
「弁丸様の学友でございますね。佐助とお呼びください」
「どうも」
 六郎はこくりと頷いた。先ほどの弁丸の佐助への対応に少し驚いた。
 弁丸は親兄弟にするように佐助の懐にしがみ付いたのだ。

 ふつうの武家の若様はそんなことしないだろう。

 そう思ったが六郎は口にはしなかった。それを言うと家臣筋に入った自分が弁丸に対してやる態度も本来やってはいけないものだ。

「弁丸様、よくありません」

 弁丸が佐助を呼んだ経緯について語り終えると佐助ははっきりと首を横に振った。
 これを聞き六郎はほっとした。
「何でだ? 佐助は気にならないのか?」
「忍びに気になる、ならないなど詮のない質問をしないでください。弁丸様の望みのままなら何だってします。しかし……」
 佐助は弁丸の示した山奥を見つめた。
「師から聞いたことがあります。ここの山のことを……どんな事をしても入るなと言われてます」
「佐助は私の願いより戸隠爺の命令につくんだな」
 弁丸はつんと口を尖らせた。佐助は慌てだした。
「いえ、そんなわけでは」
「おまえ、自分の忍び困らせるなよ」
 二人の様子を見た六郎が佐助に助け舟を出してやった。
「忍びは主の命令のためにどんな危険な場所にだって潜り込む。だけど、お前のはただの我儘であって命令じゃない。忍びを子供の我儘につき合わせるな」
 弁丸はいっそうぷくっと膨れた。
「わかった。佐助はもう帰れ。六郎も戻ればいいだろ。私は一人で行く」
「……って、おいっ。わかってないじゃん」
「なりません。弁丸様っ」
 弁丸の言葉に六郎と佐助は慌てだした。
「私の我儘だったら私一人で目的を果たす。わざわざ呼んですまなかったな」
 そう言うが早いか弁丸はすたたと早歩きで山奥に入ってしまった。
「はや……」
「六郎殿……」
 呆れる六郎に佐助は困ったように声をかけた。
「私はこれより弁丸様についていきます。六郎殿はこの小社の主に事の経緯を言ってください」
「お前、この山奥に入るのか?」
「弁丸様が行かれてしまった以上致し仕方ありません」
「いや、そうかも、……だけどまずいって、この先は。先生しか入れない神域だし」
「例え、そうであっても弁丸様の行先に危険があれば……」
「お前は忍びで神職の修行も積んでないだろ……神罰に下ったらどうするんだよ」
「弁丸様を守るためなれば神罰もこわくありません」
 忍びというのはこういう生き物なのだろうか。この佐助にとって 我が身よりも弁丸様が大事なのだ。
「わかった。俺も行く」
「いえ、危ないです」
「俺も弁丸が心配だしな」
 六郎はにっこりと笑った。
「わかりました。では、これを渡します」
「ん? 何だこれ……うわっ」
 佐助から石をもらったと思うと佐助はそれに火をつけた。
「熱くない……」
「燃える石です。そこまで熱くはないので、これを持ち篝火にお使いください」
「へぇ、便利だな」
 六郎はうっとりと燃える石の美しさに魅入った。
「あと、この笛を渡しておきます。万が一の場合はお使いください」
 佐助は六郎に笛を渡した。先ほど弁丸が吹いていた音の出ない笛だ。
「犬笛といいます。音が出ないように聞こえますが、忍びの鍛えられた耳にはすごい音量です」
「ああ、これであいつはお前を呼んでいたのか」
 佐助はこくりと頷いた。
「私の足は一瞬で何里も駆けられます。別々に探した方が効率がいいかと思いますので……」
 成程。一緒に同行すればこの笛は必要ないだろう。
 だが、忍び足は一瞬で何十間も超えて行くという。
「わかった。何かあったらこれを使おう」
「では先に行きます」
 佐助は消えたかと思ったら山奥でいくつかの木々の葉がかさかさと音をたてた。
「すげえな」
 六郎は感嘆の声をあげた。
「じゃ、俺も探すか」
 そして、山奥に入る。入る時はすごい緊張をしたのだが。


 山の奥まで歩く弁丸は顔をぷうっと膨らましていた。
 佐助が自分のお願いにすぐ首を縦に振らなかったのにも腹がたった。
 ずっと傍で自分の為に何でも言うことを聞いてくれる佐助に甘えていたのに。
 意地悪をしてみたら六郎に我儘と指摘されてこれも面白くなかった。
 確かに六郎の言うとおり、自分のこれは我儘なのだろう。
 興味本位で中に入り、笛の正体を確かめたいなど……。
 しかし、まだ好奇心旺盛な子供の弁丸にそんなことがわかるはずがない。
 いや、わかるのだが、それを抑えつけることが弁丸にできなかったのだ。
「もっと奥かな」
 昔、佐助に分けてもらった燃える石で辺りを照らした。月の明かりすらもない、暗い森の中弁丸は歩きとおした。
 辺りのシンとした様子を不気味であった。
 しかし、それでも笛への興味が弁丸を前へ進めさせた。
「……っ」
 弁丸は奥をじっと見つめた。
 また聞こえるのだ。笛の音が。
「誰が……」
 奥へと笛の音を確かめながら進んだ。
 奥へ進むと石の段があった。その先には洞穴が。
 洞穴と石で作られた建物があった。 
 その中から笛の音が聞こえた。

「誰かいるのか?」

 建物の中へ声をかけるとぴたりと笛の音はやんだ。
「誰かいるのだな」
 しかし、誰も何も言わない。
 弁丸は石の段を上り、建物の窓らしきものを見つけ、洞穴の中を覗き込んだ。
 中は真っ暗だ。真っ暗で何も見えない。
 こんな暗い中誰かがいるとも思えないのだが、弁丸は建物の扉らしきものに手をかけた。
 鍵がかけられていた。さっきの窓にそっと火の明かりをあてた。 

「よせっ」

 中から声がした。自分と同年代の子供の声だ。
 明かりでようやく照らされた中には白い服を着た少年が顔を覆って蹲っていた。髪は手入れされておらずぼさぼさだ。左手には横笛があった。

「君が笛を吹いていたんだな」

 弁丸は中の少年に問いかけた。少年は何も答えなかった。
「君の名前は?」
 少年は何も答えなかった。
「どうしてここに閉じ込められているんだい?」 
「……鬼だからさ」
 少年はくくと笑った。
「鬼? お前が鬼なのか? 姫神に見張られている鬼というのは」
「そうなのだろう」
 弁丸は興味深げに鬼を見入った。
「姫神様に会ったのか?」
「会えるわけないだろう」
「何故だ? 姫神は人の前に出たりしない。鬼の前だったら出てくるのでは?」
「さぁ、姫神は人ではなく他者が嫌いなのでは? 自分以外の者の前に出てくるのが嫌なんだろう。人の前も鬼の前も……」
「では、姫神はどうやってお前を見張っているのだ。おかしいではないか」
「神様は自然と一体。この山自体が姫神様のお体なんだよ。だから姿を現わさなくても鬼を見張るくらいできるんじゃないのか?」
「お前は鬼じゃないだろう」
 弁丸の突然の言葉に鬼はびくっとした。
「ほらね」
 弁丸はくすりと笑った。
「どうして人がここに閉じ込められているんだ。先生はこのことを知っているのかな」
「先生?」
「小社の神官さ」
「ああ……」
 鬼はけたけた笑った。
「あいつは私を知っている。私が鬼だからここに閉じ込めたのはあいつ自身だからな」
「先生が? ひどいことを、人の子をこんな月の明かりも届かない暗い所に閉じ込めるなんて」
 先生はここにこの子を閉じ込めて、毎日食事を与えるために山奥に入るのだろう。 
「ひどくない。当然さ。私は鬼なのだから。人ではない……」
 鬼は特に先生を憎んではいないようであった。むしろ自分の世話をやらされて同情すらしているようだった。 
「それでも、人の子だろ、だったら人さ。人の子は人さ」
「いいや、鬼だ。私は鬼なんだ。お前と話すと疲れる。帰れっ」

「弁丸様っ」

 弁丸はくるりと後ろを向く。そこには佐助の姿があった。
「……佐助?」 
「良かった。さ、帰りましょう」
「丁度よい時に来てくれたっ!」
 弁丸は嬉しそうにはしゃいで言った。そして佐助の手をとって、洞穴への扉を示した。
「鍵がかかっているんだ。開けてはくれないだろうか」
「何をっ。開けるだと、鬼を閉じ込めているんだぞっ、よせ」
 中から少年が喚いた。中の様子をみて佐助は首を傾げ主をみつめた。
「弁丸様……」
「中には例の笛の主がいる。鬼と自分で自分を縛りつけるかわいそうな人の子なのだ。ここから出してやりたいのだ」
「しかし……」
 この建物と鍵には何かある、と佐助は思い躊躇った。 
「お前は師の言葉を背いて私の為にここまで来てくれたではないか。だったら今更、鍵を開けたくらいでどうと変わらないだろう」
 弁丸はにっこりと笑った。
「頼む……早月」
 弁丸がそっと耳元に囁くと佐助はかっと顔を赤くした。それは佐助という名をもらう前の名前であり、佐助にとって思い入れ深い名前であった。自分に名前を与えてくれた男と似た風貌の、そのまま子供の姿になった弁丸に呼ばれることは佐助にとって弱いことであった。

「あなたはずるい方だ」

 佐助が錠を外す作業に出た。かちゃかちゃと手際よく佐助は開けた。
「ありがとう、佐助っ」
 弁丸はぎゅっと佐助の首元にしがみついた。すぐに彼は中へ入った。 
「弁丸様、むやみに中へ入っては危ないです」
 佐助も慌てて中へ入る。

「あぁぁぁああっ」

 少年は叫んだ。
「なんてことをするんだ。鬼を閉じ込めていた檻を開けるなんて」
 正気の沙汰じゃない、と少年は弁丸を詰った。
「おかしなことをいう。お前は鬼なんかじゃない」
 弁丸は少年に近づいた。
「来るなっ。来るなっ」
 少年は相変わらず袖で顔を隠した。
「こんなところに閉じこもって何になる。お前は自分が鬼だからと逃げているだけだろ」
 弁丸は少年の前に立ち、手を取る。袖を取り少年の顔を見て驚いた。佐助も少年の顔を見て眼をむいた。少年の顔より瞳に驚いたのだ。
 少年の眼は紅く輝いていた。

「見るなっ。見るなっ」

 少年はわめき散らした。
「綺麗だな」
 弁丸は少年の瞳をうっとりと見詰めた。
「紅玉のようだ。私は紅玉を見ていないが、たぶんこんな感じに綺麗なんだろうな」
 少年は信じられないといった具合で弁丸を見つめた。
「お前は俺を恐ろしいとは思わないのか?」
「何故?」
「俺は鬼なんだぞ」
「まだ言うか。お前は人だ。私にはわかる」
「この瞳を見ても人というのか」
「綺麗な瞳ではないか。恐ろしくもない。私は好きだぞ。この色が。燃え盛る夕日の色のようで」
 弁丸はぎゅっと少年を抱きしめた。驚いた少年はじたばたと暴れた。
「っな、離せっ。俺はお前を殺すこともできるんだぞ」
「私を殺すなど、人だってできることだぞ」
「……」
 少年は信じられないと瞳を丸めた。
「笛を吹いていたのはお前だろ」
「……ああ、そうだ」
「随分、うまいな。誰から習った」
「父に」
「父?」
 弁丸は首を傾げた。こんな所にこの少年の父親が来るというのか。
「小社の主・望月宿禰が私の父だ」
 その名は先生の名前だ。弁丸は眼を丸くして聞いた。 
「お前……先生の子か」
 少年は俯いた。
「そっか、実の父親にここに閉じ込められるなんて辛かっただろう」
「辛くなんかない。俺は鬼だから」
「鬼じゃないよ」
「……」
「私は弁丸。武藤弁丸だ。なぁ、お前の名前は?」
「……六郎」
 また弁丸は驚いた。そして笑った。
「六郎と同じ名だな」
 弁丸は赤眼の六郎から離れ、立ち上がった。そして赤眼の六郎に手を差し伸べた。
「六郎、私と来い。こんな暗い世界にいるのはよくない」
「馬鹿を言うな。俺は鬼だ。この瞳がその証拠」
「私が何度も言っているだろう。お前は鬼ではない。お前とお前の父がお前を鬼と言って信じているだけだ」
「……」
「私はお前が気に入ったんだ。気に入ったものにこんな狭い世界にいてほしくない。私と一緒に広い世界へ参ろう」
 赤目の六郎はじっと弁丸の瞳を見た。
 沈黙する。じっとずっと見詰めていると六郎は眼を丸くした。
 弁丸の瞳が一瞬輝いたように見えた。

 光だ。

 弁丸の瞳に光の世界を見た。目映い世界。
 この人の世界は目映い。 
 六郎には明るすぎて切ない想いがした。
 しかし、六郎はその切ない光りを恋い焦がれた。
 気づくと六郎は弁丸の手を取っていた。 
 弁丸はにこりと笑った。

「よろしく。望月六郎」

 帰りがけに佐助が犬笛の音を聞き、さっと去り六郎を連れ戻ってきた。
「六郎も来ていたのか」
 弁丸は嬉しそうに叫んだ。
「弁丸っ。無事だったんだな。全くお前を探していて足を挫いてしまった」
 六郎の眼が紅く腫れていた。さっきまで心細く泣いていたんだろう。
 それをみて弁丸は笑った。 
「笑うな」
「だってずっと兄貴風を吹かせて弱みを見せない六郎が泣いていたと思うとおかしくて」
「誰のせいだっ」
 六郎は弁丸の肩を揺らしてどなった。
 そして、弁丸の傍らにいる赤目の六郎を見て眼をむいた。
「弁丸、こいつは」
 赤目の六郎は困って顔で俯いた。
「ああ、こいつはあの例の笛の主だ。望月六郎といってな、先生の子供なんだ」
「笛……いや、その眼。先生の子供……え?」
「んー。同じ六郎の名前だからややこしいな」
 弁丸はうぅんと首を捻って考えた。
「そうだ。六郎、お前、早く元服しろ。お前の方が年長だし」
「馬鹿いえ、元服しても俺は六郎のままだ」
「うぅん。じゃ、どうしよう」
「もうめんどいから望月六郎略して“もちろく”とでもよんでおけばいいだろ」
「ええ、じゃ、お前のことは海野六郎略して“うんろく”か……だが、“もちろく”は顔に似合ってかわいいけど、お前のは変な感じがする」
「その口が言うかぁ」
 海野六郎はぎゅぎゅっと弁丸の頬をつねり上げた。
「いたたあ……いひゃい。やめろよぉ……さしゅけぇ」
 佐助は慌てて海野六郎を引き離した。
「佐助、お前がそうやって甘やかすからよくないんだぞ。たまにはびしばしっと弁丸に言ってやれ」
「といわれましても私は弁丸様の忍びなわけで……」
「ああぁ。もう、主人の悪いとこをなくすのも部下の役目なんだ。お前が弁丸の忍びならそれもお前の仕事だ」
「……はい」
 佐助は怒る六郎とすねた眼を見つめる弁丸を交互に見て言った。
「ふんだ。もういいよ。六郎、いやもちろく」
 弁丸は望月六郎に向き直った。
「もちろく、と呼んでいいか」
「別に構わない。今まで父以外に名前を呼ばれたことなんかないからな」
 望月六郎、もちろくは相変わらずつんとした態度であった。だが、頬が緩んでいるようにみえた。弁丸はふふと笑って「もちろく」とまた呼んだ。 
 そして手を繋ぎ、歩く。
 もちろくは何も言わない。 
 どこか嬉しそうだった。
「っは、しまった。あの馬鹿のせいであの眼のことうっかり忘れていた」
 その後姿を追いながら海野六郎は言った。
 もちろくは小さく笑った。 
 おかしな奴らだ。そしてこの弁丸はもっと変な奴だ。
 私の瞳をどうとも思わない。綺麗だという。
 しかもこいつの言葉ひとつで誰もこの瞳を大したことのないように思うようになった。
 不思議な力を持った人だ。



 小社に戻った頃、夜は更け、朝日が差し込んでいた。小社には先生・望月宿禰が怒った形相で弁丸と海野六郎を迎えた。
「あれ程、禁じていたのを破りましたな」
「申し訳ありません。先生っ」
 海野六郎はがばっと土下座して謝った。
「弁丸様、あなたも……」
「私は先生を謝りません」
「弁丸っ」
 六郎は弁丸の袖を取り、先生に謝るように言った。
「私は理由もなく実の子をあんな洞穴に閉じ込める父親に頭を下げるなんて嫌です」
「弁丸様……あの六郎は」
 赤目の六郎を見つめながら、宿禰は何か言おうとしたが弁丸は許さなかった。
「鬼ですか? それは違う。先生が鬼だと言っているだけでしょう。私にはちゃんと人に見えます。瞳の色が普通と違うからと閉じ込める親は最低だ」
 宿禰はため息をついた。
「では、弁丸様。あの子をどうします。弁丸様はあの瞳を気にしないであの子を人の子と言ってくれる。しかし、弁丸様のように危篤な方はそうおられぬのです。あの子はあの瞳で実の母親に殺されそうになりましいた。病んだ母に鬼と呼ばれ、蔑まれあの子は傷ついた。あの子自身、人の前に出ることを恐れているのです。私はあの子の為、あそこに閉じ込めたのです。あの子が人を恐れ、光を厭う限りあの世界でしか生きていけない哀れな子なのです」
「いいえ、もちろくは自分で私の手を取り、あの洞穴から出ました。海野六郎を目の前にしても私が会ったときほどひどい拒絶を見せませんでした。もちろくは光と向き合おうとしています」
「もちろく?」
「海野六郎と同じ名前なので、ややこしいということで海野六郎が考えたあだなです。もちろくは気に入ってますよ」
「気にいってない。どうでもいいんだ」
 もちろくはそっけなく弁丸の言葉につっこみを入れた。
「六郎……」
 宿禰はじっと六郎を見つめた。
「お前はどうしたい? 外に出ても、人にその瞳を見られるかもしれんぞ。それでもいいのか?」
「俺は。人にこの瞳を見られたくない。だけど……」

 外の世界を見てみたい。

 宿禰はますます驚いた。
 あの人の瞳と光の世界を恐れ、厭い洞穴に引き籠っていた息子が外に興味を示す日がこようとは。
「父上。忍びって知っていますか?ここに佐助がいる。俺はあの洞穴を出てから考えたんです」
「忍びになりたいのか?」
「忍びの中では闇の中に紛れて暗躍する者もいると言っていたでしょう。それだったら人にこの瞳を見られることもない」
「忍びは闇の中で生きるものだぞ。同じ闇に結局生きるということか」
「同じ闇でも違う闇です。あの洞穴の内の闇と外の闇は随分違う。俺は外を見たいのです」

 どうか、忍びになることをお許しください。

 宿禰は顰めた面で考えた。不安はある。だが、佐助の師でもある戸隠山の仙人であればこの少年を任せられるかもしれない。弁丸も彼を気にかけてくれているようであるし。
「好きにせよ。また嫌気がさして洞穴に入りたいと言っても知らんぞ。あの洞穴は埋めるからな」
「どうぞ、俺にはもう必要ないものです」
 その言葉を聞いて宿禰は笑った。
「弁丸様……」
 宿禰は弁丸に向き直った。
「もし、弁丸様が武将となり、忍びが入用になりましたら愚息も召し抱えてください」
「今からでも召し抱えますよ」
 弁丸の言葉にますます宿禰は笑った。
 望月六郎は洞穴を出て、その後、佐助に頼みこみ戸隠の忍びとして弟子入りしたという。最近では火薬の調合に興味を持ち研究しているとか。 
 そんな情報を後に佐助が弁丸に届けていた。
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