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近づく距離(1)

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 そのあと、二人は夜食の時間まで本当に思いつくままの雑談をしていた。
茉莉とアレクサンダーは28歳で同い年。アレクサンダーの誕生日とされている日は茉莉よりも半年ほど早かった。
アレクサンダーは孤児で、この地区の神殿の孤児院で育てられたが、成績優秀と言うことで高等教育も無償の奨学金で受けることができ、大学の卒業後はこの地区の役所で働いているという。茉莉は、カレドニアは公共福祉がしっかりした国だなと思った。いい国過ぎて、夢のような国だ。
だからやはりこれは夢だろうと頭の中で考える。夢から覚める前にさっさとアレクサンダーとセックスをしたいとも考えた。

 茉莉は、自分のこともある程度話した。大学では主に英語、そのほか外国語を勉強したことや、小さい会社で財務・経理以外はなんでもやったということ。アレクサンダーも事務職だということで、お互いその話で盛り上がった。オフィスワークの細かいことについては、大体同じようなシステムのようだった。そしてPCもあるようで、このクラシックな見た目の世界にそぐわない気もしたが、自動車も同じようなものがあるくらいだからPCも同じようなものがあるだろうと納得ができた。
あとはお互いの子供のころの話などもした。話は尽きないと言えば尽きないが、夜食の時間になったので一旦中断した。

 食事は茉莉とアレクサンダーの二人だけでの食事だった。ハリエットは忙しくなってしまったということで、夜食の席にはつかなかったが、顔だけ出して長身の執事のケネスと、23歳だというメイドのアニーを紹介してくれた。アニーは話し相手にもなってくれるという。茉莉は、アレクサンダーには聞きづらいことも間違いなくあるので、若い女性がいるのはとても心強い。
 このカレドニアは、茉莉の世界でのイギリス――カレドニアだからスコットランドか――というような文化圏のように感じられるが、出てきた夜食はどれも温かくて味も良いものばかりだった。「この世界は私の住んでいた世界の3つ隣ということだったけれど、この世界でも『メシマズの国』というのはどこかにあるのだろうか」と茉莉は考えていた。

 デザートの後のコーヒーを楽しんでいたら、「食後にはお部屋にご案内しますので、お声がけくださいね」と執事のケネスが声をかけてきた。
「ありがとうございます」
 返事をした茉莉がちらっとアレクサンダーを見ると、彼は頬を赤くする。
 茉莉は、嬉しいけれどもなんとなく困ったような気持ちにもなってしまった。「いや、だからどうして!?初夜のつもりかい!?」という言葉を飲み込む。
 残念なことにまだ思ったことを、まだそこまで口に出せるような仲にはなっていないのだ。

 階を上がって、客間に案内してもらった。
「マリ様が奥、アレクサンダー様が手前です」
 ケネスが館内をざっと説明しながら来てくれた。トイレの位置が知りたい…と思ったけれど、客室の中には風呂とトイレがあると案内してもらえてほっとした。
 茉莉としては部屋になくてもかまわないとは思ったが、あまり遠かったりわかりづらいところにあると困る。
 部屋の中については アニーが部屋の中を説明するということで、茉莉もついて中に入る。そこにアレクサンダーも当然のごとく続いてきたので、茉莉はアレクサンダーをちらっと見てしまう。
 そのしぐさに、アレクサンダーは「私も念のため…」と答えて、下を向いて頬を染める。「赤くなって、かわいげを見せれば私に許されると、気づいてきたのかもしれない」と思い、茉莉は「やっかいだな」と考えてしまった。
 アニーもアレクサンダーをちらっと見たが、そのままシャワーやトイレなどの使い方を教えてくれた。この辺は、茉莉が想定している使い方とあまり変わらなかったので安心した。設備が古いホテルくらいの感覚だ。
「マリ様がこちらへ持っていらっしゃったお荷物は、こちらに入れてあります」
アニーがクローゼットを開けて、茉莉の鞄を見せる。
「食品もありましたので、そちらは冷蔵庫の中に入れました」
 スーパーで買ったものまで来たのか!と、茉莉は目を見開いた。醤油とめんつゆ、塩こうじ、あと魚肉ソーセージとほうれん草とヨーグルトが入っていたはずだ。普段使っているものがたまたまセール品になっていたからと調味料を買った自分をほめた。
この世界にも日本にあたる国があるということだから、輸入食品として同等の品が購入できるかもしれないけれど、あるとなんとなく心強い。
「ありがとうございます。…本当にうれしい」
 自分が金曜の晩に持っていたと思われる荷物がすべて手元にある。そう考えるだけで茉莉はほっとする。
 しかし、こっちに財布や免許証、携帯までもってきているけれど、向こうの私はどうしているのだろうかと茉莉は一瞬だけ気にしたが、まあ気にする義理もないか、と打ち消した。
 そしてクローゼットには着替えまで準備されていて、茉莉は気が遠くなった。だからハリエットは忙しくなったのだろうかと考えると申し訳なくなる。
「今日の衣類は、こちらで洗濯いたしますのでお風呂の後に出しておいてください」
 アニーがクローゼットの中にある籠と袋を出してアレクサンダーに渡す。なぜアレクサンダーに渡すのだ、と茉莉はアレクサンダーから籠を受け取ろうとする。
「あ、いや、下着は自分で洗います」
「こちらに出してくださったら、お体に合ったサイズの下着も準備できるので…」
 そうか、そういうものもあったと茉莉は心の中でため息をつく。
 茉莉は幸か不幸か胸が大きいので、ブラはサイズがあったものが欲しいと思っていた。
 アニーは、アレクサンダーに背を向けて、小声で「ニッカースは置いてありますが、ブラの方はサイズを確認してから準備すると思います」と教えてくれた。
「ここの呼び鈴で呼んでいただければ受け取りに参ります。また、何かありましたらお気軽にお申し付けくださいね」
「ありがとうございます。本当に何から何まで」
「マーガレットの娘のお世話をできるなんて光栄なことなんですよ」
 そうは言いつつも、アニーは、業務上の笑顔を越えた朗らかさで茉莉に接してくる。心細い茉莉にはハリエットやアニーの朗らかさが心を解してくれるように感じられる。
「明日は何時ごろに起きたらハリエットの都合がいいでしょうか」
「お疲れでしょうから、何時でも構わないとのことです」
 ここでアレクサンダーが発言をする。茉莉は、お前に聞いたわけじゃない!と頭の中で反論をする。
「アレクサンダー様に、今夜のマリ様のご案内はお任せしますね」
 アニーがすごいことを言った気がする。――茉莉がここでアレクサンダーとセックスをするのは、今日会った人間、(ほぼ)全員の既定路線ということだと茉莉は動揺する。
 どういう理由でそこまで「お膳立て」をするのかは茉莉にはわかりかねたので、それこそアレクサンダーに聞いておかねばならないと茉莉は気を引き締める。
「了解した」
 赤くなってばかりの人アレクサンダーが、やたら気合を入れてきたので茉莉は意外に思った。てっきり赤くなると思ったのに。
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