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第一部 - 絶望の底で、僕らは出会った
6話 - 瀕死の屍
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第五層のモンスターの攻略法も分かってきた頃に、それは唐突にやってきた。
ニャスカが前に出てから歩みを止める。手で僕を制してから、両手を耳にやって通路の奥の気配を探っている。僕もそれにつられて剣の柄に手をかける。
「この足音と気配…… おそらく人間」
この前と同じような実力の冒険者ならまだ気持ちは楽なのだが、そんな楽観は彼女の声でかき消される。
「……待って、やばいかも」
ニャスカの鋭い勘が、この先にいる者のただならぬ気配を察したようだった。素早く方向転換しようとする。だが。
「! チッ、向こうも気づいた!」
やるしかないのか。敵がいると思われる方向、暗闇の奥に目を凝らしてまず見えたのは、革鎧に身を包んで巨大な槌を背中に下げた戦士。首筋から肩にかけての異様な筋肉の盛り上がりだけで、その屈強さが一目で伝わってくる。
そしてその後ろに控えるように、荘厳な雰囲気を湛えたローブを纏う僧侶。女性だ。背の高い帽子、金の装飾が施された錫杖。明らかに高位の司祭であることが見てとれた。手には首からかけたアンクを握っており、すでに戦闘体制であることが分かる。
骨の身体なのにさっと血の気がひいていく感覚がする。考えられる限り最悪の敵。
更に二人の後ろに、先日遭遇した四人組のパーティ。その姿を認めると同時に僕とニャスカは来た方向に逆戻りしようと足を一歩踏み出す。
「逃しません」
凛とした声で彼女がそう宣言し、錫杖を高く掲げる。次の瞬間、数十本もの光の矢が彼女の周囲から突然現れ、間髪いれずに射出される。僕は素早く盾に身を隠して、ニャスカは素早い身のこなしでなんとかそれを避ける。
「あらら」
女司祭は極めて落ち着いた様子で、こちらの素早い反応に驚きの声をあげる。こちらは背中を見せながら逃走する体勢だ。
「間違いねぇ、あいつらだ!」
僕が盾を奪った剣士の怒声が響く。
全力で元の通路に飛び込み、そのまま走り出した。後方から声が聞こえる。
「おい、思ったより厄介そうだったぞ」
「無論、確実に消滅させます。〈俊足祈祷〉」
地面を割るような足音が猛烈な勢いで近づいてくる。速い! とにかく闇雲にきた道を戻る。まずい。なんとしてでもあいつらを止めなければと捨て身の突進を覚悟したその時、後ろから冷徹なる声が響く。
「すばしっこい方が先ね!〈幽魂救済〉」
祈祷の短縮詠唱。反射的に、僕はニャスカを強く突き飛ばしていた。後ろに追いついた女司祭が一言だけ詠唱すると、即座に光の柱が僕を包みんだ。そして次の瞬間、胸の中心から立ち昇った白い業火が僕を焼く。
「……ッ…………‼︎」
声は出ない。だが、僕は絶叫していた。全身の骨という骨が砕かれていく痛み。生きていた時ですら一度も感じたことのない程の壮絶な苦痛。そして、灼熱の胸にはなぜか悲しみが溢れてくる。
僕は前を見た。視界は激しく揺らめいて輝き、殆ど何も見えない。それでも懸命にみた。彼女は逃げおおせたのか。
いや、ニャスカは僕の方を見ている。何かを叫んでいる。何故逃げていない。どういう訳か、僕の方に向かって懸命に手を伸ばしている。
だめだ。彼女をもっと遠くに押し出さなくては。だが、光の束に拘束された身体は一切動こうとしない。
次の瞬間、巨大な戦鎚がニャスカに直撃したのが見えた。壁に真っ直ぐ叩きつけられた彼女の胴体からは、その左側が殆ど失われていた。
僕は更に叫んだ。叫びたかった。全てはほんの一瞬の出来事であったはずだが、感覚は引き延ばされて地獄の痛みが永遠に続くように思われた。それでも、僕は焼かれて消される訳にはいかない。身体と心が今にもバラバラになりそうなのを、彼女のもとに駆け付けたいその一心で押し留める。
「しぶとい……! 神のご意志を受け入れろ‼︎」
女司祭はさらに杖を持つ手に力を込めている。さらに永遠の時が流れた。あるいはほんの数秒だったか。僕はもうこれ以上、この身を焼く光に争えないと悟った。ごめん。貴女を護れなかった。
最期に心の中で懺悔したその時、場に似つかわしくないほど涼やかな少年の声が、洞窟にこだました。
「主よ、大いなる御手にて、か弱き我らを千の矢から守り給え」
僕は消えかける意識の中、白い炎の奥に、確かにそれを見た。声と共に、ニャスカが崩れ落ちようとしているその壁面から、唐突に、青白い顔がぬぅっと出現した。続いて、胴、脚と姿を現す。青い霧で形作られた人のようなもの。僧衣を纏った霊体から、力ある言葉が発せられた。
「守護聖壁」
淡く光る温かな膜が彼を中心として瞬時に展開される。ニャスカに更なる一撃を叩き込もうとしていた巨躯の戦士は、その膜に弾かれるようにして押し下がった。
僕を包み焼いていた光の柱も、それとともに掻き消される。
「怨霊が奇跡を⁉︎ そんな、あり得ない!」
女司祭が大きく目を見開く。
「おいおいおい! なんなんだこいつら⁉︎」
驚愕しながらも、巨躯の戦士がもう一度迫ってくる。そのまま結界の前に立つと、両手で巨大な戦鎚を振り下ろした。光膜が大きく揺らぐ。だが、一層力の籠った声が光の中心にいる怨霊から紡がれる。
「神の御前にありて、我、全ての者に問う。卑小なるその身に宿りし罪よ如何なるや」
「……! 耳を塞いで! 奴の言葉を聞いたらダメ‼︎」
女司祭が叫ぶが、それをかき消すかのごとき響きで朗々とした祝詞が続く。
「主は等しく正しきを導き、悪き心を挫かん。悔い改めよ。〈罪念魂呼〉」
宣言が完了した瞬間に怨霊から波動が伝わり、その場にいた全員の鼓膜を揺らした。途端に、後ろに控えていた四人のパーティは発狂して泣き叫び出した。ひざまづき、嗚咽しながら頭を抱え、必死に許しを乞うている。
巨躯の戦士も、膝をついて手を頭にあてている。
「おい、シェリー! あいつとは相性が悪い。なんとかしろ……っ!」
「こんな強力な上級悪霊と戦える霊装を持ってきてない!」
名前を呼ばれた女司祭が波動を打ち消そうと慌てて別の祈祷を始めるが、そこに重ねて青白い霊が叫ぶようにして宣言を始める。その指は、真っ直ぐに女司祭に向けられている。怨霊の僧服からマナが湯気のように立ち上る。
「安らかなる眠りこそ主の慈悲! 迷える魂は、彼の地にて迎え入れられん。その身に、永久の安寧が与えられん!」
「死の祈り! 全員逃げて! レオン、脱出‼︎」
ハッとしながら、女司祭が絶叫する。その警告を聞いて、四人組は泣き叫びながら我先にと逃げ出した。
レオンと呼ばれた戦士も呻きながら立ち上がり、司祭を無理やり肩に抱えるようにして走り出す。
「ぐ、おおぉぉぉ! 畜生め‼︎」
捨て台詞を吐きながら巨躯の戦士が猛烈なスピードで走り去る。そうして、ようやく辺りに静寂が戻ったとき、僕はその場に文字通り崩れ落ちた。僕の骨という骨がガラガラと地面に散らばる。
「ハッタリも、効くもんですね。私などが唱えるかような祈り、神に届くはずも、無いのに……」
微かに、息も絶え絶えといった呟きが僧服の霊からもれる。
「僕は上級悪霊なんかじゃない、ただの死に損ないの、しがない怨霊……です……よ……」
その言葉を聞きながら、僕は意識を手放した。
ニャスカが前に出てから歩みを止める。手で僕を制してから、両手を耳にやって通路の奥の気配を探っている。僕もそれにつられて剣の柄に手をかける。
「この足音と気配…… おそらく人間」
この前と同じような実力の冒険者ならまだ気持ちは楽なのだが、そんな楽観は彼女の声でかき消される。
「……待って、やばいかも」
ニャスカの鋭い勘が、この先にいる者のただならぬ気配を察したようだった。素早く方向転換しようとする。だが。
「! チッ、向こうも気づいた!」
やるしかないのか。敵がいると思われる方向、暗闇の奥に目を凝らしてまず見えたのは、革鎧に身を包んで巨大な槌を背中に下げた戦士。首筋から肩にかけての異様な筋肉の盛り上がりだけで、その屈強さが一目で伝わってくる。
そしてその後ろに控えるように、荘厳な雰囲気を湛えたローブを纏う僧侶。女性だ。背の高い帽子、金の装飾が施された錫杖。明らかに高位の司祭であることが見てとれた。手には首からかけたアンクを握っており、すでに戦闘体制であることが分かる。
骨の身体なのにさっと血の気がひいていく感覚がする。考えられる限り最悪の敵。
更に二人の後ろに、先日遭遇した四人組のパーティ。その姿を認めると同時に僕とニャスカは来た方向に逆戻りしようと足を一歩踏み出す。
「逃しません」
凛とした声で彼女がそう宣言し、錫杖を高く掲げる。次の瞬間、数十本もの光の矢が彼女の周囲から突然現れ、間髪いれずに射出される。僕は素早く盾に身を隠して、ニャスカは素早い身のこなしでなんとかそれを避ける。
「あらら」
女司祭は極めて落ち着いた様子で、こちらの素早い反応に驚きの声をあげる。こちらは背中を見せながら逃走する体勢だ。
「間違いねぇ、あいつらだ!」
僕が盾を奪った剣士の怒声が響く。
全力で元の通路に飛び込み、そのまま走り出した。後方から声が聞こえる。
「おい、思ったより厄介そうだったぞ」
「無論、確実に消滅させます。〈俊足祈祷〉」
地面を割るような足音が猛烈な勢いで近づいてくる。速い! とにかく闇雲にきた道を戻る。まずい。なんとしてでもあいつらを止めなければと捨て身の突進を覚悟したその時、後ろから冷徹なる声が響く。
「すばしっこい方が先ね!〈幽魂救済〉」
祈祷の短縮詠唱。反射的に、僕はニャスカを強く突き飛ばしていた。後ろに追いついた女司祭が一言だけ詠唱すると、即座に光の柱が僕を包みんだ。そして次の瞬間、胸の中心から立ち昇った白い業火が僕を焼く。
「……ッ…………‼︎」
声は出ない。だが、僕は絶叫していた。全身の骨という骨が砕かれていく痛み。生きていた時ですら一度も感じたことのない程の壮絶な苦痛。そして、灼熱の胸にはなぜか悲しみが溢れてくる。
僕は前を見た。視界は激しく揺らめいて輝き、殆ど何も見えない。それでも懸命にみた。彼女は逃げおおせたのか。
いや、ニャスカは僕の方を見ている。何かを叫んでいる。何故逃げていない。どういう訳か、僕の方に向かって懸命に手を伸ばしている。
だめだ。彼女をもっと遠くに押し出さなくては。だが、光の束に拘束された身体は一切動こうとしない。
次の瞬間、巨大な戦鎚がニャスカに直撃したのが見えた。壁に真っ直ぐ叩きつけられた彼女の胴体からは、その左側が殆ど失われていた。
僕は更に叫んだ。叫びたかった。全てはほんの一瞬の出来事であったはずだが、感覚は引き延ばされて地獄の痛みが永遠に続くように思われた。それでも、僕は焼かれて消される訳にはいかない。身体と心が今にもバラバラになりそうなのを、彼女のもとに駆け付けたいその一心で押し留める。
「しぶとい……! 神のご意志を受け入れろ‼︎」
女司祭はさらに杖を持つ手に力を込めている。さらに永遠の時が流れた。あるいはほんの数秒だったか。僕はもうこれ以上、この身を焼く光に争えないと悟った。ごめん。貴女を護れなかった。
最期に心の中で懺悔したその時、場に似つかわしくないほど涼やかな少年の声が、洞窟にこだました。
「主よ、大いなる御手にて、か弱き我らを千の矢から守り給え」
僕は消えかける意識の中、白い炎の奥に、確かにそれを見た。声と共に、ニャスカが崩れ落ちようとしているその壁面から、唐突に、青白い顔がぬぅっと出現した。続いて、胴、脚と姿を現す。青い霧で形作られた人のようなもの。僧衣を纏った霊体から、力ある言葉が発せられた。
「守護聖壁」
淡く光る温かな膜が彼を中心として瞬時に展開される。ニャスカに更なる一撃を叩き込もうとしていた巨躯の戦士は、その膜に弾かれるようにして押し下がった。
僕を包み焼いていた光の柱も、それとともに掻き消される。
「怨霊が奇跡を⁉︎ そんな、あり得ない!」
女司祭が大きく目を見開く。
「おいおいおい! なんなんだこいつら⁉︎」
驚愕しながらも、巨躯の戦士がもう一度迫ってくる。そのまま結界の前に立つと、両手で巨大な戦鎚を振り下ろした。光膜が大きく揺らぐ。だが、一層力の籠った声が光の中心にいる怨霊から紡がれる。
「神の御前にありて、我、全ての者に問う。卑小なるその身に宿りし罪よ如何なるや」
「……! 耳を塞いで! 奴の言葉を聞いたらダメ‼︎」
女司祭が叫ぶが、それをかき消すかのごとき響きで朗々とした祝詞が続く。
「主は等しく正しきを導き、悪き心を挫かん。悔い改めよ。〈罪念魂呼〉」
宣言が完了した瞬間に怨霊から波動が伝わり、その場にいた全員の鼓膜を揺らした。途端に、後ろに控えていた四人のパーティは発狂して泣き叫び出した。ひざまづき、嗚咽しながら頭を抱え、必死に許しを乞うている。
巨躯の戦士も、膝をついて手を頭にあてている。
「おい、シェリー! あいつとは相性が悪い。なんとかしろ……っ!」
「こんな強力な上級悪霊と戦える霊装を持ってきてない!」
名前を呼ばれた女司祭が波動を打ち消そうと慌てて別の祈祷を始めるが、そこに重ねて青白い霊が叫ぶようにして宣言を始める。その指は、真っ直ぐに女司祭に向けられている。怨霊の僧服からマナが湯気のように立ち上る。
「安らかなる眠りこそ主の慈悲! 迷える魂は、彼の地にて迎え入れられん。その身に、永久の安寧が与えられん!」
「死の祈り! 全員逃げて! レオン、脱出‼︎」
ハッとしながら、女司祭が絶叫する。その警告を聞いて、四人組は泣き叫びながら我先にと逃げ出した。
レオンと呼ばれた戦士も呻きながら立ち上がり、司祭を無理やり肩に抱えるようにして走り出す。
「ぐ、おおぉぉぉ! 畜生め‼︎」
捨て台詞を吐きながら巨躯の戦士が猛烈なスピードで走り去る。そうして、ようやく辺りに静寂が戻ったとき、僕はその場に文字通り崩れ落ちた。僕の骨という骨がガラガラと地面に散らばる。
「ハッタリも、効くもんですね。私などが唱えるかような祈り、神に届くはずも、無いのに……」
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