あの恋人にしたい男ランキング1位の彼に溺愛されているのは、僕。

十帖

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もう一度彼が輝くためなら

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 打ち合わせ場所に紙の擦れる音が響く。電話があってから二週間、要は泉と共に映画の企画書を手にし会議室の椅子にかけていた。

 事件から三週間が経ち、世の中はもうすっかりビルの隙間から入道雲が覗く季節になった。

「泉くんの半生を映画にしたいんだよ」

 紳士的な物腰で美作みまさか監督は言った。

 仕立てのいいジャケット姿の彼は、四十代半ばのまさに紳士だった。淡い色の髪は品よく掻きあげられ、意志の強い眉と理知的な瞳は女性受けがとてもいいだろう。映画監督というよりは大企業の重役と紹介された方がしっくりくる。いや、芸能人に引けを取らない華やかさすらある。

 温和そうな彼は指を組んだ手に顎を載せ、思慮深さを感じさせるしわの刻まれた目尻を下げた。

「もちろん、泉くんが過去をつまびらかにするのが嫌でなければ、だがね。それから五百蔵マネージャー……君も」

 流し目で言われ、要はドキリとした。生来の気の弱さが顔を覗かせ、不安げに問い返してしまう。

「お、オレですか……?」

「あの釈明会見で一番インパクトがあったのは泉の過去とマネージャーとの信頼関係だ。泉の半生を映画にする上で、君の存在は不可欠と言える」

「――――要を映画に出演させる気ですか?」

 それまで沈黙を貫いていた泉が尋ねた。美作は「できればそうしてほしいがね」と心地よく答えた。

「しかし、そこまで露骨にキャスティングすると、あの事件をこの映画のための話題作りと勘繰る人たちも出てくるだろう。それは本意ではないね。五百蔵くんの雰囲気にあった俳優を探すつもりだよ」

 要はほっとした。この前の撮影では悩む時間も惜しかったため撮影に応じたが、一度引退した身の人間がスクリーンに出るのは抵抗があったからだ。

 しかし、要が出ないならば映画化の話が立ち消えとなるなら、己の感情を無視して出演する気ではあったが。

「オ、オレなんかでよければ、過去なり、何なり聞いてください……。泉の起死回生のチャンスになるなら、オレは何でもします……!」

 分厚いメガネ越しに、要は真摯に訴えた。頭を勢いよく下げたことで机にゴンッと額をぶつける。その反動でメガネが外れてしまい、零れ落ちそうなくらい大きな要の杏眼があらわになった。

「ああっ、すみません、すみません! オレなんて粗相を……っ」

 靄がかかったようにぼやける視界の中、要は手探りで手元のメガネを探す。眼前で美作がクスリと笑う気配がし、「君は変わらないね」と言いながら要の顎を掬い上げた。

 瞬間、泉から鋭い威嚇の視線が美作へ飛ぶ。それは一瞬で潜められたが、美作はしわの寄った口元を引き上げてクスリと笑った。

「ほら、どうぞ」

「あ、ありがとうございます……すみません、オレなんて、ゴミなのに……」

 美作にメガネをかけてもらい、ようやく両眼がクリアになった要は恥ずかしさに肩を縮こまらせながら礼を言った。

「ゴミなんて言わないことだ。君はこのプロジェクトのキーになる人だよ」

「あ、え、ありがとうございます……っ」

 美作に優しくたしなめられ、要はもう一度礼を言う。いい人に仕事を振られてよかったと、要は心から感謝した。

 まずは泉の半生についての綿密な取材や脚本家との相談、製作費などの話を突き詰めていくことになった。打ち合わせがひと段落したところで、美作が隣の椅子に立てかけていた杖を手に立ちあがる。

 要が手を貸そうとしたが、美作は軽く手で制し断った。美作は足が悪いのか杖をついた監督としても有名だったが、多くの作品を手掛けた監督としても名を馳せていた。

「では、撮影の開始を楽しみにしているよ。予算の少ない貧乏映画だが、いい作品にしよう」

「……っはい! よろしくお願いします!!」

 部屋を後にする美作へ、要は折りたたみ携帯のように深々と頭を下げる。杖を突く音が遠のいていくと、泉は形のよい眉を片方吊り上げた。

「あのおっさん、足が悪いのか?」

「そうみたいだね」

「ふうん……」

「ふうん、じゃないよ! 泉、もっと感じよくして!」

 要は泉の白い頬をこれでもかと引っ張った。

「いつもはちゃんと感じよくしてただろう? 久しぶりだから勘が鈍った?」

「いや、単純にああいう紳士面したオッサンは好きじゃないだけだ」

「ええ? ねえ泉、オレたちにとって、これは起死回生のチャンスなんだよ! それとも……やっぱりドキュメンタリーは嫌だった……?」

 要にとってもそうだが、泉にとっては自身の過去を明らかにされるのは決して気分のよいものではないだろう。それを見世物にされるならなおさらだ。

 両親に捨てられ、孤独を背負ってきた彼がその過去と改めて向き合うのはひどく勇気がいることに違いない。

 そしてその過去が、大衆に受け入れられるとも分からないのに。

「もしも泉が乗り気じゃないなら、この仕事、断ってもいいよ……? オレ、別の仕事も頑張ってとってくるから……!」

 必死の形相で要が拳を握ると、泉は要のくしゃくしゃした髪を余計に乱した。

「蹴るわけないだろ? この業界に入った時から、自分の過去と向き合う覚悟くらいとっくにできてる」

「泉……」

「また俺の時代に戻してやる。見てろよ、要」

 不敵に笑う泉に、要の心臓は高鳴る。本当に、言葉一つだけで世の中を席巻してしまうほどの破壊力を持った彼なのだ。

 ここで埋もれさせはしないと、要は固く誓った。





 映画は低予算で組まれた。

 美作がメガホンを握ること、そして話題の泉の半生が映画化することは世の中に衝撃と話題を与えたが、問題児の泉が主演することにスポンサーとなってくれる企業は少なかったためだ。それでも口コミさえよければ、上映する映画館の館数を増やしていくことは可能だ。

 実際、口コミをもとに大ヒットを収めた映画だってある。

 ただ――――想像以上に、泉の過去は要の心を抉った。

「貴方が泉を気に入って引き取ったんじゃありませんか!」

「養子をとるにあたって見目がいい子を選んで何が悪い!? お前は泉とベッドで何をしていた!?」

「わ、私は――――この子の母です! 一緒に眠っていたっておかしくないでしょう?」

「泉を裸にしてか!? お前も裸で!?」

 贅を凝らした寝室に、怒声が響く。今よりも明るい金髪と碧眼を揺らした泉は、まだ小学校にも上がっていない。裕福な家庭に引き取られた彼は里親に愛されたが、その愛情の方向は歪んだものだった。

 まだ幼い泉の美貌に、あろうことか母親は夢中になり――――性の対象として見てしまったのだ。

 新しい母だと思っていた相手に体を撫でられ、あちこちに唇を寄せられる恐怖は泉に深い傷を残した。そしてしまいに里親は、五つにも満たない子供が大人を誘惑したとのたまうのだ。

「泉は悪魔だ! 我々は社会的地位もあり、周囲の尊敬を集める存在だったのに泉が妻を狂わせた!」

 身近な大人にそう罵られた泉が、施設に戻されることは必然で。そして、テレビの向こう側の要に救いを求めたのも当然と言えた。

「カット!」

 美作の張りのある声がカットをかける。次は高校生時代の泉のシーンだ。台本に視線を落としていた要は、気づかわしげに泉を見やった。

 泉はスタイリストに衣装の確認をされながら、幼少時代の泉を子役が演じているのを、見るともなしに見ていた。針金を通したようにツンと鼻の尖った横顔が相も変わらず美しい彼は、何を思っているのだろうか。

 身を切り売りしているようではないか。映画が完成すれば、己の膿んだ傷口を晒さねばならないなんて、どれほど苦い思いを噛みしめなければならない?

 傷ついてはいないだろうかと、要はそればかりが気になった。

「大丈夫だって言ってるだろ、要」

 オロオロと落ち着きのない要に気づいたのだろう。泉は気楽そうに言った。

「次は俺が要と出会うシーンだぜ? 懐かしむ気持ちで見とけよ?」

「う、うん……! 頑張ってね、泉!」

(すごいなぁ、泉は……)

 要は過去のトラウマを払拭するのに長い時間がかかった。しかも、泉の手を借りなければ絶対に無理だった。対して泉は、過去は過去だと割り切れる強さを持ち合わせている。それが要には眩しかった。

「驚いたな。泉くんは君の前だとあんなに人間みのある表情をするんだね」

 コッと杖を突きながら、美作が要の元へ寄ってきた。

「会見でも特別に君を大切に思っているようだったし。君も――――」

 要の分厚いメガネのブリッジを美作が下げ、要の表情があらわになった。

「泉くんの前では、緊張がほぐれるようだ」

「あ、ああああの」

「ほら、私の前ではやっぱりまた緊張してしまうようだね?」

 広い肩をすくめて美作が笑う。要はずれたメガネをかけ直しながら、頬を赤らめて言った。

「オレにとっても泉は特別、なんです」

「……そう」

「芸能界から干され希望をなくしていたオレに、泉は別の形で芸能界で戦う希望をくれた」

「それはすごいことだ」

 美作は力強く頷く。

「よければその辺をもっと掘り下げたいね。顔合わせの時にもお願いしたが、さらに詳しく聞きたいな――――……どうだろう? 今夜あたり、私の家で聞かせてくれないかな。ああ、もちろん、君が嫌ならばそのくだりは映画に出さないよ」

「美作監督の家で、ですか? あの、逆にオレなんかがお邪魔してもいいんですか……?」

「もちろん大歓迎さ。ああ、ぜひ泉くんも来てほしいね」

 心地よく言った美作に、要はちょっと迷った。

 仕事終わりに泉が美作の家に寄るだろうか。しかし、映画監督の自宅になんて中々お邪魔できることもないし、仕事で必要なことだ。

 要は泉を説得しようと思いつつ、了承した。
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