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お嬢様の御命、頂戴しに参りました
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ある日突然、自分の住処を失う事となったら、皆様はどうなされるでしょう。
勿論、引っ越しをお考えになる方がほとんどだと私は思います。一番手っ取り早く、他人に迷惑がかかるわけでもございませんから。
しかしながら皆様、それは皆様が人間であるから可能なお話。
私のような一介の雄狐には、人間の皆様には容易い事でも大変な試練なのでございます。
ですから、今回の出来事は私にとって大変な痛手となりまして…。と、このような事を申しても、事情をお知りでない皆様には何の事やらさっぱりといったところでございましょう。
というわけで、私から簡単にご説明の方をさせていただきます。
私、黒狐黒香はこの地に住み着いて数百年とまだまだ未熟な若狐ですが、先祖より受け継いだこの地をこよなく愛しておりました。この地には私以外にも沢山の妖が住み着いており、大変豊かな土地となっておりました。
町のお年寄りの方々は、先代と同じように私を崇め、大切にしてくださいました。ありがたい事です。
しかし時が経つにつれ、そんな方々も一握りになってしまいました。住み着いていた妖も土地の汚染で殆どが消滅し、稲荷信仰の薄れたこの地には、開発の話が持ち上がりました。
話はとんとん拍子にまとまり、私の住処…つまりこの祠周辺を一切潰してしまい、大型のスーパーマーケットを建設するという計画が立てられたようでした。スーパーマーケットなんぞ、そこらに腐るほどあるというのに。
勿論、私も黙ってそれを見ていた訳ではございません。大型の機材を倒してやったり、得意の化かしを使って事故を起こさせたりと努力はしました。12、3人は死にましたかね。
しかし、流石は人間。祠にこびりついた苔並みにしつこい。
彼らは開発を諦めず、ついにスーパーマーケットを作り上げました。まあ、商売の神である稲荷を潰して作った店なんか、繁盛させてやる気はさらさらございませんがね。
こうして残ったのは、不思議と繁盛しない大手スーパーマーケットと行き場を失った私。一体何がしたかったのでしょうね、人間達は。
私達狐は一つの住処につけば、死ぬまでその場に留まる必要がございます。しかし…。住処をスーパーマーケットなんぞにされてしまっては、住みようがありません。おかげで毎日野宿です。
という訳で、私は彼らに復讐を誓ったのでございます。しかし開発に関わった全ての人間を始末するというのも、私の徳に反します。だから、開発の中心人物である小町氏に的を絞りました。彼の「小町財閥」さえ私の土地を買収したりしなければ、私は今迄通りの生活を続けられていたに違いありませんから。
私の言い分、お分かり頂けましたでしょうか?
私は今、計画を実行するべく小町邸に向かっております。
計画は以下の通り。
・執事として小町邸に潜り込む。
・小町家内部で何らかの動きを起こし、一家を崩壊させる。
如何でしょう。到底綿密な計画とは言えませんが、私の狐の能力をもってすれば容易い事でしょう。
さて、そろそろ人間の姿になりましょうか。場所は…。あの草むら辺りがいいですね。
よっ…と。変化も慣れれば簡単です。見た目も自由自在。尤も、人間社会では見た目がいい方が得をしますから、化けるのは専ら二枚目か美女ですがね。
あとは髪を撫で付けて、きちんとした印象を。眼鏡をかけるとさらにきっちりして見えるそうなので、木の枝で作る事にしましょう。
…さて、これでいいはずです。早速小町邸に入ってみましょう。
大きな門の傍についたインターホンを鳴らすと、堅苦しい調子の男性の声が対応してくださいました。
「はい、ご用件は?」
「すみません、本日よりこちらで執事を務めさせていただきます、稲荷黒香と申します。」
ここでまずマイク越しに術をかけます。するとたちまちこの人間は私の手中に落ちてしまいます。
「…あ、はい。お待ちしておりました、どうぞお入りください。」
「失礼致します。」
本当は、今日小町家に執事が来る予定などございません。いわゆるハッタリというものです。私達狐はその類が得意でございまして…。都で人間達を化かす時や、人間社会に潜り込む時に使います。今回は後者ですね。
あ、門が開きました。侵入成功です。
それにしても広い敷地です。こんなだだっ広い土地、一体何に使っているのでしょうね。
…やっと玄関に着きました。いやはや、長い道のりでした。
出迎えてくださったのは…。ああ、小町氏ですね。狐の私が言うのも何ですが、絵に描いたような狸親父です。しかし当主がわざわざ出迎えてくださるとは、中々の好待遇です。まあ、その相手をこれから陥れるのですが…。
「やあやあ、待ってたよ君。えっと…。」
分からないのも当然でしょう。予定外ですから。
「稲荷黒香です。どうぞよろしくお願い致します。」
「ああ、そうそう!稲荷君。稲荷黒香君だ。…にしても、変わった名前だね。黒香君か。」
「よく言われます。それより、私の仕事は…。」
まずは仕事につかなければ意味がありません。無駄話はさっさと切り上げるに限ります。
「そうだったな。いや、やる気のあるいい人が来てくれたもんだ。」
「お褒めの言葉を頂き、光栄です。」
一通り家の中を案内して頂き、最後に小町氏に連れてこられたのは一枚の扉の前でした。
「この部屋は私の一人娘の部屋だ。」
小町氏は扉を指して言いました。
「まずは彼女の姿を見て欲しい。」
私は言われるままにノックをし、戸を開けました。
「失礼致します。」
顔を上げてその姿を目の当たりにした時、私は度肝を抜かれました。
驚いたように口を少し開いて、こちらを見つめる大きな瞳は鮮血のような赤。
病的なほど白く透き通ったほおには、ほんの僅かに紅がさしておりました。
その美しさもさる事ながら、何より目を引いたのはその髪でございました。
窓からの日の光を透かして輝く色素の薄い髪は、何とも気高いものでした。
彼女が本当にこんな狸親父の娘なのかと疑いたくなるほどです。
「貴方…。」
彼女はまだあどけなさの残る声で、私に尋ねてきました。
「わ…、私は、本日よりこちらにお勤めさせていただきます、稲荷と申します。」
彼女は潤んだような瞳を小町氏に向け、私の言葉など聞いていなかったかのように首を傾げたのでした。
「お父様…。こちらの方は?」
「彼はお前の新しい執事さんだよ。」
「…そうですか」
彼女は何故か寂しげでございました。
「白氷、私は彼と少し話があるからね。私の話が済んだら、彼に色々教えてあげなさい。」
白氷様というのか…。まさしく儚げな白い氷のような彼女にはぴったりなお名前です。
「はい、お父様。」
私は一礼して、部屋から退出しました。
「…どうだね、珍しいだろう。」
「珍しいと申しますと?」
小町氏は私の方を叩きました。
「君も驚いていたじゃないか、娘の容姿の事さ。」
「…ああ、確かに人間であのような白変を起こしておいでの方にお目にかかるのは私も初めてでございますが。」
彼は満足げに頷きました。
「そうだろう?実はあの子と私は血が繋がっていなくてね。」
正直、やはり、といった感想を持ちました。
「地方のある孤児院に住んでいたのを、私が金を出して買い取ったのだ。」
「え、お金ですか?」
孤児院から子供を引き取るなら、金など払う必要はないはずです。私は疑問を持ちました。
「孤児院の若院長が、彼女を娘として家に置いていたんだ。私はその頃子供が欲しくて、各地の孤児院を回っていたのだが、あの子を目にした途端にあの子の虜になってしまってね。金に物を言わせてあの子を買い取ってきたというわけだ。若い院長は不服そうだったが、孤児院という貧しい環境で若僧が子供を一人養っていけるのか尋ねたら、黙ってあの子を差し出したよ。」
この男はどこまで腐っているのでしょうね。
自らの欲を、何でも金で満たそうとする。
「それで…。私の仕事というのは?」
尋ねると、彼は白氷様のお部屋の戸を撫でました。
「君の仕事は白氷の身の回りの世話だ。彼女の専属になってもらう。」
「承知致しました。」
なるほど、私の仕事は白氷様の身辺警護。
それなら…。一番効率のいい復讐法はただ一つ。
白氷お嬢様の御命を、頂戴する事です。
私が犯人として疑われたところで、人間達が動き出した頃には私は高みの見物でしょう。
何の罪もない彼女には、大変申し訳ない話です。ですが、大切な物を奪われた恨みは、相手の大切な物を奪う事で返すのが筋です。
美しい花を手折るのは惜しいですが、植わった場所がいけなかったのです。
ただ、その美しさに敬意を払って、出来る限り芸術的に仕上げるとしましょう。
ああ、今から楽しみで仕方がありません…。あの狸親父の慌てふためく顔。どんな道化より可笑しいことでしょう。
「しかし、君…。」
「はい、何でございましょう?」
小町氏は首を傾げました。
「どこかで会ったかな?見覚えがある気がするのだ。」
「そのような事は…。旦那様の思い違いでございましょう。」
「そうかね…。まあ、まずはあの子と話でもして慣れてくれ。あの子は人見知りだからね…。」
言って、小町氏はその場を立ち去りました。
「失礼致します。」
私は白氷お嬢様のお部屋へと足を踏み入れました。
彼女は大きな縫いぐるみを抱えて、窓の外を眺めておられました。
「白氷お嬢様、少しお話をしませんか?」
心を許していただくには、まずコミュニケーションです。
「何せ私、執事として働くのは初めてでございまして…。白氷様が初めてのご主人様なのです。」
白氷お嬢様は返事をなさいませんでした。
仕方ありません、心を開いてくださるまで粘るとしましょう。
「…何かあればお申し付けください。」
私は彼女の傍に立ちました。
どれくらいの時間が過ぎたでしょう。
「ねえ…。」
白氷お嬢様が口を開きました。
「はい。」
せめて彼女を殺すまでは、忠実にお仕えしましょう。
「何か御用でございましょうか?」
彼女は僅かに視線を動かしました。
「何てお呼びしたらいいの?」
「呼び捨てでよろしゅうございます。」
「そう…。」
お嬢様は再び窓の外に目をやりました。
「…稲荷さんと言いましたわね、あなた。」
「はい。稲荷黒香です。」
「稲荷さん。あなた、私に見覚えはありません?」
「え?」
彼女もまた、私と会ったことがあると言い出すのでしょうか?警戒心が頭をもたげます。
「…ごめんなさい。お気になさらないで。」
「いえ。差し支えなければ、事情をお聞かせ願えませんでしょうか?」
お嬢様は腕に抱えていた縫いぐるみを、強く抱き直されました。
「…元の家族にそっくりだったの。ここに来る前に一緒に暮らしていた、孤児院の先生よ。お父様から話は聞いたでしょ?」
「ああ…。」
何という偶然。私が化けた姿は、彼女の元の養い手に生き写しだったようです。
「それはそれは…。お辛い事を思い出させてしまいましたか?」
「分かってくれるの?」
お嬢様は驚いたようにこちらを振り向かれました。
「他の人はみんな、お父様のやり方に逆らうのが怖いから無難な事しか言わないわ。あなたみたいに私の胸の内を察して、言葉にしてくれた人は初めてよ…。」
どうやら少し心を許してくださったようです。計画は順調。内心笑みが止まりません。
「稲荷。」
「何でしょう?」
お嬢様は、私の目の奥を覗き込むようにしました。思わず目を逸らします。
「稲荷も何だか寂しそうな顔してるわね。」
「え、わ、私が?」
この私が?寂しい顔を?
そんな世俗の感覚など知らない私を戸惑わせる、急な言葉でございました。
「そ、それは…どういう?」
「んー…、分かんないけど。」
お嬢様は長い睫毛を揺らしました。
「なんか、目まで先生と似てるのよ。」
「先生と仰いますと?」
「孤児院の。別れる間際の、先生の目よ。」
「…。」
…彼女は私の平静を乱す、危険な女のようでした。
ー早く始末しなければー
私は一層強く、決意するのでした。
勿論、引っ越しをお考えになる方がほとんどだと私は思います。一番手っ取り早く、他人に迷惑がかかるわけでもございませんから。
しかしながら皆様、それは皆様が人間であるから可能なお話。
私のような一介の雄狐には、人間の皆様には容易い事でも大変な試練なのでございます。
ですから、今回の出来事は私にとって大変な痛手となりまして…。と、このような事を申しても、事情をお知りでない皆様には何の事やらさっぱりといったところでございましょう。
というわけで、私から簡単にご説明の方をさせていただきます。
私、黒狐黒香はこの地に住み着いて数百年とまだまだ未熟な若狐ですが、先祖より受け継いだこの地をこよなく愛しておりました。この地には私以外にも沢山の妖が住み着いており、大変豊かな土地となっておりました。
町のお年寄りの方々は、先代と同じように私を崇め、大切にしてくださいました。ありがたい事です。
しかし時が経つにつれ、そんな方々も一握りになってしまいました。住み着いていた妖も土地の汚染で殆どが消滅し、稲荷信仰の薄れたこの地には、開発の話が持ち上がりました。
話はとんとん拍子にまとまり、私の住処…つまりこの祠周辺を一切潰してしまい、大型のスーパーマーケットを建設するという計画が立てられたようでした。スーパーマーケットなんぞ、そこらに腐るほどあるというのに。
勿論、私も黙ってそれを見ていた訳ではございません。大型の機材を倒してやったり、得意の化かしを使って事故を起こさせたりと努力はしました。12、3人は死にましたかね。
しかし、流石は人間。祠にこびりついた苔並みにしつこい。
彼らは開発を諦めず、ついにスーパーマーケットを作り上げました。まあ、商売の神である稲荷を潰して作った店なんか、繁盛させてやる気はさらさらございませんがね。
こうして残ったのは、不思議と繁盛しない大手スーパーマーケットと行き場を失った私。一体何がしたかったのでしょうね、人間達は。
私達狐は一つの住処につけば、死ぬまでその場に留まる必要がございます。しかし…。住処をスーパーマーケットなんぞにされてしまっては、住みようがありません。おかげで毎日野宿です。
という訳で、私は彼らに復讐を誓ったのでございます。しかし開発に関わった全ての人間を始末するというのも、私の徳に反します。だから、開発の中心人物である小町氏に的を絞りました。彼の「小町財閥」さえ私の土地を買収したりしなければ、私は今迄通りの生活を続けられていたに違いありませんから。
私の言い分、お分かり頂けましたでしょうか?
私は今、計画を実行するべく小町邸に向かっております。
計画は以下の通り。
・執事として小町邸に潜り込む。
・小町家内部で何らかの動きを起こし、一家を崩壊させる。
如何でしょう。到底綿密な計画とは言えませんが、私の狐の能力をもってすれば容易い事でしょう。
さて、そろそろ人間の姿になりましょうか。場所は…。あの草むら辺りがいいですね。
よっ…と。変化も慣れれば簡単です。見た目も自由自在。尤も、人間社会では見た目がいい方が得をしますから、化けるのは専ら二枚目か美女ですがね。
あとは髪を撫で付けて、きちんとした印象を。眼鏡をかけるとさらにきっちりして見えるそうなので、木の枝で作る事にしましょう。
…さて、これでいいはずです。早速小町邸に入ってみましょう。
大きな門の傍についたインターホンを鳴らすと、堅苦しい調子の男性の声が対応してくださいました。
「はい、ご用件は?」
「すみません、本日よりこちらで執事を務めさせていただきます、稲荷黒香と申します。」
ここでまずマイク越しに術をかけます。するとたちまちこの人間は私の手中に落ちてしまいます。
「…あ、はい。お待ちしておりました、どうぞお入りください。」
「失礼致します。」
本当は、今日小町家に執事が来る予定などございません。いわゆるハッタリというものです。私達狐はその類が得意でございまして…。都で人間達を化かす時や、人間社会に潜り込む時に使います。今回は後者ですね。
あ、門が開きました。侵入成功です。
それにしても広い敷地です。こんなだだっ広い土地、一体何に使っているのでしょうね。
…やっと玄関に着きました。いやはや、長い道のりでした。
出迎えてくださったのは…。ああ、小町氏ですね。狐の私が言うのも何ですが、絵に描いたような狸親父です。しかし当主がわざわざ出迎えてくださるとは、中々の好待遇です。まあ、その相手をこれから陥れるのですが…。
「やあやあ、待ってたよ君。えっと…。」
分からないのも当然でしょう。予定外ですから。
「稲荷黒香です。どうぞよろしくお願い致します。」
「ああ、そうそう!稲荷君。稲荷黒香君だ。…にしても、変わった名前だね。黒香君か。」
「よく言われます。それより、私の仕事は…。」
まずは仕事につかなければ意味がありません。無駄話はさっさと切り上げるに限ります。
「そうだったな。いや、やる気のあるいい人が来てくれたもんだ。」
「お褒めの言葉を頂き、光栄です。」
一通り家の中を案内して頂き、最後に小町氏に連れてこられたのは一枚の扉の前でした。
「この部屋は私の一人娘の部屋だ。」
小町氏は扉を指して言いました。
「まずは彼女の姿を見て欲しい。」
私は言われるままにノックをし、戸を開けました。
「失礼致します。」
顔を上げてその姿を目の当たりにした時、私は度肝を抜かれました。
驚いたように口を少し開いて、こちらを見つめる大きな瞳は鮮血のような赤。
病的なほど白く透き通ったほおには、ほんの僅かに紅がさしておりました。
その美しさもさる事ながら、何より目を引いたのはその髪でございました。
窓からの日の光を透かして輝く色素の薄い髪は、何とも気高いものでした。
彼女が本当にこんな狸親父の娘なのかと疑いたくなるほどです。
「貴方…。」
彼女はまだあどけなさの残る声で、私に尋ねてきました。
「わ…、私は、本日よりこちらにお勤めさせていただきます、稲荷と申します。」
彼女は潤んだような瞳を小町氏に向け、私の言葉など聞いていなかったかのように首を傾げたのでした。
「お父様…。こちらの方は?」
「彼はお前の新しい執事さんだよ。」
「…そうですか」
彼女は何故か寂しげでございました。
「白氷、私は彼と少し話があるからね。私の話が済んだら、彼に色々教えてあげなさい。」
白氷様というのか…。まさしく儚げな白い氷のような彼女にはぴったりなお名前です。
「はい、お父様。」
私は一礼して、部屋から退出しました。
「…どうだね、珍しいだろう。」
「珍しいと申しますと?」
小町氏は私の方を叩きました。
「君も驚いていたじゃないか、娘の容姿の事さ。」
「…ああ、確かに人間であのような白変を起こしておいでの方にお目にかかるのは私も初めてでございますが。」
彼は満足げに頷きました。
「そうだろう?実はあの子と私は血が繋がっていなくてね。」
正直、やはり、といった感想を持ちました。
「地方のある孤児院に住んでいたのを、私が金を出して買い取ったのだ。」
「え、お金ですか?」
孤児院から子供を引き取るなら、金など払う必要はないはずです。私は疑問を持ちました。
「孤児院の若院長が、彼女を娘として家に置いていたんだ。私はその頃子供が欲しくて、各地の孤児院を回っていたのだが、あの子を目にした途端にあの子の虜になってしまってね。金に物を言わせてあの子を買い取ってきたというわけだ。若い院長は不服そうだったが、孤児院という貧しい環境で若僧が子供を一人養っていけるのか尋ねたら、黙ってあの子を差し出したよ。」
この男はどこまで腐っているのでしょうね。
自らの欲を、何でも金で満たそうとする。
「それで…。私の仕事というのは?」
尋ねると、彼は白氷様のお部屋の戸を撫でました。
「君の仕事は白氷の身の回りの世話だ。彼女の専属になってもらう。」
「承知致しました。」
なるほど、私の仕事は白氷様の身辺警護。
それなら…。一番効率のいい復讐法はただ一つ。
白氷お嬢様の御命を、頂戴する事です。
私が犯人として疑われたところで、人間達が動き出した頃には私は高みの見物でしょう。
何の罪もない彼女には、大変申し訳ない話です。ですが、大切な物を奪われた恨みは、相手の大切な物を奪う事で返すのが筋です。
美しい花を手折るのは惜しいですが、植わった場所がいけなかったのです。
ただ、その美しさに敬意を払って、出来る限り芸術的に仕上げるとしましょう。
ああ、今から楽しみで仕方がありません…。あの狸親父の慌てふためく顔。どんな道化より可笑しいことでしょう。
「しかし、君…。」
「はい、何でございましょう?」
小町氏は首を傾げました。
「どこかで会ったかな?見覚えがある気がするのだ。」
「そのような事は…。旦那様の思い違いでございましょう。」
「そうかね…。まあ、まずはあの子と話でもして慣れてくれ。あの子は人見知りだからね…。」
言って、小町氏はその場を立ち去りました。
「失礼致します。」
私は白氷お嬢様のお部屋へと足を踏み入れました。
彼女は大きな縫いぐるみを抱えて、窓の外を眺めておられました。
「白氷お嬢様、少しお話をしませんか?」
心を許していただくには、まずコミュニケーションです。
「何せ私、執事として働くのは初めてでございまして…。白氷様が初めてのご主人様なのです。」
白氷お嬢様は返事をなさいませんでした。
仕方ありません、心を開いてくださるまで粘るとしましょう。
「…何かあればお申し付けください。」
私は彼女の傍に立ちました。
どれくらいの時間が過ぎたでしょう。
「ねえ…。」
白氷お嬢様が口を開きました。
「はい。」
せめて彼女を殺すまでは、忠実にお仕えしましょう。
「何か御用でございましょうか?」
彼女は僅かに視線を動かしました。
「何てお呼びしたらいいの?」
「呼び捨てでよろしゅうございます。」
「そう…。」
お嬢様は再び窓の外に目をやりました。
「…稲荷さんと言いましたわね、あなた。」
「はい。稲荷黒香です。」
「稲荷さん。あなた、私に見覚えはありません?」
「え?」
彼女もまた、私と会ったことがあると言い出すのでしょうか?警戒心が頭をもたげます。
「…ごめんなさい。お気になさらないで。」
「いえ。差し支えなければ、事情をお聞かせ願えませんでしょうか?」
お嬢様は腕に抱えていた縫いぐるみを、強く抱き直されました。
「…元の家族にそっくりだったの。ここに来る前に一緒に暮らしていた、孤児院の先生よ。お父様から話は聞いたでしょ?」
「ああ…。」
何という偶然。私が化けた姿は、彼女の元の養い手に生き写しだったようです。
「それはそれは…。お辛い事を思い出させてしまいましたか?」
「分かってくれるの?」
お嬢様は驚いたようにこちらを振り向かれました。
「他の人はみんな、お父様のやり方に逆らうのが怖いから無難な事しか言わないわ。あなたみたいに私の胸の内を察して、言葉にしてくれた人は初めてよ…。」
どうやら少し心を許してくださったようです。計画は順調。内心笑みが止まりません。
「稲荷。」
「何でしょう?」
お嬢様は、私の目の奥を覗き込むようにしました。思わず目を逸らします。
「稲荷も何だか寂しそうな顔してるわね。」
「え、わ、私が?」
この私が?寂しい顔を?
そんな世俗の感覚など知らない私を戸惑わせる、急な言葉でございました。
「そ、それは…どういう?」
「んー…、分かんないけど。」
お嬢様は長い睫毛を揺らしました。
「なんか、目まで先生と似てるのよ。」
「先生と仰いますと?」
「孤児院の。別れる間際の、先生の目よ。」
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