100均で始まる恋もある

三森のらん

文字の大きさ
4 / 108
2.印鑑

04

しおりを挟む
 今日は昼からのシフトで、1時間休憩した後、閉店まで入ることになっていた。
 昼のシフトは、たまにしか入らない。今日は以前から、教授が学会の予定で休講になるのがわかってたのもあって、シフトを入れていた。

「あれ~、濱田くん、珍しいね」

 オープンから昼までのシフトに入ってるおばさんと、交代する時に声をかけられた。実際、滅多に会わないから、声をかけられても、顔と名前が一致することは稀だ。
 胸についている名札を見て、ああ、あの人か、と思い出すくらい。むしろ、おばさんのほうが僕のことを覚えていることに驚きを隠せない。

「あ、はい……お久しぶりです」

 僕はこう見えて、けっこう人見知りしてしまうタイプなので、接客の時でもないと、あまり人と積極的には話すのが得意ではない。
 だけど、ここで働いているおばさんたちは、けっこうおしゃべりな人が多いから、おばさんたちのほうから話しかけてくることのほうが多い。
 そのたびに、情けないけど、僕のほうがビビってる。

「じゃ、頑張ってね~」

 元気に帰っていくおばさんの背中を見送りながら、僕はレジに入る。
 昼間と、夕方から夜にかけての客層は、あまり変わらない気がしたけれど、思ってたよりも領収書を求めるお客さんが多いことに驚いた。夜のお客さんでも、領収書、と言われることもあるけれど、こう立て続けにもとめられることはない。
 店が駅ビルに入っているせいか、駅前にあるいくつかのビルに企業が入っているのだろう。そういう関係もあって、仕事の合間に買い物に来ている人が多いのかもしれない。
 そのお客さんの中に、あの酒のつまみを買っていくおじさんの姿を見つけてしまった。まさか、こんな時間に会うとは思わなかった。
 今日は昼間のせいなのか、おじさんは金曜日の夜に見かけるほどには、疲れているようには見えない。

「いらっしゃいませ」

 僕はいつも通りに声をかけた。
 そんな僕に気づいたのか、片方の眉をピクリと動かしたけれど、何も言わずに掌にのっていたものを僕に差し出した。それは印鑑だった。
 おじさんは首からカードホルダーを下げている。

『 山本 崇(ヤマモトタカシ) 』

 会社の名前と部署も書いてあるけれど、僕は名前のほうが気になった。そうか、『山本さん』って言うんだ。

「印鑑は、交換や返品はできませんが、よろしいですか?」

 渡されたのはシャチハタタイプ。彫られている名前は、やっぱり『山本』さんだ。
 チラッとおじさんのほうを見ると、軽く頷くだけ。 僕は小さな紙袋に印鑑を入れると、おじさんに手渡そうと待機する。
 おじさんは財布から小銭を出すと、いつもならカルトンに放り投げるのに、今日は小銭を持った手を伸ばして来た。
 慌てて掌を広げると、その上に、ちょうどぴったりの金額が置かれた。

「ちょうどいただきます」

 なんだか、いつもと違う反応に僕は少しだけ驚きながら、小銭をレジに置いてから、印鑑の入った紙袋を渡した。
 おじさんは一瞬僕の顔を見たけれど、そのまま何も言わず、今日はレシートも受け取らずに、さっさと離れていった。

「ありがとうございました……」

僕の声は、おじさんの背中にも、きっと届かない。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

イケメンモデルと新人マネージャーが結ばれるまでの話

タタミ
BL
新坂真澄…27歳。トップモデル。端正な顔立ちと抜群のスタイルでブレイク中。瀬戸のことが好きだが、隠している。 瀬戸幸人…24歳。マネージャー。最近新坂の担当になった社会人2年目。新坂に仲良くしてもらって懐いているが、好意には気付いていない。 笹川尚也…27歳。チーフマネージャー。新坂とは学生時代からの友人関係。新坂のことは大抵なんでも分かる。

竹本義兄弟の両片思い

佐倉海斗
BL
 高校一年の春、母親が再婚をした。義父には2歳上の引きこもりがちな連れ子の義兄がいた。初対面ではつれない態度だった義兄だった。最初は苦手意識があったのに、先輩に目を付けられて暴行されている時に助けられてから、苦手意識が変わっていった。それにより、少しずつ、関係が変わっていく。

Take On Me

マン太
BL
 親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。  初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。  岳とも次第に打ち解ける様になり…。    軽いノリのお話しを目指しています。  ※BLに分類していますが軽めです。  ※他サイトへも掲載しています。

エリート上司に完全に落とされるまで

琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。 彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。 そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。 社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

宵にまぎれて兎は回る

宇土為名
BL
高校3年の春、同級生の名取に告白した冬だったが名取にはあっさりと冗談だったことにされてしまう。それを否定することもなく卒業し手以来、冬は親友だった名取とは距離を置こうと一度も連絡を取らなかった。そして8年後、勤めている会社の取引先で転勤してきた名取と8年ぶりに再会を果たす。再会してすぐ名取は自身の結婚式に出席してくれと冬に頼んできた。はじめは断るつもりだった冬だが、名取の願いには弱く結局引き受けてしまう。そして式当日、幸せに溢れた雰囲気に疲れてしまった冬は式場の中庭で避難するように休憩した。いまだに思いを断ち切れていない自分の情けなさを反省していると、そこで別の式に出席している男と出会い…

オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?

中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」 そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。 しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は―― ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。 (……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ) ところが、初めての商談でその評価は一変する。 榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。 (仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな) ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり―― なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。 そして気づく。 「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」 煙草をくゆらせる仕草。 ネクタイを緩める無防備な姿。 そのたびに、陽翔の理性は削られていく。 「俺、もう待てないんで……」 ついに陽翔は榊を追い詰めるが―― 「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」 攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。 じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。 【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】 主任補佐として、ちゃんとせなあかん── そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。 春のすこし手前、まだ肌寒い季節。 新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。 風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。 何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。 拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。 年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。 これはまだ、恋になる“少し前”の物語。 関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。 (5月14日より連載開始)

地味メガネだと思ってた同僚が、眼鏡を外したら国宝級でした~無愛想な美人と、チャラ営業のすれ違い恋愛

中岡 始
BL
誰にも気づかれたくない。 誰の心にも触れたくない。 無表情と無関心を盾に、オフィスの隅で静かに生きる天王寺悠(てんのうじ・ゆう)。 その存在に、誰も興味を持たなかった――彼を除いて。 明るく人懐こい営業マン・梅田隼人(うめだ・はやと)は、 偶然見た「眼鏡を外した天王寺」の姿に、衝撃を受ける。 無機質な顔の奥に隠れていたのは、 誰よりも美しく、誰よりも脆い、ひとりの青年だった。 気づいてしまったから、もう目を逸らせない。 知りたくなったから、もう引き返せない。 すれ違いと無関心、 優しさと孤独、 微かな笑顔と、隠された心。 これは、 触れれば壊れそうな彼に、 それでも手を伸ばしてしまった、 不器用な男たちの恋のはなし。

処理中です...