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俺の身体はいわくつき?
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「おはようございます。」
いつものように出勤すると、何か違和感を感じた。
いつもの職場と、何かが違う。
「…あ!」
俺はその違和感の正体に思い至り、皆川さんに声をかけた。
「皆川さん。和歌歩先輩、今日は来てないんですか?」
彼女は先輩の席に目をやり、そこで初めて気付いたように言った。
「あら、本当ね。あの人、元々存在感ないから気づかなかったわ。」
「相変わらず辛口ですね、皆川さん…。」
俺は苦笑して言った。
「でも珍しいですよね。先輩がいないなんて。」
「そうかしら?」
彼女は首を傾げた。
「彼、大神さんがここに転勤してくる前はよく無断欠勤してたのよ。」
「えっ?どうしてクビにならなかったんですか?」
俺は思わず尋ねてしまった。
「うーん…。風の噂なんだけどね。」
彼女は少し迷いながらも、俺に耳打ちした。
「えぇっ!?せ、先輩がこの会社の弱味を…。」
「しっ!声が大きいわよ、大神さん!」
「あ、すみません…。」
俺は声を潜めた。
「で…。弱味って何ですか?」
「さあ…。そこまでは私も知らないわ。」
「そうですか。」
俺は彼女に礼を言い、席に戻った。
いつものようにパソコンに向かっていると、携帯が鳴った。
「あっ…。」
先輩からだ。
「もしもし。」
『大神君ですね?』
「はい、そうですけど。」
『君にお話があります。仕事が終わったら私の家に来なさい。』
「は?ちょ、ちょっと待ってください、俺、先輩の家知りませんし。」
『メールで地図を送ります。君の好きなアレを用意して待っています。それじゃ。』
「あ、ちょっと先輩!」
電話は切れた。話って何だ?俺の好きなアレって何だ?
多くの疑問を抱えながら、俺は再びパソコンに向かった。
ー
「今日はここまでにしておくか…。」
すっかり暗くなった窓の外を見て、俺は呟いた。
「あら、大神さんお帰り?お疲れ様。」
「あ、皆川さん。お疲れ様です。」
彼女は悪戯っぽく微笑み、言った。
「今日はあの男がいなかったから、随分楽だったでしょ。」
「はあ、まあ…。」
俺は答えを曖昧にぼかし、オフィスを出た。
正直言うと、突然休みをとった先輩が心配だった。
メールに添付されていた地図を頼りに、夜の住宅街を歩く。
「ここかな?」
地図が示していたのは煉瓦造りの一軒家で、とても独り暮らしをするような家には見えなかった。しかも、表札の苗字が違う。
「三浦…?」
でも、地図の示しているのは確実にここだ。
「まあ、チャイム鳴らしてみて違ったら謝ればいいか。」
俺はそっとチャイムを押した。
「大神ですけど。」
すると玄関の戸が開いて、私服の先輩が出てきた。しかし髪はいつものようにオールバックである。
「どうぞ。」
やっぱりここだったのか…。
俺は先輩に誘われるままに、彼の家に上がった。
居間に入って最初に目に飛び込んできたのは、机の上に乱雑に置かれた本だった。
「えっと、『世界の怪物』、『動物図鑑』『赤ずきんちゃん』…。」
どういう繋がりか、全く分からない。
「大神君、夕飯まだでしょう。これを。」
先輩は俺の前に皿を置いた。
…何だこれ、すごいいい匂い。
思わず皿に口を突っ込む。
「あまりがっつかないでください、ビーフジャーキー如きに。みっともない。」
先輩の声が聞こえたような気がするが、それは二の次。
皿の底まで綺麗に舐めとって、ひと息つく。
「全く…。野性が出ましたね。」
「何のことですか?」
先輩はいささかオーバーにかぶりを振った。
「君ほどのド天然、見た事ありませんよ。幾ら何でも気づかなさすぎです。」
「…何がですか?」
先輩は暫く呆れたようにこちらを見ていたが、やがて口を開いた。
「はっきり言いましょう、大神君。君、狼男ですね?」
「…は?」
俺はつい吹き出してしまった。
「何がおかしいんですか?」
「だ、だって!先輩、真面目な顔して何を言い出すかと思ったら…。俺が狼男ですって?またまたあ、冗談キツいっすよ~!」
が、先輩はあくまで真剣そのものだった。
「それじゃあ聞きますけど。どこの世界にそんな肉球があってふわふわの尻尾のあるサラリーマンがいるんですか?」
「え?」
俺は自分の手を見た。
薄い灰色っぽい毛に覆われた、何かの前脚のように見える。肉球のおまけ付き。
「…あれっ?」
流れで足も確認。
同じく、スーツズボンの先からふわふわ脚が見えた。
「…あ、あれー。俺、疲れてるのかなー。」
頭を掻いて、先輩にぎこちなく笑いかける。
先輩はくすりともせず、ソファから立ち上がり、俺の背後に立った。
「これでもそう言いますか、え!?」
ダン、と地を踏む音。それより俺が感じたのは、激痛!
「い、痛ってえええ!!」
尻尾を押さえてもんどり打つ。
…ん?尻尾?
俺は押さえていた手を離し、その太い尻尾をまじまじと見つめた。
「…せ、先輩!鏡、鏡貸してください!」
「向こうが洗面台です。」
最後まで聞くか聞かないかといううちに、俺は洗面台まで飛んでいった。
洗面台の真ん前まで来て、急に鏡を見るのが怖くなる。
「…。」
尻込みしていると、後ろから来た先輩が俺の頭を掴んだ。
「ほら、現実を受け入れなさい!」
「!!」
ぐいっと頭が上に向けられる。
鏡の中に映ったのは、鋭い牙を剥き出しにした、紛れもない狼の顔。
「うわあああっ、ケ、ケダモノッ!!」
俺はそのまま気を失った。
ー
「…君。大神君。大丈夫ですか?」
「…う。あ、先輩?」
ぼうっとした頭で、事の前後に起こった事を必死に思い出す。
「…あ!そ、そうだ、俺!」
慌てて手を確認。…良かった、普通だ。
「やっぱり夢だったんだな。」
「残念ながら夢じゃありませんよ。」
先輩がサラッと吐いた、絶望的な言葉。
「し、証拠は?証拠はあるんですか?」
「君が狼形態の時のビデオを撮らせていただきました。見ます?」
先輩は携帯端末を取り出した。
「い、いえ。…大体、映像なんてどうにでも編集できますし!」
「まだ認めないつもりですか…。」
先輩は深々とため息をついた。
「月斗君に聞いてみてもいいんですよ?」
「この話と月斗とどういう関係があるんですか?」
「この間の、銀のミニカー事件の時のことですよ。」
「え?」
「君、月斗君を助けに走る時、思い切り狼形態だったじゃないですか。月斗君もしっかり見てましたよ。」
う、嘘だろ!?てかこの人、その時から勘付いてたのかよ?
「じゃあ!」
必死に反論。勝てないと分かっていても。
「どうして月斗は驚かなかったんですか?驚きますよね、普通!父親がいきなり狼になって現れたら!」
「いきなりじゃなかったんじゃないですか?」
先輩は少し考えながら言った。
「月斗君らにとって君が狼形態でいることは当たり前なのでは?例えば、日曜日の休みの日に狼形態の君と昼寝してるとか。飼い犬と昼寝する感じで。」
「た、確かによく子供と昼寝はしますけど。」
俺が寝てると大体お腹辺りを枕にして寝に来る。よく懐いてるんだな、と気を良くしていたが、ただ単にペットと寝る感覚で来ていたのか!?
「でも…。狼男とかそんなお化けみたいなものなんて、実在するんですか?」
ミニカー事件を完全に忘れた愚問だ。
「現に君がそうでしょう」
先輩は落ち着き払って、更なる爆弾発言をした。
「うちの会社に勤める人物の中に、どれだけ人外が混じっているとお思いで?」
皮肉の混じった、丁寧すぎる言葉遣いだ。
「ど…。どういう事ですか?」
先輩はこちらを小馬鹿にしたような目つきをして、口角をくいと上げた。
「君、イヌ科のくせに鈍いんですね。私達の営業部の中で純人間なのは、何かと君と親しい皆川さんだけですよ。」
「えぇーっ!?」
これには驚いた。
「え、ぶ、部長は何ですか?」
「狸です」
た、確かに狸っぽい気がしないでもない。恰幅とか。
「じゃあ!営業部一のモテ男の月影さんは狐かなんかですか?」
「いえ。雄の艶魔です。あんな男に騙されて。女は愚かなものですねぇ…!」
若干僻みも入ってる気がするが、説得力はある。まあ、考えてみたら狐は先輩か。
「…何ニヤニヤしてんですか、気色悪い。」
「あ、すみません。」
…そういえば先輩は何なんだ?やっぱり狐?
「あのー…。失礼ですけど、先輩は…。」
「え?私ですか?」
先輩は暫く考えるような素振りをして、台所へ行った。
「少々お待ちくださいね…。」
「はあ。」
5分ほどすると、先輩が戻ってきた。
「お待たせしました。これで分かりますかね?」
微笑を浮かべている先輩の口元からは、白く長い牙がこぼれていた。
「うわあ!ド、ドラキュラっ!!」
「フフフ…。とうっ!」
先輩は地面を蹴り、俺に飛びかかってきた!
「ひいいいっ、殺されるっ、失血死するっ!」
思わず目を瞑り、襲ってくるであろう首筋の痛みに備えた。
…が、一向にそれはやってこない。
「…あれ?」
恐る恐る目を開ける。先輩は俺の目の前に立って、冷たい目でこちらを見下ろしていた。
「わーっ、た、楽しみながら嬲り殺しにするつもりだな!?」
「…違いますよ。」
「…え?」
ぺっ、と先輩は口から何かを吐き出した。
床に落ちたそれをよく見てみると。
「…大根?」
「そうですよ。」
見上げると、先輩がグラスの水を飲みながら意地の悪い笑みを浮かべていた。
「先を尖らせて牙っぽく仕立てた大根です。私は人間ですよ。生粋の。」
「先輩…。」
俺は彼に、聞かずにはいられなかった。
「辛く…ありませんでした?」
先輩は少しこちらを睨んだ。
「…辛かったから水を飲んでいるんです。見て分かりません?」
「す、すみません。」
俺を脅かすためだけにわざわざ辛いの我慢したのか…。ある意味その辺のお化けより性格悪いぞ、この人。
「私がクビ切られない理由、分かりましたか?」
「え?」
俺の脳裏に、今朝の皆川さんの言葉がよぎった。
ーあいつ、会社の弱味握ってるんだってー
「えぇっ?もしかして先輩、その事実を握って社長脅してたりします?」
「大神君…。」
先輩は呆れたように髪を掻き上げた。
「大神君。君の脳はオオカミ以下ですね。あ、オオカミに失礼か…。」
「な…!」
まあそう興奮なさらず、と先輩は俺の頭を軽く叩いた。
「そんな、大神君の言うような事をしたところで頭のおかしい男の狂言だと放り出されるのがオチですよ。私がやっているのはもっと紳士的で友好的、ギブアンドテイクの精神にのっとった取引です。」
「一体何をしてるんですか…。」
先輩は机の本をまとめながら説明を始めた。
「いいですか。あの会社では、沢山の人外が働いています。今は妖怪といえど、働かなければ暮らしていけない世の中ですから。もっとも、私はそういった生き物を見るのが好きですから、世間に騒がれないよう他には黙っています。珍獣の見物料として働いているわけです。つまり、私が会社に無料奉仕、これがギブ。そして代わりに私は会社から様々な変わった生き物を見せていただいています。これがテイクです。分かりましたか?」
「いや、分からなくはありませんけど。無料奉仕で先輩はどうやって暮らしてるんですか?」
お金がなければ妖怪といえど生活できない。今自分で言ったばかりじゃないのか?
「ああ、座敷童がいるんで死なない程度には大丈夫です。」
「は?」
全くもって意味不明。
「この家、子供の霊が出るってことで安かったんです。見に来てみたら座敷童じゃないですか。得だと思って、ここに住み始めたんです。」
俺の頭上は?マークでいっぱいだった。
「先輩。それ、つまり…。」
彼は頷いた。
「はい。いわくつきです。」
そして、あの狐のような狡猾な顔で笑った。
「他人には言わないんですけどね…。」
「じゃあなんで俺には教えてくれたんですか?」
「…。君が気に入ったんですよ。馬鹿真面目で純粋すぎるところ、見てて愉快ですから。」
これは喜んだものか、と、俺は本気で悩んだ。
ー
『今日の事はくれぐれも口外なさらぬよう』
先輩はそう言っていた。
俺は自室の部屋の中で、色々と考え事をしていた。
(ていうか…。俺、人間じゃなかったのか…。)
俺が狼男だとしたら、子供達は何なんだ?
あの有名アニメ映画のような事になるのか?
でも子供達が狼になったの見た事ないし。あいつら本当に俺の子か?
…いやいや!妙子を疑うのは良くない。あいつが浮気なんかするわけないし。第一、るなも月斗も可愛くて俺にそっくりじゃないか!
そんな事を考えながら悶えていると、当の子供達が部屋に入ってきた。
「…ん、何だ。どうした?」
月斗の手を引いたるなが答えた。
「今日はちょっと寒いから…。パパのとこで寝る。」
月斗も頷いて言った。
「パパあったかくてふわふわだから、一緒に寝ると気持ちいいんだよね。」
「そうか…。」
俺は布団をめくり、中に子供達を入れた。
まあ、血が繋がっていようがいなかろうがどっちでもいいか。
この子らが生まれたばかりの時からずっと俺が父親だった事には変わりないし、俺は間違いなくこの子らを愛してる。
今更間男が父親面して出てきたところで、子供を渡す気はないしな。
「パパ今日もあったかいね、月くん。」
「そうだねー、るなちゃん。」
子供達の声を聞きながら、俺は安心して眠りについた。
いつものように出勤すると、何か違和感を感じた。
いつもの職場と、何かが違う。
「…あ!」
俺はその違和感の正体に思い至り、皆川さんに声をかけた。
「皆川さん。和歌歩先輩、今日は来てないんですか?」
彼女は先輩の席に目をやり、そこで初めて気付いたように言った。
「あら、本当ね。あの人、元々存在感ないから気づかなかったわ。」
「相変わらず辛口ですね、皆川さん…。」
俺は苦笑して言った。
「でも珍しいですよね。先輩がいないなんて。」
「そうかしら?」
彼女は首を傾げた。
「彼、大神さんがここに転勤してくる前はよく無断欠勤してたのよ。」
「えっ?どうしてクビにならなかったんですか?」
俺は思わず尋ねてしまった。
「うーん…。風の噂なんだけどね。」
彼女は少し迷いながらも、俺に耳打ちした。
「えぇっ!?せ、先輩がこの会社の弱味を…。」
「しっ!声が大きいわよ、大神さん!」
「あ、すみません…。」
俺は声を潜めた。
「で…。弱味って何ですか?」
「さあ…。そこまでは私も知らないわ。」
「そうですか。」
俺は彼女に礼を言い、席に戻った。
いつものようにパソコンに向かっていると、携帯が鳴った。
「あっ…。」
先輩からだ。
「もしもし。」
『大神君ですね?』
「はい、そうですけど。」
『君にお話があります。仕事が終わったら私の家に来なさい。』
「は?ちょ、ちょっと待ってください、俺、先輩の家知りませんし。」
『メールで地図を送ります。君の好きなアレを用意して待っています。それじゃ。』
「あ、ちょっと先輩!」
電話は切れた。話って何だ?俺の好きなアレって何だ?
多くの疑問を抱えながら、俺は再びパソコンに向かった。
ー
「今日はここまでにしておくか…。」
すっかり暗くなった窓の外を見て、俺は呟いた。
「あら、大神さんお帰り?お疲れ様。」
「あ、皆川さん。お疲れ様です。」
彼女は悪戯っぽく微笑み、言った。
「今日はあの男がいなかったから、随分楽だったでしょ。」
「はあ、まあ…。」
俺は答えを曖昧にぼかし、オフィスを出た。
正直言うと、突然休みをとった先輩が心配だった。
メールに添付されていた地図を頼りに、夜の住宅街を歩く。
「ここかな?」
地図が示していたのは煉瓦造りの一軒家で、とても独り暮らしをするような家には見えなかった。しかも、表札の苗字が違う。
「三浦…?」
でも、地図の示しているのは確実にここだ。
「まあ、チャイム鳴らしてみて違ったら謝ればいいか。」
俺はそっとチャイムを押した。
「大神ですけど。」
すると玄関の戸が開いて、私服の先輩が出てきた。しかし髪はいつものようにオールバックである。
「どうぞ。」
やっぱりここだったのか…。
俺は先輩に誘われるままに、彼の家に上がった。
居間に入って最初に目に飛び込んできたのは、机の上に乱雑に置かれた本だった。
「えっと、『世界の怪物』、『動物図鑑』『赤ずきんちゃん』…。」
どういう繋がりか、全く分からない。
「大神君、夕飯まだでしょう。これを。」
先輩は俺の前に皿を置いた。
…何だこれ、すごいいい匂い。
思わず皿に口を突っ込む。
「あまりがっつかないでください、ビーフジャーキー如きに。みっともない。」
先輩の声が聞こえたような気がするが、それは二の次。
皿の底まで綺麗に舐めとって、ひと息つく。
「全く…。野性が出ましたね。」
「何のことですか?」
先輩はいささかオーバーにかぶりを振った。
「君ほどのド天然、見た事ありませんよ。幾ら何でも気づかなさすぎです。」
「…何がですか?」
先輩は暫く呆れたようにこちらを見ていたが、やがて口を開いた。
「はっきり言いましょう、大神君。君、狼男ですね?」
「…は?」
俺はつい吹き出してしまった。
「何がおかしいんですか?」
「だ、だって!先輩、真面目な顔して何を言い出すかと思ったら…。俺が狼男ですって?またまたあ、冗談キツいっすよ~!」
が、先輩はあくまで真剣そのものだった。
「それじゃあ聞きますけど。どこの世界にそんな肉球があってふわふわの尻尾のあるサラリーマンがいるんですか?」
「え?」
俺は自分の手を見た。
薄い灰色っぽい毛に覆われた、何かの前脚のように見える。肉球のおまけ付き。
「…あれっ?」
流れで足も確認。
同じく、スーツズボンの先からふわふわ脚が見えた。
「…あ、あれー。俺、疲れてるのかなー。」
頭を掻いて、先輩にぎこちなく笑いかける。
先輩はくすりともせず、ソファから立ち上がり、俺の背後に立った。
「これでもそう言いますか、え!?」
ダン、と地を踏む音。それより俺が感じたのは、激痛!
「い、痛ってえええ!!」
尻尾を押さえてもんどり打つ。
…ん?尻尾?
俺は押さえていた手を離し、その太い尻尾をまじまじと見つめた。
「…せ、先輩!鏡、鏡貸してください!」
「向こうが洗面台です。」
最後まで聞くか聞かないかといううちに、俺は洗面台まで飛んでいった。
洗面台の真ん前まで来て、急に鏡を見るのが怖くなる。
「…。」
尻込みしていると、後ろから来た先輩が俺の頭を掴んだ。
「ほら、現実を受け入れなさい!」
「!!」
ぐいっと頭が上に向けられる。
鏡の中に映ったのは、鋭い牙を剥き出しにした、紛れもない狼の顔。
「うわあああっ、ケ、ケダモノッ!!」
俺はそのまま気を失った。
ー
「…君。大神君。大丈夫ですか?」
「…う。あ、先輩?」
ぼうっとした頭で、事の前後に起こった事を必死に思い出す。
「…あ!そ、そうだ、俺!」
慌てて手を確認。…良かった、普通だ。
「やっぱり夢だったんだな。」
「残念ながら夢じゃありませんよ。」
先輩がサラッと吐いた、絶望的な言葉。
「し、証拠は?証拠はあるんですか?」
「君が狼形態の時のビデオを撮らせていただきました。見ます?」
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「い、いえ。…大体、映像なんてどうにでも編集できますし!」
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先輩は深々とため息をついた。
「月斗君に聞いてみてもいいんですよ?」
「この話と月斗とどういう関係があるんですか?」
「この間の、銀のミニカー事件の時のことですよ。」
「え?」
「君、月斗君を助けに走る時、思い切り狼形態だったじゃないですか。月斗君もしっかり見てましたよ。」
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「いきなりじゃなかったんじゃないですか?」
先輩は少し考えながら言った。
「月斗君らにとって君が狼形態でいることは当たり前なのでは?例えば、日曜日の休みの日に狼形態の君と昼寝してるとか。飼い犬と昼寝する感じで。」
「た、確かによく子供と昼寝はしますけど。」
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「でも…。狼男とかそんなお化けみたいなものなんて、実在するんですか?」
ミニカー事件を完全に忘れた愚問だ。
「現に君がそうでしょう」
先輩は落ち着き払って、更なる爆弾発言をした。
「うちの会社に勤める人物の中に、どれだけ人外が混じっているとお思いで?」
皮肉の混じった、丁寧すぎる言葉遣いだ。
「ど…。どういう事ですか?」
先輩はこちらを小馬鹿にしたような目つきをして、口角をくいと上げた。
「君、イヌ科のくせに鈍いんですね。私達の営業部の中で純人間なのは、何かと君と親しい皆川さんだけですよ。」
「えぇーっ!?」
これには驚いた。
「え、ぶ、部長は何ですか?」
「狸です」
た、確かに狸っぽい気がしないでもない。恰幅とか。
「じゃあ!営業部一のモテ男の月影さんは狐かなんかですか?」
「いえ。雄の艶魔です。あんな男に騙されて。女は愚かなものですねぇ…!」
若干僻みも入ってる気がするが、説得力はある。まあ、考えてみたら狐は先輩か。
「…何ニヤニヤしてんですか、気色悪い。」
「あ、すみません。」
…そういえば先輩は何なんだ?やっぱり狐?
「あのー…。失礼ですけど、先輩は…。」
「え?私ですか?」
先輩は暫く考えるような素振りをして、台所へ行った。
「少々お待ちくださいね…。」
「はあ。」
5分ほどすると、先輩が戻ってきた。
「お待たせしました。これで分かりますかね?」
微笑を浮かべている先輩の口元からは、白く長い牙がこぼれていた。
「うわあ!ド、ドラキュラっ!!」
「フフフ…。とうっ!」
先輩は地面を蹴り、俺に飛びかかってきた!
「ひいいいっ、殺されるっ、失血死するっ!」
思わず目を瞑り、襲ってくるであろう首筋の痛みに備えた。
…が、一向にそれはやってこない。
「…あれ?」
恐る恐る目を開ける。先輩は俺の目の前に立って、冷たい目でこちらを見下ろしていた。
「わーっ、た、楽しみながら嬲り殺しにするつもりだな!?」
「…違いますよ。」
「…え?」
ぺっ、と先輩は口から何かを吐き出した。
床に落ちたそれをよく見てみると。
「…大根?」
「そうですよ。」
見上げると、先輩がグラスの水を飲みながら意地の悪い笑みを浮かべていた。
「先を尖らせて牙っぽく仕立てた大根です。私は人間ですよ。生粋の。」
「先輩…。」
俺は彼に、聞かずにはいられなかった。
「辛く…ありませんでした?」
先輩は少しこちらを睨んだ。
「…辛かったから水を飲んでいるんです。見て分かりません?」
「す、すみません。」
俺を脅かすためだけにわざわざ辛いの我慢したのか…。ある意味その辺のお化けより性格悪いぞ、この人。
「私がクビ切られない理由、分かりましたか?」
「え?」
俺の脳裏に、今朝の皆川さんの言葉がよぎった。
ーあいつ、会社の弱味握ってるんだってー
「えぇっ?もしかして先輩、その事実を握って社長脅してたりします?」
「大神君…。」
先輩は呆れたように髪を掻き上げた。
「大神君。君の脳はオオカミ以下ですね。あ、オオカミに失礼か…。」
「な…!」
まあそう興奮なさらず、と先輩は俺の頭を軽く叩いた。
「そんな、大神君の言うような事をしたところで頭のおかしい男の狂言だと放り出されるのがオチですよ。私がやっているのはもっと紳士的で友好的、ギブアンドテイクの精神にのっとった取引です。」
「一体何をしてるんですか…。」
先輩は机の本をまとめながら説明を始めた。
「いいですか。あの会社では、沢山の人外が働いています。今は妖怪といえど、働かなければ暮らしていけない世の中ですから。もっとも、私はそういった生き物を見るのが好きですから、世間に騒がれないよう他には黙っています。珍獣の見物料として働いているわけです。つまり、私が会社に無料奉仕、これがギブ。そして代わりに私は会社から様々な変わった生き物を見せていただいています。これがテイクです。分かりましたか?」
「いや、分からなくはありませんけど。無料奉仕で先輩はどうやって暮らしてるんですか?」
お金がなければ妖怪といえど生活できない。今自分で言ったばかりじゃないのか?
「ああ、座敷童がいるんで死なない程度には大丈夫です。」
「は?」
全くもって意味不明。
「この家、子供の霊が出るってことで安かったんです。見に来てみたら座敷童じゃないですか。得だと思って、ここに住み始めたんです。」
俺の頭上は?マークでいっぱいだった。
「先輩。それ、つまり…。」
彼は頷いた。
「はい。いわくつきです。」
そして、あの狐のような狡猾な顔で笑った。
「他人には言わないんですけどね…。」
「じゃあなんで俺には教えてくれたんですか?」
「…。君が気に入ったんですよ。馬鹿真面目で純粋すぎるところ、見てて愉快ですから。」
これは喜んだものか、と、俺は本気で悩んだ。
ー
『今日の事はくれぐれも口外なさらぬよう』
先輩はそう言っていた。
俺は自室の部屋の中で、色々と考え事をしていた。
(ていうか…。俺、人間じゃなかったのか…。)
俺が狼男だとしたら、子供達は何なんだ?
あの有名アニメ映画のような事になるのか?
でも子供達が狼になったの見た事ないし。あいつら本当に俺の子か?
…いやいや!妙子を疑うのは良くない。あいつが浮気なんかするわけないし。第一、るなも月斗も可愛くて俺にそっくりじゃないか!
そんな事を考えながら悶えていると、当の子供達が部屋に入ってきた。
「…ん、何だ。どうした?」
月斗の手を引いたるなが答えた。
「今日はちょっと寒いから…。パパのとこで寝る。」
月斗も頷いて言った。
「パパあったかくてふわふわだから、一緒に寝ると気持ちいいんだよね。」
「そうか…。」
俺は布団をめくり、中に子供達を入れた。
まあ、血が繋がっていようがいなかろうがどっちでもいいか。
この子らが生まれたばかりの時からずっと俺が父親だった事には変わりないし、俺は間違いなくこの子らを愛してる。
今更間男が父親面して出てきたところで、子供を渡す気はないしな。
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「そうだねー、るなちゃん。」
子供達の声を聞きながら、俺は安心して眠りについた。
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