炎華繚乱 ~偽妃は後宮に咲く~

悠井すみれ

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三章 広がる世界

4.炎俊の望み

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「さて、妃の紹介はこれくらいで良いだろう」

 炎俊は指先の動きひとつで官吏たちを立たせると、改めて席に着かせた。朱華の場所は、当然のことながら夫の隣だ。例の蔡弘毅は末席を占めていた。武官であるがゆえに、政に関わる席では遠慮しているということかもしれない。

「これで皆もやっと信じてくれただろう。古より名と血を繋ぐ家にはそれなりの理由と《力》があるのだ」
「殿下の御言葉を疑うことなどございませぬ」
「ただ――あの方々は、どうにも要領というか察しが悪いことがございますからな」

 男たちと男の振りをした者が歓談している間に、朱華は淹れ直してもらった茶を啜っている。遠見の疲れに加えて、男たちとの問答ですっかり喉が渇いていたのだ。その場の視線が炎俊に集中しているようなのを良いことに、ちゃっかりと菓子にも手を伸ばす。消耗した気力と体力を回復するのに、甘いものが欲しかったのだ。

「諸侯と呼ばれる者たちは、自領の掌握に能力の全てを費やしているからな。広大な領地の隅々に至るまで、どこにどのような目印があるかを把握しているはずだ。自身の身体の痣や黒子ほくろの場所が分かるように、何々ごうで変事ありとの報があれば、瞬時にその場所に焦点を合わせることができる――それはやはり、並大抵の力ではないということになるだろう」

(黒子、ね……)

 誰にも見られないうちに焼き菓子を呑み込もうとして――たっぷりとまぶされた粉糖と、それに炎俊の言葉に、危うくせそうになる。雪莉にある黒子が、朱華にはないことを理由に偽物と看破されたことを思い出してしまったから。自身の身体どころか、直接会ったこともない赤の他人の小さな特徴をいちいち視て記憶できる炎俊の《力》──皇族なら当たり前なのか、この女が中でも飛び抜けているのか。いずれにしても恐ろしい。

 朱華が茶で喉を潤している間にも、炎俊と男たちのやり取りは続いている。

「我らには古来より受け継いだ領の統治に関わる機会はございませんからな――」
「裏を返せば、あちらからはそなたたちこそ要領が悪いように思えることもあるだろう」
「なるほど、自領の統治は血族や信頼がおける家臣に任せるもの……」
「余所者には勝手が分からないということもあるのでしょうな」

 男たちの言葉と表情は、いわゆる名家の者に対して含みがあるのを雄弁に語っていた。炎俊も承知しているのだろう、整った唇がいたずらっぽい笑みを形作った。

「私は誰であろうと贔屓することはないし、逆にゆえなく厚遇することもない。家名も拾挙での成績も関わりなく、だ」
「心得ております」
「何と心強いお言葉でしょう」

 炎俊の宣言に、男たちは一様に恭しく目を伏せて皇子に敬意を表している。多分、優秀な成績を収めたからというだけでは栄達できないと、彼らはとうに承知しているのだ。

(忠誠を誓うのは、拾い上げてもらったからだけではないのね)

 より重要なのは、もちろん拾い上げられた後のこと、だ。門地に関わらず能力のある者を登用するという、試挙や拾挙の理念は必ずしも実行されていないのだろう。朱華は陶家の実務には全く関わらせてもらえなかった――当たり前だ――けど、峯を始め、僅かでもあの家の血を引く連中の誇り高さと鼻持ちならなさはよく知っている。だから、皇宮での政や他の皇子たちの宮、各地の役所などでも多分そうなのだろうと想像することはできる。その点、炎俊の態度はとても公正で真っ当だ。朱華としては信じたくないくらいに。

「我が家についても同様でしょうか。是非ともお教えいただきたいですわ」

 陶家の者たちのためではなく、自身のために、朱華は問いを重ねた。あの連中が朱華の言葉に耳を傾けることは多分ない。そもそも、炎俊が伝えるのを許すかも分からないし。だからこれは「夫婦」としての信頼関係を築くための第一歩のつもりだった。

「そう――そなたには、それを教えるために今日、ここへ呼んだのだ」

 素直に教えてくれないなら朱華の方も歩み寄ることはできない、と思っていたのだけど――今日の炎俊はやけに気前が良かった。

 炎俊は、卓上に広がる永州の地図をそっと撫でた。同時に、彼女の《目》なら掌が辿った場所の光景がありありと視えているのだろう。民の暮らしにか、市場の賑わい、あるいは畑の実りにか、黒い目にふと柔らかな表情が宿ったようにも見えた。

 朱華と、それに居並ぶ男たちを見渡して、炎俊は告げた。どこか得意げに誇らかに。彼方のことだけでなく、遥かな未来をも見通すかのように。

「私は、どの地方を誰が受け持っても、同じ速さと精度で視ることができる――情報を伝えられるようにしたいのだ。今の永州では幾つかの案を試している。他にも良い案があれば、是非とも献策して欲しい」

      * * *

 永州の遠見を成功させた後は、朱華はほとんど微笑む置物として過ごした。炎俊と官吏たちが熱心に議論を戦わせるのを横目にして。彼女の知識では口を挟む隙を見つけることはできなかったからだ。
 武官である例の蔡弘毅も、朱華同様に置物に徹していた。といっても退屈を持て余す風ではなく、炎俊の顔を熱心に、食い入るように見つめていたから偉いものだ。もちろん朱華も熱い目線を夫に向けている――演技をしているのだけど。蔡弘毅の意図はどうなのだろう。忠誠の表れか、存在を誇示しようとしているのか、それとも――

(男が好きな男も、そりゃいるけどさ……)

 炎俊を見つめる蔡弘毅という男の眼差しは、演技も打算もなく熱いような気がする。まるで、恋でもしているかのように。その手の趣味の男の存在は娼館で見聞きしたことがあるし、炎俊は見た目は線が細い白皙の青年だから騙される者もいるかもしれない。炎俊が見抜いた上で登用したなら慧眼とさえ言えるだろう。忠誠を貢がせる女に引っ掛かってしまうなんて、娼婦に入れあげるよりも質が悪くて気の毒ではあるけれど。
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