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籠の鳥を放つのは
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「稲荷。」
「はい、お嬢様。」
「今日のお洋服、どっちがいいかしら?」
「お嬢様はどのようなお召し物でも着こなしてしまわれますからね…。悩みどころですが、今日はこちらのラベンダーがよろしいかと。」
私はTV画面に映る星座占いを見て、お嬢様の質問にお答えしました。
「本日のラッキーカラーでございます。」
「私の誕生月、覚えたのね。」
「当然でございます。」
小町家に潜入して一週間。仕事には慣れてまいりました。
ただ、私には一つ気になる事がございました。
「お嬢様…。私が来て一週間、お嬢様はこの家を出ていらっしゃらないような気がするのですが。」
すると彼女は、僅かに俯きました。
「いつもの事よ。稲荷が来る前から。」
「それはまたどうして?」
「お父様が、外に出る事を許してくださらないの。」
「何ですって…。」
彼女の話によれば、小町氏は毎日自分の気の向いた時に、彼女を見て楽しむのだそうです。
何という変態親父でしょう。自分と同じ人間を、まるでペットや観賞用の品のように扱うとは。
「外なんかに出れば、お前のその真っ白な美しさが外気に侵されてしまう。お父様はそう仰ったわ。」
「…。」
「私は自分が美しいなんて思った事、一度もない。」
彼女は自分の綺麗な髪を乱暴に掴みました。
「ああ…!普通の黒い髪が欲しい!この目も、鳶色であって欲しかった…!」
「お嬢様、落ち着いてください。」
どうやら、お嬢様にとって白変は大きなコンプレックスのようでございました。一週間側にいて、それが手に取るように分かりました。
「ごめんなさい。この色のせいで、今まで色んな思いをしてきたものだから…。」
お嬢様は私を見上げて、深々とため息をつかれました。
「貴方の髪は、うっとりするほど深い黒色ね。羨ましい。」
「いえ…。」
少々髪色を黒くしすぎたのでしょうか。
「稲荷、ホットミルクを淹れて。」
「承知致しました。」
私は一旦退室し、キッチンへと向かいました。
途中、小町氏とすれ違いました。
「稲荷君。」
「何でございましょう?」
小町氏は満足気な笑みを浮かべて、私の肩を叩きました。
「君がここに来てから、白氷が一層美しくなった気がする。おそらくよく笑うようになったからだろうな。顔色も良くなった。」
「それは大変喜ばしいことで。」
「それも君のお陰だ。君、中々有能じゃないか。」
「お褒め頂き、光栄です。」
「それじゃ私は、開発部の者と打ち合わせがあるのでね。ちょっと出てくるよ。」
「はい、いってらっしゃいませ。」
小町氏と別れ、私はキッチンでホットミルクを淹れておりました。
私が来る以前は、今より笑顔が少なかったとは。相当な問題です。一体どのような環境に彼女を置いていたのか…。
部屋に帰り、お嬢様の元にミルクを差し出しました。
「どうぞ。」
「ありがとう。」
彼女はカップに口をつけました。。
「…美味しいわ。ミルク淹れるの上手ね。」
「ご満足いただけたようで何よりです。」
「先生にもよくミルクを淹れてもらったものよ…。」
お嬢様は昔を懐かしむ様子で目を閉じました。
「先生と暮らしていた時は楽しかったのよ。毎日外で遊んだり、どこかへ出かけたり。」
私はお嬢様に尋ねました。
「お嬢様は今でも、孤児院の生活を恋しく思われているのですか?」
「当然よ!」
大きな声で仰ってから、気がついたように口を押さえた彼女はこちらを心配そうに見上げました。
「…お父様に聞こえていないかしら?孤児院が恋しいなんて言ったら、お父様はきっとお怒りになるわ。」
「それはご心配なく。旦那様は打ち合わせのため、外出中でございます。」
「良かった…。」
お嬢様は心から安心したようでございました。
「お父様は私を自由にしてくださらないわ。誰かに、この呪縛を解いてほしい…。」
彼女は祈るように胸の前で手を合わせました。
「絵本で読んだことがあるのよ。昔、悪い王様が、お姫様を高い塔に閉じ込めてドラゴンに守らせるの。するとそこに、白馬に乗った王子様が現れてドラゴンを退治し、お姫様を助け出してくれるの。」
「ほう…。」
ありがちな、他愛もない昔話です。
「この家に例えたら、王様はお父様、姫は私。塔はこの家、ドラゴンはあなたかしら?」
お嬢様はくすりと笑いました。その様子は、非常にチャーミングでございました。
「救い出してくれる王子様は誰かしらね?私を白馬に乗せて、どこかへ連れていってくれる人。」
「…。」
私は急に、彼女に絵本ではない本物の世界を見せて差し上げたくなりました。
「お嬢様。」
「何?」
「王子様の後ろとまではいきませんが…。乗馬でもなさいませんか?」
「え?」
お嬢様は、きょとんとした顔をしてこちらを見上げました。
私はその手をとり、彼女に向かって微笑んで見せました。
「どうぞ、こちらへ。」
ー
「稲荷、どこいっちゃったのかしら…。」
私はあの広い庭にお嬢様をお待たせしておりました。
私は急いで、彼女の元に駆け寄りました。
ーお嬢様、お待たせして申し訳ございませんでしたー
「まあ…。真っ黒な馬…。」
お嬢様は私の姿を、驚いた様子で見ておられました。
「こんな立派な馬…。どこにいたのかしら?」
そう。私は狐ですから、何にでも化ける事ができます。馬の姿に化けて、お嬢様に乗馬を楽しんでいただこうと思ったのでございます。
…皆様、勘違いをなさらぬよう。これも計画の一部。私に対するお嬢様の警戒心を完全に解くための計画なのでございます。
「稲荷は馬が来たら乗っていいって言ってたけど…。本当にいいのかしら?」
私はお嬢様が背中に乗りやすいよう、前脚を折りました。
「まあ。お利口な馬ね。」
お嬢様がしっかり私の背に跨ったのを確認して、私はゆっくり歩みを進めました。
「わあ!」
彼女は楽しそうに歓声を上げて、私の首に抱きつきました。
「すごい!もっと早く走れる?」
私はお嬢様の期待にお応えして、歩調を早めました。
丁寧にカットされた芝生を蹴り、私達は風を切りました。
「凄く気持ちいい…。こんなに楽しいの久し振りよ!」
お嬢様のはしゃぎ声が、楽しげにこだまします。
「白馬ではないけど…。私はむしろその方がいいわ。」
お嬢様は微かに、しかしはっきりとした口調で呟きました。
「白は…。嫌いですもの。」
私は何だか妙な心持ちになりました。
その時、集中力が途切れたのか、お嬢様の身体の重心が大きくずれました。
「あ…!」
いきなり軽くなった背中。
私は思わず人間の姿に戻り、彼女を抱きとめました。
「お嬢様?お嬢様!」
「…。」
脈はあります。どうやら、気を失っているだけのようでした。
「ふう…。」
私は彼女を抱きかかえて、部屋に戻りました。
ー
お嬢様を寝かせたベッドの傍で、私は頭を抱えていました。
あの時そのまま落馬させておけば、彼女は地べたに叩きつけられてただでは済まなかったはず。
私の目的はお嬢様を殺す事。
殺して、その死体を庭の真ん中に放っておけば、出先から帰ってきた小町氏はそれを目にして慌てふためくでしょう。
その様子を見て楽しむのが、私の本来の目的だったはずなのです。
私はなぜ、彼女を救ってしまったのでしょう。
そしてなぜ、彼女が無事だった事に安堵してしまったのでしょう。
私の中に生まれつつある、何か混沌とした感情が自身の信念の邪魔をするのです。
「う…。」
と、その時、ベッドの中のお嬢様が微かに呻き声を上げました。
「お嬢様。お目覚めになりましたか?」
「稲荷…。私、確か外に…。それで馬から落ちて…。」
「夢でも見たのでございましょう。」
「そう…。」
お嬢様は暫くぼうっとしておられましたが、やがて何かに気付いたかのようにこちらを向きました。
「稲荷…。あなたはドラゴンなんかじゃないかもしれない…。」
「何の事でございましょう?」
彼女は微かに微笑み、ベッドに潜り込みました。
「…ううん、何でもない。」
「?」
「夢よ。とても楽しい…。最高の夢だった。稲荷、ありがとう。下がっていいわ。」
「承知致しました。」
正直、私にはお嬢様の心の内は計りかねました。
「失礼致します。」
私は自室の布団の上で、身体を休める事にしました。
得意とはいえ、長い間他の物に化けているのは体力を使います。
鍵のかかるこの部屋では、唯一本来の姿でいる事ができるのです。
毛繕いをして欠伸をし、ベッドに横になってみました。
どっと疲れが出て、私はつい眠ってしまいました。
ー
夢を見ました。
白氷お嬢様と私が、小さな一軒家で平凡に暮らす夢でした。
夢の中のお嬢様は、笑顔を絶やさない太陽のような女でした。
そんな彼女と共に暮らす私も、なぜかとても優しい気持ちでした。
夢から覚めると、ぞっとしました。
もしや私は、自身でも気づかないところであの夢のようなシチュエーションを望んでいるのではないでしょうか。
そう考えると、何だか自分が俗に染まっているような気がして虫酸が走るのです。
窓の外を見ると、既に夜が明けておりました。
窓から見えた屋敷裏の湖畔は、あの狸親父の持ち物としては不釣り合いなほど美しく見えました。
その時、部屋の戸がノックされました。
私は慌てて人間の姿に化けて、戸を開けました。
「やあ、おはよう稲荷君。」
「これは旦那様、おはようございます。」
頭を下げて、初めて小町氏の隣に誰かが立っているのが見えました。
「おや、そちらの方は…。」
小町氏の隣に立っていたのは、センター分けの真面目そうな風貌の男性でした。色が白く、少し気の弱そうな印象を受けました。
「実は昨日、庭の芝生が乱れていたので庭師をクビにしたんだ。するとタイミング良く彼が雇ってほしいと言ってきたんだよ。経歴もしっかりした、信頼できる男だ。」
芝生の乱れは恐らく私のせいでしょう。心が乱れたせいで、ドジを踏んだようです。
ですが庭師が変わったところで、私の計画は狂いません。
男性は私に向かって深々と頭を下げました。
「浦戸赤夜と申します。どうぞ宜しくお願い申し上げます。」
「浦戸さんですか…。こちらこそ宜しくお願いします。」
ん…。何でしょう、この違和感は。
「どうかなさいましたか?」
浦戸氏が心配げにこちらを見ておりました。
「あ…。いえ、何でも。」
小町氏らと別れ、私は本格的な身支度をしながら違和感の正体を探っておりました。
そして、やっとぴんと来ました。
違和感の発信源は、浦戸氏でございました。
やはり、計画は少し狂いそうです。
「はい、お嬢様。」
「今日のお洋服、どっちがいいかしら?」
「お嬢様はどのようなお召し物でも着こなしてしまわれますからね…。悩みどころですが、今日はこちらのラベンダーがよろしいかと。」
私はTV画面に映る星座占いを見て、お嬢様の質問にお答えしました。
「本日のラッキーカラーでございます。」
「私の誕生月、覚えたのね。」
「当然でございます。」
小町家に潜入して一週間。仕事には慣れてまいりました。
ただ、私には一つ気になる事がございました。
「お嬢様…。私が来て一週間、お嬢様はこの家を出ていらっしゃらないような気がするのですが。」
すると彼女は、僅かに俯きました。
「いつもの事よ。稲荷が来る前から。」
「それはまたどうして?」
「お父様が、外に出る事を許してくださらないの。」
「何ですって…。」
彼女の話によれば、小町氏は毎日自分の気の向いた時に、彼女を見て楽しむのだそうです。
何という変態親父でしょう。自分と同じ人間を、まるでペットや観賞用の品のように扱うとは。
「外なんかに出れば、お前のその真っ白な美しさが外気に侵されてしまう。お父様はそう仰ったわ。」
「…。」
「私は自分が美しいなんて思った事、一度もない。」
彼女は自分の綺麗な髪を乱暴に掴みました。
「ああ…!普通の黒い髪が欲しい!この目も、鳶色であって欲しかった…!」
「お嬢様、落ち着いてください。」
どうやら、お嬢様にとって白変は大きなコンプレックスのようでございました。一週間側にいて、それが手に取るように分かりました。
「ごめんなさい。この色のせいで、今まで色んな思いをしてきたものだから…。」
お嬢様は私を見上げて、深々とため息をつかれました。
「貴方の髪は、うっとりするほど深い黒色ね。羨ましい。」
「いえ…。」
少々髪色を黒くしすぎたのでしょうか。
「稲荷、ホットミルクを淹れて。」
「承知致しました。」
私は一旦退室し、キッチンへと向かいました。
途中、小町氏とすれ違いました。
「稲荷君。」
「何でございましょう?」
小町氏は満足気な笑みを浮かべて、私の肩を叩きました。
「君がここに来てから、白氷が一層美しくなった気がする。おそらくよく笑うようになったからだろうな。顔色も良くなった。」
「それは大変喜ばしいことで。」
「それも君のお陰だ。君、中々有能じゃないか。」
「お褒め頂き、光栄です。」
「それじゃ私は、開発部の者と打ち合わせがあるのでね。ちょっと出てくるよ。」
「はい、いってらっしゃいませ。」
小町氏と別れ、私はキッチンでホットミルクを淹れておりました。
私が来る以前は、今より笑顔が少なかったとは。相当な問題です。一体どのような環境に彼女を置いていたのか…。
部屋に帰り、お嬢様の元にミルクを差し出しました。
「どうぞ。」
「ありがとう。」
彼女はカップに口をつけました。。
「…美味しいわ。ミルク淹れるの上手ね。」
「ご満足いただけたようで何よりです。」
「先生にもよくミルクを淹れてもらったものよ…。」
お嬢様は昔を懐かしむ様子で目を閉じました。
「先生と暮らしていた時は楽しかったのよ。毎日外で遊んだり、どこかへ出かけたり。」
私はお嬢様に尋ねました。
「お嬢様は今でも、孤児院の生活を恋しく思われているのですか?」
「当然よ!」
大きな声で仰ってから、気がついたように口を押さえた彼女はこちらを心配そうに見上げました。
「…お父様に聞こえていないかしら?孤児院が恋しいなんて言ったら、お父様はきっとお怒りになるわ。」
「それはご心配なく。旦那様は打ち合わせのため、外出中でございます。」
「良かった…。」
お嬢様は心から安心したようでございました。
「お父様は私を自由にしてくださらないわ。誰かに、この呪縛を解いてほしい…。」
彼女は祈るように胸の前で手を合わせました。
「絵本で読んだことがあるのよ。昔、悪い王様が、お姫様を高い塔に閉じ込めてドラゴンに守らせるの。するとそこに、白馬に乗った王子様が現れてドラゴンを退治し、お姫様を助け出してくれるの。」
「ほう…。」
ありがちな、他愛もない昔話です。
「この家に例えたら、王様はお父様、姫は私。塔はこの家、ドラゴンはあなたかしら?」
お嬢様はくすりと笑いました。その様子は、非常にチャーミングでございました。
「救い出してくれる王子様は誰かしらね?私を白馬に乗せて、どこかへ連れていってくれる人。」
「…。」
私は急に、彼女に絵本ではない本物の世界を見せて差し上げたくなりました。
「お嬢様。」
「何?」
「王子様の後ろとまではいきませんが…。乗馬でもなさいませんか?」
「え?」
お嬢様は、きょとんとした顔をしてこちらを見上げました。
私はその手をとり、彼女に向かって微笑んで見せました。
「どうぞ、こちらへ。」
ー
「稲荷、どこいっちゃったのかしら…。」
私はあの広い庭にお嬢様をお待たせしておりました。
私は急いで、彼女の元に駆け寄りました。
ーお嬢様、お待たせして申し訳ございませんでしたー
「まあ…。真っ黒な馬…。」
お嬢様は私の姿を、驚いた様子で見ておられました。
「こんな立派な馬…。どこにいたのかしら?」
そう。私は狐ですから、何にでも化ける事ができます。馬の姿に化けて、お嬢様に乗馬を楽しんでいただこうと思ったのでございます。
…皆様、勘違いをなさらぬよう。これも計画の一部。私に対するお嬢様の警戒心を完全に解くための計画なのでございます。
「稲荷は馬が来たら乗っていいって言ってたけど…。本当にいいのかしら?」
私はお嬢様が背中に乗りやすいよう、前脚を折りました。
「まあ。お利口な馬ね。」
お嬢様がしっかり私の背に跨ったのを確認して、私はゆっくり歩みを進めました。
「わあ!」
彼女は楽しそうに歓声を上げて、私の首に抱きつきました。
「すごい!もっと早く走れる?」
私はお嬢様の期待にお応えして、歩調を早めました。
丁寧にカットされた芝生を蹴り、私達は風を切りました。
「凄く気持ちいい…。こんなに楽しいの久し振りよ!」
お嬢様のはしゃぎ声が、楽しげにこだまします。
「白馬ではないけど…。私はむしろその方がいいわ。」
お嬢様は微かに、しかしはっきりとした口調で呟きました。
「白は…。嫌いですもの。」
私は何だか妙な心持ちになりました。
その時、集中力が途切れたのか、お嬢様の身体の重心が大きくずれました。
「あ…!」
いきなり軽くなった背中。
私は思わず人間の姿に戻り、彼女を抱きとめました。
「お嬢様?お嬢様!」
「…。」
脈はあります。どうやら、気を失っているだけのようでした。
「ふう…。」
私は彼女を抱きかかえて、部屋に戻りました。
ー
お嬢様を寝かせたベッドの傍で、私は頭を抱えていました。
あの時そのまま落馬させておけば、彼女は地べたに叩きつけられてただでは済まなかったはず。
私の目的はお嬢様を殺す事。
殺して、その死体を庭の真ん中に放っておけば、出先から帰ってきた小町氏はそれを目にして慌てふためくでしょう。
その様子を見て楽しむのが、私の本来の目的だったはずなのです。
私はなぜ、彼女を救ってしまったのでしょう。
そしてなぜ、彼女が無事だった事に安堵してしまったのでしょう。
私の中に生まれつつある、何か混沌とした感情が自身の信念の邪魔をするのです。
「う…。」
と、その時、ベッドの中のお嬢様が微かに呻き声を上げました。
「お嬢様。お目覚めになりましたか?」
「稲荷…。私、確か外に…。それで馬から落ちて…。」
「夢でも見たのでございましょう。」
「そう…。」
お嬢様は暫くぼうっとしておられましたが、やがて何かに気付いたかのようにこちらを向きました。
「稲荷…。あなたはドラゴンなんかじゃないかもしれない…。」
「何の事でございましょう?」
彼女は微かに微笑み、ベッドに潜り込みました。
「…ううん、何でもない。」
「?」
「夢よ。とても楽しい…。最高の夢だった。稲荷、ありがとう。下がっていいわ。」
「承知致しました。」
正直、私にはお嬢様の心の内は計りかねました。
「失礼致します。」
私は自室の布団の上で、身体を休める事にしました。
得意とはいえ、長い間他の物に化けているのは体力を使います。
鍵のかかるこの部屋では、唯一本来の姿でいる事ができるのです。
毛繕いをして欠伸をし、ベッドに横になってみました。
どっと疲れが出て、私はつい眠ってしまいました。
ー
夢を見ました。
白氷お嬢様と私が、小さな一軒家で平凡に暮らす夢でした。
夢の中のお嬢様は、笑顔を絶やさない太陽のような女でした。
そんな彼女と共に暮らす私も、なぜかとても優しい気持ちでした。
夢から覚めると、ぞっとしました。
もしや私は、自身でも気づかないところであの夢のようなシチュエーションを望んでいるのではないでしょうか。
そう考えると、何だか自分が俗に染まっているような気がして虫酸が走るのです。
窓の外を見ると、既に夜が明けておりました。
窓から見えた屋敷裏の湖畔は、あの狸親父の持ち物としては不釣り合いなほど美しく見えました。
その時、部屋の戸がノックされました。
私は慌てて人間の姿に化けて、戸を開けました。
「やあ、おはよう稲荷君。」
「これは旦那様、おはようございます。」
頭を下げて、初めて小町氏の隣に誰かが立っているのが見えました。
「おや、そちらの方は…。」
小町氏の隣に立っていたのは、センター分けの真面目そうな風貌の男性でした。色が白く、少し気の弱そうな印象を受けました。
「実は昨日、庭の芝生が乱れていたので庭師をクビにしたんだ。するとタイミング良く彼が雇ってほしいと言ってきたんだよ。経歴もしっかりした、信頼できる男だ。」
芝生の乱れは恐らく私のせいでしょう。心が乱れたせいで、ドジを踏んだようです。
ですが庭師が変わったところで、私の計画は狂いません。
男性は私に向かって深々と頭を下げました。
「浦戸赤夜と申します。どうぞ宜しくお願い申し上げます。」
「浦戸さんですか…。こちらこそ宜しくお願いします。」
ん…。何でしょう、この違和感は。
「どうかなさいましたか?」
浦戸氏が心配げにこちらを見ておりました。
「あ…。いえ、何でも。」
小町氏らと別れ、私は本格的な身支度をしながら違和感の正体を探っておりました。
そして、やっとぴんと来ました。
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やはり、計画は少し狂いそうです。
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