紅葉鬼と三の姫

ariya

文字の大きさ
上 下
26 / 46

3 朱音

しおりを挟む
「朱音さまは良い人ですよ?」

 袿からちょんと顔を出す小鬼が首を傾げながら千紘に言う。

「わかっているわ」

 ただ、ちょっと飄々として軽い感じの人だからいまいち人柄が掴めずにいるだけである。
 千紘は苦笑いして応えた。

 悪人ではないというのはわかっている。
 働き者の小鬼ですら手が回らない時は気さくに面倒を見てくれる。
 先ほど、まだ髪の手入れがまだ完全に終わっていなかったのに、わざわざ招き入れてくれた。

「そういえば髪……いつもあの人って自分で髪の手入れをしているの?」
「はい」
「侍女を使えばいいのに」

 ここに来てまだ二月しか経っていないが、朱音がこの館に仕える人の中でかなり上の位置にいるというのはわかる。
 小鬼たちをまとめ適切に仕事のわりふりを行うし、館に仕える侍女たちの面倒もみる。
 時には須洛の部下として外に出かけることもあるらしい。

 そんな大事な役割を得ているのだがら、髪の手入れくらい手伝ってもらってもいいのに。
 いつも小鬼たちが千紘にやってくれるように、小鬼に頼めばいいのに。

 彼女は頻繁に手入れしないといけないから毎度手伝ってもらうわけにはいかないと言っていた。
 確かにあの鮮やかな紅葉色の髪だと千紘の黒髪と違い手入れの手間がかかるのだろう。

「でも、須洛も同じ髪色だけど、須洛はあまり手入れしている風には見えない」

 髪を無造作に結っただけの須洛は朱音に指摘されない限りあまり髪を手入れしないと聞いたことがある。
 たいていは川で洗ってしまうのだとか。

 しかし、須洛はそんなに無頓着にしているのに朱音に見劣りしない見事な髪をしている。
 見た目は朱音以上に艶やかで、触ってみればごわごわしているどころかふわふわしていて心地良いのだ。
 朱音の髪のしっとりさの方が都では好まれるのだが。
 手入れに無頓着な須洛は手入れにことかかない朱音の髪に見劣りしないなど。

「同じ髪なのに、不公平ね」

 千紘は自分の部屋にて文机に先ほど借りた物語と真っ白な冊子を広げながら、二人の髪について呟いた。
 部屋に戻ると小鬼たちに写本したいからと真っ白な冊子を用意してもらったのだ。

「同じではありませんよ」

 千紘の呟きに小鬼は指摘するように言った。
 同じではないというのはどういうことだろうか。
 千紘は首を傾げる。

「朱音さまの髪はほんらい黒です」
「えっ!」

 考えてもなかった事実に千紘は驚く。
 驚いて文机の上にぼたっと墨を零してしまった。小鬼たちは手際よくそれを拭きとる。

「髪を染めているのです。こうぶつをいろいろ組み合わせて作ったがんりょうを使っているんです」

 あれは鉱物をいろいろ組み合わせて調合した顔料で髪を紅葉色に染めているそうだ。
 成程、髪をわざわざ染めているのなら頻繁に髪の手入れしなければならないだろう。

 さらに小鬼が説明するには、普通の染めものでは水で流れやすいが、朱音は独自の調合方法で水では流れない顔料を開発した。
 だから彼女の髪はいつも紅葉色なのだ。
 その調合方法を知っているのは朱音だけであり、聞いても教えてくれないそうだ。

「でも、なんでそんなことを?」

 朱音程の美人ならば黒髪でも十分素敵だと思う。

「それは、朱音さまのしごとがとーりょのかげむしゃだからです」

 最後の言葉を聞き、千紘はさらに驚く。

 影武者てこと?

 確かにあれだけ同じ紅葉色の髪の者は滅多にいない。
 朱音がもし男物を着て人の前に出れば、ぱっと見大江山の酒呑童子と勘違いしてしまうだろう。

「なんで影武者なんか……」
「でも、だいじなおしごとです。とーりょの命を狙う人やよーかいはいっぱいいます」

 その言葉はぐさりと千紘の胸に刺さり、過去のことを思い出す。
 千紘は首を横に振って、朱音の話題に戻った。
 朱音は須洛の部下であり、外に出る際は須洛の命を狙う者たちの目を欺く囮を買って出ている。

「でも、どうして朱音さんが影武者を?」

 そんな危ない仕事を自分から進んでするとは。

「朱音さまは昔とーりょに助けられたのです。その恩かえしらしいですよ」

 これもまた新しい情報だ。そしてさらに驚く情報があった。

「朱音さまはこの里しゅっしんじゃありません。里より、大江山よりずっと遠い場所で出会い、助けられたそうです」
「朱音さんはこの里の人じゃないの?」
「はい。この里と繋がりがありますが、生まれは摂津です」

 その言葉に千紘は首を傾げた。

「摂津って、どこにあるのかしら」

 幼い頃から必要最低限の教養すらも満足に受けられなかったので、地理間隔がいまいち掴めない。
 そこに小鬼が紙と筆を取り出し簡単な地図をつくる。細長いくねった円を書き、真ん中にちょんと点を書く。

「ここが大江山です」

 そしてちょっと下にまたちょんと点を書く。

「ここが都です」

 そして左下あたりにぐるりと囲いを書く。

「この辺りが摂津です。だいたいここから歩いて、うぅんと丸一日はかかります」
「随分と遠いのね」

 千紘は感心したように息を吐く。
 よく考えると千紘には知らないことだらけである。
 この里のことも、鬼のこともさっぱりしならない。外の世界のことだって。
 今まで本当に無為に生きて来たんだと実感してしまう。

「そういえば姫さま、何をお借りしましたか?」
「あ、うん」

 千紘は手にとった書物を並べて小鬼に見せる。
 中には一応乳母から聞いた物語もあるが、読んだことのないものもある。
 まずはこれから読んでみようと千紘は改めて手にとってみたのは伊勢物語であった。
しおりを挟む

処理中です...