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第3章

第3章 世界へようこそ 10

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10 ヒンカ 

 クローリーと沙那は種苗商を訪れた。
 とはいってもシュレン商会の商館のような立派なものではなく、こじんまりとした個人商店だった。
 古びた木造の建屋で心持ち斜めに傾いていた。
 廃屋よりは少しマシというところだ。
 ハイナードは交易都市なので農業資材の小売店はあまり多くはない。
 その店を選らんだのは全くの偶然だった。
 沙那が屋台の食べ物に釣られまくるので、ぐるぐる回ったところにたまたま目に付いただけである。
 町外れにある小さなそのお店は近所の人たちから『まあま手広くやってるお店』という評判だった。

「ごめんくださーい」
 沙那はごく自然に暖簾を潜った。
 クローリーは目の前に垂れ下がる短いカーテンを不思議そうに眺めていた。
 なぜ布を垂らしているのかが判らない。
「わー……」
 田舎の香り。沙那はそう感じた。
 まさに田舎にある小さな個人商店とう風情だったのだ。
 細かく区分けされた木製の台が並ぶ様子はドラマのやアニメの中の駄菓子屋のようであった。
「これが種なのかなー……?」
 区分けされた台のマスの中には沙那には良くわからない様々な種が入っていた。
 彼女には野菜の種なのか朝顔の種なのかも区別はできない。
「変わった作りっスなー」
 入り口で躊躇していたクローリーも沙那に続いて入ってきた。
「種苗屋がこんなきちっとした店を構えてるのを見るのは初めてっスなー」
 きょろきょろと中を見回す。
 帝国では店を構えていることは少なく、行商人が運んでくるのを買うのがほとんどなのだ。

「いらっしゃーい」
 奥から声が聞こえた。
 沙那は店構えから何となく萎びたお婆ちゃんが出てくるのを予想した。
 が、現れたのは沙那と似たような年齢の少女だった。
 金髪の可愛らしいツインテールに紫色の瞳をしていた。
「うわ。むかつく」
 少女は沙那を見て呟いた。
 より正確には沙那の胸である。
 かなり大きな沙那の胸に比べて、少女の胸は凹凸に乏しかったのだ。
「何の用じゃ?おっぱいお化け」
 挑発的な口調だったが沙那は気にしなかった。
 馴れているし、今は買い物しに来たのだ。
「あ、あのねー。種とか種芋とかを買いに来たのー」
 
 沙那は蝋板に書いたメモを取り出す。
「えっとねー。ジャガイモとサツマイモとキャッサバの種芋とートマトの種と……」
 思いついたものを書いたメモを読み上げる。
 少女の表情が次第に渋くなる。
「……そっちの男を見るに、あんたら帝国の方から来たのじゃな?」
「うん」
 少女はますます訝しげな顔になった。
「カカオ豆なんて何するのじゃ?」
「ん?あー。……チョコレートとかチョコレートとか……ココアとか」
 大事なことなのだろうか。沙那は二度繰り返した。  
「……チョコ?じゃと?」
 少女の目が見開く。
 ココアなら百歩譲って、チョコレートという個体にした食べ方はこの世界にはない。
 少女は沙那をじっと睨む。
「そうか。エルフなんじゃな。ジャガイモは何とする?油で揚げるのか?」
「そーそー!フライドポテトー!」
 沙那は元気よく答えた。
 帝国語の表現では正確にはフライドポテトではなくフレンチフライになる。
 沙那はもちろんフレンチフライと発音している。
 そのことに少女は反応した。

「すると、あれじゃな?ワクドナルドのような」
 日本人である沙那にはワクドナルドではなく、ワーナウとしか聞こえないのだが沙那はちゃんと発音を理解していた。
「そー!あれ美味しいよねー!Lどころかシェアポテトのサイズにしたいくらいー!」
「……ほう?」
 少女は沙那をじっと睨んだ。
「おぬし。異世界召喚者ワタリじゃな?」
「え?」
「お?」
 クローリーと沙那は同時に驚いた。
 普通は沙那の髪の色を見て『エルフ』と思い、そう呼ぶのが当たり前なのだ。
 異世界召喚者ワタリとは魔法に精通していないと滅多には出てこない言葉なのだ。
「どうりでな。そういうものを欲しがるわけじゃ」
 少女はうんうんと頷いた。
「何で分かったんスかね?」
「そりゃ、妾も同じじゃからの」
「い?」
 少女は真剣な目でクローリーたちを見つめていた。
「妾も異世界から来たんじゃ。おそらくその娘と同じか、かなりよく似た世界じゃな」

「妾はヒンカ。……と呼ばれておる」
「え?」
「お?」
「それじゃあんたが、テリューって婆さんが言ってた……あれ?婆さんのはずじゃ?」 
 クローリーが眉を顰めた。
 クエスチョンマークが浮かびそうな表情だ。
「妾は確かに……いや。元々はそこな娘よりももっとナイスバディな美女であったのじゃ」
「へ?」
「……こほん。色々あって今はこんなナリじゃが……絶世の美女だったのじゃ」
「いや。オレたちは」
 クローリーが沙那を押しのけるように身を乗り出した。
「あんたに会いに来たんスよ」
「ほう?」
「クーローちゃーんー」
 沙那がもの凄い形相でクローリを睨んでいた。 
 押しのける時にクローリーの手が偶然とはいえ沙那の胸を掴んでいたのだ。
 沙那の拳が炸裂した。
「……ずいぶんとスケベな男じゃな」
「風評被害っス……」
 クローリーは殴られて涙目になっていた。


「っていうことで、できるならオレたちと一緒に来て色々手伝ってほしいんス」
「イヤじゃ」
 少女……ヒンカはにべもなかった。
「だいたい……そうだ。おぬしは何故その男に付いて行っておるのじゃ?」
「ん?」
 ヒンカに視線を向けられた沙那は一瞬戸惑った。
「それは……助けてもらった、から?」
「何で疑問形なんスか!?」
「なるほど。借りがあるのじゃな……」
 ヒンカは腕を組んで頷いた。
 合点がいったとでも言いたげだ。
「でも、それだけじゃないよー」
「ほう?」
「クロちゃんたちは良い人たちだからー」
 沙那が満面の笑みで答えた。
「……さっきはおぬしの胸を揉んでいたが?」
「揉んでねーっス」
「……クロちゃんはちょっとえっちだけどねー」
「違ぇーっス」
 クローリーはエロキャラに認定されたくはなかった。
「つまり一緒に行くと妾も夜な夜なえっちなことされ……」
「しねーっス!」
「冗談はともかく」
 ヒンカはぴしゃりと言った。
「品物は全部用意してやる。だが一緒にはいかないのじゃ」
  
「そりゃ何でスか?」
「妾は戦うことも魔法も使えぬぞ?」
 帝国では異世界召喚者ワタリは戦闘力としてしか見ていない。
 戦う力の無い者は、以前の沙那のように捨てられるのが当然だった。
「あー。……そういうのは期待してねーっス」
「ならば、すけべえがしたいんじゃな?」
「そーそー。……じゃ、ねえっス!知恵を貸して貰いたいんスよ」
 クローリーは慌てて否定した。
 彼はあくまでも領民を少し豊かにしたいだけなのである。
「ちょっとばかり便利で、その日の食事に困らないような世の中を作りたいだけっス」
「……ふん」
 ヒンカは眉を顰めた。
「言うじゃないか。たかだか旅行者か商人っていう程度で何ができると思うのじゃ?」

 クローリーは自分の浅慮を素直に恥じた。
 身分を伏せている以上は、そう思われても仕方が無い。
「まあ……自分の家族やご近所から何とかしていく?って感じで考えてるっス」
 暫し迷った挙句とぼけることにした。
「ふん」
 ヒンカはヒンカでクローリーの思惑が判らない。
 古い知り合いの名前が出たので興味は惹かれたが、それだけだ。
 同じ異世界召喚者ワタリの少女を連れていることも引っかかった。
 これで沙那が平凡な容姿であったのならまだしも、巨乳の美少女ではなんだか疑わしい。
 恩を売って連れ歩いているのではないかと思える。
 なにより、クローリーの捻ねた雰囲気を与える垂れ目は印象があまり良くない。

「ま。うちで商っているモノはちゃんと都合してやるさ。それだけじゃ」
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