夢幻のごとく

ariya

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 人間五十年
 下天の内をくらぶれば
 夢幻のごとくなり

 後の天下人が好んでいた歌がある。

 この歌の名前は「敦盛」というが、敦盛は十五、六で討ち死にした。
 人間五十年とはどこからきたのか。
 彼を討った武将「熊谷直実」を主観に歌ったものだと言われている。
 そんな歌を知るよしもない当の本人は、どういう人物だったのか。

 それは日本が戦国より前、源平争乱が終わり、鎌倉幕府が開かれた頃のこと。
 貴族の世から武士の世となるころ。
 新しい時代が起きたといっても治安が変わる訳でもない。
 山道を通れば盗賊が現れるなど珍しいことではなかった。

「おい、金目のものをよこせ!」

 女性が一人で旅をするなど危険極まりない。
 良い着物を着た女性は悲鳴をあげた。
 お供の下男が女性を守ろうとするが、一人が斬られ、恐怖した一人が逃げてしまう。
 足に掬われた女性は逃げる術を失い盗賊は無造作に女の着物を物色した。

「いい着物じゃねえか」
「化粧は厚いが肌がきれいだぜ。この女も売ればなかなかじゃないか」

 下品な笑いに女はただぶるぶると震えるしかない。
 盗賊に遭遇すれば運がなかったと諦める。
 この世の終わりと覚悟して女は目を伏せた。
 ここで盗賊に殺され道端へ捨てられるか、もしくは人買いに渡り屈辱の日々を受けるのか。
 己の不運をただ呪うしかない女には、後ろから近づく足音など気に留める余裕はなかった。

 土をける音が次第に大きくなってくる。
 近づくものに盗賊が気づいた。
 顔をあげると、黒墨の衣を着た僧侶が走ってきているではないか。
 手には錫杖を握り、すごい速さで足を回転させている。
 じゃらじゃらと錫杖の音がやかましく鳴っている。

 坊主は走れば盗賊に捕まらないとでも思っているのだろうか。
 無駄な努力、滑稽だと二人の盗賊は笑った。

「おいおい、あの坊主。バカか」
「坊主は金のもの持っているかな」

 さてさてと手をかざして坊主の身に着けているものを確認する。旅装束らしく、銭は少しでも持っていることだろう。
 盗賊は新しい鴨だと言わんばかり刀を握り締めた。

「おい、坊主!」

 坊主の進む先へと通せんぼして前へ出た盗賊が叫んだ。

「金目のものを寄越せば命はとりゃ……っ」

 盗賊が全てを言う前に坊主は錫杖を一斉に振った。
 やかましい音と共に、錫杖の先は勢いよく盗賊の左頬にぶつかった。
 強い衝撃に盗賊の一人は身を崩した。

「ぐぁ。いってぇ」

 頬に手を当てて、体制を整えようとするが耳元でぐわんぐわんと揺れるものを感じた。かなりの衝撃だったらしくめまいが酷い。

「な、な」

 もう一人が応戦しようとすれば、坊主はそれよりも早く間合いに入った。喧嘩にはなれた様子か、坊主は足をあげ盗賊の胴を蹴とばした。
 遠慮のない蹴りは鳩尾に入り、盗賊は口から胃の内容物を吐き出してあおむけに倒れた。

「なめやがって……ひぃ」

 はじめに錫杖で倒された盗賊は坊主をにらむ。再度刀を握り挑戦しようとしたが、その前に錫杖の下側の先が盗賊の首筋へ走った。
 よく見れば坊主は壮年の男であった。五十手前、五十を過ぎる頃か。無精ひげを蓄えて、肌がすっかりと焼けている。よく見れば、首筋や手は刀傷だらけであった。
 とてもじゃないが普通の坊主ではない。
 武器を握ったことがある武士か、僧兵か。

 坊主はじぃっと盗賊を見つめ、ふいに笑った。

「なめる……なめたら殺される。なら、これは正当防衛だな」

 うんうんと坊主は納得したように頷いた。

「で、まだ殺そうとする気かい」

 坊主の錫杖の先はぐりぐりと盗賊の首筋におしつけられ、これが刀であれば見事に殺されていたことだろう。
 坊主がただものではないと盗賊は悟り降参した。

「ひぃ……滅相もありません」

 ねこなで声で盗賊は膝をついた。坊主に無礼を働いたことを詫び、命乞いを始める。

「何だ。情けないな」

 つまらなさそうに坊主は唇を尖らせた。
 このまま戦闘になるのをむしろ望んでいるようだった。
 何と血の気の多い。本当に坊主だろうか。
 盗賊も被害の女・下男も心の中で思った。

 坊主が下男の手当をしている間に、逃げた下男が息を切らしながら戻ってきた。近くの村から力のある男たちをかき集めてきたくれたようだ。
 盗賊は村人らの手で捕まり、役所へ引き渡す手はずとなった。

「最近ここらを荒らす盗賊じゃ」

 村の代表者と思わしき老人が坊主へ感謝を示した。

「坊様には感謝しています。こやつらのせいでひどい目に遭わされたものは数知れず、役所に訴えても人を寄越してくれず困っておりました」

 礼をというが、坊主は先を急いでいるからと遠慮した。

「せめて名を、あなた様の名前を教えてください」
「儂か……儂は蓮生じゃ。法然上人の弟子の蓮生」

 法然とは、浄土宗の開祖である。
 比叡山延暦寺で仏学を学び、「南無阿弥陀仏」を唱えることで人々は等しく浄土へと招かれる。
 そのような教えを説き、人々の尊敬を集める聖人であった。
 長老の耳にもかの聖人の名は届いている。

「あのお方にあのような勇ましい弟子がいたとは」

 村人たちは坊主の後ろ姿を見つめながら思わずつぶやいた。

 蓮生は数年前までは武士であった。
 元の名は熊谷次郎直実という。
 東国の武蔵国、熊谷の土地の豪族で叔父と所領争いを繰り返した。
 鎌倉にて所領問題で裁判を起こしたが、途中つまらぬことが起き腹を立て髻を切り裁判を抜け出した。
 これには時の将軍・源頼朝公も呆れたという。

 性格は短気・実直、曲げたことは好まず。
 その性格故か、人生で何度も損をしたのは言うまでもない。

 所領のあれこれやは嫡男に家督含めて放り投げてしまった。その嫡男は若い為かまだ周りと順応でき、うまくやれているようである。それだけは熊谷家にとって幸いであっただろう。
 自由の身になった男は京へと訪れ、そこで法然上人に出会った。
 彼の教えに興味を持ちそのまま弟子入り嘆願した。
 法然は何人であろうと平等に導く性格、蓮生によく教えを説いていた。
 かなり根気よく。
 蓮生は東国の粗野な武士出身、ひらがなを読むのも怪しい男であった。
 法然はそんな蓮生の今までの生い立ちを考えて、教え方を変え丁寧に指導した。
 法然のこうした根気強さに蓮生はすっかりとほれ込み、彼の教えを広める為に諸国行脚を始めた。
 しかし、元々血気盛んな武士である。
 先ほどのような盗賊が現れれば嬉々と勇みだし、退治してしまう有様だった。

 そんな彼が向かう先はどこであるか。
 兄弟子の元である。
 この須磨の海の音が聞こえる郷に、彼の兄弟子が草庵を編んでいた。
 何かと説教臭い面もあるが、蓮生のことを心配する面倒見の良い男である。
 兄弟子はここまで至る出来事を聞き、口を大きく開けた。

「お前は、あれほど無益な殺生はならないと言ったのに」
「殺生はしてませんよ。あいつらつまらなくてすぐに降参しやがりました」
「つまり降参しなければ、殺生もやむなしと」
「殺さないようには努力します」

 兄弟子は深くため息を吐いた。
 しかし、法然より彼のことをよろしく頼むと言われた身、どんなに空しいとわかっていても彼に教えなければならない。

「確かに殺生を犯した者も仏はお救いくださるでしょう。ですが、もう少し穏便に平和的に過ごすことを」
「しかしですね。目の前で若い女が盗賊の被害に遭っていれば、そりゃ見ているだけなどあまりに忍びない」
「ええ、確かにあなたのしたことは悪いことではありません」

 でしょうと言わんばかりに、蓮生はにこにこと笑った。
 その姿をみては兄弟子は頭を抱えた。

「全く殺生に関する問答は後日にしましょう」

 兄弟子は頭が痛くなってきた。
 ここは少し休ませてもらおうと頭の中にいる師に懇願した。
 以前より兄弟子は蓮生から相談を受けていた内容を思い出した。

「まだ例のものは視えるのですか?」

 兄弟子の言葉に蓮生はこくりと頷いた。

 蓮生には前々から悩みがあった。
 それは出家する前よりの悩みである。

 連生は怨霊に付きまとわれていた。
 時折金縛りに遭うことがあり、目を覚ますと長い髪を垂らした男がこちらをじぃっと見ていた。
 肌は白く随分と若い姿である。
 着ているものは直垂に具足である。
 甲冑を身に着ける前の軽装であった。

「敦盛殿はまだ儂をお許しにならぬ」

 蓮生は怨霊の正体を理解していた。
 平敦盛とは先年滅亡した平家の公達武将であった。
 かつて源平争乱の頃、蓮生も参加していた。
 この時は熊谷直実という名である。

 義経公の鵯越で有名な一の谷の戦い。
 そこで彼は敵将に遭遇し、一騎打ちを果たした。

 随分と見事な太刀裁きにて名のある武将であると興奮し、兜を奪ったところ現れたのは自分の子と変わらぬ年齢の美しい少年であった。

 あまりの美しさにより蓮生は思わず刀をどう刺せばいいのやらと忘れてしまった。
 生まれてから武士の子として刀と弓を持つようにしつけられた自分が、そんなことを忘れてしまうなど。
 それだけ敦盛は直実の心を捕らえる麗しい少年であった。

 殺すにあまりに忍びなく助けようとしたが、味方が駆け付けて助けることはできず自分の手で少年の命を奪った。

「一度は助けようと言ったのに、命を奪ったこと……許されることではない」

 戦場で命のやり取りは仕方ない。
 それでもあの時の自分の言葉が今も引っかかる。

 自分は少年に嘘を言ってしまったのだ。
 それ以降、蓮生は自分の言葉を責任強く持とうと誓った。
 救うといえば救う。
 無理であれば無理という。

「怨霊はお前の罪悪感だ。お前がそれから解放されなければ怨霊は消えないだろう」
「そうでしょうか」

 あれから何年も経過している。
 それでも直実はかの少年を忘れずにいた。

「おお、そういえばお前が欲しがってきた木材が手に入ったぞ。見てみるか?」

 兄弟子は空き小屋へと蓮生を連れて行った。
 そこには蓮生の求めていた材木であった。

「おお、ありがとうございます。しばらくこの小屋をお借りしてもよろしいすか」
「一体何を彫ろうというのかね」

 蓮生は照れながら、荷物から道具を取り出した。彫り細工用道具が姿を現す。

「いえね、敦盛殿の像を彫ろうと」

 記憶がまだ残っている間に、彼の姿を少しでも刻んでおきたい。

「彫れるのか?」
「みてください」

 蓮生は荷物から木彫りの鳥を披露した。
 旅の途中世話になった家に配っている。
 特に子供たちには好評であった。

「なるほど……これは見事な」

 意外な弟弟子の特技に兄弟子は驚いた。
 それであれば、木像も作れそうだ。

「完成したら立派な入れ物も用意しなければ……須磨の美しい波の音を聞けるように近くのお寺に預けたい」

 須磨の寺は蓮生がかつて訪れた場所だった。敦盛を討った後、彼の体を清めた場所である。
 彼の首を納める塚が安置されていた。
 像を作れば、敦盛は須磨の波の音が聞き取れるようになるかもしれない。
 そうすればきっと心が慰められるかもしれない。

「完成する前に気の早いことを。……須磨の寺には手伝いで参ることがある。今度一緒に行くか?」
「ぜひぜひ」

 蓮生の即答に兄弟子は苦笑いした。
 像を作ることで、蓮生の怨霊に対する気持ちが軽くなるかもしれない。
 そう思えば弟弟子を応援してやろうと思えた。
 木彫りをすれば精神が落ち着くというし、彼には良い修練になるだろう。

 早速作業に取り掛かる蓮生を兄弟子は穏やかな表情で見守った。
 それよりも後ろの方にじぃっと睨みつける存在があった。兄弟子は気づかないが、蓮生は気づいた。
 これこそ自分を恨めし気に見つめる怨霊の気配であった。

「少し待たれよ。もう少しで貴殿の像が完成する」

 後ろを振り返らずに蓮生は木を彫り続けた。
 かつかつと音が響く中、木は少しずつ形を得るようになった。
 甲冑はどんなものであったか、頬のふくらみはどうだったか。
 そう思い出しながら蓮生はかの少年武将の姿を作り出していく。

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」

 無心に念仏を唱え、木を彫り続けていった。
 時折現れる怨霊はじぃっと蓮生とその先の像を見つめた。

 肌はとても綺麗で白かった。唇はほんのりと赤みがあり、長い黒髪は濡れガラスのようだと思った。

 それを表現するためには色が必要である。
 画材も手に入れたかったが、今は手持ちがない。
 ある程度形になれば、色合いを得る為に市場へと行こう。

 近くの港町があったのを思い出した。
 平家が滅んだあとであるが、彼らが作った港町は色んなものを買うことができた。
 京へ向わずとも画材が得られるかもしれない。

 何度も何度も考えながらかの少年武将の像を彫っていく。
 改めて思い出せば、本当に美しい顔立ちであった。
 無骨な田舎武士だから一層そう感じるのだろうか。
 少年であるが、少女のように美しい顔であった。
 あれだけの美しい者を蓮生は見たことがなかった。
 木でどれだけかの姿に近づけるのだろうか。
 作業が進むと、だんだん不安になってくる。

「おお、これは見事だ」

 数か月経過したところ。
 完成間近の像をみた兄弟子は感銘の声をあげた。

「これほどの像であれば寺も喜んで引き受けてくれるだろう」

 蓮生とすればまだまだ足りないと思うが、兄弟子が褒めてくれるのであればこれでも良いのかもしれない。
 これが今の蓮生の精いっぱいだった。

 果たして例の敦盛は満足してくれるだろうか。
 気配のする方へとみると例の怨霊はやはりいた。
 長い髪を揺らして怨霊はするすると像へと近づいて行った。
 その時に兄弟子はぶるりと背筋を震わせた。見えなくても、蓮生の言う怨霊を感じ取ったのだろう。

 怨霊の髪はたれ素顔は確認できない。髪の隙間からみえる口元がにたりと笑った。
 その時に見えた歯の並びをみて蓮生は首を傾げた。
 随分と歯並びが悪い。

 あの時の敦盛の歯は美しい並びであった。
 お歯黒をし、みやびなものだと感じ入ったのを今も忘れられない。

「誰だ」

 蓮生は怨霊に声をかけた。

「お前は誰だ」

 声がだんだん険しいものになった。
 怨霊の様子をみて蓮生はようやく思い出した。

 これは敦盛ではない。
 だが蓮生に関係ある者だ。

 かつて蓮生が熊谷直実だった頃、京に滞在したことがあった。
 まだ平家が隆盛を誇っており、平家への仕官を試みていた。
 この頃も夜盗で騒がれることがあり、直実は少しでも点数を稼ごうと夜の見回りをしていた。
 その時に遭遇した夜盗がいた。
 これが男の癖に女のような化粧をして、仕草が妙に色気がある。それで人をたぶらかしては殺生を犯す畜生であった。
 橋の元で被害となった死体から金品を盗もうとしている夜盗を見て、熊谷直実は迷わず斬りつけた。
 手柄を得たと思う矢先、夜盗は橋から落ちてしまった。
 捜索したもののそのまま浮かびあがってくることはなかった。
 あの時の夜盗だとわかった瞬間、蓮生は怨霊を怒鳴った。

「像に触れるな!」

 これは畜生の為に彫ったものではない。

 未だに蓮生の心をとらえて離さない美しい少年武将の為のものである。人を多く殺し、多くのものを奪ってきた夜盗になどくれてやる代物ではない。

 像が穢されると恐れた瞬間、怨霊の伸びた手を払う音がした。
 これは何ということかと蓮生は目を見張った。

 像が怨霊を拒んだのだ。
 自分の手で怨霊の手を払ったのだ。

 自分で何を言っているのか、何をみているのかすぐには理解できなかった。
 ただ見たままを言葉にするとすれば先の通りである。

「体が欲しかったのだろう」

 像の口が動いた。聞き覚えのある声である。
 男にしては高い瑞々しい声であった。

「しかし、この体は私の為のもののようだ」

 像が動いたと思えば、着せていた甲冑は揺れて動き、布はやわらかく見える。頬は透き通るように白く、兜から流れる黒髪は揺れる。

「これは」

 兄弟子は目を大きく見張った。
 像がまるで命を注ぎ込まれたようだった。

「蓮生よ。お前はこの像に何をしたのだ」

 兄弟子が蓮生に質問した。
 そんなこと蓮生も聞きたいものだ。
 どういうことか、目の前の像は動きだした。生きている人間のように、生きた人間そのものとして。

 像は腰に佩いていた刀を引き抜き、怨霊へと斬りつけた。
 怨霊は「ぎゃぁ」と情けない声をあげて、あっけなく消え去った。

「ふぅ」

 ため息をついて像だったものは刀を鞘へと戻した。
 そしてじぃっと蓮生を見つめた。

「まさか、本物の敦盛殿か」
「そうだ」

 頭の整理が追い付かない。
 ずっと自分を追い詰めていた怨霊は敦盛ではなく、怨霊を想いながら作った像には敦盛が乗り移った。

「儂に文句があってこられたのですか」

 蓮生が尋ねると敦盛は「そうだ」と繰り返し頷いた。
 兜を外したら、美しいかんばせが見えた。
 それをみて蓮生は感嘆の声をあげて感動した。
 もう二度と見ることはかなわないと思った最も美しい者が目の前にある。
 仏の導きか、地獄の沙汰か。
 後者であっても構わない。彼から責められるのを蓮生は望んでいたのだ。

「文句おおあり!」

 敦盛はずいっと蓮生の方へと近づいた。

「何でずっとあれを私だと思ったのだ! そもそも何で私があなたを追いかけまわす程恨むのです」
「それは、助けるといいながら殺しちゃったので」
「私はそんな狭量ではありません。戦に出た時に覚悟はしておりました。恨むくらいならあなたの声になど応じません!」

 そういえばと蓮生は思い出した。
 敦盛は海の中へと馬を走らせ、向こうへと流れて行った仲間の船へと向かっていた。
 しばらくすれば船へとたどり着け、仲間と共に落ち延びたであろう。
 それだが、蓮生、いや熊谷直実は声をかけた。

「敵に背を向けるは卑怯なり!」

 その声に応じるように敦盛は引き返し、見事な一騎打ちを果たした。
 回想を終えて、敦盛はあの時の状況を説明した。

「どちらにせよ、あの船には多くの人が乗っていました。私が乗るのは厳しかった」

 一の谷から逃れる船にはぎゅうぎゅうと平家の将兵・女性が乗っていた。船が沈みそうだと思えば、下級の者を下ろしていった。
 自分が乗ればだれかが下ろされていただろう。
 そこまでして生き延びたいとも思わなかった。
 それならばと敦盛は武将としての誇りをみせることを選んだのだ。

「もう、あまりに腹が立って成仏しそびれてしまったじゃないですか。私が違うと、それは私じゃないと何度も言ってもあなたは私に気づかないし」

 実は怨霊が蓮生をにらんでいる間、敦盛もいた。
 だが、あまりにも影が薄くて蓮生は気づかなかった。
 怨霊にも鼻で笑われる始末で腹がたつことこの上なかったと思い出し憤慨した。

「あんな怨霊に騙されてほんっとうのバカ! 短気バカ。お天気バカ!」
「そこまで言いますか」

 蓮生は敦盛の少々子供っぽい怒りに呆れた。
 今は恐れなど抱く気もない。
 そういえば、よく考えればまだ享年十五だった。
 最期の姿は妙に大人びていたが、それでもまだ保護の必要な子供だったのだ。

「それは、申し訳なかった」

 蓮生は無造作に敦盛の頭を撫でた。
 思わず幼い頃の我が子にしていたことをしてしまった。

「っぐ……ん」

 敦盛は恥ずかしそうにしていたが、素直に蓮生に頭を撫でられた。

「これで次は怨霊に騙されないことですね。後、せっかく法然殿の弟子になったのだからもっと精進してください! 兄弟子殿に心配をかけない」
「肝に銘じます」

 まるでお母さんのような忠言である。
 それを言っては敦盛は一層怒るだろうから蓮生は大人しくうなずいた。
 敦盛はすっきりしたと言わんばかりに笑った。

「もうこの世に未練がないので再びあちらへと渡ろうと思います」

 敦盛の言葉に少し名残惜しいが仕方ない。
 もう彼は死人なのだ。
 蓮生はちらりと兄弟子の方をみた。
 彼は心得たように手を合わせた。
 それに合わせて蓮生も手を合わせる。

「南無阿弥陀仏」

 敦盛を送り出すように、願いをこめて念仏を唱える。

「蓮生よ。良い像を作ってくれて感謝します」

 そう言い残し、彼は成仏しようとした。
 しかし。

「あれ」

 少し間の抜けた声がした。
 像は元に戻らず相変わらず敦盛はそのままの姿であった。

「な、何で……どうして」

 敦盛は両の頬に手をあてながら首を傾げた。

「もしかするとまだ未練があるのではないでしょうか」

 兄弟子の言葉に「そんなバカな」と敦盛は否定した。

「そんなまるで私が未練がましい女みたいな……え、嘘。まじで何で……そもそもこの像から出られない!」

 頭をかきながら敦盛は混乱していた。

「蓮生! 何てものを作ったんだ」

 先ほどの褒めていた口で罵倒する。蓮生としてもわけがわからない。

「そのつもりではなかったのですが……」

 うーんと蓮生は考えた。

「本当に未練が何かわかりませんか」
「ないない。絶対この像のせいだ。変なまじないでもかけたのだろう!」

 酷い言いようである。
 しかし、何かと責任を感じた蓮生はどうしたものかと考えた。そして、出た考えをそのまま口に出した。

「そうだ。では、私と一緒に行脚生活をしませんか。そのうち成仏する方法が見つかります」

 蓮生の提案に敦盛は眉を潜めた。
 だが、確かにこのままでは無為に過ごすだけになる。
 この像に移り新しい体を得たということは神仏の導きなのかもしれない。何かを為せという。
 それを探しに蓮生と旅をするのも悪くはないかもしれない。この男には多少なりとも興味があった。
 しばらく考えた敦盛は蓮生の提案に乗った。


 怨霊事件の後のこと。朝を迎えた蓮生は小屋からでると旅支度を済ませた敦盛がいた。
 着ていたものは小袿、腰には懐刀である。
 あれと蓮生は首を傾げた。

「よくお似合いで……ですが、女物ですよね」

 それを聞くと敦盛は不服気に頬を膨らませた。
 何を怒っているのやらと首を傾げると兄弟子が耳打ちをした。

「これが、敦盛殿は少女(おとめ)であったのだよ」

 その事実に蓮生は悲鳴をあげた。
 あの勇ましい少年武将が少女だったと。確かに男にしてはあまりに美しいと思ったが。
 どうやら親の都合で女でありながら男として育てられたそうだ。
 官位を得た頃もあるがすぐに敦盛は返上した。
 さすがに女の身で男として殿上するのは躊躇してしまったようだ。
 太夫の官職のみは残していた為、無冠の太夫と呼ばれたとか。

「もしかすると心残りは少女としての生き方なのかもしれない」

 そう兄弟子に耳打ちをされるも蓮生は困った。
 旅をするといっても年ごろの娘を連れて歩くなど想定していなかった。
 坊主が若い娘を連れまわすのは変に思われないだろうか。例えば夫婦とか誤解される可能性もある。

「私のこの恰好が不服なら、近所で直垂でも調達してきます」

 ぷんと怒った敦盛はそっぽを向いた。

「いえいえ、よくお似合いで。では、敦盛殿は私の娘という設定ということで……名前はええと」

 蓮生はお互いの設定確認をしてみる。

「青葉と呼んでください」

 青葉というのは敦盛が生前大事にしていた笛の名である。この近くの寺で大事に保管されていたのを思い出した。

「旅立つ前に寺へ行き青葉を見に行きましょうか」
「そうだな」

 持ち出すことは叶わなくてもかつての相棒と再会することはうれしい。
 すっかり機嫌を良くした敦盛を見て蓮生はほっとした。

 果たしてこの旅、どうなることなのだろうか。

 こうして蓮生と青葉の旅は始まった。
 蓮生の向こう見ずな性格、口よりも行動に出やすい性質に青葉は手を焼くことになる。しかし、文句を言いながらも青葉は彼の道のりを過ごした。

(終わり)
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