雨で桜が散る前に

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雨で桜が散る前に

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高3の最後の登校日。またの名を卒業式とも言う。式を終えた教室に人影はない。

変な奴だと思われるかも知れないけれど俺は人が大勢いた場所にもう誰もいない、そんな状況が大好きだ。真夜中の町並み、イベント終わりの会場、文字通り祭りの後の静けさ、人がまばらな終電、そして放課後の教室など。

まだどこか騒がしさが残っているようでそれでいて侘しさが空間を包み込み、繁栄と衰退を感じさせるその空気の余韻に一人で浸る。他の生徒もその親もおそらく隣町のカラオケやファミレスだので卒業記念を口実にワイワイやっている頃だろうが、友達の多いほうではない俺にはあまり関係のない話だ。

数時間前までそんな騒がしい奴らがいた教室だって今では静まり返り、つい数日前まで何気無く使っていた椅子や落書きの残る机には、えも言われぬ哀愁が漂っていた。

”カシャ”

数少ない友人が新しい機種に買い替える際、格安で譲ってもらった型落ちの一眼レフで教室の姿を収める。
勉強するための部屋なんて別に面白みも思い入れもないが、それでももう来ることはないと思うと少しだけ寂しさが込み上げる。
もう一枚続けざまに撮ろうとした時

”ガラガラガラ”

「あれ?何してんの?」

ビクッ……!

きっと世界に効果音がついていたらこの学校中にこんな音が響いただろう。

急な気配に心臓と寿命が縮み上がり死ぬかと思ったが、こんなところで一々死んでいる場合ではない。俺はとっさに一眼を自分の影に隠した。別に隠す必要などなかったが、反射的に隠してしまった。
声のする方へ目を向けるとクラスメイトにして幼馴染の染井 匂桜(そめい ほのか)が顔を覗かせている。家は少し離れているが親同士の付き合いがあり、幼少期から今に至るまで共に過ごした時間はそこそこ長い。

「殺す気か!じゃない……なんだ匂桜か、驚かせるなよ。」

「殺す?なんのこと?」

「気にするな、ところで何の用だ?」

適当に誤魔化しながら一眼をしれっとカバーに仕舞う。

「用がないのに来ちゃダメ?それに颯(はやて)だって用もないのに突っ立ってるじゃん。」

匂桜が歩くたびにポニーテールが視界の端で左右に揺れる。

「俺にはれっきとした用事がある。」

「どんな用事?」

「今まさに暇を持て余してるところだ。」

「なにそれ?まあいいや。携帯貸して、一枚撮ってあげる。」

「遠慮しとく。」

「そう?それじゃ。」

匂桜は人目も憚らず、教卓の上に腰掛ける。

「卒業の記念に、ご自慢のカメラで私を写してよ、さっきみたいにさ。」

第三者に見つかることを懸念してか、匂桜のその姿に当てられてか、縮んだままの心臓が素早く脈を打っていた。

「見てたのか。」

「あれだけ堂々と撮ってればイヤでも目に映るよ。」

ひたすら速くなる脈動を誤魔化す為に言葉を紡ぐ。

「誰か来たらどうするんだよ。」

「さっきまで堂々と写真撮ってた颯がそれ言う?それに、もうここには誰も来ないでしょ。」

『御岳ヶ崎(みたけがさき)高校』
かつてこの地にあったとされる山の名前からつけられた。周りを木々が囲む田舎の高校だ。少子化が進むこの村の高校はお役御免となり、隣町の高校に吸収されこの校舎ももう使われることはない。

「それに私たちもう卒業したんだから学生のコスプレをした卒業生であって生徒じゃないよ。」

「屁理屈が過ぎないか?まあいいか、ほら撮るぞ。」

まったく心臓に悪すぎる。

「うん、綺麗に写してね。」

”カシャ”


小さく震える指を抑え込みシャッターを切った。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

いつもいつも颯を追いかけた。初めは無邪気に山で隣を歩いていた。小学校では鬼ごっこで追いかけ回した。趣味だってそれとなく合わせたし、必死に勉強をしてまで同じ高校に入った。気づくと2人とも背が伸びて、歩幅も目線も合わなくなった。私だって成長しているのに。
今度こそ、私には手が届かないところへと颯は飛び立ってしまう。
いつからだろう、こんなにも近くにいたのに離れていくのは……

「お前は連中とカラオケ行かなくていいのか?」

「お金ないし。」

「へぇ、貸してやろうか?」

「どうせトイチでしょ?」

「お、よく分かったな」

「守銭奴颯君の考えることなんてお見通しなのだ。」

「それは冗談としてほんとにいいのか?」

「別にいいって、五月蝿いとこ苦手だし。」

「そうか。匂桜は普通に友達多いと思うんだが、意外だな。」

「私って結構気まぐれだからね。」

気紛れ……ね。そうやって自分に嘘をつく私は私が嫌いだ。

「そんなことより私たちがいた証を刻んでおこうよ。」

「どうした急に。いや、怒られるだろ。」

「もう廃校になるんだよ?怒る人なんていないでしょ。」

「…………それもそうか。」

「寂しくなるからさ、今日この日を忘れないように。ほら、颯もやろ!」

筆箱から油性ペンを取り出すと私はいつも自由帳に書いているマスコットをデカデカと教卓に描き記していく。颯は自分のサインのようなものをカッターで小さく刻んでいた。

「ほんと人がいないと静かだね。」

「あぁ、人がいないほうが俺は好きだ。」

「昔から颯は友達少ないもんね、大学入って私がいなくて大丈夫?寂しくない?」

「さてどうだかな、お前こそ課題の写しはもう見れないけど平気なのか。」

「うん、悲しいよ。わたし専用の解答がシュレッダーにかけられた気分。」

「俺に解答以上の価値はないのかよ……」

まあ、颯の場合友達なんて居ても居なくても平気でやっていけちゃうだろうな、ほんとズルい。もっと颯が馬鹿だったなら……なんて思ってしまう自分がさらに憎い。

「できた。」

教卓にデカデカと描かれた蛇。うん、なかなかいい出来。

「なにそれ?」

「蛇の妖精。」

「なにそれ。」

「私にも分かんない。」

「えぇ……」

そういえば、なんで蛇なんだっけ?もう忘れちゃったな。

「それは?」

颯のを見るとサインでも書いてるのかと思ったけど、どうやら違うらしい。

「ロゴみたいな。」

「どう変化したらロゴが『桜』になるのよ。」

「俺の苗字「佐野倉(さのくら)」だろ?その昔クラスでアナグラムが流行したときsanokuraからsakuraを見つけたんだよな「sakura no hayate」
でそこから結果このロゴになった。まあ、こじつけだけどな。」

「桜の颯?文として成り立ってなくない?」

「だからこじつけなんだよ、桜の颯、風になびいて舞っているって意味合いにできるからそれをロゴにしたんだよ。ってなんだよその顔ドン引きしてますってか、分かってんだよ痛いことぐらい。」

「いや颯って、意外とロマンチストなんだなぁって、ちょっと驚いただけ。あイタタタ……」

長年側にいながら、こんな側面があったなんて、全然気が付かなかった。もっともっと話していたいけど、段々とバスの時間が近づく。

「そろそろ行こっか、さくらはやて。」

「あぁ、そうだな。その呼び方はやめろ。」

「この学校もいつかは取り壊されるのかな。」

「案外、廃墟として残ってるかもな。」

「じゃあさ5年後また来ようよ。」

「覚えてられるかよ。」

「覚えてたらでいいよ。」

少しくすんだ教室のドアを名残惜しむようにゆっくりと閉めた。



***



校舎を出ると雨が降っていた。卒業式でも天は空気を読んではくれない。凛と咲く桜に、もうすぐ梅雨であることを悟らせるように雨が打ち付けられる。

「あー、最悪だ。」

「ん?」

「雨。」

「そっかあ、颯自転車だもんねぇ大変だねぇ。」

馬鹿にした声で颯を罵る。

「いや、今日はバスなんだ。親に雨降るからバスで行けって言われてさ。で、バスで来たのはいいものの、物の見事に傘を忘れたわけだ。」

「本当颯って昔から抜けてるよね。」

「取り敢えず遺伝のせいにしとく。」

小銭を崩したくて入ったコンビニで電子決済をするようなアホさが妙に面白い。だけど……もしかしてだけど神様が空気を読んでくれてたのかもしれない。

「仕方ねぇ、バス停まで走るか。」

”バサッ”

私は1人入るのが精一杯な小さな折り畳み傘を開く

「ほら、早く入りなさいよ。」 

「別にいい。濡れてく。濡れるの嫌いじゃないし。」

「私がみっともない気分になるから早く入って。」

「いやいや、だってお前も濡れるだろ。」

「そんなんだから風邪引いても分からないのよバカ!いいから早く入る!」

「わかったわかった。」

小さな傘の下に2人の少年少女が並んで歩く。少女が濡れないように少年は体を屈め低く傘をさし、少女は少年の歩速に遅れないように少し早足で追いかける。

「なぁ、肩濡れてるぞ?やっぱ……」

「いいの!」

流れ落ちた雨は傘の淵を流れ2人の肩を濡らす。

話したいことがいっぱいあったのにいざとなると言葉が出ない。なにも喋ることがないままバス停に着いてしまう。颯との距離がまた遠くなる。

気まずい空気の中、田んぼの畦道脇の小さなバス停小屋のベンチに腰掛ける。古くなったトタンにコツコツと楽器の様に水滴がリズムを刻む。
だんまりな空気にいてもたってもいられなくなったのか颯が口を開ける。

「早く雨止まねぇかなぁ」

「そんなに雨嫌い?」

「好きな奴の方が少ないだろ、別に雨自体は嫌いじゃないんだ、むしろ気分によってはわざと濡れることもあるし。」

「変態。」

「そうか?俺は自分が濡れるより、荷物が濡れるほうが嫌だけどな、それに服濡れるわ、靴はぐっちゃぐちゃ、なによりチャリに乗れないじゃん?まあ、小雨なら強引にでも乗るんだが。」

「否定はしないけど、雨に濡れて気持ちいいと感じる人の方が少ないと思うよ。」

「お褒めいただき光栄の限りでございます。」

「うむ、良きに計らえ。」

「なんだこれ。」

「颯が始めたんだよ?」

「てか匂桜は?」

「え?」

「雨だよ、雨。お前は好きなのか?」

「あー、うん。半分好き……かな。」

「半分?」

「そうだね、半分。」

「全くもってわからん。」

「颯には分からないだろうね。」

だって雨が降らなかったら今日こうやって話すこともできなかったから。

「夏場は涼しいし。」

「ジメジメするのがな。」

「えーと……気分が落ち着いたり?」

「そうでもない。」

「否定しかしないじゃない。たしかに長雨とかはちょっと嫌いだけど。」

「だろ?なにより、低気圧で気分が悪くなる。」

「あー、それはちょっとわかるかも。」

「ほらな?ろくなもんじゃないだろ。」

「でもやっぱり、一番は虹かな。」

「虹見るために雨降られちゃ、たまったもんじゃないけどな。それに雨が降ったからといって虹が出るとは限らないし、まして日暮れまでに晴れる保証なんてどこにもないだろ?」

「そうだけど……」

昔は私の方が口論強かったんだけどな、きっと気が動転しているのか言い淀んでしまう。

黙っていても喋っていても気まずさは変わらなかった。いつもはもっと流暢に会話が続くはずなのに……
到着したバスの音だけが2人の静寂を裂いた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

いつからか匂桜のことが分からなくなっていた。
5歳の時よく後ろをついてきた。7歳の時よく山を駆け回っていた。12歳の時よく駆け回っていた山についてこなくなった。13歳の時どこか距離を取られるようになった。15歳の時少しだけ意地悪になったかと思えば、急に寄りが戻った。そして17歳の時また隣を歩くようになった。

匂桜のことがよく分からない。けど会えなくなるのは少し寂しい気もする。

バスに乗り込むと匂桜はまた静かになってしまった。何か気に触ることを言ってしまったんだろうか?必死に思考を巡らせるが、特に思い当たる節はなかった。話の話題は匂桜から切り出すことが多い、だからいつもなら口が回る匂桜が黙り込んでしまうと俺はどうしていいか分からなかった。ようやく匂桜が口を開いたのはバスが3つ目のバス停を通過する頃だった。

「ほんとに行っちゃうんだよね、東京……」

「ああ。そりゃ行くよ。」

「そうだよね……」

「どうした?体調悪いのか?バス止めてもらおうか?」

「そうじゃないの……」

「じゃあどうしたんだ?」

「そうじゃないの!」

バスの車内に匂桜の荒げた声が響いた。心なしかバスが左右に少し揺れた気がする。

『次は峰ヶ原、峰ヶ原です。』

「どうして東京なんか行っちゃうのかな、なんでそんなに遠くに行くのよ……いっつもいっつも追いかけて追いかけて追いかけて追いかけてやっと追いついたと思えばまたすぐ先に行って県内ならまだ逢いにも行ける。でもなんでよりにもよって東京なのよ!!」

「そんなこと言われたってな……」

『まもなく峰ヶ原、峰ヶ原です。お忘れ物なさいませんようご注意ください。』

「昔からね、颯のことが好きだった。」

「え?」

あまりにも突然すぎて俺は言葉を失った。

『峰ヶ原、峰ヶ原です。本日もご乗車ありがとうございます。』

「あなたのことが好きでした!」

そう吐き捨てると匂桜の涙が弾けて、流れ落ちた。

ドアが開くと振り返ることはなく、まるで逃げるようにバスを降りて行った。

一人だけになったバスの車内で、俺はどうすることもできなかった。どうしたらいいか分からなかった。

動き出したバスの窓からは傘もささず走り去る匂桜の後姿が見えた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


八つ当たりだって気づいてる。力不足だと知っている。
それでも私には耐えることができなかった。

私は狡い女だ。

自分の欲望のために颯を惑わすまるで魔女だ。

雨が好きだ、涙をごまかしてくれるから。

雨が嫌いだ。いつまでも泣き虫だから。

勇気なんてふり絞る必要なかった。

このまま何も言わずに別れていた方がきっとずっと楽だった。

勇気なんてふり絞るべきじゃなかった。

私に勇気は必要なかった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

蒙昧とした俺の意識を何かが現実に引き戻した。

手に触れたそれに目を向けると、綺麗に畳まれた黒い折り畳み傘が隣の席で萎れていた。

「あんなに俺が濡れることを気にしてたのに傘忘れるなんてアイツもバカだな。」

「忘れてたなんて、ホントに……バカだな……」

あれはいつの日だっただろうほんの少しの冒険のはずだった。今思えばバカな話しだが、当時の俺は

「この山を隅から隅まで探検するんだ!」

とかくだらないこと考えてたんだろう。
嫌がる匂桜を無理矢理引っ張って、アホみたいに山の斜面を登った。最初はよかった、見たことある獣道、木々の合間に見える家や小学校。「全ては俺の庭!」ぐらいに思っていたことを覚えている。異変が起きたのは尾根を越え一時間程たった頃、ふと後ろを振り返るとそこに匂桜がいないことに気が付いた。一人であることに気づいてしまうと子供ってのは、いや子供に限らずか、人間突如としてもろくなる。ガサガサと揺れる木の葉、見世物でも見ているかのように垂れ下がる尺取り虫に、どこからともなく鳴き続ける蛙はまるで何処かへ失せろと急かしているようだった。


木々は一層生い茂り、人工物など微塵もなく、日はだいぶ傾いていた。いつもは綺麗な一番星が俺を見下し、まるで異世界に迷い込んだようだった。ガキの俺は右も左も分からなくなり、わんわん泣き喚いた。
30分?1時間?どのくらい泣いていただろうか。

「やっと見つけた。」

ぼやけた視界を袖で拭い声のする方へ顔を向けると、匂桜が藪を掻き分けて現れた。

「ほんっともう、探したんだからね。」

「ごめん……ごめんなさい……」

こんな俺のせいで山奥にいるのに、匂桜は怒らずに慰め続けてくれた。

「大丈夫だよ、きっと帰れるよ。」

「男の子でしょ、泣かないの。」

手を引かれるまま俺は何もできずに俯きながら泣いていた。
無事町に着いた頃には空はすっかり黒く、親に絞られたことは言うまでもない。

今思えば、こんな恰好のネタ、言いふらせばクラスで大爆笑をさらえたはずだ。それでも、匂桜がこの話をすることはなかった。事あるごとに俺のことを馬鹿にして面白がる奴が、だ。その意味にもっと早く気づくべきだった。

そして、もっと早く自分の気持ちに正直になるべきだった。

『凪川、凪川です。本日もご乗車ありがとうございます。』

そう思うと無性にバスから降りることが躊躇われた。ここで降りてまっすぐ家に帰ってしまうと、もう一生匂桜に会えなくなってしまうような、二度とこんな気持ちになれないような……そんな気がして足が、思考が動かなかった。

「お客さん、お客さん?」

ふと、意識の外から声が聞こえ顔を上げると目の前に運転手さんがいた。名札を見るに竹井さんという方らしい。上の空の俺に気を遣ってか、声をかけてくれたようだ。

「お客さん降りられます?」

「あ、いえ。もう少し乗っていたくて。」

「そうかい。いつも、雨の日にバスを使ってくれてありがとうね。」

「覚えてたんですか?僕のこと。」

「この路線使う人はほとんどいないからね……使ってくれる人は大切にしないと。お客さんの乗り降りするバス停はだいたい覚えているよ。」

この路線では3.4人の運転手を見たことがある。しかし普段チャリ通で雨の日にしかバスを使わない俺を目撃する機会は少ないはずだ。そんな俺を覚えているとは敬服の念に堪えない。

「それでどこまで向かおうか。」

「終点までお願いします。」

「了解、終点までね。」

トコトコと運転席まで戻ると

『ドア閉まります。ご注意ください。』

確認を取り終点に向かって再び走り出した。客は俺しか乗っていなかった。

移り行く景色を横目に色んな話を聞いた。この町にバスが走るようになった時のこと、隣町の神社の例祭では毎年たくさんの人が訪れたこと、御岳ヶ崎の他にも学校があったこと、駅前の商店街がまだシャッター街じゃなかった時のこと、電車が開通して人口が少しずつ減っていったこと。

そんな話を聞いているうちに、気づけば終点を超えていた。

「あれ?ここから先バス停ないですよね。」

「昔はね、この先も路線があったんだよ。」

「そうなんですか?」

「さっき言った神社がこの上にあってね。例祭時じゃ、バスも満員で徒歩で登る人もたくさんいたんだ。人が減るにつれて路線も廃止されて、気づけば神社も錆びれていって……僕も随分久しぶりに走るよ。他に客もいないだろうし、たまには好き勝手しても社長も大目に見てくれるかなって。時間さえ大丈夫だったらもう少し僕に付き合ってもらってもいいかな?」

「それじゃあ、はい。お願いします。」

「ありがとね、それと年寄りの戯言として、彼女さんは大切になさいよ。」

「アイツは彼女なんかじゃ……」

「そうなの?お似合いだったけど?」

「ただの幼馴染ですよ。」

「ただの幼馴染が東京行くぐらいであんなに怒ったりしないよ。」

分かってはいる。頭では分かってはいるが、心は素直になれない。これが本能を捨て理性を手に入れた人間の長所にして短所なのだろう。

「思いは伝えられるうちに伝えなさい。」

運転席に座る白髪の後姿には説得力を感じ、
あぁ、この人も後悔したことがあるんだなと直感した。

バスはぐんぐん峠道を登っていき、すれ違う車も少なくなってきた。この道が人で溢れかえっていたなんて中々信じがたい。峠の頂上、自転車一台止まっていない駐車場にバスがゆっくりと停車する。気に留めたことすらもなかったこの駐車場がどうやら神社の名残らしい。



ガバッと傘を広げ、薄れかけた横断歩道を渡り、反対車線側の木の密度が薄い道を歩いていく。しばらく歩くと開けたそこそこ急な階段があり、山の上に丘が立っているような形であった。寄る年波には敵わないようで竹井さんはぜぇぜぇ息を切らしながらさながら亀のようにのっそのっそと30秒ほど遅れてやってきた。

「ぜぇ……ぜぇ……お待たせ……」

「ゆっくりでいいですよ。」

「ふぅ……はぁ……ごめんね、じゃあお言葉に甘えて……ひぃ、昔は麓から自転車2ケツして登ってきてたのに、この年になると……はぁ……この程度の階段でもキツイね……」

竹井さんの絶え絶えになった息が整うのを待って境内を散策する。
古びた鳥居や剝がれかけた石畳など神社の面影が残っていた。
鳥居や境内は錆びれているものの信仰が今も続いていることを清掃された社が物語っていた。

「こんなところに神社あったんですね。」

「そう巳山(みやま)神社って言ってね、蛇の神様が祀られているんだ。この神様にはここいらの地名の由来となった逸話が残っているんだよ。」

「なんだかクワガタみたいな神社だなぁ。」

「確かに」と笑う竹井さん。振り返ると眼下にはミニチュアになった田舎町が広がり、はるか遠くの街まで見渡すことができた。幼い頃2人で歩いた山もここから見ると大した距離ではなかったようだ。大人になって見える景色が変わっていくのもこんな感じなのかもしれない。

「いい眺めですね。」

「だよね、お気に入りなんだ。天気が良ければ、もっと遠くまで見えるんだけど今日は無理そうだね。懐かしいな、ここから凪川の花火大会よく見てたんだよ。」

「このロケーションで花火とか最高じゃないですか。」

「あぁ、彼女と眺めたあの花火は忘れられないよ。」

「彼女さんいたんですか。」

「うん。そう、いたんだ。中学から高校へ上がるぐらいだったかな?告白したらOKして貰えてね。学校の同級生の目を避けてイチャイチャするにはもってこいだったからここにも2人でよく来たものだよ。まあ直ぐにバレたのは言うまでもないけど。」

「相当惚気てたんですね。」

「あははは……」

ポリポリと頭をかきながら照れる竹井さん。きっと彼女さんもこんな茶目っ気に惹かれたのだろう。

「でも彼女の引っ越しが決まって、あの時代は今と違ってメールや携帯電話なんかなかったし、電話なんかも3,4秒単位で料金がかさんでいった。勿論最初の方は手紙も書いたけど手間がかかるし、手紙だってタダじゃない。互いに勉強や生活も忙しくなって、気づいたころには自然と連絡も取らなくなってさ。」

甘酸っぱい青春の思い出を語る顔は幸せに満ちて仄かな笑みを浮かべているが、時折沈んだ表情を見せたのは後悔の表れだろう。沈んだ瞳は彼女が旅立った遠く遠く彼方を見ていた。

「後悔してますか?」

「ああ、後悔してるよ。あのとき無茶してでももっと早く会いに行ってたらもしかしたらなんて、今でも夢に見るんだ。その後少し時間が経ってからまた手紙を出したんだけどさ返事が返ってくることはなくて、ある夏の日に思い立って住所を訪ねてみたんだけど、既に空き家になっていて、もうそこに彼女はいなかった。だから……」

竹井さんは賽銭箱に小銭を入れると俺に優しい呪いをかけた。

「君には後悔してほしくないんだ。」



***



「ありがとうございました。」

「付き合わせちゃって悪いね、おじさんも久々に楽しかったよ。」

バスの車庫から歩いて帰ろうと思ったのだが、竹井さんの家も近いから、歩くと1,2時間かかるからと熱弁に押し負けて、竹井さんの自家用車で家まで送ってもらった。

「そうだ、お代。」

「あぁ、要らないよ。おじさんのラストランに乗ってくれたんだもんお金は取れないよ。」

「えっ?ラストランって……」

「この路線の資金、御岳ヶ崎の生徒さんから賄ってたからさ、もう潮時なんだ。」

「そうだったんですか……」

この路線に強い思い入れがあるわけではないが、それでも無くなると言われてしまうと悲しい。

「そんな顔するんじゃないよ。どのみち時間の問題だったから。まあでも東京行くんだっけ?バスは無くなるけどさ、たまに思い出して帰ってきてくれるとおじさん達年寄りも喜ぶからさ。」  

「はい、こっちに帰った際には是非立ち寄らせていただきます。本当にありがとうございました。」

「それじゃあね、後悔するんじゃないよ。」

一瞥し軽く手を振ると竹井さんは今来た道を引き返していった。

暫くの間頭を下げ、車が小さくなるまで眺めていた。

「家ぜんぜん近くないじゃん。」

律儀な人だなと思わず笑いが漏れた。

さて、

匂桜の折り畳み傘をしまい、春の雨を肌で感じる。
(おぉぉぉ、これだこれ。気持ちい!!)
傘を使わなくとも俺にとっての罰にはならないが、ここからはケジメの時間だ。
変態は変態らしいやり方で。

誰かが言った。やまない雨はない。

誰かが言った。そんなことは分かってるから雨の凌ぎ方を教えてくれと。

ならば俺は匂桜の傘になろう。
隣を歩こう。
雨雲を吹き飛ばそう。

もう一度プロローグを始めるためにエピローグを迎えよう。

竹井さんの車に背を向けると家に向かって走り出した。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「進路決まった?」

「まあ何となくはな。東京の大学に行こうと思ってる。」

「え?そう?あ、うん、いいと思うよ。そっかー東京かー。」

平静を装ったつもりでも動揺は隠しきれていなかったと思う。初めは冗談言ってるのかと思ったし、大人になっても幼馴染は幼馴染として、いつまでも近くにいるものだと思っていた。

夜になっても小雨が降り続けていた。いっそこのまま台風まで成長して、この地にずっと止まって、飛行機なんて飛ばなければ……
なんてことは起きるはずもない。ここは物語のじゃない。何かを代償に願いを叶えてくれる悪魔もいなければ、魔法が使えるわけでもない。私は無力で幼馴染一人留めておくことはできない。

カーテンの隙間から覗く窓に伸びる木の枝を見てふと昔のことを思い出す。勉強が嫌いな私が不貞腐れながら宿題をしていると『コンコン』と窓を叩く音が聞こえ、「遊ぼうぜ~」と颯が無邪気に笑った顔を覗かせる。宿題なんてしたくもない私は颯の口車に乗り、窓から乗り出すと、後ろから「コラァ!」という親の声。逃げるように木に飛び移り走り去る。遊び疲れて帰ってくると二階の窓は鍵がかけられていて、玄関先に待ち構える母。木に登るのは危ないだの宿題は終わってないだので、こっぴどく叱られた。翌日終わっていない宿題のことを考えながら登校すると、颯はバッチリ宿題を終えているものなんだからタチが悪い。そのことと、親に怒られたことの八つ当たりを兼ねてよく喧嘩もしたな。

いつからか男子は男子女子は女子で固まるようになってなんとなく距離を取るようになっていた。なんとなくの気恥ずかしさ半分、女子と男子の対立半分、始めの方はあんな奴なんかとせいせいした。でも距離を取るとそれはそれでちょっとだけ寂しさがあった。

成長期という男女個人のなんてことない差を超えた小学生たちは中学生に代わり愛とか恋とか言う単語を性懲りも無く覚えだす。
男女のしがらみは残るものの、誰も彼もに色恋沙汰が巡っていた。私もその一人だったことに気づくのには時間が掛かったけど。久しぶりに颯に声をかけると以前と全然変わらないように見えて、少しだけ大人っぽくなっていて。でも何より、前と同じように会話ができたことにホッとした。

それからはまた以前のように走り回って……ではないけれど、ゲームしたりご飯食べたりひたすら駄弁ったりゲームしたり。高校に入ってからはもう小学校の頃のようにずっとベッタリだったような気がする。いつから意識し始めたんだっけ?そもそも何でこんなこと思い出したんだっけ?

“コンコンコン”

(そう、この『コンコン』って音で……)

「え?」

カーテンを開ける。にこやかな顔の颯が手を振っている。え?

勢いよく窓を開けて、大声で怒鳴りたいのを必死に堪えて

「あんた何やってるのよ!」

「なあ匂桜……ちょっと駆け落ちしないか?」

「は、はぁ!?何考えてんの?大学は!?」

「んーまあ、何とかなるだろ」

「なんとかって……え?」

「いいから、ほらいくぞ!」

私は強引に手を引かれ、窓へ乗り出す。あぁ、でもこういうのも悪くは無いかも。割り切ったつもりでいて結局未練たらたらな私は消えなかった。まったく飽きれたものだと自分でも思う。緩んだ頬がこうなることを望んでいたように、惹かれた手に身を任せた。

体は既に夜風に触れていて、颯の手を取り窓を乗り越える。
窓枠はまだ濡れていたけど、雨はもうだいぶ弱くなっていた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

匂桜を部屋から引きずり出すと、自転車に跨る。自転車の荷台横には括り付けた荷物が少し。前カゴにも軽食と懐には貯めた40万。2ケツはあまり得意じゃないが、そのうち慣れるだろう。

「どこ行きたい?どこでもいいか?とりあえず都心まで出るわ。」

「何にも決めてないの!?」

「そりゃもちろん。行き先は決めないほうが楽しいだろ。」

「はぁ、昔っから何にも変わってないのね。」

「人間そう簡単に変われたら苦労しないんだよ大学だって適当だし。」

「何よそれ、じゃあ東京なんて行かなくたって良かったんじゃない。」

「まあな、実際のところそうかもな。」

痛いところを突かれたな、まったく。

「東京出てやりたいことを探すなんて大見得を切って言ってみたもの、の、はぁ、はぁ、やりたいことなんて見つかるか分からないし、実家の家業を継いだ方が安定するのはわかるんだけどさ。ハァ、ハァ……なんかな、なんだかな……お前に告られてからなんか、東京行きたくないって思うようになって、あーもう!俺にもよくわからねぇ!!」

「バッカみたい。」

「そんな……俺に、はぁ、ハァ、惚れたお前も大馬鹿って……もんだ!」

背中からクスクスと笑う声につられ、思わず俺も笑い出す。街灯のほとんどない峠道を雲間から覗く満月が照らす。その中を笑い声を響かせながら進む自転車。傍から見たらかなり異様な光景だろう。

「それでさっきの返事の件だけど……」

腰に回された手にぎゅっと力が入り少し痛い。

「今の俺にはまだ返事が返せない……グヘッ!」

背中に強烈な鉄槌を喰らう。

「ちょっ、話は最後まで聞け……って!」

ふん、といじける匂桜も可愛い。だから今更気づくなんて鈍感すぎるだろ。背中に押し当てられた胸の鼓動に共鳴して俺の左胸も高らかに跳ね回る。いや、自転車漕いで心拍数上がってるだけかもしれない。そういうことにしておこう。

「だからお前と約束した5年後、俺はまたここに帰ってくる。だからそれまでは待っていてほしい。」

これから駆け落ちしようとしている奴のセリフじゃないのは重々承知している。40万程度で生活できる期間なんてたかが知れてるし、警察に捜索依頼が出されれば嫌でも連れ帰られることぐらい、もう子供じゃない俺たちは理解している。これは一種の呪いだ。子供という殻を脱ぎ捨て、大人へと進化するための魔法と言い換えてもいい。

「……本当に?」

匂桜の手は少しだけ震えていた。

「あぁ……約束する。」

「うん、わかった。」

ここでイヤだと断られていたら、恐らく理性を保てなかっただろう。匂桜の方が少し大人で助かった。

「その代わり、俺が東京に旅立つまでに、小学校、中学校、いや……今までの人生最高の思い出の駆け落ちにしてやる。覚悟しとけよ。」

「うん、楽しみにして……あ!?ハヤテハヤテ!!月見て!月!」

さっきの鉄槌といい、背中に衝撃が響く。

「痛い痛いって月がなに?あ……」

山頂、遮るものも人気もいない峠道。雨を耐え抜いた桜が美しく咲き誇り、雲間から見えた華奢で優雅な満月には、まるで秋の稲穂を連想させるような黄金がかった綺麗な虹が掛かっていた。

「すげぇ……」

息を呑むとはきっとこんな景色を見たときのためにある言葉だろう。

「綺麗だね。」

そう呟く匂桜に、

「お前もな。」などと言い返すほどキザではなく

「そうだな。」

とただ一言返した。チラッと見た横顔が可愛かったのは言うまでもない。

「そうだ。」

「なに?」

ちょうど先ほどの駐車場に差し掛かり自転車を停めると、荷物を解く。荷台からカメラと三脚を取り出すと手早くセットしシャッターを切る。

「今これ撮ってるの?」

『カシャ』少し遅れてシャッター音が鳴り、驚いた匂桜がびっくっと反応したのが面白くて笑ったら睨まれた。

「あぁ、暗い場所では普通の撮り方だと明るさが足りなくて映らないんだ、だからシャッタースピードを遅くして光を長く当ててやるんだ。」

「どうゆうこと?」

「そうだな……洗濯物のシミみたいなもんだな、早く落とせばシミになりにくいけど、時間がたってからだとくっきり残るみたいな?」

「なるほど?」

「まあ百聞は一見に如かずってやつ、ホラ試しに撮ってみ」

軽くレクチャーを済ませると早速イジリ始めた。普段触らないごついカメラに興味津々のようだ。

「三脚外していい?」

「ああ、いいぞ。」

ご機嫌そうにパシャパシャと連射しているが……

「あれ?線が写ってる。」

案の定三脚なしでは上手く撮れていない。

「シャッタースピード落してるからな。カメラを固定しないとブレるんだ。」

「へぇー三脚って固定するために必要なんだ、修学旅行のカメラマンが集合写真で使うくらいしか使い道無いと思ってた。」

「まあ使い方としてはブレないように固定する、水平にセットする、タイマーで無人撮影とかだな。」

「なるほど~」

納得した表情を見せるとそそくさと三脚に戻ってまた撮り始めた。

案外写真にハマったようで押せば沼に引き摺り込めそうな気がするがそれはまたの機会にしておこう。

「そろそろ行くぞ、まだまだ先は長いからな。」

まだ撮り足りないと言わんばかりに不貞腐れた顔でこちらを見てきたが、ある程度撮満足したようで、少しばかり増えたデータと共に戻ってきた。撮った写真を見てみるとボケた写真、ブレた写真が多いものの初心者ながらも中々味のある写真が所々見受けられた。人の撮った写真が自分のカメラの中に入っているのはなんかとても新鮮な気分になる。

「うーん……まだまだだなw」

「うるさい。」

「今度もっとじっくり教えてやるから。」

「約束だからね。」

「わかったよ。そういえば、町も夜だとだいぶ違う色合いになるな。」

「『夜だと』じゃなくて『ここだと』が正しいんじゃない?月虹は限定的だけど、町の外観なんてそこにいる人の目線じゃ変わらないじゃん。ここに来た人の特権って感じ。灯台下暗し?」

匂桜は時々核心的なことをポロっと言うから不意を突かれる。

「たまにはいいこと言うじゃん。」

「はあ?何言ってんの大したことないでしょ。」

バンバンと背中を叩きながらもその顔はまんざらでもなさそうにニヤニヤしていたのを見逃さなかった。かわいい。

「案外大事なことだよ、離れるからこそわかる輝きもある。町も人も。」

この輝きを忘れないように町明かりをファインダーに収めた。

さあ、月が西に沈む前にこの町から出ていこう。行先はどこにしようか。山を越えて谷を越えて海を見に行こう。誰もいない浜辺を2人占めしよう。秘境駅を探しに行こう。この線路はどこへ続くのか終点を見に行こう。名前も知らない街に行こう。ただあてもなく歩いてみよう。春はもう終わるけど、2人だけの春を見つけに行こう。

自転車の下る音と楽し気な2人の笑い声が夜の峠にこだました。

雨はもう上がったようだ。
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みんなの感想(1件)

2022.08.01 ユーザー名の登録がありません

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2022.08.01 辞択 怠軌

感想ありがとうございます。初投稿の不安や緊張に半ば怯えながらの投稿でしたが、その一言に救われました。
正直筆はあまり早くないですが、今後ともご愛読のほどよろしくお願いします!

解除

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