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≪ 可惜夜(あたらよ) ≫
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しおりを挟む煌仁たちが帰っていくと、翠子と朱依はそのまま床についた。
明日のために早く寝ようと思うのに、胸が高鳴ってなかなか寝付けない。煌仁が握った右手が自分の心臓のように熱を帯びているような気がした。
彼は冷たいと言ったけれど、今ならば熱い手だと言われただろう。
篁と話し込んでいた朱依は、翠子が煌仁に手を握られていたのを見ていない。見られなくてよかったと翠子は思う。
彼はただ怪我をしていないか心配して見てくれただけなのに、朱依に秘密ができたような背徳感に心がざわつくのである。
「姫さま、寝ました?」
「ううん」
どうやら朱依も寝付けないようだ。
「輝く扇、篁が驚いていましたよ」
いつの間にか朱依は篁を呼び捨てにしているらしい。あまりに自然な呼び方に笑ってしまう。彼は検非違使の長官と偉い方なのに。
「本当にきらきらしてたわね」
唯泉がくれたのだ。
扇には式神が宿っているらしく、式神の気が向けば鱗粉のような光を振りまくと言っていた。最初はただ振ってみたけれどなにも起きず、踊ってみたら光った。不思議な扇である。
「姫さまの舞はとっても美しいですもの。まるで天女のようでしたよ」
「ふふ、ありがとう」
邸ではよく踊っていた。母の母、翠子の祖母はかつて五節の舞姫だったらしく、母に舞を教えたらしい。そのまま翠子にも小さい頃から舞を教えてくれたのである。
邸から出なくても踊れば自然と気が晴れた。
でも、人に見られるのは恥ずかしい。いるとわかっていればすぐ止めたのに、結構な時間しっかりと見られていたらしい。
「また見たいって言っていましたよ」
「嫌だ」
くすくすと朱依が笑う。
「楽しみですね、明日」
「朱依、市場には人がたくさんいるんでしょう? 私がいても本当に大丈夫? 足手まといになるんじゃないかしら」
翠子は大勢の人混みの中に入った経験がない。
人込みに酔って足がすくんで動けなくなってしまったらどうしよう。それにうっかりなにかを触ってしまったら……。つい考えてしまう。
経験を積んでいるとはいえ、何度触れても人の怨念には慣れない。
行きたいと言ったし思ったけれど、いざとなると足がすくむ。
せっかく皆が楽しんでいる時に、自分が台無しにしてしまうかもしれないと思うと、どうしても気持ちが沈むのである。
「大丈夫ですよ! 私が付いています。不安になったらとっとと帰りましょう」
「そうね……」
「煌仁さまも、強面の篁も一緒だから危険なんて寄ってきませんしね。姫さまは直接触れないように気をつけるだけで、何の心配もないです」
朱依はうれしそうだ。声が弾んでいる。
「姫さまと市に行けるなんて。ああ、とても楽しみです」
「そんなに楽しいの? 市って」
あまりに楽しそうな朱依の様子に興味をそそられた。
「楽しいですよ、見ているだけで厭きないですもの。姫さまも絶対楽しめます。見たことがないものがあって、いろんな匂いがするのです」
「匂い?」
「焼いている食べ物とか、何かを煎っている香ばしい匂いとか。人も、そうそう、女の商人もいたりするのですよ?」
翠子は目を丸くした。
「女の商人?」
「はい。でっぷりと太っていて、きっとね、貴族よりよほど美味しいものを食べているんですよ」
「へえ。ふふ、明日もいるかしら女商人」
「いますよ、きっと。いつも見かけますもの」
明るい朱依の答えに沈みかけた気持ちが明るさを取り戻す。
「なんだか楽しみで眠れないわ。どうしよう」
「お寝坊しても平気ですよ、どうせ市は昼からしか開きませんから」
「そう。よかった」
心を曇らせた不安のもやがなりをひそめ、徐々に気持ちが落ち着いてくる。
「いざとなったら私が姫さまを背負ってあげます」
「ええ?」
「私が疲れたら、煌仁さまがあのときのように抱き上げてくれますよ」
「朱依ったら、やめて」
もう一度あんなことがあったら気絶してしまうかもしれない。
想像だけで顔が火照る。きっと夕焼けのように紅く染まっているだろう。夜だから朱依に見られないとわかっていても、翠子は衣を持ち上げて顔を隠した。
「朱依も篁さまに抱き上げてもらうならいいわ」
「えー、嫌ですよ」
くすくすと笑い合った。
朱依もいる。篁も。そして煌仁が握った手の力強さを思い浮かべると、何があっても大丈夫な気がしてきた。
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