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はじまりはじまり
しおりを挟む太陽は真上に、目の前にはぐうたらな大人が泥のように眠り。
「ほら、蕾夜さん!起きてくださいっ!!!もうお昼前ですよ、今日は大事な約束があるんだから!早く起きて!」
「朝っからうるせぇ~ぞ…んあ、朝じゃねぇや…」
「まったく…目覚ましくらいかけたらどうですか。」
僕の名前は奈々瀬 憶、高校一年生。好きな色は琥珀色。訳あってこの人と生活しているんだけど、これがまたなかなかの厄介者で毎日苦労しているよ。そして、朝から僕に怒られているこの人は才賀 蕾夜。こんなにいい加減な性格でも探偵ができるんだなぁ、と。
ここは東京都M区の雑居ビル『源田《みなもとだ》ビルヂング』。よくある雑居ビルで、オーナーの源田さんはとってもいい人。たまにお部屋の掃除を手伝いに来てくれたり、夕飯のおかずを持ってきてくれたりする。僕達は『ゲンダビル』なんて呼んでるけど。僕達の生活拠点はそこの四階にある『ヤマアラシ探偵事務所』。個人が経営している小さな小さな事務所で、探偵も蕾夜さんたった一人だけ。ココの所長は塚 凛助。蕾夜さんはこの人に経理だったり、依頼受付を丸投げしてる。実は、凛助さんはある大臣の秘書なんだけど、それはまた別のお話。僕は蕾夜さんのお世話係になってしまっているけど、肩書は助手。あくまでも肩書だけどね。
「憶ゥ~、今から行くってアノ人に電話しとけェ~。」
僕はテレビを消灯し、窓の鍵を締めたり髪を整えたりした後、『アノ人』に電話を掛ける。
「もしもしぃ、奈々瀬ですけど…今から出ますので……はい…はい…すみません……」
僕はお気に入りの白いバックパックを背負って玄関口でボーッと、特に何を考えるわけでもなく出かける時を待っている。蕾夜さんはクタッとした黒い革のジャケットをハンガーからひったくり、鍵の掛かった引き出しからガチャリと大きな音を立てたかと思うと、せわしなく引き出しを開け、中のモノをそそくさと腰のあたりに隠す。僕はソレがどういったものであるか、何をするためのものなのか正体を知っている。ソレのことはあえて口に出さないようにしている。あまりにも非現実的な存在だからね。
「先に車に乗ってろ、俺は姉さんに電話してから行くわ。多分…姉さんもアノ人んところ来るだろ。」
蕾夜さんが「姉さん」と呼ぶその人は奈々瀬 瑠璃。蕾夜さんの実の姉であり、僕の実の母親。つまり、蕾夜さんと僕は叔父と甥の関係にある。母さんは週刊誌の記者をしていて、様々な情報を僕達に提供してくれる。日本中を忙しく飛び回っているからたまにしか会えないけど、僕は母さんのことを尊敬している。もちろん、父さんも尊敬しているけどね。
なんの変哲もないダークブラウンの国産セダンが僕達の脚になってくれる。ハンドルを握るのは蕾夜さんで、僕の特等席は運転席の真後ろ。形容し難い安心感と四角い窓から見える街が好きだから。
後部座席が好きな理由はそれだけじゃない。運転中の蕾夜さんはとても怖い顔する。僕はそれが恐ろしかった。何度も目を逸らすけど、結局またその顔を見てしまう。無表情のまま真っ直ぐ、ただ真っ直ぐ一点を見つめるその目は冷たい、とかいった温度を感じ取ることができない寂しさがあった。
ハイウェイと下道を40分程度走り、東京都N市の団地に到着した。『アノ人』との待ち合わせの場所がここだから。僕達は車から降り、『A3号棟の303室』に向かう。団地の契約している駐車場から少し離れていてそれなりの距離を歩かなくてはいけないけれど、もう慣れっこだ。なんて思っているうちに『303室』に着いていた。重たい金属の扉を開けるとピカピカの革靴が二足脱がれていて、それはとてもきれいに揃えられていた。僕も靴を脱いでその横に揃えて置いておく。玄関を入ってすぐの廊下を四歩進むと左側に六畳の和室があり、蕾夜さんが引き戸を開けるとそこにはスーツを着た男が二人立っている。一人は凜助さん。もう一人は僕達が『アノ人』と呼んでいた人物。
「蕾夜、遅かったな。そろそろ着く頃だとは思っていたが…憶君も大変だな、ハハハッ。」
僕達に親しげに話しかけてくれる彼の名前は水巻 出穂。衆議院議員で凜助さんはこの人の秘書をしている。
この時はまだいつもの情報収集の依頼だと思っていた僕達は、運命の歯車が急速に回転しだしていることに気付いていなかった。僕にとっての日常がひっくり返る。僕は油断していたんだ、もう僕の人生にはスパイスは多すぎると思っていた。でも、今度は劇薬かもね。
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