あの恋人にしたい男ランキング1位の彼に溺愛されているのは、僕。

十帖

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今は君がいてくれる

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 六月に入り、竜胆のミュージックビデオの撮影が行われることになった。

 新曲の雰囲気に合わせたかのような霧雨が降る中、スタジオにはシャツにジーンズを身に着けた泉が、女優と監督と話し合っている。

 それを遠目に眺めてから、要はミュージックビデオのコンセプトが書かれた書類に目を落とした。

 テーマは禁じられた愛だ。兄妹愛か、もしくは不倫か――――……。その辺の解釈は視聴者に投げているが、隠れ家のようなアパートの一室で、シングルベッドの上で愛を確かめ合う二人。

 世界を切りとったような窓の向こうは曇天。雨粒が窓ガラスを濡らしていく灰色の世界で、隠れてしか愛し合えない閉塞的な二人の、破滅へ進んでいく姿を泉は女優と演じる。

 メガホンを取るのはノンフィクションやドキュメンタリー映画で定評のある五条伊織ごじょういおりだ。まだ三十代半ばだが、実力は折り紙付きの監督で、要も泉も彼の作品は好んで観ている。

 そして泉の相手役は新人なのだろう。月島亜美菜つきしまあみな、初めて名前を聞く女優だった。

「――――あくまで泉推し、か」

 泉の相手役に人気女優をキャスティングしなかったのは、その方が、泉が竜胆のミュージックビデオに出演するインパクトを世間へ強く与えられるためだろう。竜胆の曲の歌詞は男目線で描かれている。ならば泉を主軸に持ってきた方が、イメージにも合う。

 しかし新人の月島にも十分メリットのある仕事だ。泉の相手役となれば一気に知名度は跳ねあがるだろう。

 監督と泉に挟まれて上がり気味の月島は、何度も長い黒髪を耳にかけていた。

「撮影開始まで時間かかりそうだし、ドリンクでも用意しとくかな」

 車内のクーラーボックスに入れたままの泉のドリンクをとってこようと、要はセットを後にする。すれ違うスタッフに挨拶を交わしていると、前方でざわめきが起きた。

「何……?」

 建物の入り口から、マネージャーに傘を差させて入ってきたのは竜胆だった。ミュージックビデオにはもちろん竜胆の歌唱シーンもあるためなんらおかしくないが、要は竜胆の隣に立つ女性を見て心臓が止まるかと思った。

「……あっ」

 思わず手にしていた書類を落としてしまう。瞳孔が開き、鼓動が不規則な音を立てる。喉をギュッと絞めつけられるような圧迫感に襲われ、要は向かってくる女性から目が離せなくなった。

(何で、どうして、あの人が……)

 竜胆と談笑しながら歩く女性は、十五年ほど経っても以前の面影を残している。全身を高価な着物で固めた姿、高慢そうな縦じわの赤い唇、エステで磨き上げられた肌――――……。

 それは今から十五年ほど前、要の教育番組を打ち切りに追いこんだテレビ局の重役の奥方だった。

 苦労の一つもしたことがない彼女の「気に入らない」という一言だけで、要は芸能界を干されたのだ。

「……っ」

 どっと冷や汗が流れ、要は顔色を失った。全身が震えて、周りの音が遠い。どうして彼女がここにいるのか。何故、何で。

 要がいる場所はテレビ局内のスタジオではない。撮影のために借りた千駄ヶ谷の多目的スタジオだ。階によってアトリエや鉄骨の廃墟、キッチンや子供部屋などのセットが揃ったスタジオには、間違っても重役の妻がいるはずなどないのに。

「ごめんなさいね、竜胆ちゃん。ワガママきいてもらっちゃって」

 黒板を爪で引っかいたように不快な声だ。以前と変わらぬ声に、要は俯いたまま動けなくなる。今すぐ逃げだしたいのに、床に足が縫いとめられてしまったかのようだった。

「ああ、いいのよ。〇〇テレビの奥宮会長夫人たっての頼みとあらば、見学を断るわけにもいかないでしょ?」

「やだ。私、竜胆ちゃんとはお友達だと思っているのよ? 一泉の撮影を見学したいって言ったのも、友人のお願いだと思って叶えてくれたんでしょう?」

 相変わらず権力を笠に着て好き勝手しているらしい。傲慢さに吐き気がこみあげて、要はその場にうずくまりたくなった。

 動けない要の方へ、真っすぐに竜胆と奥宮夫人は向かってくる。先に要の存在に気づき、苦い顔をしたのは竜胆だった。先日の件を受けての反応だろう。しかし、竜胆の一瞬の機微を奥宮夫人は見落とさなかった。

 奥宮夫人の虫けらを見るような冷眼が、田舎くさい要を捉え、それから散らばった書類に向いた。

「あら……? 竜胆ちゃん、彼はなあに? こんなところで突っ立って。いやね、書類がバラバラよ?」

「ああ……ええと、彼は一泉くんのマネージャーよ。ちょっと……」

 早く拾いなさい、と含みを込めて竜胆が肘で要を小突く。誰よりも要自身が今すぐここから煙のように消えてしまいたかった。が、鎖で絡めとられたように動けない。心臓が耳の真横で脈打っている気がした。

「あ……っ」

 息が上がる。怖い、憎い、怖い。

 子供だった自分を打ちのめし、心の弱い母親の希望を砕いた相手が、目の前にいる。成長し彼女より一回り大きくなっても、要には彼女が空恐ろしかった。

 番組の打ち切りを告げられたあの日が蘇る。プロデューサーに泣いて取りすがる母親、要と決して目を合わせないスタッフ。慟哭の末に壊れてしまった母親は、青ざめた頬を涙に濡らして要に言った。

『……世の中に必要とされない貴方に、価値なんてないのよ』と。

 要の自己愛が薄い原因となった言葉だった。

「一泉のマネージャー? 彼が?」

 奥宮夫人の声が、ナイフのように要へ突き立てられる。凍てついた目が値踏みするように要を捉えた。それから奥宮夫人は、鼻白んだように告げる。

「話題の彼が見たくて来たのに、マネージャーがこんな鈍くさそうな子じゃ、一泉も期待できそうにないわね」

 ぞっと背筋が凍る。氷塊を飲んだような心地がして、要は蒼白な顔を上げた。まさか泉までこの女に才能を潰されるのでは?

(――――それはダメだ……!)

「あ、あの……っ」

 奥宮夫人と目を合わせて後悔する。華やかな牡丹の描かれた着物姿の彼女からは、蔑みしか感じない。しわの寄せられた鼻を袖で覆う彼女から、ひしひしと威圧を感じ、要は気圧されてしまった。

 足元が削り取られていくような心地がして、要はぐらつく。が、よろけた要の背中に、厚い胸板がぶつかった。ついで、安心するような石鹸の香りがふわりと漂う。

「あ……」

 要が振り返るより先に、泉の大きな手が要の肩を優しく抱いた。
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