上 下
94 / 129
第7章 空島世界

第7章 空島世界 12~戦禍の足音

しおりを挟む
第7章 空島世界 12~戦禍の足音


●S-1:空島世界ライラナー

 空島都市ライラナーにエーギル号が辿り着いたのはかなり幸運だった。
 ドラゴンの襲撃を受けてなお逃走に徹したためだったかもしれない。
 一旦、戦端を開くと撤退や逃走はなかなかに難しいのだ。
 気嚢のあちこちに焦げ跡が残り、推進機も一基が停まってしまっていたが致命的な被害はない。
 アイリの判断はまず正しかったといって良かった。
 
 エーギル号が入港すると多くの作業員が集まってきた。
 一様に驚いた表情だった。
「すげえ。突破してきたのか」
「被害が少ないな」
「いやあ。戻って来てくれて良かった」
 口々に喜びを表していた。

「……どういうことだ?」
 タラップを若々しい機敏な足取りで降りて来たアイリは不思議そうに辺りを見た。
 空気、というよりも雰囲気が尋常ではない。
「何があった……?」
 ともかくも出頭するのが先だ。
 飛行靴の足音も高く廊下を速足で進んでいった。


「よくぞ無事に還ってきてくれた!」
 長官室に向かうと、いつもなら椅子に座ったままのハウプトマンが立ち上がってアイリを出迎えた。
「半分諦めていたのだが」
 心底安心したような顔だ。
 思っていたよりも部下を心配する人間味はあったのかとアイリは思った。

「は。状況が不明なため、交戦せずに一刻も早く帰還すべきと考えました」
「……そうか」
 ハウプトマンは小さく頷く。
 彼は若い女性であるアイリのような指揮官に好意的ではなかったのだが、人事の正しさを確認した。
 得てして上昇志向の強い女性は好戦的過ぎるという思いがある。
 自己肯定よりも周囲からの評価を得るために何かと男性的であろうと振舞いがちだ。
 彼はアイリにもその傾向があると考えていたのだが、どうやら杞憂のようだった。

「すでに戦闘艦3隻の他に商船を6隻も失っている。当たり次第に襲撃を受けているようなのだ」
「……9隻も?」
 これにはアイリも目を剥いた。
 空島のエルフたちにとって飛行船は生活の糧であり生命線である。
 1隻1隻が貴重品であり、必要な物資を運んでいるのだ。
 戦闘艦ならまだしも商船が失われるのはあまりにも大きい。
 限られた土地しかない空島では全てが貴重だ。
 そして、失われた命は更に貴重だ。
 エルフはそう多くはないのである。

「近年は関係がぎくしゃくしていたとはいえ……聊か事態が急変し過ぎではありませんか?」
「……ルゥを送り届けるのが遅すぎたのやも知れぬな」
 ハウプトマンが溜息を吐いた。
「事がここに至っては全軍に戦闘準備をさせ、本国へ援軍を要請すべきだろうな」

「お待ちください!」

 これは管理官のコンコードだ。
 アイリ同様に女性だが穏やかで落ち着いた印象のある艦所が蒼白な顔をしていた。
「今一度、調査を徹底すべきです」

「……何をだね?ドラゴンどもは一方的にこちらに攻撃を仕掛けて来たのだぞ?」
 ハウプトマンは鼻白んだ。
「他に原因があるはずです」
「……こちらの融和的な姿勢がドラゴンどもを増長させたのかもしれんぞ?」
「それはありえません」
 コンコードは退かなかった。
「絶対数が少ないドラゴンたちがエルフとの全面戦争に出るはずがないのです」
「……何を根拠に……?」

「マヨール・アイリ、報告します。地上でのことなのですが……」
 アイリは地上で起きたドラゴンの幼生インファントの串刺し死体の件について説明を始めた。



●S-2:男爵領/大工房

 クローリーはすっかり変貌してしまった大工房を訪れていた。
 最初のころはガイウス率いるドワーフ工房を拡大しただけのものだったが、今では造船所を併設したり、蒸気機関によるプレス機械が設置されたり、あまつさえ巨大な格納庫と言える飛行船の組み立て工場まで作られていた。
 ありあわせの材料で組み上げられたものとはいえ、屋根のある広大な工場は帝国世界では考えもできないものだった。
 基本的には家内制手工業が当たり前の世界なのだ。
 異世界召喚魔法儀式のような大規模なものは滅多に見ない。

 それもこれも異世界召喚者ワタリたちの尽力によるものだった。
 もはや彼らをエルフと呼んで良いものか迷うところではあるのだが、帝国での一般的な呼称はそうは変わらないものだ。
 クローリーにとって彼らが持ち込む『科学』は興味と研究の対象であったが、それに少し変化が起きていた。
 飛行船がそうだ。
 『科学』と『魔術』の融合とも言うべきものだった。

 それはどちらが優れているとか劣っているとかではない。
 全く異なった文化の融合した姿だった。
 元々は空島世界のエルフの技術であることは確かだ。
 しかし、今、目の前で組み上げられつつある飛行船は空島のそれとも違っていた。
 クローリーが持つ帝国世界の魔術と、沙那たち異世界召喚者ワタリたちの科学と、空島世界の『魔器術』ともいえる不思議な技術の良いところ取りのようなものなのだ。

「なんつーか。これって異文明の邂逅って感じっスなー……」

 かつてクローリーが目指した魔術を一般化する便利な世界に近い。
 高度な技術を庶民にも還元できるようになるという彼の理想の姿に似ているのかもしれない。

「これなら馬車よりも便利に郵便物を運べそうっスな」

 そんな感想を持つところが、最初に手掛けた事業が安定した郵便馬車制度というクローリーらしかった。


「航空郵便が便利なのは確かだ」
 クローリーの背後から声がした。
 腰に細剣レイピアを下げた美少女ルシエだった。
 大き目のベレー帽を載せた頭からふさふさの犬耳がぴょこぴょこと見える。
 最近はあまり隠す気が無いようだった。
「私の世界でもかつては盛んに飛行機械で郵便を行っていたそうだ」

「へぇ。やっぱ異世界でも考えることは同じなんスかね」
「そうだな」
 ルシエは小さく頷く。
「何よりも知性……じゃない。精神性というか……心的作用メンタリティが近いせいかもしれない」

「……そういえば、そうっスな」
 クローリーはあいまいに答えた。
 不思議に思ったのだ。
 何故複数の世界から集まったはずの沙那やルシエやその他と、クローリーたちの感覚に差がないのかを。
「善性、悪性……色んな感情がわりと似てるっスな」

「全く。不思議だ。だが、それ故に助かってもいる」
「そーなんスか?」
「ああ。会話が成立するだけでもありがたい」
 ルシエはちらりとクローリーを見た。
 メンタリティが違い過ぎればそもそも意思疎通すらできないかもしれないのだ。
 いきなり戦いになってもおかしくはない。 
 異文化の出会いは多くの場合で悲劇的な展開になりやすいものなのだ。
 沙那の世界でもかつてヨーロッパ人がアメリカ大陸に辿り着いた時、凄惨な略奪があった。
 
「少し都合が良過ぎるくらいなのだが、何か理由があっても良さそうだ」
「そんなもんスかね」
 クローリーは大きく伸びをした。
「それは私よりもクローリー卿の研究に期待したい」
「ちょ。こっちに振るんスか?」
「それはそうだ。異世界召喚なんて魔術は私たちの世界にはなかった。沙那たちもそう言っていた。ならば、そちらの研究の範疇だと思う」

「そっスかー」
 クローリーは首を捻る。
 そういえば異世界召喚魔法の儀式は誰がどうやって何時頃に編みだしたものだろう。
 今まで深く考えたことはなかった。
 それがあるということだけは魔術学院で学んではいたのだが。
「なんか面倒な宿題を出された気がするっスなー」

「……と、そうだ。ルシエさんは何でここに来てるんスか?」
 クローリーは思い出したように訊いた。
 ルシエはスカーレット号での航海をしていることがほとんどで大工房にはめったに顔を出さないからだ。
「ああ。それは、これ」
 ルシエは視線で飛行船を示す。
「船に慣れてるなら私に。ということで飛行船を任せたいとガイウスに頼まれた」

「へー。シップっていうから同じって安直っスなあ」
「いや」
 ルシエは首を小さく横に振った。
「空を飛ぶ方が本来の私の仕事だった」
「へ?」
 クローリーがルシエをまじまじと見る。

「不思議か?私の世界にも飛行機械は多数あった。空島とはだいぶ違うが」
「そーだったんスか!?」
「船の航海とも共通点が多いから問題はない」
 クローリーは驚いた。
 沙那や賢者セージからも飛行機の話は聞いていたが、他の世界にも存在しているとは思ってもいなかった。
「飛行機械で別の大陸へ移動するのは普通の行為だったよ」
「それは凄い話っスなあ」

「不思議なことじゃない。誰でも空を自由に飛べるようになれば色んなことをするだろう。もちろん悪用もだが」



●S-3:男爵邸

「うー!腹立つ―!」
 沙那は腕をぐるぐると振り回した。
「子供は勉強することと遊ぶことが仕事なのに―!」
 その姿の方がよほど子供の様だった。

「まぁまぁ。落ちついて」 
 マリエッラが沙那をよしよしした。
「農民の家庭では子供が手伝いするのは普通なのよぉ」
「うー?」
 沙那が恨みがましそうな眼でマリエッラを見上げる。

「畑仕事は大変なのよぉ。力仕事ばかりじゃなくて色んな雑用があって」
「でもーでもー」
 膨れる沙那にマリエッラは微笑みかける。
 人々がみんな沙那の様だったら世界は平和だろう。
 姉ルチアや自分のような人間が怯えて過ごすこともないのだろう。
「そういう優しさがみんなに伝わると良いわねぇ」

「ボクは優しいわけじゃないよー」
 沙那の鼻息は荒い。
「ボクが親だったらね!子供には少しでも自分より良い生活をさせたいって思うから!」
「……そうね」
 その真っ直ぐさがマリエッラには眩しい。
 
「昨日より今日、今日より明後日……」
 マリエッラは考えてしまう。
 奪い奪われるのが常の世の中で明るい未来を見ようとできることが羨ましかった。
「そういう希望のある国ができると良いわねぇ」

 そうだった。
 彼女はクローリーとシュラハトにそれを感じたから一緒にいたのだ」。
 この娘たちがいれば男爵領は更に住みやすくなっていくのかもしれない。

「そうねぇ。各農家ごとに牛や馬のような家畜を持たせることが出来れば……子供たちの農作業は減ったり楽になったりするかもねぇ」
「牛?馬?」
 沙那が不思議そうにマリエッラを見る。
「重いものを運ぶ荷車を牽いたり、土を掘り起こしたりするのに人より力があるもの」
「……あ。そっかー」
 沙那が人差し指を立てる。 
 
「トラクターだ!」

「……トラクター?なぁに?それ」

「農業用のトラクターは荷車を牽いたり、畑を耕すことにも使ったりできる機械なのー」
「機械で……?」
「うん。蒸気機関でもあった気がするから、機関車よりも先に作るべきなのかもー!」
「でも……機械は高くない?高いと買えないわよぉ?」
「ならば、レンタル!クロちゃんの車輪印のトラクターを作って貸し出すのー!」

 マリエッラにはその機械が何かを想像することが出来ない。
 ただ牛馬の代わりになるなら便利なものなのだろう。

「でも―……先に冷蔵庫が欲しいなー。アイスとか食べたいよー」

「冷蔵庫?」
 相変わらず不思議な言葉を口にする少女をマリエッラはただ眺めるしかできなかった。



●S-4:男爵領郊外 
 
 ラベルはアレキサンダー男爵領に引き取られてから、やや手持無沙汰だった。
 衣食住が保証されているが何をすれば良いか思いつかなかったからである。
 そもそも自分が厚遇されている理由が判らない。
 ただ、周りを見ていると自分の知る世界の人間に近い沙那たちがいることを知った。

 もっとも戦乱の国から来た彼からすれば、みんなお気楽な連中にしか見えない。
 沙那は判る。
 日本は豊かで長閑な国と聞いていたので平和ボケでも仕方ないのだろう。
 大きな胸を揺らして生足を剥き出しにしている姿はいただけなかったが。
 ヘジャブで顔や体型を隠すべきだ。

 領内は基本的に田舎である。
 よくある地方の村のような光景だった。
 近代化されていない、電気もガスもなく……と思っていたら、ガスがあった。
 街灯にしか使われておらず、家庭に供給されていないが。
 電気も水路のあちこちに設置された発電機で実験的に運用が始まっていた。

 電話もインターネットもない。
 これはかなり不便に思われたが、彼は手持ちの携帯セルやスマートフォンを蛮族領で失っていた。
 水はふんだんにあるので彼の良く知る中央アジア的な風景とも違っていた。
 
『異世界』

 それを彼は素直に受け入れつつあった。
 夢ではないかと思いたいが、現実は常に非常なことを彼は良く知っていた。
 彼の生きていた国は革命でそれまで築き上げていたインフラも何もかも失われて、市民生活はひっ迫していた。
 邪悪な覇権国の経済封鎖で経済はボロボロである。
 人が簡単に殺される。
 子供が成人するまで生き延びられる確率もかなり低い。
 疫病が蔓延して未来は絶望的だった。
 彼はそんな社会を変革するために戦っていたが、陰謀の渦巻く世界でもはや何のために戦っているのかもわからなかった。
 そして、何の因果か気が付いたら蛮族領にいたのだった。

 訳の分からない怪物たちが徘徊する世界で奴隷として働きながら、人族の領域に辿り着いた時は嬉しかった。
 ただ問題があるとすれば、そこは彼の生きていた世界とは違うものだった。
 ありのままを受け入れるしあない。
 それが彼をこれまで生き永らえさせる秘訣だった。

「まるで千の物語ハザール・アフサ-ナのような世界だな」

 違うとすればところどころに散見される近代的な設備。
 上下水道も驚くべきことだが、工房からは石炭や薪を焚いた灰白色の煙が立ち上り、時折蒸気が吹き上げる様子も見える。
 まるで外国の奇想天外な映画やアニメのようなものだった。

 発砲音。

 ラベルは咄嗟に伏せた。
 身に沁み込んだ習慣だった。
 銃声が聞こえたら確認する前にすぐ伏せるのが生存のための常識だ。
 どこだ?どこだ?と辺りを見回すようでは次の銃撃で命を失いかねない。

 ただ、すぐに思い直した。
 音の種類が違うのだ。
 銃声というよりも花火や爆竹に近い。
 腰を落としながら音の方へゆっくりと近づく。
 いつもの彼の相棒であるAK-47カラシニコフがないのが心許ない。

 そして、彼が目にしたものはシュラハト配下の兵士たちの射撃訓練だった。
 兵士たちが手にしているのは博物館にでも飾りそうな骨董品であるマスケット銃だ。
 前装式で1発撃つごとに槊杖ラマーロッドで銃身から燃えカスをこそぎ落し、それから火薬と弾丸を装填するものだ。
 不思議な感じだが、一部には後装式ライフル銃もあるようだったが。

 しかし、何よりも。
 銃を使った戦い方になっていなかった。
 ラベルも職業軍人ではないから上手くは言えないが、戦列を組んでの一斉射撃は如何にも効率が悪く見えた。
 いや。マスケット銃ならそれで良いのか?
 射程は短く命中率も悪いからだ。
 むしろ、このような世界ならば初歩的な銃よりも弩弓クロスボウの方がずっと威力も射程も命中率も良いはずなのだ。
 なにより弩弓クロスボウの方が面倒な操作が少ない。
 訓練を受けていない民衆でもすぐに使える。

「なんでマスケット銃なんだ」

 現代アメリカ人であるヒンカもいるのに謎だった。
 技術的には粗雑な作りになるかもしれないが、知識的に機関銃や自動小銃を作ってもおかしくないのではないか。
 それが理解できない。
 知識があっても不可能な理由は……。

 ラベルはしばらく軍事調練を眺めていた。
 マスケット銃にしろライフル銃にしろ……火打石フリントロック式で着火していた。

「弾丸か!」

 異世界召喚者ワタリたちの誰もが戦闘訓練を受けたものでもなければ、技術者もいなかった。
 近代的な銃弾の構造を知らないのだろう。
 賢者セージなどは軍事マニアの気があるかもしれないが、スペックだけに詳しい小学生のようなものだ。
 銃は引き金を引けば撃てるという程度の感覚しかない。

雷管プライマーだな」

 進化した金属式薬莢には着火するための雷管プライマーが付いており、これを撃針ストライカーが叩くことで銃弾の火薬に着火するようになっている。
 ただ筒の中に火薬を詰めれば銃弾のでき上がりではないのだった。 
 火縄も火打石も使わないそれならば湿気や雨にも強い。
 ラベルの世界では常識で、自分で使用済みの薬莢を再利用することが当たり前だったからこそ構造に詳しかった。

「それと銃の戦い方を教えるのは俺でもできそうだ」

 ラベルはシュラハトに向かって声を掛けた。
 
しおりを挟む

処理中です...