還る僕らにララバイを

阿里紀章

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第一部 - 絶望の底で、僕らは出会った

5話 - 死者の日記

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 第四階層が変わっても相変わらず洞窟の景色が続くが、上から下へ流れる滝がいくつも見えるようになった。遠くからごうごうと水の砕ける音が聞こえ、あたりは苔むしてきている。
 出現するモンスターについても、犬ほどの大きさのナメクジやらヒルやらが増えてきてニャスカの機嫌がどんどん悪くなっている。

 そんな中、新しいラウンド・シールドは僕の戦闘スタイルに順調に馴染んでいった。これまで剣で受けることを意識していたが、やはり盾があると安定感が違う。
 重心を落とし、僅かに斜めに構えて攻撃を横方向にいなして崩す。騎士団で叩きこまれた、基本中の基本だ。
 ナメクジが飛ばしてくる酸の弾だって、安心して受けられる。そうやって敵がまごついているところに、ニャスカが止めを刺す。
「はぁー、こいつら最っ悪! ま、ジルがちゃんと受けてくれるのはいいけどさ」
 機嫌を損ねないように、確実に攻撃は受けておかなくては。まだ認められてはいないけど、僕は彼女の盾なんだ。

    ◆

 途中、何度も三叉路や十字路で分岐し長い距離を歩いてきた。やっと次の階層への道かと思われた一本道の奥は、果たしてただの行きどまりだった。この道のりを元に戻るのかと思うと、肉体を失っているにも関わらずどっと疲れが湧いてくる。
 その奥の小部屋に巣食っていたいた魔物を掃討した時、突然ニャスカがどかっと音を立てて地面に座り込んでしまった。
「ねぇ、もう半日ぐらい歩き続けじゃない? アンタ何も言わないし、つまんないし。あー、もう疲れたーっ」
 時間の感覚は徐々におかしくなっているが、確かにもうずっと休まず歩き続けていた。僕は何も言えないのでただ彼女の歩調に合わせ続けていたが、彼女も彼女でかなりタフだ。盗賊として、こうした長時間の行動には慣れているのだろうか。
 そんな彼女でも、さすがに洞窟を徘徊するだけだと精神を消耗するらしい。
「だいたいさ、ずーっと黙ってついてくるドクロって、ふつーに気味悪いのよ! はぁ、どっかに気の利いた話のできるやつがいないもんかねぇ!」
 しばらくして、また急にニャスカが文句を言ってくる。もしかして、案外寂しがりな性格なんだろうか。
 それはそうと、こちらの弱点をついてくる嫌味だ。何も言い返せないというのもあるが、急な申し出で一緒に探索してもらっていることもあり、なんだか申し訳ない気持ちになる。ついペコペコとお辞儀をする。
 と、痺れを切らしたように彼女が何かを投げつけた。頭蓋骨からコツンと乾いた音が鳴って、それが地面に落ちる。見ると、革の手帳と細長い炭きれのようだった。手帳の表紙を包んでいる革はよく使い込まれ、艶々としている。市場で買えばそこそこの値がするのではないだろうか。
「喋れないんなら、さ……なんか書いてよ、アンタのこと。なんでもいいから」
 手帳と炭の棒を拾い上げてから、またニャスカの方を見る。すると、彼女はぷいっと顔を背けてしまった。手首を顎に当てて、目は髪で隠れて見えない。
「こんな広いダンジョン、探索計画も無しに総当たりで行くなら、マッピングしたって意味ないしさ。全く、暇で死にそう……」
 なんかって、何を書けばいいのだろう。生前の僕?騎士団での生活?それとも、僕が生まれた場所?そんなつまらないことで、この貴重な品を消耗してしまってもいいのだろうか。
 おろおろとしながら彼女の方を見ると、彼女はそのまま壁の方を向いて寝転がってしまった。
「アタシ寝るから! 見張りしながら、なんか書いといて!」
 それきり何も言わなくなってしまった彼女から、渡された手帳に視線を落とす。
 ページを開くと、使い込まれて紙がたわんだ前半部は、きっちり紐で閉じられている。見るな、ということだろうか。どうしようもなくこの中身が気になるものの、騎士として乙女の秘密を暴くようなことは決してできない。仕方なく、封印されていないページの端に炭きれを当てる。その瞬間、僕はハッとしてまた寝転がったニャスカを見る。
(これって、もしや…… ?)
 そう、騎士団の上層部や若手の幹部候補と、貴族階級の子女との間で秘めやかに行われているという噂の、あの「交換日記」。そこではお互いが愛の言葉を囁き、時には詩をしたため、将来の夢を語り、会えない時間を嘆き合いながら、その情熱を育くむのだという!
 吟遊詩人の歌やおとぎ話にも登場する日記のやりとりのシーン!
『おぉ、貴方はなぜ骨なの?』『嗚呼あぁ、愛しの屍人ゾンビ姫よ』‼
 もしかして、かつて熱烈に憧れたそれを、謎に包まれたその秘密の儀式を、いま僕は始めようとしているというのだろうか。そう考えた瞬間に、胸のマナが激しく脈打ち始める。
(だめだ、落ち着け。僕はいま、ただのアンデッドなんだぞ!)
 ここは努めて冷静に、自分の生前のことを淡々と書き記すべきだろう。それで、僕が人畜無害な人間であると分かってもらわなければならない。

 心の中で深呼吸して、炭きれで紙をなぞり始める。これはおそらく、彼女のとても大切なものだ。一ページたりとも無駄にはできない。端的な言葉で、でも入団証書に自分の名前を書き記したときよりもずっと丁寧な字で書き始める。慎重に考えながら、最初の一文をそろそろと書き始める。
『私の名は、ジルアーレ・ベルンハルト。ガリア王国騎士団、五番隊隊士。…… 』
 まずは、もし自分に話せる口があれば彼女に真っ先に伝えていただろう自己紹介から。そして改めて、自分の略歴を。あとは、騎士団に入ってから今までの経緯を彼女に伝えよう。あとは、この絶望的な状況で出会えてどれだけ救われたか、その感謝も書きたい。
 ちらとニャスカの方を見やる。彼女はもう寝ているのだろうか。遠くで滝が落ちる音と、カリ、カリと文字を書く音だけが小部屋に響いていた。

    ◆

 どのくらい時間が経っただろうか。半刻? いや、その十倍? 地上にいるときと異なり時間の感覚がかなり狂っている自覚があるものの、とにかく長い時間をかけてその文章を書いたのは確かだった。
 文字を消す道具は渡されてないので、次に書くべき言葉を考えに考えて綴らなければならなかった。量にして見開きのたった二ページ分、おそらく二百字にも満たないが、それでも読み手が彼女であることを考えると、どうしても大量の時間を要した。
 書ききって、少なくとも僕の目から見て誤字が無いことを確認し、パタンと手帳を閉じる。数分後、またなんとなく不安になってもう一度開き、確認する。そんなことを繰り返しているうちに、ニャスカは目を覚ましてしまった。
 これ以上悩んでも仕方ないので、おずおずと手帳と炭のペンを彼女に手渡そうとする。下手な字だ、なんて拙い文章だと罵られたりしないだろうか。
「……ん、書いた? ありがと」
 それだけ言って、僕の手から手帳をぱしんと取り去ると、そのまま自分の鞄にしまい込んでしまった。すぐに目の前で読まれるのかと思いきや、後で読むらしい。それはそれで少し気恥ずかしい気がするのだがが、幾分ホッとした。
「この薄暗いダンジョンで、せめてもの暇つぶしに……ね」
 それだけ言うと、彼女はそそくさと荷物をまとめて出発の準備を整えてしまった。
 やはり、いわゆる交換日記ではないのだろうか。僕のことについて何かしら、少しでも分かってくれるならそれでも良い。けれど。意を決して、歩き出した彼女を遮って、地面に書く。
『あなたのことも おしえて』
「――ッ!」
 ニャスカは少し驚いたような、恥ずかしいようななんとも言えない顔をした後、ぱしりと僕の頭を叩いた。
「ふん! ちょ、調子に乗ってんじゃないよ……バカ!」
 そうしてぷいと顔を背け、彼女はすぐに歩き出してしまった。
(そんな、不公平だ……)
 騎士として、欲を出しすぎてしまっただろうか。でも頭を吹っ飛ばされることはなかった。もしかして、期待してもいいのだろうか? 盾を拾い、小部屋から出ていく彼女の背中を追いかけて走った。

    ◆

 いくつかの戦闘を挟んだあとの休憩時、僕は疲れからつい眠りこけてしまっていた。
 僕が目を覚ましたとき、ニャスカは壁を背にして座り何かを書いているところだった。時々、彼女は僕のほうをちらと見て、また視線を手元の手帳に戻す。また、時々頭を掻きながら、カリカリと何かを手帳に書いている。
(もしかして、僕への返事?)
 彼女は僕の頭蓋骨を見ても、意識が戻ったかどうかまでは分からないはずだ。そうやって、彼女の姿を緊張しつつもしばらく見ていた。姿勢を変えたい気もするが、今は完全に『ただの屍』のフリをする。
(やっぱりあれ、交換日記ってこと⁉︎)
 ドキドキしてきて、胸のマナが高鳴る。何を書いてくれているのだろうか。僕はそれを読ませてもらえるのだろうか。いろんな思いが胸によぎり、不意に手を動かしてしまう。
 カチャ…… と、それによって立ててしまった非常に小さな音に気づいて、ニャスカは慌てて手帳を鞄に隠した。
「……! っと、起きたようね! ったく待たせるんだから……ほら行くよーっ」
 あっという間に立ち上がると、彼女はスタスタと歩き出してしまった。
(……すごく、すごく気になるよ!)
 慌てて彼女を追いかける。
 歩きながら彼女の鞄を指差し、次に自分を指さす。
(いまの、僕への返事ですか?そうなんですか⁉︎)
「……ッ、うるっさい! ほら、敵、構えて‼︎」
 そう言って僕に剣を投げてよこす。慌ててそれをキャッチして構える。見ると、大型の狼のような敵が一匹、こちらを睨みながら低い体制で唸っている。攻撃が彼女に向かないよう、わざと剣を大きく振り回しながら近寄る。
 と、僕の頭の横をとてつもない速度の鎖が掠めて飛んでいく。鎖の先についた分銅がそのまま狼にクリーンヒットし、狼の頭部を抉りとった。狼が倒れ、黒い霧となって消えていく。
(! こっわ……‼︎)
なりたくなかったら、大人しく待っててよね」
 ダンジョンの奥の方を見つめたまま、小さな声で呟いた。照れてるのか、脅しているのか…… 僕はコクコクと頷くしかなかった。

    ◆

 それから二回ほど休憩をとった頃だろうか。
 いつものように小部屋で休憩しようと座る。ニャスカはとっとと寝る構えだ。先の戦闘の疲れが残っているのだろうか。
 剣と鎧をメンテナンスしようと、自分の鞄を下ろして中身を見る。すると、いつの間にやらニャスカの手帳が入っていることに気がついた。
 ニャスカはすでに洞窟の壁の方を向いて横になっている。すぐさま、興奮を抑えながら慎重に手帳を開く。見ると、確かに僕が書いたページから、さらに追加で何か綴られている。
 良く言えば勢いのいい、悪く言えばやや汚い感じもする字だ。それもすごく細かい字で書いてある。少し読みづらいが、せっかく彼女が書いてくれたものだ。じっくりと読み進めようとする。と、すぐにそれが文章ではないことに気がついた。
(ん? ……あ、これ、年表だ)

・王国暦六七◆年、生まれる
・六八二年、兄貴とマッドキャッツで暮らし始める
・六八三年、団長から文字を習い始める
・六八六年、初めてのスリ。バレて散々な目に遭う
・六八八年、ナイフを習い始める。こっちは見込み有りと言われる
・六九五年、班長になる
・六九七年、カルノー男爵屋敷の案件。かなり稼ぐ
・七〇〇年、十人長になる。兄貴は副団長
・七〇四年、当時の団長が病死。兄貴が団長に、私は副団長になる
・七〇五年六月、ゴドリック公爵家屋敷の案件。私をかばって兄貴が片目を失う
・七〇五年八月、公爵の手勢に追われる。アジトを失う。~~兄貴が~~
・七〇五年九月、近郊のダンジョンに逃げ込む

 年表はそこで途絶えており、分量もたった一ページだけだ。しかしいくら照れ臭かったからって、何も日記をこんな極端な形式にするなんて! 一気に彼女の人生を垣間見てしまった。それにしてもこれは……大波乱の人生だ。
 おそらく早くに親を失ったか何かの事情があって盗賊団に身を寄せることになったのだ。マッドキャッツといえば、悪徳商人や黒い噂のある貴族だけを狙う一風変わったとして知られていた。
 確かにやっていることは犯罪なのだが、ターゲットの悪事の証拠をまとめて門に張り付けたりしてから去るもので騎士団の捜査も一気に進むほか、世間にも彼らの味方をするものが大勢いたという。なのでどうせ叩くならより悪質な盗賊団からということで、騎士団の立場からすると常に後回しになっていた一味だ。
 また、カルノー男爵というのは記憶にないが、ゴドリック公爵家の事件は確かに覚えている。かの公爵といえば、黒い噂の絶えないガリア王国の上級大臣だ。私兵を引き連れて復讐を果たしたという噂だったが、詳細までは知らなかった。まさかそれが、彼女の所属していたマッドキャッツ盗賊団だったとは。
 確か、団長は有能な女副団長を従え、彼女が作戦を率いているという噂もあった。ということは、この年表の作者であるニャスカがあの有名な『赤猫』ということか。
 そして、どうやらゴドリック侯爵の反撃に遭って大切なお兄さんを失ったらしい。その部分は線でぐしゃぐしゃに消してある。王国としては大手柄のはずだが、今の僕は彼女にすっかり同情してしまっていた。

 ……と、そのページを読んでいて気になった点がもう一つ。生まれた年の下一桁は、後から四角く塗りつぶしたのだろうか、なんの数字を書いたのかは読めなくなっていた。こんな形式にしておいて、最後に恥ずかしくなったのだろうか?
 そうなると、却って彼女の年齢が気になってしまう。彼女はいま少なくとも…… くそ、算術は苦手だ。手帳を開いたまま床に置き、指折り数えることにする。
 二十五まで数えたところでふと気配に気づき見上げると、いつのまにか僕の目の前にニャスカが立っていた。反応する間もなくゲンコツでぶっ叩かれ、衝撃で頭蓋骨が外れてそのまま部屋の外に転がっていく。通路はまずい! 咄嗟にヘッドスライディングして自分の頭を両手でキャッチする。
「レディに年齢を訊くなって教わんなかった⁉︎」
(こんな理不尽で乱暴な貴婦人がどこにいるっていうんだ!)
 殴られた痛みで泣きたいが涙は出ない。思ったことを言う口があれば、今度は背骨をバラバラにされていただろう。骨はつらいよ。

    ◆

 そんなやり取りを遠くから眺める者が一人呟く。
「これはこれは。しばらくは退屈しないで済みそうですね。ハハハ……」
 どこからともなく洞窟の端から響く涼やかな声。その音はただ虚空に飲まれたが、鋭敏なニャスカの肌が何かを感じ取った。
「……⁉ 誰っ!」
 すかさず彼女が臨戦態勢を取るが、ジルアーレにはさっぱり敵らしい気配を感じることができない。
「あれ……気のせいかな。なんか嫌な感じ。ジル、気を付けて進むよ!」
(あぶないあぶない。まぁ、しばらくはから見守らせてもらうことにしましょう……)
 その者の淋しい気配は、再び洞窟の闇に溶けていった。
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