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たゆたう目覚めに僕は一人
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泥のように眠ったのはいつぶりだろうか。
仕事に忙殺され短時間の睡眠を繰り返しても若さがそれを許していたが、乱暴に貪られた身体は休養を欲していたらしい。
夢と現を彷徨う意識が、覚醒を嫌がる。泣きすぎて腫れた瞼が痛み、鉛のように重い腰がそれを助長させていた。
目を開けることはできなかったが、ふと猫毛に指を通された気がした。優しい手が、壊れ物を扱うように要の髪を撫でる。指先から大切だと伝えられているようで、その慈しむような仕草に閉じた瞼から涙が零れる。
要の涙を見咎めた手の持ち主は、戸惑うように手を止めた。
(止めないで……もう何年も……オレは……)
温かい手を求めている。
頬に伝う涙を拭われる。その手が離れていく前に無意識に手を重ねると、閉ざした瞼の向こうで、息を飲む気配がした。
「……ごめんな」
それは、何に対する謝罪だろうか。確認したかったが、眠気に勝てず要は再び眠りの淵を漂った。
目を覚ました時、陽はすでに高く昇っていた。
瞼をさす日差しが嫌で、だるい腰を引きずって寝返りを打つと、リネンから香る匂いが海のように深くて違和感を覚える。これは以前、ベビーパウダーみたいだと泉に揶揄された自分の香りじゃない。
泉の香りだ。
そう頭が認識した瞬間、要はベッドから跳ね起きた。が、腰の鈍痛に呻き、もう一度ベッドに倒れこむ羽目になる。
柔らかいマットに受け止められた要は、充血した目を彷徨わせる。と、要は泉のベッドに一人寝かされていた。
自身のベッドはシーツが剥がされている。それだけで、昨夜自分と泉との間に起きた出来事を思い出し要は腕で目元を覆った。
その手首には、泉の執着を示すようにネクタイの痕が残っている。腰の鈍痛と不自然に折り曲げられた節々の痛み、そして尻の奥を広げられた違和感が、昨夜の出来事は変えようのない現実なのだと要に訴えた。
知らぬ間に泉に風呂に入れられたのか、体はしっかりと清められてパジャマまで着せられている。まだ体の奥に泉の脈動がある気がして真っすぐ立てる自信がなかったが、要は痛む身体をおしてフローリングに足をついた。
「……今、何時……」
壁にかかったクラシックなデザインの電波時計を見上げて、要は青ざめる。今日は午後からドラマの撮影、夜にはラジオの収録があったはずだ。それなのに時計の短針はすでに昼前の十一時を指している。
「……っ泉……」
思わず呟き、家の中の静けさに気付く。リビングからも、浴室からも、生活音一つしない。布ずれの音と息遣いはすべて、要のものだった。
不意にピロンと間抜けな音が鳴り、充電器に繋がれたスマホをベッドわきの小机から拾いあげる。
『別のスタッフと仕事に行くから、今日は寝てろ』
絵文字も丸もない、機嫌の読めないメールが泉から届いていた。脱力し、泉のベッドに座りこむ。
「今日、は……か」
(明日も、じゃないよね)
泉と肉体関係を持ってしまった以上、今までと同じようにはいられない。二人で住むには広すぎる家で、要は膝を抱えた。
泉をスカウトし、彼が無名の頃からずっと、ともに暮らしてきた。もちろん始めは金がなかったため、二人とも安い家賃のアパートに暮らしていたが、離れて暮らすという選択肢はなかった。それを泉が望んだからだ。
初対面こそ素っ気なく刺々しかった泉だが、すぐ懐くようになった。
あれは何故だったか。一匹オオカミで孤高で、皮肉屋で、意地悪そうに笑うのに、気がつけば猫のような気まぐれさで要の近くにいる。そんな泉を、要はとても大切に思っていた。生意気な弟がいたらこんな感じだろうかと、温かい気持ちになったりもした。
でも、泉は昨晩、要に好きだと告げた。
その言葉が真実なら、一体泉はいつから、同性の要を好意的な目で見ていたのだろう。
(落ちつけ、オレ……落ちつかないと……)
「水、飲もう……」
食欲はなかったが、喉は渇いている。それも昨晩、泉に喘がされたせいだと思うと頭を抱えたくなる。
泉によって枕元に置かれていた瓶底メガネをかけると、途端に目が小さくなった。
長い廊下を歩き、リビングに続く扉を開ける。モデルルームのように調理器具の揃った対面キッチンに入ったところで、要はシンクで水に浸かったボウルやフライパンに気付いた。
「……え……」
それから、キッチン越しに真っ黒なダイニングテーブルを眺める。そこにはこんがりときつね色をしたフレンチトーストが、要のお気に入りの白い皿に盛ってあった。
卵液をたっぷりと吸ったフカフカのフレンチトーストには、シナモンが苦手な要の為に、代わりのシュガーパウダーがたっぷりと粉雪のようにかかっている。
まさかと思い大型の冷蔵庫を開けると、ラップをかけたエビとアボカドのサラダがあった。
「何だよ、それ……。普段は頼んだって料理なんかしないくせに……」
泉は自炊ができるが、いつもは要に頼って料理をしなかった。する時といえば、要がクタクタに疲れている時や元気がない時、それからケンカをして仲直りのきっかけを探している時だけだ。
情報番組で料理コーナーを持てそうなほどの実力なのだから、たまには作ったらどうか、と要が言えば、泉は拗ねたように
「誰かが作ってくれる飯のが美味い」
と言っていた。
その言葉の端々に泉の孤独を垣間見た気がして、要は自分の料理なんかで泉が喜ぶなら、と作っていた。
人が人に料理を作るのは、誰かの幸せな笑顔が見たいからだ。
「……何だよ……。泣かせたのは、君だろ……」
泉なりの、罪滅ぼしのつもりだろうか。彼の不器用さに、乾いたはずの涙が再び要の幼い頬を濡らした。
仕事に忙殺され短時間の睡眠を繰り返しても若さがそれを許していたが、乱暴に貪られた身体は休養を欲していたらしい。
夢と現を彷徨う意識が、覚醒を嫌がる。泣きすぎて腫れた瞼が痛み、鉛のように重い腰がそれを助長させていた。
目を開けることはできなかったが、ふと猫毛に指を通された気がした。優しい手が、壊れ物を扱うように要の髪を撫でる。指先から大切だと伝えられているようで、その慈しむような仕草に閉じた瞼から涙が零れる。
要の涙を見咎めた手の持ち主は、戸惑うように手を止めた。
(止めないで……もう何年も……オレは……)
温かい手を求めている。
頬に伝う涙を拭われる。その手が離れていく前に無意識に手を重ねると、閉ざした瞼の向こうで、息を飲む気配がした。
「……ごめんな」
それは、何に対する謝罪だろうか。確認したかったが、眠気に勝てず要は再び眠りの淵を漂った。
目を覚ました時、陽はすでに高く昇っていた。
瞼をさす日差しが嫌で、だるい腰を引きずって寝返りを打つと、リネンから香る匂いが海のように深くて違和感を覚える。これは以前、ベビーパウダーみたいだと泉に揶揄された自分の香りじゃない。
泉の香りだ。
そう頭が認識した瞬間、要はベッドから跳ね起きた。が、腰の鈍痛に呻き、もう一度ベッドに倒れこむ羽目になる。
柔らかいマットに受け止められた要は、充血した目を彷徨わせる。と、要は泉のベッドに一人寝かされていた。
自身のベッドはシーツが剥がされている。それだけで、昨夜自分と泉との間に起きた出来事を思い出し要は腕で目元を覆った。
その手首には、泉の執着を示すようにネクタイの痕が残っている。腰の鈍痛と不自然に折り曲げられた節々の痛み、そして尻の奥を広げられた違和感が、昨夜の出来事は変えようのない現実なのだと要に訴えた。
知らぬ間に泉に風呂に入れられたのか、体はしっかりと清められてパジャマまで着せられている。まだ体の奥に泉の脈動がある気がして真っすぐ立てる自信がなかったが、要は痛む身体をおしてフローリングに足をついた。
「……今、何時……」
壁にかかったクラシックなデザインの電波時計を見上げて、要は青ざめる。今日は午後からドラマの撮影、夜にはラジオの収録があったはずだ。それなのに時計の短針はすでに昼前の十一時を指している。
「……っ泉……」
思わず呟き、家の中の静けさに気付く。リビングからも、浴室からも、生活音一つしない。布ずれの音と息遣いはすべて、要のものだった。
不意にピロンと間抜けな音が鳴り、充電器に繋がれたスマホをベッドわきの小机から拾いあげる。
『別のスタッフと仕事に行くから、今日は寝てろ』
絵文字も丸もない、機嫌の読めないメールが泉から届いていた。脱力し、泉のベッドに座りこむ。
「今日、は……か」
(明日も、じゃないよね)
泉と肉体関係を持ってしまった以上、今までと同じようにはいられない。二人で住むには広すぎる家で、要は膝を抱えた。
泉をスカウトし、彼が無名の頃からずっと、ともに暮らしてきた。もちろん始めは金がなかったため、二人とも安い家賃のアパートに暮らしていたが、離れて暮らすという選択肢はなかった。それを泉が望んだからだ。
初対面こそ素っ気なく刺々しかった泉だが、すぐ懐くようになった。
あれは何故だったか。一匹オオカミで孤高で、皮肉屋で、意地悪そうに笑うのに、気がつけば猫のような気まぐれさで要の近くにいる。そんな泉を、要はとても大切に思っていた。生意気な弟がいたらこんな感じだろうかと、温かい気持ちになったりもした。
でも、泉は昨晩、要に好きだと告げた。
その言葉が真実なら、一体泉はいつから、同性の要を好意的な目で見ていたのだろう。
(落ちつけ、オレ……落ちつかないと……)
「水、飲もう……」
食欲はなかったが、喉は渇いている。それも昨晩、泉に喘がされたせいだと思うと頭を抱えたくなる。
泉によって枕元に置かれていた瓶底メガネをかけると、途端に目が小さくなった。
長い廊下を歩き、リビングに続く扉を開ける。モデルルームのように調理器具の揃った対面キッチンに入ったところで、要はシンクで水に浸かったボウルやフライパンに気付いた。
「……え……」
それから、キッチン越しに真っ黒なダイニングテーブルを眺める。そこにはこんがりときつね色をしたフレンチトーストが、要のお気に入りの白い皿に盛ってあった。
卵液をたっぷりと吸ったフカフカのフレンチトーストには、シナモンが苦手な要の為に、代わりのシュガーパウダーがたっぷりと粉雪のようにかかっている。
まさかと思い大型の冷蔵庫を開けると、ラップをかけたエビとアボカドのサラダがあった。
「何だよ、それ……。普段は頼んだって料理なんかしないくせに……」
泉は自炊ができるが、いつもは要に頼って料理をしなかった。する時といえば、要がクタクタに疲れている時や元気がない時、それからケンカをして仲直りのきっかけを探している時だけだ。
情報番組で料理コーナーを持てそうなほどの実力なのだから、たまには作ったらどうか、と要が言えば、泉は拗ねたように
「誰かが作ってくれる飯のが美味い」
と言っていた。
その言葉の端々に泉の孤独を垣間見た気がして、要は自分の料理なんかで泉が喜ぶなら、と作っていた。
人が人に料理を作るのは、誰かの幸せな笑顔が見たいからだ。
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