先輩、いわくつきです!

コノハズク

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線香香る土産物

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俺は大神雄一、30才。
妻子にも恵まれ、平凡ながらも幸せな生活を送っている。
少なくとも、家の中では…。

「おはようございます…。」
この日は電車が遅れて、いつもより10分ほど遅れてしまった。
「すみません、遅れて…。」
部長は鷹揚に手を振った。
「いや、大丈夫だ。お前はいつも早いからな。」
「すみません、部長。」
この職場には転勤してきたばかりだが、そこそこの立ち位置を確保しているので仕事はしやすい。
問題があるのは…。
「大神君。」
来た!
「お、おはようございます先輩。」
隣のデスクの、和歌歩 陸という先輩だ。
いつでもオールバックに整えられた黒髪に、冷たい印象の銀縁眼鏡。本人曰く、伊達眼鏡だそう。
そして印象深いのは、右頬にある4cm程の切り傷である。最初に見たときはヤクザ崩れかと思ったが、それにしては華奢である。小指もちゃんとあるしな。
「今日は遅かったですね。」
「はい、電車が遅れてて。」
「ふうん…。」
先輩は興味なさげに頬杖をついた。
「まあ、君がいつ来ようと私には関係ありませんがね…。」
だったら聞くな!…とは思うが、そこは堪えて笑って誤魔化す。
「…ふん、いい気なもんですね。先輩である私より遅く来ておいてヘラヘラしていられるとは。」
思いきり気にしてんじゃねぇか!
「さて…。私はコーヒーでも淹れてきます。大神君はホットチョコレートか何かでいいですか?」
先輩が椅子から立ち上がって言った。
「俺がチョコレートで体調崩すの知ってますよね?」
「勿論です。」
「…。ホットミルクにしてください。」
先輩は何も言わず、ニヤリと笑って給湯室に向かった。因みに、断ると機嫌を損ねる。
…毎日こんな調子である。これだからみんなに変人呼ばわりされるのだ。
俺が先輩の後ろ姿を見送って溜息をつくと、声をかけられた。
「…大神さん。」
「ん?」
見ると、向かいのデスクの皆川 棗という女性社員がパソコンの間から手招きをしていた。
俺は席を立ち、彼女のデスクの側に寄った。
「何ですか?」
彼女は俺の耳元に顔を寄せると、囁いた。
「あんな背も器も小さい男、無視しちゃえばいいじゃない。大神さん優しいから、そこにつけ込んで虐められちゃうのよ。」
「はあ…。でも、悪い人じゃないんじゃないですか?」
皆川さんは腕を組んだ。
「大神さん、本当優しいのね。きっと大神さんが人気者だから、嫉妬でもしてるのよ。嫌な男よね…。大神さん、あの人と正反対ですもの。男らしい体格にダンディな顎髭…。素敵よね。」
「あ、あはは…。」
どう答えていいか分からず、苦笑いしたところに先輩が帰ってきた。
「あ、大神さん。戻った方がいいわよ。」
「あ、はい。」
急いで席に戻ると、先輩は俺のデスクの上に犬用の皿に入ったホットミルクを置いた。
「ぬるめにしておきましたよ。」
コーヒーを啜りながら、先輩は微笑した。
これもいつものこと。
俺はミルクの皿に顔を突っ込み、ほんのり暖かいミルクを舐めた。
うん、丁度いい温度だ。…って。
「せ、先輩っ!なんで犬用の皿なんですかっ!」
つい声を荒げても、先輩は済ました顔。
「犬用じゃありません。大神用ですよ。きちんと見てください。」
「え…?」
俺は皿の側面を見た。何か文字が彫られている。
『Yuichi.O』
……。
「特注ですよ。」
先輩はなぜか誇らしげに言った。
「昨日やっと届いたんです。大事に使ってくださいね。」
先輩はそれだけ言うと、パソコンに向き直った。
「お昼休みには散歩にでも行きましょうか。」
「うーん…。」
俺は皿に残った牛乳を舐めた。
…これが俺の先輩、和歌歩 陸だ。中々の変人っぷりだと思う。
後輩いじめとも違うし、かといって冗談でもなさそうなのだ。
俺は疑問に思いながらも、仕事である書類の作成に取り掛かった。

12時になった。昼休みの時間だ。
「大神さん。お昼どうするの?」
「ああ、皆川さん。えっと…。」
俺は先輩の席をちらと見遣った。
今はコーヒーカップと俺の牛乳皿を洗いに行っていて、彼は不在だ。
「もしかして、またあの男と?」
「あ、はい。さっき誘われちゃいまして。」
えー、と彼女は顔を顰めた。
「あんなのとの約束守るなんて、律儀ね!今ならいないから逃げ出せるのに。」
「はい…。約束は約束ですから。」
俺は少し舌を出した。
「大神さん、偉いわね。ワンちゃんみたい。」
「よく言われます。」
そこに、食器を洗い終えた先輩が帰ってきた。
「大神君。何をしているんです。」
「あ、すみません。…それじゃ、皆川さん。また。」
俺は小走りで先輩の元へ走った。

「先輩、いつも蕎麦で飽きません?」
「飽きませんね。」
「冬もざる蕎麦なんですか?」
「そうですよ。…あ、たまに天ざるです。」
俺逹は近所の蕎麦屋で昼食を摂っていた。
「君はほら、いつも肉か何かでしょう。たまにはこういう植物性のものを摂った方がいいですよ。」
「失礼な!俺、食べ物の好き嫌いはありませんよ。」
先輩はこちらを上目遣いに見た。
「その割には食べてはいけない物が多いですよね。チョコレートとかネギ類とか。」
「高校のときに突然駄目になっちゃったんです。一度バレンタインのチョコ食べて、病院送りになりましたから。」
「ほう…?」
先輩は嫌味な笑いを浮かべた。
「くれた彼女とは破局ですか?」
「いえ!今の家内ですよ。」
微かに舌打ちの音が聞こえた。
「こんな犬コロと付き合う女の顔が見てみたいですねぇ…。」
ぐっ…。い、いや、押さえて押さえて。
どうせ彼女のできない男の僻みだ。
「せ、先輩。食べ終わったなら帰りましょう。」
「ん?ああ、そうですねぇ…。」
爪楊枝をくわえ、彼は立ち上がった。
「大神君、お勘定お願いしますね。」
「えぇっ!お、俺ですか?二人分?」
「勿論。それじゃ。」
先輩はさっさと店を出て行った。
「あ、ちょっと先輩!」
「お客様、お勘定が…。」
「え?」
振り向くと、蕎麦屋の店員が困ったように立っていた。
「あ…。すみません。おいくらですか?」
「1,920円です。」
俺は無言で、札入れを出した。

「ちょっと、先輩!酷いじゃないですか…ってあれ?何してるんですか?」
先輩は蕎麦屋の隣のアンティークショップの中を覗いていた。
「確か、息子さんがいましたよね。」
「え、ええ。息子と娘が1人ずつ。」
「ちょっと。」
俺は先輩に誘われるまま、アンティークショップの中に足を踏み入れた。
「これを見てください。」
「ん?」
先輩の指差す先には、小さな車の模型があった。鈍い銀色の車体に白いラインの入った精巧な作りで、高そうだ。
「…えっ」
驚いたのはその値段だ。600円。
先程の蕎麦より安い。
「こういうの、息子さんが喜ぶんじゃないですか?」
先輩は車を手にとった。
「私が息子さんにプレゼントしましょう。」
「え?そんな、いいですよ。」
どういう風の吹き回しだ?やっぱり変人だ。
「君のワイフを一度見たくなりました。手土産ですよ。」
「いやいや、悪いですって。娘もいますし。」
「娘さんですか?…それじゃ、これにしましょう。」
先輩は側にあった綺麗な細工の施された小物入れを指差した。800円。
蕎麦代自分で払えよ。
「えっ…。でも、いいんですか…?」
「構いませんよ。ワン公と結婚する物好きの顔を見る代金と思えば安い物です。」
くそっ…。何かと犬扱いしやがって。
でも、好意は素直に受ける事にした。
「ありがとうございます。」
「いえ。先輩ですから。夜、楽しみにしてますよ。」
先輩は微笑して、紙袋を掲げた。

「ただいま。妙子、客だ。」
仕事を終えて、俺は帰宅した。
「失礼致します。」
勿論、先輩も一緒だ。
「雄ちゃん?お客さん来るなら言ってよ!」
エプロンで手を拭きながら、愛する妻が玄関に出てきた。
「妙子。この人が俺の先輩の和歌歩さんだ。」
「あら、そうなの。いつも夫がお世話になって…。」
改めて先輩の顔を見た妙子の表情がみるみる凍った。
「…って、えぇっ!?」
「どうした?」
妙子はかぶりを振った。
「い、いえ。何でもないわ。あ、上がってくださいませ~、おほほほほ…。」
…明らかにおかしい。おかしいが、先輩は無反応だ。知り合いって訳じゃないのか?
「知り合いなのか?」
「い、いえ!違うわ。す、素敵な人ねー、さぞしっかりしてるんでしょうねー!」
「あ…。ま、まあな。」
俺は先輩をリビングに上げ、麦茶を出した。
「中々の美人じゃないですか。」
「え?妙子ですか?」
彼は頷いた。
「美女と野獣ですね。」
「一言余計ですよ。」
先輩は麦茶を一口飲むと、紙袋を手にした。
「お子さんらは?」
「え?もう寝てるんじゃないですかね。」
「そうですか。それじゃあ、これは君から渡してあげてください。」
「あ、はい。」
先輩は麦茶を飲み終えると、早々に帰っていった。
土産は明日起きた時にでも渡してやるか。
その夜はすぐ風呂に入り、床に就いた。

「パパ!」
「起きてー!」
翌朝、子供逹の声で目が覚めた。
「何だ…。どうした。」
2人の子供、るなと月斗つきとは嬉しそうに顔をほころばせていた。
「お土産買ってきてくれたの?」
るなが小物入れを大事そうに手に包んでいた。
「あー、見つかっちゃったか。ちゃんと隠しといたんだけどなあ。」
「パパ隠すの下手くそだねー。パパの部屋入ったらすぐ分かったよ。」
月斗はミニカーで床をなぞりながら言った。
「え?入ったらすぐ?」
2人は揃って頷いた。
「パパの枕元に置いてあったよ。」
「え…。」
おかしいな。しっかりクローゼットの中にしまっておいたのに。俺の勘違いか?
…まあいいか、元々渡す予定だったし。
「それはな、パパの先輩がるなと月斗にって買ってくれたんだぞ。」
「本当!お礼言わなきゃだね、月くん。」
「そうだねー、るなちゃん。」
「よしよし。パパがお礼言っておいてやるからな。」
俺は喜ぶ子供逹に気を良くして、テンションの高いまま出勤した。

「おはようございます!」
「おはよう、大神君。」
いつもより少し元気に出社。
先輩はいつものように既に席についていた。
「先輩、昨日はありがとうございました。子供逹、すごく喜んでました!」
彼はいつもと変わらぬポーカーフェイスで答えた。
「そうですか。」
「やっぱり先輩っていい人だったんですね。良かったです!」
「勘違いしないでくださいよ。」
先輩はこちらをちらっと睨んだ。
「あれはあくまで奥様の見物料ですから。」
「またまたあ…。」
これは俗に言うツンデレか。白いほおが赤くなっている。
「子供が礼を言ってました。」
「…。」
先輩はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「今度はお子さんを見に行きます。お子さんの好物は何ですか?」
何だか微笑ましくなってきた。
「るなはショートケーキ、月斗はエクレアです。」
「ショートケーキとエクレア…。」
彼は付箋にメモをとり、デスクに貼った。
『るなさん→ショートケーキ、月斗君→エクレア』
やっぱり。こういうところがあるから、放っておけないのだ。

その夜は早めに帰った。
「パパ、お帰りー!」
るなが玄関で出迎えてくれた。
「ただいま。月斗は?」
いつもなら月斗も一緒だ。
尋ねると、るなは困ったように言った。
「月くん、リュウくんと遊んでるの。」
「リュウくん?近所の子か?」
るなは首を振った。
そうだろうな、近所の子が来ているにしては時間が遅い。
「リュウくんはね、車で来るんだよ。」
「どれ…。」
俺はその「リュウくん」とやらを一目見ようと、るなに月斗の元へ案内してもらった。
「月斗。友達が来てるのか?」
部屋の中には、月斗1人だった。
「あれ…。友達は?」
月斗はこちらを振り向くと、自分の目の前を指差した。
そこには、先輩の送ったミニカー。
「ミニカー?これが友達か?」
「違うよー、ここにいるでしょ?」
そしてまたミニカーを指差す。
まさか、車の中に!?
「ちょ、ちょっと見せろ!」
俺は思わず月斗からミニカーを奪い取った。
それを、隅々まで丁寧に調べる。
「わーん、パパが車とった~!」
「ん、ああ、ごめんな、ちょっと待ってな…。」
そして、俺はそれを見つけた。
「あ…。」
『R.H』
ミニカーの裏側に、小さな文字でイニシャルが彫られていた。もしかして、前の持ち主の名前か?
「ん?」
さらに、白いラインに違和感を感じて、そっと爪で擦ってみた。
すると塗料が剥がれ、ラインの下から黒っぽい染みが出てきた。
「これは…。」
嫌な想像が頭をよぎる。
「月斗!ちょっとこれ、貸してくれ。」
「えー、やだ!」
「そうか、ありがとう!」
「やだってば!」
俺はミニカーを持って、家を飛び出した。
「先輩っ、先輩!」
俺は家の前から、携帯で電話をかけた。
こんな事、家族に聞かせられない。
「何ですか、騒々しい。」
面倒そうな先輩の声が、電話の向こうから聞こえた。
「先輩!あのミニカー、人のイニシャルと黒っぽい染みがついてましたよ!」
先輩は相変わらず無関心に言った。
「…それで?」
「先輩…!」
俺は耐えきれなくなって、叫んだ。
「先輩!いわくつきです!」
「…何ですって?」
先輩の声が少しだけ疑問を含んだ。
「いわくつき?どういう事です?」
「説明します。あのミニカーを買ったアンティークショップの前で待ってますから。」
俺はそれだけ伝えて電話を切り、急いでアンティークショップへ向かった。
10分ほど待っただろうか。
「大神君。」
聞きなれた声がした。
「先輩!…あれ?」
振り返ると、そこには目つきの悪い小柄な男が立っていた。
「えーと…。どちら様?」
男は目を吊り上げた。
「君は先輩の顔を忘れたのですか?」
「えっ?…あ!そ、その傷!先輩でしたか!」
分からなかったのも無理はない。
いつもはオールバックにしている髪を下ろし、眼鏡を外して、黒っぽいアンダーに白いシャツを羽織っただけというラフな格好だったからな。
「先輩もそういう格好するんですね。髪の毛も。」
「もう風呂に入ってしまいましたからね。それに、ずっとオールバックにしていたら禿げます。この年で禿げるのは流石に嫌ですから。いけませんか?」
「いえ…。」
そういや先輩、年幾つだ?
聞きたい事は山程出てきたが、今はとにかくミニカーの話題だ。
「そうだ、ミニカー。先輩、これ見てください。」
「どれどれ。」
先輩はミニカーを手にとり、手にしたライトで照らして調べ始めた。
「ふん…。なるほど。」
確かに、と彼はライトを仕舞い、ミニカーをポケットに収めた。
「明日、この店の店主に事情を聞きましょう。これは私のミスですから、昼休みの1時間で話をつけます。」
「先輩、ありがとうございます!」
彼は踵を返し、去っていった。
やっぱり。
先輩は、ちょっと不器用なだけだ。

翌朝。
目を覚まして支度を済ませ、リビングへ行くとるなと月斗が遊んでいた。
微笑ましく思って見ていた俺は、あるものを見つけて戦慄した。
月斗の手の中のミニカー。
鈍い銀の車体に、白いライン。
「おいおい嘘だろ…。」
俺は慌てて月斗のミニカーを奪い取った。
「わーん、またパパがぼくのミニカーとった~!」
月斗が泣きながら俺のズボンを引っ張る。
「えっ、あっ、ごめんな、またすぐ新しいの買ってきてやるからな!」
俺は鞄をひっつかみ、出勤した。

「おはようございますっ!」
「おはよう…。大神君、どうしたね?そんなに慌てて。」
課長が怪訝そうな顔をした。
「わ、和歌歩先輩に用事がありまして。」
「彼ならまだ来とらんよ。」
まさか何かあったんじゃ…。最悪の想像をしかけたその時、オフィスの扉がバン!と開いて顔色を青くした先輩が入ってきた。
「良かった、先輩!」
「大神君!」
彼はいきなり俺に詰め寄ってきた。
「大神君、あのミニカーは…。」
「そうなんです!今朝なぜか月斗が持ってて…。」
「持ってきたでしょうね!?」
「ええ!」
俺は鞄を漁った。
「あ、あれっ?」
「どうしました?まさか見つからないとかベタなこと言わないでくださいよ?」
先輩が苛立ったような声で言った。
「そ、そのまさかです…!」
俺は半泣きで答えた。
「大神君っ…!」
先輩は俺の襟首を掴むと、部長を振り返った。
「部長!ちょっと解決しなければいけない案件があるので。」
そして俺を引きずるようにして、部長の返事も聞かずにオフィスを出た。

「先輩、どこ行くんですか?」
「決まってるでしょう、君の家ですよ。早く案内してください。まだ道順を覚えてなんかいませんから。」
俺逹は連れ立って目的地へと向かった。
「月斗!」
俺は玄関の扉を開けて、息子の名を呼んだ。
「パパぁ!」
飛び出してきたのは、月斗ではなくるなだった。
「る、るな。どうした?月斗は?」
るなは泣きながら言った。
「月くん、車持ってリュウくんと一緒にどっか行っちゃった!」
「何だって?」
俺は先輩と顔を見合わせた。
「ママは見てなかったのか?」
「ママはお買い物行ってて…。」
「くそっ!」
俺は毒づいた。
「大神君。あの店に行きましょう。」
「はい!」
るなに留守番を頼み、家の外に出る。
「大神君に乗せてもらった方が早いです。四つ足をついてください。」
急な先輩の言葉に、戸惑う。
「は?」
「息子さんが死んでもいいんですか!」
「い、いやです!」
俺は慌てて四つ足をついた。
先輩の体重がとんと背中に乗った。軽っ。
「さ、走って!」
「は、はい!」
俺は地面を強く蹴った。
俺の体は思ったよりスムーズに風を切り、みるみるうちにスピードを上げていった。
どういう事か分からないが、それはどうでもいい。
「あそこですよ、ドアを破りましょう!」
「はい!」
俺は思い切りアンティークショップの戸に体当たりした。
大きな音がして、ガラスが割れた。
「ひぃっ!」
レジに立っていた店員が、悲鳴を漏らした。
「そこのあなた!」
先輩が叫んで、俺から降りた。
「腰抜かしてる場合じゃありませんよ、あなた私にいわくつきの品である事を隠して物を売りつけましたね?」
先輩は店員にぐいと顔を近づけた。
「ほら、あの銀のミニカーですよ。」
店員の顔色が明らかに変わった。
そして次の瞬間には、地面に頭を擦り付けんばかりに土下座した。
「すっ、すみませんでしたっ!おっしゃる通り、あの品はいわくつきです!」
彼は少し顔を上げた。
「実はあの品は、交通事故死した少年の遺品をタダ同然で引き取った物なんです。傷もほとんどありませんでしたから、汚れだけ専門家に頼んでカバーしていただいたんです。」
「ふん…。白状すればいいんですよ。やけに安いのを怪しまなかった私も愚かでした。」
先輩は再び俺の背中に乗ると、言った。
「大神君。今度は息子さんを。匂いを辿ればすぐでしょう。」
「はい!」
俺は外に出て地面に鼻先をつけ、匂いを探った。
「…あ、これは!」
うちで使っている洗剤の匂いだ!
「匂いを見つけましたね。急いで辿ってください。息子さんの命がかかっていますよ。」
「分かってます!」
俺は全速力で走った。
すると前方に、ガードレール脇にしゃがみ込む小さな人影が見えてきた。
「月斗!」
月斗はこちらを振り向きもしなかった。
「…うん。…ああ、そうだね。」
見えない誰かと、話をしているようだった。
「大神君、彼を保護しなさい。」
「分かってます、分かってますよっ!」
俺は月斗の襟ぐりを咥え、その場から引き離した。
「パパ…?なんで?」
「良かった!」
俺は少し離れた場所に月斗を下ろした。
「リュウとかいう子は?」
「あそこ…。」
月斗はガードレールの下を指差した。
だが、そこには何も見えなかった。しかし俺はその見えない相手に怒りをぶつけるしかなかった。
「この野郎…!よくもうちの息子をッ!」
「パパ駄目!」
月斗の声がした。
「リュウくんは1人ぼっちだったから、誰でもいいから友達が欲しかったんだって。だから僕が遊んであげてたの。」
「だからってお前が死ぬ事は…。」
「死なないよ!」
「え?」
月斗の肩を抱いていた先輩が、月斗に尋ねた。
「月斗君、それはどういう?」
月斗は先輩の顔を見上げた。
「リュウくんはもう沢山遊んだから、もういいんだって。もういく・・って言ってた。」
逝く・・…ですか。」
先輩は呟いた。
「だから…。リュウくんを怒らないであげてよ、パパ…。」
「月斗…。」
俺が困っていると、先輩が独り言のように呟いた。
「リュウ君は…。最初から誰も道連れにするつもりなんてなかったんじゃないんでしょうか。最期の思い出を、作りたかっただけなんじゃないでしょうか。」
その場に流れる、一瞬の静寂。
「あ。リュウくん、いっちゃった。」
月斗の言葉を聞いて顔を上げると、丁度先輩と目が合った。
すると彼は僅かに口角を上げ、微笑した。
「最近の子供は大人びていますから。友達を連れて逝くほど聞き分けのない事はないようですね。」
「先輩。…そうですね。」
「今じゃ聞き分けのない大人の方が問題です。」
「はは…。」
俺は月斗を連れて、家に帰った。

「おはようございます。」
「大神君、ちょっと。」
翌朝出勤すると、部長に呼び出された。
「はい、何でしょう?」
部長は困ったように腕を組んだ。
「昨日の事だが…。」
「あ…!!」
しまった!昨日そのまま家に帰って、子供達とずっと寝てたんだったぁ!
まずったなあ…。
「そ、それは…。えっと…。」
「和歌歩君から聞いているよ。大丈夫だったかね?」
「…は?」
いきなりかけられた心配の言葉に、俺は戸惑った。
「大丈夫というのは?」
「いや、ね。和歌歩君が言うには、お子さんが色々と大変だったそうじゃないか。何でも近所のチワワと大喧嘩したとか…。」
「え…。」
俺は先輩を振り返った。彼は俺の視線に気付くと、ニヤリと笑った。
「あ…ああ!そうなんですよ、もうチワワと息子を宥めるのが大変で…!」
部長は大きく頷いた。
「大変だったな。大変だったようだが、これから私に無断で早退をするのは控えるように。」
「はい。すみませんでした。」
俺は部長に深く頭を下げてから、自分の席についた。
「先輩。ありがとうございました。」
俺は先輩に耳打ちした。
「お陰でクビは免れたようです。」
先輩は飽くまで淡々と言った。
「人生にハッタリは不可欠ですよ。」
そして、狐のような狡猾そうな笑みを浮かべた。
「それに、君にクビになられては私も毎日つまらなくて参ってしまいますよ。」
そして、くくっと喉を鳴らした。
「職場には愛玩動物がいないと。」
…はあ。
やっぱり先輩は、変人だ。
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