祓い姫 ~祓い姫とさやけし君~

白亜凛

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≪ 弘徽殿 ≫

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「篁は恋人もいないんですって。宿直番も多くて忙しいからとか言ってるけれど、まああの男の場合は、無骨だから恋文も下手なんでしょうね」

 顎を上げて、くっくっくと朱依は楽しそうに笑う。

「そういえば朱依は? 朱依はどうして結婚しないの?」

 朱依は美人だ。

 彼女が翠子の邸に来たのは八年前。翠子の母が存命中で当時翠子は九歳。朱依は十一歳下級とはいえ貴族の娘だった。身寄りがなくひとりぼっちになってしまった彼女の使用人が心配し、使用人同士の伝手を辿り翠子の邸に来た。

『朱依、翠子のお姉さんになっておくれ』

 翠子の母が、縁もゆかりもない朱依を引き取ったのである。

 後から思えば母は自身の死期を悟っていたのかもしれない。翠子がひとり残るよりもふたりで力を合わせて生きていけるよう願ったのだろう。

「私は一生姫さまの近くにいると決めているのです。そうでなくたって結婚なんてしませんよ、面倒くさい」

「面倒くさいの? 結婚って」

「ええ。今日は来るのか明日はどうなのか。浮気してるんじゃないのか。そんなことで悩むのはまっぴらごめんですからね」

 結婚したとしても朱依がそんなふうに悩むとは思えないが、ずっと一緒にいてくれるのはうれしい。

 翠子にとって朱依はなくてはならない存在だ。いなくなるなんて寂しい。

(でも、それでいいのかしら。私はよくても、それで……)

 複雑な心境のまま朱依を見れば、明るく笑っている。

「恋は読んだり聞いたりするほうが、ずっと楽しいですよ」

 ふふふ、と不敵に笑った朱依は干し棗をつまんで食べた。

 今は恋よりも唐菓子がいいらしい。

 翠子はホッと胸を撫で下ろした。

 いつか朱依に好きな人ができたなら。そのときは心から喜んで祝ってあげようと心に誓いながら。。



「ところで姫さま、昨夜の女官が持ってきた文。本当にご実家からだと思います?」

「ああ、あれね」

 最近翠子は女官らに頼まれるまま物の声を聞いている。

『そなたの負担になるのではないか?』

『気晴らしに、してみたいのです』

 衣も食べ物も十分に良くしてもらっている。高価な紙も使い放題だ。屋敷の使用人からの文によると、彼らの生活が困らないよう宮中から屋敷に食べ物や布が贈られているという。

 そこまでしてもらっているのになにもせず、遊ぶように暮らすのは気が引けた。せめて、ここで暮らす女性たちの力になりたいと翠子は思っている。

 ほかに例の毒の手掛かりを掴めないかと、密かな期待もある。

 毒を盛った者は無心ではないだろう。なんらかの強い感情があるに違いない。ましてや毒が明るみになり動揺しているはずだ。ここに集まってくる物からなにか聞こえるかもしれない。

 皆に来てもらうには、どんなふうに呼び掛ければいいかと朱依と相談しようと思ったが、宣伝の必要はなかった。

 女官たちの方から来たのである。

 彼女たちは夜になると、人目を忍ぶようにして翠子を訪れた。

 心配だったのは以前あったような嫌がらせだが、翠子に会うためには、篝火のもとに控えている強面の武官に睨まれながら前を通らねばならない。朱依も女官も両脇に控えているので、わざわざ嫌がらせに来るものはいなかった。

 昨夜は若い女官が文を携えてやってきた。

『実家から送られてきたのですが心配で。この文から感じるものを教えてくださいませぬか?』

 お礼は干し棗一袋。朱依が食べているのがそれだ。

 女官は誰から誰への文とは言わなかった。翠子も何も聞かぬまま畳んである文に触れただけで開けてはいない。

 胸がきゅっと苦しくなるような、甘酸っぱい幸せを感じたのでそのまま伝えると、女官は頬を染めて帰っていった。

「家族からの文が甘酸っぱい幸せなんて、変ですよ」

 くすっと翠子は笑う。

 翠子は〝恋文〟の声は聞かないと宣言している。

 なんにも感じなくて、そんなはずはないと詰め寄られても困るし、恋愛のごたごたに巻き込まれるのはごめんだからだ。

 だが昨夜の文は、どう考えても恋文だろう。

「文の相手はあの女官をとっても好きなのね」

 朱依はにやりと目を細める。

「やっぱり恋文ですね」

「まあいいわ。幸せな文だったから。だけど、気持ちを確かめてどうしたいのかしら。わかったところでどうにもならないのに」

 恋文には愛情たっぷりの文言が並んでいるに違いない。

 その言葉が信じられないのだろうか。

 他人の心などままならないのだから、信じたいように信じればいいのにと翠子は思う。

「恋人を信じていても不安になったりするんですよ。それが恋する乙女心ってわけです」

「ふぅん」

 翠子にはいまいちよくわからない。

 ただ少し困るのは、恋文が伝えてくる感情が、最近翠子を悩ませる煌仁を想うときの気持ちに似ているような気がするのだ。

 胸がきゅっと苦しくなるような、甘酸っぱいような……もどかしい感じ。

 それはさておきと、翠子は溜め息をつく。

 恋文が続いたとしても困りはしないけれど、このままでは本来の目的が果たせない。

 これまで十人ほどがここを訪れている。

 今のところはたわいないものばかりだが、ただ、ひとりだけ気になる人がいた。

「ねえ朱依、少し前にずっと顔を隠していた人がいたでしょ。確か内侍司(ないしのつかさ)の女官とか言ってた人」

「はいはい。蝶の柄の裳を付けた人。あの人は女官というより多分上級の女房ですね」

 さすが目端の利く朱依である。裳の柄など翠子は覚えていなかった。

「あの方は、ずっと顔を隠していたわ」

 翠子が自然と気にするのはその人の目元や表情だ。強く思い悩んでいるようなら、より慎重に向き合う必要があるからだが、その女は終始うつむき、瞼を伏せて瞳すら見せなかった。

「そういえば女官と女房ってどう違うの?」

 ここにいる女性たちは女房、女官のほか、下の位である女襦など色々と階級があるらしい。

「私もよくわからないですけど、女官でも高貴な方が女房って呼ばれたり、女御さまのご実家から雇われてそのままいらしていたり。とにかく女房と呼ばれる方は上級な方みたいですよ」

 朱依がいわく、尚侍司の女官と名乗った女性の着物はとても質が良かったらしい。扇も立派で間違いなく女房だという。

「それで、あの人がどうかしました?」

「あの方が持ってきた文は、本当に家族からのものだと思うの」

「とても憂いているとおっしゃっていた文ですか?」

「そう。あの文はなにか強く思い悩んでいるようだったわ」

 彼女が終始顔を隠していたのも気になる。翠子の前でも、ずっと扇で顔を隠していたのはあの女性だけだ。

「あの方がお礼にくれたのは何だったかしら」

 朱依は逗子棚から冊子を取って広げる。冊子には日付と訪問者ともらった物が記してあった。几帳面な朱依らしい文字が並ぶ。

「えっと、これですね」

 指をさすそこには、【蝶の裳の君 お礼・紅】と書いてある。

「確か小さな器に入った口紅だったわよね?」

「はい。この紅ですよ」

 朱依が棚から取って小さな丸い器を見せた。

 紅花から作る紅は貴重な品であるし、器は螺鈿細工がほどこされた高級品だ。文一枚の声を聞いた礼にしては高価すぎるのではないか。

 首を傾げた翠子の疑問に気づいたのか、朱依はうなずいた。

「もっと唐菓子みたいな気軽なものでいいって言ったんですよ。でも、どうしてもって言って。きっとお金持ちなんでしょうね」

 翠子が紅の器に手を伸ばしたその時、「祓い姫はこちらか」と声がした。

「はい」

 朱依が立ち上がり、几帳の脇から訪問者を迎え出た。

「弘徽殿の女御さまがお呼びです」

 いかにも威圧的な言い方だった。

 声だけでなく態度も大きい。斜に構え顎を上げて翠子を見下ろした。

 すぐ後ろにふたり。いつも翠子たちの面倒を見てくれている女官が困り果てたような顔をしている。

 そもそも弘徽殿と聞くだけでいい印象はない。皇子に毒を盛ったのは弘徽殿の女御の仕業という噂のせいもあるが、彼女たちは翠子を敵視していると聞く。

 麗景殿の女御に呼ばれて遊びに行くときに、どうしても弘徽殿の前を通るのだが、その度に弘徽殿の女房たちに睨まれるのだ。

 朱依は負けずに不機嫌さを隠そうともせず答えた。

「なんの用でしょう」

 これみよがしに顎を高く上げて、ツンと横を向く。

 意趣返しである。下手に出る気はないといわんばかりだが、翠子は咎めない。

 今後ずっと宮中にいるわけではないし、呼ばれてこの場にいるので、媚びへつらう必要はないと翠子も思っている。

 翠子はじっと訪問者を見つめた。

「なんと無礼な。なんの用だろうがよいであろう。恐れ多くも女御さまが会ってくださるというのだ。ありがたいと思わぬのか!」

 朱依の眉尻が一段と高くなったところで、翠子が立ち上がった。

「わかりました。参りましょう」

「姫さま……」

 心配そうに振り返る朱依に、にっこりと翠子は微笑んだ。

 興味がある。

 麗景殿はたいそう美しく、とてもお優しい方だ。帝の妃となられる方はなるほど違うと思った。

 対して弘徽殿の女御はどのような女性なのか、この目で見てみたい。
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