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しおりを挟む最終保険はそんな便利なモノじゃない。
いつのかの夕暮れ、今の最古参の客にこんな話をしたことがある。
「まず知っていなきゃいけないのはこれを持った人間は自分が持つであろう、未来への分岐を捨てなければならない。ある意味、自死に近い」
「はぁ・・・それってどういうことですか?」
「よく小説とかで出てくる平行世界論のことさ。バタフライエフェクトって言った方がいいのか、まあなんでもいい。この先に起こるすべての行動には帰結する部分っていうのがあって、その場所に行くまでの間は無限に分岐できるってこと。よくある未来は未だ来ていないからこそ広がるっていう仮説みたいな話だけどね」
「・・・つまりあなたが言いたいのは無数にある未来を全部捨てて、一本の道にするのが最終保険ってことですか」
「概ねそういうこと。何か忘れたとしてもとりあえずこれだけは押さえておいてくれ」
「では、何故自死なのです?無いものが先に潰れたとしても今を生きる自分には全く関係が無いのでは?」
「ちーがーう。死ってのは零じゃない負だ。そうじゃなきゃリビングデットだのノスフェラトゥだのの意味合いが違ってくる。アイツラが零の存在だって言うなら誰も存在を記すことは出来ない。そうだろ?」
「・・・はぁ」
「単純な話。始点と終点をお固い言葉で取り繕ってるだけだ。始点と終点があるからこそ色んな道が出来る。電車だってそうだろ?山手線っていう例外はあるが、基本は始点と終点が決まっているんだ」
「なんか段々本題から逸れてるような・・・」
「いいや、この説明はちゃんと理解しなきゃいけない。さもなければ、私はあんたの前に契約違反で現れないといけないからな」
「そうなると・・・どうなるんです?」
「うーん・・・それはその時次第になるかな。で、話を戻すと始点から出る行動全てを捨てないといけなくなる。これがどういう意味か分かるか?」
「・・・・いいえ」
「行動として考えなくなる」
「それは良いことなのでは?」
「馬鹿言え。人間は考える葦だってパスカルが言ったぐらい人は考えるのをやめられない生き物なんだ。考え無しに動くのと考えが無いで動くのじゃ訳が違う」
「なんか頭が痛くなって来たな・・・」
「それぐらいこの契約が重要なもんだってことだ。普通の保険屋はその契約を金だけの安い契約として見せかける。不安っていうセットを仕込んでな。でも私が売ってる最終保険は一度買えば外れる未来が無くなる絶対予知の未来なんだ。だから私は身を隠して、この保険を都市伝説のようにしている。アホな金持ちが大量に金を積んで情報をばらまかないようにするために、な」
「・・・待ってください。それなら何故あなたはそんなものを売るのですか?仕事だとしてもリスクが高すぎると思うのですが」
「はっはっは、何をおっしゃるウサギさん。これもまた契約なんだよ、お客さん」
「それは、どういう―――」
「これ以上は言いません。聞いたら最終保険を無理矢理買わせないといけなくなる。それは嫌でしょう?」
「・・・・・・・・・・・・・」
「だから私は始める前に何度でも忠告します。これが一体どれだけの価値を与えて失わせるのか。そしてあんたがそれでも揺らぐことが無いのなら心を鬼にして敢えてこう言います」
「契約は守れ、それが唯一の絶対的真理なのだから」
目の前の男は非常に分かりやすく動揺している。先程まで清廉潔白の美青年のような空気を醸し出してはいたが、それが仮面だったと言わんばかりに眉間に皺を寄せて憎悪の目をこちらに向けている。
「ふ、ふざけんな!何が契約違反だ、そんなこと知るわけ――――」
「いいや、あんたはちゃんと違反した。この中にいる証人たちもキッチリ違反しているのを目撃している」
「証人たち・・・?ハッ、そんな奴らいる訳が」
そうか、見えないか。悲しいことにこの男には手に入れたであろう罪悪感は無いらしい。罪悪感の一つや二つ持ってれば日本人特有の情状酌量の余地で多少は・・・・いや、無いな。うちでは情状酌量一銭の価値もない。
「米澤陽射、いや名前を変える前は江頭灯早士だったな。『ye』で『いぇ』って変換されちまうからややこしんだよな」
「・・・・!?何故俺の旧姓を!?」
やっぱりか。コイツは生来の人格で違反を犯したらしい。折角これまで生きた本当の記憶、これから生きる未来を担保にしたのに、環境に刻まれてしまったものには抗えなかったというのか。なんとも悲しい。
馬鹿馬鹿しい。折角最終保険の契約者の一人から過去を聞き出して、中で亡くなった人たち全員の言質も取り、ついでに警察の知り合いにも連絡を取って万が一逃げ出した時のために準備までしているのに。
「はぁ~・・・取り越し苦労か・・・。やる気なくすわー・・・・」
なんというかここまで一日で用意した疲労感がドッときた。
(もういいか)
片手を上げて、合図を出す。
ごおっという強い風が吹き、辺りの木々が大きく揺れた。
「な、なんだ・・・!?」
「う、うわあああああ!!こ、こいつら一体!?」
先程女の子を追いかけまわしていた連中の前にはたくさんの影が現れた。人の形をして目だけを残した影が。
「あーみなさん。彼らは悪いやつらですけど、殺すのはダメですよー?手酷い精神汚染なら構いませんけど、メンタル壊して廃人コースとか自殺者コースに入ったら元は取れませんし」
「・・・お前ぇ!!」
どうやら江頭が私の存在をはっきりと理解し始めたらしい。どの程度までの理解かは分からないが、自分たちに味方してくれる第三者ではないことは知覚してもらったようだ。
「助けに行かなくていいのかい?仲間、なんだろう?」
「あ、あんな奴ら仲間な訳が―――」
それもすでに嘘だということは分かっている。証人たちのほとんどが彼らを追跡し、何度も呪い、そして最終保険によって守られていた。
(江頭灯早士、コイツの最終保険の契約内容は悪霊からの守護)
突然変異で霊能力が覚醒、なんというのは漫画でもよくある。だが江頭家においては霊能力が高いというのは普通のことであった。別に高名な陰陽師の家系とかそういうものではない、生まれ付いた場所、環境、そして取り囲む世界によって一般では近く出来ない能力というものは花開く。江頭家はまさにその条件にぴったりと合致しただけの一般の家庭だった。
父親は占い師、母親は敏腕トレーダー。江頭灯早士はそんな二人から生まれた。住んでいたのは両親の希望もあって、何不自由なこともない田舎町。電車も時間はかかるが都会にすぐ行けたし、スーパーや商店街も割とあり、地域との交流もある。ただ不自然だったのはそこに信仰が根付いていたということだけ。
信仰と言っても数はあるが、この場所にあったのは土着信仰、それも質の悪い悪神を祀る場所だった。
別に両親がそんな宗教に入っている、というわけでは無かった。風水とか星の巡りの結果で二人と相性がいい場所の内の一つにたまたまあったというだけ。人生に一回はある、確実に選んではいけないタイミングを2人揃って同時期に踏んだだけなのだ。悪意は無い。その結果が江頭灯早士にいるはずのないものを知覚出来る能力を与えた。
いつ頃から見えたのは定かではない。だが物心つく頃には見えていた。で、悪神の周りにいるモノが良いものであるはずもなかった。後はお察しの通りだ。幼い彼は見事に染められた。悪という色に。
彼の精神は歪んでいた。私の前に来た時には善悪の価値が逆転しているほどに。普通ならどこかでその歪みが爆発するのだが、彼の両親が元々不確実を生業にしていたこともあって歪んではいたものの、特に気にされることもなかった。これが幼い彼にストレスを溜めさせなかった。だが問題は年を重ねて知見も広がりある程度物事を受け入れることを身に着けた年、大学生になった時だった。
(もしかして、故郷にいたものって結構ヤバかったのでは?)
ここで彼は自分の中に起きた爆発に耐えきれなかった。本来なら年を重ねる段階のどこかで爆発しなければいけないものが、一気に流れ込んできたのだ。普通の精神力で耐えられるはずがない。
彼は何日も原因不明の高熱と悪夢を見続けた。気持ち悪さも抑えきれなかったし、ストレスで白髪になったり円形脱毛症になった。そして周りから聞こえる声が全部怨嗟の声だと気が付くとより一層苛烈に彼を襲った。それだけ自分が積み上げた悪意の重さを彼は理解していなかった。
善悪の砂時計がひっくり返った。初めて私のところに来た彼は20代とは思わない程やつれて禿げた骸骨一歩手前みたいな状態だった。
「砂は一個一個を見ると軽くて小さいけど、水には沈むぐらい重いし原子レベルで見ると大きいのもある。全部が価値観だった。ひっくり返して落ちてきた砂が全部、悪の価値観だった。その中をまるで海で泳ぐように過ごしていたことがある?」
私は彼を深くは知らない。だが、自分の人生のほとんどが糞尿にまみれた気持ち悪さを孕んでいたことは分かる。
「それで、最終保険に入るのかい?正直君はあと何十年も君自身と向き合わなきゃいけない気がするが」
「嫌だ、もう嫌なんだ!!俺はもう、あんな気持ち悪いところで生きたくない!生きていたくもない!!生きていたという思い出も、記憶も全部捨てて新しい善良な世界で生きていきたい!!」
彼の声は真剣そのものだった。情で訴えるとかいう演技も微塵も無かった。感情ではなく、わずかに残った人間性でどうにか答えていると感じた。
だから私は彼に最終保険を渡した。契約内容は『悪霊からの守護』、代償は『これまでの名前以外の記憶と体験したことによる経験値にこれから来るであろう未来のほとんど』、契約条件は――――
「契約条件は『自身が信奉されないこと』だ。これを守らない場合は、君から最終保険を剝奪する」
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