あの恋人にしたい男ランキング1位の彼に溺愛されているのは、僕。

十帖

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まさか僕だけの彼なんて

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しかし、残念ながら状況は好転しなかった。

 要は奔走したが、予定していた生放送の泉の出演枠はなくなり、ドラマの降板が通達され、予定していたCMの契約も立ち消えた。

 芸能界ほど目に見えて盛衰が可視化された世界も少ないだろう。二年先まで真っ黒に予定が埋まっていたスケジュール帳には、ここ二日で大量のバツ印が引かれた。

「泉、準備はできた?」

 釈明会見には、表参道にあるイベントスペースを借りることになった。百人を収容できる会場には、すでに報道陣が三百人も詰めかけている。控室の外で泉の準備が整うのを待っていた要は、予定の時間が近づいたため扉の中を覗いた。

「今行く」

 清潔感溢れる真っ白なシャツと黒のスラックスを身に着けた泉は、ここ二日で頬に影が差した気がする。皮肉なことに無表情の泉は、バツグンに美しかった。

「嫌なこと言われると思う」

「ああ」

「意地悪な質問もされると思う」

「分かってる」

「腹は立ててもいいけど、表情には」

「出さない。俺はカメレオン俳優、だぜ?」

 ふっと薄く整った唇を歪め、泉は鳥の巣のような要の髪をかき混ぜる。内心憔悴しているはずなのに、周囲の目がある場所ではおくびにも出さないのが泉だ。

 事務所で捨てられた犬のような様子を見せていた泉と同一人物かと要は目を疑いたくなったが、わずかに力の入った肩が、泉が緊張していることを知らせた。

(ああやっぱり――……不安に思ってないはず、ないよね)

「泉はオレの希望だ」

 会見場に向かう道すがら、出し抜けに要は言った。

「……知ってる」

 いきなり何を言い出すのかと、泉は少し面食らった様子で言った。

「だから、オレ、怯えるのはもうやめる。泉がもし干されたらって考えて不安になるのはやめる。だってオレが何としても仕事を取ってくればいい話なんだから」

「要……」

「だから、言いたいことを言っておいで」

 要がそう言って笑うと、泉は今日初めて表情を崩した。

「……あの自己評価が低い、自称羽虫のイオチャンとは思えないな?」

「うるさいな。ああ、でもそれだけ憎まれ口が叩けるなら大丈夫だね」

「ああ……ん」

 廊下に人がいないことを確認し、泉は身を屈めて軽く要の唇を吸った。瞬きをする間に去っていった唇に茫然とした要は、スタスタと前を歩きだした泉に困惑した。

「……え、なん、人が元気づけたのに、何でこのタイミングでキスしたんだよ……?」

「好きだなと思ったからに決まってるだろ」

 悪びれた様子もなく言った泉の肩からは、力が抜けていた。





 午後一時に会見が始まると、登場した泉は一斉にカメラのフラッシュを浴びた。

 目が焼けるほどの光が瞬く中、泉は頭を下げる。その仕草一つでより多くのシャッターが切られた。会場の端で行く末を見守るしかできない要は、両手の指を組み合わせる。

 この釈明会見には多くのテレビ局のカメラや、ネット中継のカメラが回っている。泉の発言のすべてがリアルタイムで日本中に流れるのだ。彼の発言を一言一句漏らすまいとする気迫が記者たちから感じられた。

 いや、それだけではない。泉からいかに世間の目を引く反応を得るかという算段を記者たちが練っていることさえ、要には透けて見えるようだった。

 視線の先に佇む泉は、用意された長机に腰掛けることなく姿勢を正していた。そしてそのままマイクを手に取る。所作に無駄はなく、唇から零れた声に震えもなかった。

「この度は事件のことで各関係者の皆様、そしてファンの皆様に多大なご心配とご迷惑をおかけし、大変申し訳ございませんでした。本日は連日のニュースで報道されている事件の経緯を僕の口から説明させていただきたく、会見の場を用意しました」

 聞き手の心を落ち着けるような、冷静な声だ。

 さすが俳優というべきか。泉はこのような場でどういった態度や口調でいるべきかを心得ている。打算的な一面や、生意気な片鱗を見せればそこを世間や記者に突かれてしまう。泉はよく分かっていた。

 状況説明を終えると、ここで質疑応答の時間になった。無数の手が挙がる中、司会者が記者を指名していく。

「週刊〇〇の者です。一部では月島容疑者と一さんの恋愛関係のもつれによる事件との噂が立っていますが、そこのところは真実でしょうか?」

「事実ではありません。月島容疑者とは今回の仕事で初めてお会いしました」

「〇〇テレビです。ネットに出回っている動画で、一さんが月島容疑者に殴りかかろうとしているような姿が見受けられましたが、間違いありませんか?」

「……確かに、カッとなって彼女に暴力を振るおうとしたのは事実です」

 会場内がざわつき、再びシャッター音が激しくなった。

「結果的に暴力を振るわなかったとはいえ、見境をなくしたことは反省しています」

「普段から感情が抑えられないことがおありですか? 失礼ですが――――一さんは複雑な環境でお育ちですよね? ご両親がおらず、施設で育ったと聞いていますが?」

(泉の家庭環境と今回の事件に何の関係があるんだ……!)

 要は握りこぶしを作り記者を睨みつけた。しかしその肩を、遅れて現れた社長に掴まれる。

「ダメよイオちゃん、貴方が先に熱くなっちゃ」

「その仰りようでは」

 ややあって、泉は眉一つ動かさずに言った。

「両親に十分な愛情を注がれなかったから僕が暴力的であるかのように受け取れますが、それは関係ありません。どんな家庭環境で育とうとも、人を傷つけることなく立派に生活を送っている方は沢山いらっしゃいます。なので、これは僕がただ浅慮であったが故の愚行で、育ちは関係ありません。……僕のせいで偏見の目に晒されることになった方たちには、とても申し訳なく思います」

「育ちは関係ないと? 調べたところ一さんは――――施設でも何度も出戻りを繰り返しているようですが?」

「何が言いたいんだあの記者……!」

 要は憤った。泉にとっての苦い思い出を蒸し返す記者をそれこそ殴ってやりたかった。

「凶暴で手が付けられない子供だったから、里親が施設に送り返したのでは?」

「僕の過去は――――……隠しているわけではないので、お望みならいくらでも話しますが、今はそれが本筋ではないので、僕が暴力的な子供であったという点を否定するだけに留めたいと思います。僕は……」

 会見が始まってから初めて、泉が言いよどんだ。桃花眼を彷徨わせ、薄い唇を引き結ぶ。言うべきか言わざるべきかを悩んでいる様子だった。

 マイクを通し、すうっと泉の息遣いが会場に伝わる。泉の双眼がすし詰めになった記者を一瞥し、それから端に控える要を捉えた。

「泉……?」

「僕は、僕にとってもっとも大切な人であるマネージャーが襲われそうになったから、暴力的な行動を取ろうとしました。振り返ってみればあまりにも軽挙だったと思います。それによって各方面の方々にご迷惑をおかけするという考えが過ったにもかかわらず、僕は拳を握りました。そして始末に負えないのは……」

 目をむく要とピッタリ視線を合わせたまま、泉は断言した。

「僕は……俺はもしまたマネージャーが危険な目に遭ったら、きっと同じことをします」

 今日一番、会場がざわついた。手元のメモに何かを走り書きする音や、シャッター音が洪水のように鳴り響く。目を焼くフラッシュで視界がチカチカするにもかかわらず、要は泉から視線がそらせなかった。

「泉……」

 ざわめきの中にいるのに、要は自分の心音だけが大きく響いているような錯覚を受けた。胸元をぎゅうっと掻き抱く。この今にも弾けそうな心臓から湧き出る感情は何だろう。

 血潮が漲るような、甘くひどい毒を盛られたように朦朧とする感じは。

 翡翠の双眼に囚われて、石にされてしまいそうだと思う。マイクを力強く握り直した泉は、それまでの粛々とした雰囲気を拭いさり、眉を寄せて言った。

「人生に絶望していた俺に、あいつが希望をくれたんだ。あいつを傷つける奴は、誰であろうと許せない。それで芸能界に居られなくなるなら、それでもいい。けど……」

 絹糸のような前髪越し、まるで安らぎを手にしたように目元が和らいだ。

「あいつがそれを望まないから。俺にスターであり続けることをきっと望むから、だからこれからも、俺は芸能界でやっていきたいんです。本当に、身勝手で申し訳ありません。でもどうか、これからもチャンスをください」

 泉が再び頭を下げる。地面に頭がつきそうなほど深く。

 これは演技じゃない。演技ではない。演技ならばもっと綺麗に泉は頭を下げる。どうしたら相手に好感を持たれるのかを彼は熟知していて、そしてそれは生まれ育った環境が起因していて。それを芝居で突きつけられるたびに要は苦しくもなるし、過去を仕事に生かして昇華してしまう泉の才能に惹かれもした。

 でも、今の謝罪は違うのだ。世間からの評価を気にしたものではなく、泉の純然たる本音だ。

 彼は心から……。

「釈明会見を開けって言ったのに、これじゃただの、イオちゃんへ向けた公開プロポーズじゃない」

 呆れたように、でもどこか満足そうに首の後ろを掻きながら社長が呟く。要は沢山のレンズに囲まれた泉を茫然と見上げたまま、その場にへたりこんだ。

(ダメだ、オレ、もう――――……)

 この胸で花咲く感情が愛でないなら、何と名前をつければいいのだろう。





 同時刻、リアルタイムで配信された泉の釈明会見を別々の場所で目にするものが二人いた。

 一人は以前泉と仕事をしたばかりの五条監督だ。監督はテレビを切るなり、パソコンに向き合い、『五百蔵要』について検索をかける。それから無口な彼は、蓄えた顎髭を撫でてしばし考えこんだ。

「やっと見つけた。やっと――――……」

 サングラスの奥に潜む五条監督の瞳は、熱に浮かされていた。

 そしてもう一人会見に食いついたのは、杖をついた四十代の紳士だった。彼は胸ポケットからスマホを取り出し、電話をかける。

「一泉の過去について洗ってくれないか。ああ。マネージャーも含めて重点的に。一泉と仕事がしたい」

 別々の場所で、それぞれの思惑が動き出そうとしていた。
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