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浦戸赤夜
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「稲荷さん、先上がりますね。」
「はい。お疲れ様です。」
あくる日の夕方、1日の仕事終了後に浦戸氏に尋ねてみました。
「浦戸さん。今日は自宅ですか?」
浦戸氏は頷きました。
「はい。そういえば稲荷さんは住み込みでしたね。」
「ええ。」
少し雑談が入りましたが、本題は浦戸氏が自宅に帰るかどうか。帰りそうなら尾行して家と彼自身を調べるつもりです。
彼はたまに小町邸に泊まるので、調査には重要な情報でした。
どうやら今日は自宅に帰るようです。それなら私も準備をしなくては…。
私は急いで部屋に戻り、私の身代わりになるよう術をかけた人形をベッドに寝かせました。
そして、浦戸氏が小町邸を出るのを見計らって、狐の姿になって尾行を始めました。
幸い私の体は黒いので、闇夜に紛れて目立ちません。
時々隠れながら、暫く彼をつけていくと、あまり見た事のないような大きなお屋敷が見えてきました。こんな大きなお屋敷に、一人で住んでいるのでしょうか。
そのお屋敷も何となく寂れたような、廃墟のような雰囲気の漂うお屋敷でした。
その門を押し開けて、浦戸氏は屋敷の庭に入っていきました。
私も続いて入ろうとしましたが、踏みとどまりました。
下は芝生です。踏めば音が鳴ってばれてしまいます。
という訳で、私は音を立てずに飛ぶ事のできる梟に姿を変え、彼を追いました。
彼が建物内部に入りました。私は今度はネズミに化け、戸の隙間から屋敷に侵入しました。
…あ、いました。階段を上っています。そして…。並んだ部屋の一つに入りました。私も何とか滑り込みセーフで入ることができました。
私は物陰に隠れて、彼の観察を始めました。
彼はベッドに腰掛け、ため息を一つつきました。そして、傍に置いた鞄から何やら取り出し、胸に抱きました。
それはどうやら、リボンのようでした。
その柄には見覚えがありました。お嬢様がいつもつけていらっしゃるものです。
そういえば、と私は今日お嬢様の仰っていたことを思い出しました。
ー今日は、浦戸さんにプレゼントをあげたのよ。彼は使わないかもしれないけど、とても喜んでくれたわー
この話を聞いた時、なぜか浦戸氏を羨ましく思ったのを覚えています。
プレゼントとはあのリボンの事だったのでしょう。
浦戸氏はリボンを見つめて、呟きました。
「白氷お嬢様…。私と同じように、人と違う寂しさを抱えてこられた方か。あんな可憐な方が私を気に入ってくださるなんて…。」
彼は固い決意の籠った口調で言いました。
「是非私の花嫁に迎えたい。きっと彼女なら分かってくれるだろう。…この屋敷で、永遠に2人で暮らすのだ。想像するだけでも胸が高鳴る。」
そして彼は、大きく伸びをしました。
(!)
私は驚きました。彼が伸びをすると同時に、彼の背から大きな黒い羽根が生えたのです。
「いけない、またやってしまったか…。」
浦戸氏は別段驚いた様子も見せず、スーツとワイシャツを脱ぎました。
そしてそれらを洗い場に運び、洗濯籠に入れました。
彼はそのままバスルームに入りました。
この隙に、室内を調べるとしましょう。
私は人間の姿になって、クローゼットや箪笥を調べ始めました。
クローゼットの中には、合わせの部分が飾られた白シャツと質のいいズボン、ネクタイ掛けには上質なシルクのリボンタイが掛けられていました。
彼がこんな高級な服装をしているのは見た事がありません。
箪笥には普通のシャツが入っていました。
一体彼は何者なのか…。余計分からなくなりました。
私は次に冷蔵庫を開けてみました。
するとそこは空っぽで、何の食材もありませんでした。手を入れてみると、冷たくありません。どうやらダミーのようです。
私は冷蔵庫のダミーを閉め、別の場所を調べようとしました。しかしその時、バスルームから物音がしました。浦戸氏が入浴を終えたようです。
屋敷の別の場所を調べる事にしましょう。
私は再びネズミに姿を変え、部屋を出ました。
廊下には同じような扉が沢山あり、慣れていないと迷いそうでした。
階下に降り、暫く探索していると、地下に続く階段を見つけました。降りてみましょう。
段を降りていくと、ひんやりとした地下の空気が足に伝わって体が冷えてしまいました。
私は人間の姿に化けようとしましたが、どうやら短時間に色んな物に化けすぎて妖力を使い果たしてしまったのか、人型にはなれたものの耳と尻尾がそのままになってしまいました。まあ、人に見られなければ問題はないでしょう。
…どうやら階段を降りきったようです。暗くて周りがよく見えませんが…。
「狐火…。」
私は狐火を出し、周りを照らしました。
「!?」
そこは地下牢のようでした。
そしてその中には、沢山の人間の女性が閉じ込められていました。揃いも揃って美人ばかりです。
その中の女性の一人が私に気付き、言いました。
「あ、あなた!」
「は、はいっ!?」
私は耳と尻尾について言及されると思い、慌てました。
しかし、女性の口から発せられたのは意外な言葉でした。
「血…!」
「は…?」
女性は尚も繰り返しました。
「血…。あなたの血を頂戴…!」
「…え?」
私は首を傾げました。血を欲しがる人間など、聞いた事がありません。
が、そうのんびりしてばかりもいられなくなりました。
1人が騒ぎ始めたのを皮切りに、周囲の女性達も騒ぎ始めました。
「…この地下室に人が来るなんて!」
「赤夜様以外の人が?」
「きゃあ、私最近牛の血しか口に入れてないのよ!こっちに寄越して!」
「何言ってるの、私もよ!ほら、こっちに!」
四方から細い手が伸びてきます。
ガタガタと檻を揺らす音、女性達の叫び声。
彼女らは精神に異常をきたしているのでしょうか…。まさに地獄絵図でした。
その時、背後から階段を降りてくる音と共に、人の声が聞こえてきました。
「何の騒ぎだ?うるさいぞ。」
騒ぎが一瞬で治まりました。
そしてその代わりに、さざ波のような囁き声が辺りに広がりました。
「ねえ、あの声…。」
「赤夜様よ!」
先程から聞こえる「赤夜様」という名前。どこかで聞いたような名前です。
私はとりあえずネズミに化けようとしましたが、やはり妖力が足らず狐の姿に戻ってしまいました。
仕方がないので、そのまま地下室の一番奥に行って隠れていることにしました。
「赤夜様!」
「どうか私にお恵みを!」
女性達の縋り付くような声の飛ぶ中、地下室の半ば辺りまで歩みを進めてきたのは、ボルドーレッドのバスローブに身を包んだ浦戸氏でした。
そうか、確か彼の下の名前は赤夜。自己紹介の時に一度聞いたきりだったので、忘れていました。
しかしいつもの黒縁眼鏡はかけておらず、代わりに現代日本では珍しいモノクルをつけておりました。片目の視力が悪いのでしょうか。とにかく、いつもと纏う雰囲気が違いました。
「いやに騒がしかったが…。何があった?」
浦戸氏は女性の1人に尋ねました。
「はい。今ここに人間の男がいて…。」
「人間の男?」
彼は首を傾げました。
「そんな奴入れた覚えはないが…。」
そして彼は辺りを見回し、言いました。
「きっと、渇きが見せた蜃気楼だろう。」
彼は今まで見せた事のないような表情で笑いました。
「君達にとって、この場所における人間はオアシスだ。」
その時、私は確かに見ました。
浦戸氏の口から、鋭く白い牙が覗いていたのを。
ー
あれは世に言う「吸血鬼ドラキュラ」、「ヴァンパイア」というものの類いでしょうか。
浦戸邸を脱出した私は、小町邸への帰り道で考えておりました。
浦戸氏がその類いのものであるとすると、確かに辻褄が合います。日光は苦手、普通の食料の備蓄がないこと、そして何より蝙蝠のような羽根に鋭い牙。
あの地下牢の女性達は、皆彼が「食料」として閉じ込めているのでしょうか。しかし女性達からは、逃げようという意思は一切感じられませんでした。むしろ女性の方から彼に従っているような印象を受けました。
しかし、どちらにしても彼が普通の人間でないのは確かであり、お嬢様に危害を加える可能性がある事に間違いはありません。
何とかお嬢様が彼の家を訪れるのを阻止しなくては。
私は決心して、歩調を早めました。
ー
「えっ、どういう事!?」
「申し訳ございません、何度も頼んだのですが、旦那様は駄目だと。」
翌朝、私はお嬢様に浦戸邸へ行く事を諦めるよう説得していました。
「稲荷ならお父様の許可を取れると思ったのに。」
お嬢様はうなだれました。
「申し訳ございません、私の力不足で…。」
私はお嬢様がすんなり事情を受け入れてくださった事に喜びました。
しかし事はそう甘くはありませんでした。
「お嬢様!大変です!」
突然部屋の戸が開いて、浦戸氏が現れました。
「何です、庭師のあなたがお嬢様の部屋に入るならノックくらいするのが礼儀でしょう。」
私は内心ひやりとしながら浦戸氏に言いました。
「すみません…。で、でもそれどころじゃないんです!」
お嬢様が私を手で制して、浦戸氏に尋ねました。
「何があったの?」
浦戸氏はもともと青い顔色を更に青くして言いました。
「旦那様が…。旦那様が突然倒れられて!」
「え、お父様が?」
お嬢様は驚いた様子で口を押さえました。
「旦那様が倒れられた!?どうして…。」
彼は私の復讐相手。勝手に死なれては困ります。
「わ、分かりません。僕がお仕事を承っていると突然…。」
「それで、今旦那様は?」
「他の執事さん方が寝室にお運びしました。」
「そうですか。」
私はほっとしました。
「それで…。旦那様が気を失う間際に仰ったのですが。」
「何です?」
浦戸氏はちらっとお嬢様を見上げ、言いました。
「自分の体が回復するまで、お嬢様を私の屋敷に置いて世話をして欲しいと。」
「何ですって…。」
私にはようやく見当がつきました。
旦那様が倒れた事には、浦戸氏が深く関係している。
確実にお嬢様を自宅に呼び込む為に、一番の権限を持つ旦那様の言葉の力を借りたのでしょう。
「浦戸さん、それは本当ですか?例え旦那様が倒れても、この屋敷には沢山の執事がいるのですから、お嬢様は生活に困らない筈ですが。浦戸さん、お嬢様を家に招きたいだけでは?」
思い切ってカマをかけてみると、浦戸氏はキッとこちらを睨みつけました。
「どうして僕がそんな嘘をつかないといけないんですか!こんな非常時に。」
「そうよ、稲荷。」
お嬢様が私を見つめて言いました。
「浦戸さんがこんな事で嘘つく訳ないでしょ。しばらく彼のところにお世話になるわ。」
「お嬢様…!しかし私は不安で、」
「稲荷!心配しすぎよ。それに浦戸さん、すごくいい人じゃない。どうしてそんな事言うのよ。」
「…申し訳ございません。」
私はお嬢様に頭を下げました。
「…何だか稲荷も窮屈になってきちゃった。」
私はショックを受けました。
「ね、浦戸さん。早く連れてって、あなたの家。」
そしてお嬢様は言いました。
「稲荷は留守番してて。」
「え…。」
私はその場に立ち尽くし、いそいそと支度を始めたお嬢様を黙って見つめることしかできませんでした。
ー
「じゃあ行ってくるわ。家の事は頼んだわよ。」
「はい…。」
お嬢様は私に背を向け、浦戸氏と共に屋敷を出て行かれました。
「…。」
勿論このまま黙って見送る訳にはいきません。
私は屋敷に残った執事達に術をかけ、私がいなくても疑問を持たないようにしました。
そして私は烏に化け、2人を追いました。
お嬢様と浦戸氏は楽しげに会話をしながら歩いておりました。
本当なら私が浦戸氏の位置にいるはずだったのに。
そんな思いが湧いてきて、なぜかひどく胸が痛くなりました。
屋敷に着くと、お嬢様ははしゃぎながら建物内へ入っていきました。
私もネズミに化け、屋敷に潜り込みます。
「白氷お嬢様のお部屋はこちらです。」
浦戸氏はお嬢様を広い部屋に通し、微笑みました。
「何かあれば内線の電話をお使いください。」
「分かったわ。ありがとう。」
「いえ。それでは、僕は食事の準備をしていますので。」
浦戸氏は頭を下げ、部屋を出て行きました。
お嬢様がベッドに潜り込み、休み始めたのを確認してから私は浦戸氏を追いました。
浦戸氏が向かったのは台所。食事の準備をするのだから当たり前なのですが、この家に食料の備蓄がないのは先日見たばかりです。
浦戸氏は、一体何をお嬢様に出そうというのでしょう…。
興味を持って観察していると、浦戸氏は不意に肩を震わせ始めました。
…笑っています。笑いながら、眼鏡を外しました。
「やった…。ついに白氷お嬢様を我が屋敷内に…!」
興奮したのか、口の端から白い牙が出ています。瞳は赤く燃えていました。
「あとはお嬢様のあの白い首筋を軽く咬めば、彼女は私と共に永久に生きることができるのだ…!」
何という事でしょうか。この男は、事もあろうにお嬢様を吸血鬼仲間に引き入れようと画策しているのです。
小町邸での気弱な印象はどこへやら、今私の目の前にいるのは冷酷非情なドラキュラ伯爵でした。
これは大変です。一刻も早くお嬢様を屋敷から連れ出さなくては…。
事によっては…。
私の正体の露見も、厭うことはできません。
「はい。お疲れ様です。」
あくる日の夕方、1日の仕事終了後に浦戸氏に尋ねてみました。
「浦戸さん。今日は自宅ですか?」
浦戸氏は頷きました。
「はい。そういえば稲荷さんは住み込みでしたね。」
「ええ。」
少し雑談が入りましたが、本題は浦戸氏が自宅に帰るかどうか。帰りそうなら尾行して家と彼自身を調べるつもりです。
彼はたまに小町邸に泊まるので、調査には重要な情報でした。
どうやら今日は自宅に帰るようです。それなら私も準備をしなくては…。
私は急いで部屋に戻り、私の身代わりになるよう術をかけた人形をベッドに寝かせました。
そして、浦戸氏が小町邸を出るのを見計らって、狐の姿になって尾行を始めました。
幸い私の体は黒いので、闇夜に紛れて目立ちません。
時々隠れながら、暫く彼をつけていくと、あまり見た事のないような大きなお屋敷が見えてきました。こんな大きなお屋敷に、一人で住んでいるのでしょうか。
そのお屋敷も何となく寂れたような、廃墟のような雰囲気の漂うお屋敷でした。
その門を押し開けて、浦戸氏は屋敷の庭に入っていきました。
私も続いて入ろうとしましたが、踏みとどまりました。
下は芝生です。踏めば音が鳴ってばれてしまいます。
という訳で、私は音を立てずに飛ぶ事のできる梟に姿を変え、彼を追いました。
彼が建物内部に入りました。私は今度はネズミに化け、戸の隙間から屋敷に侵入しました。
…あ、いました。階段を上っています。そして…。並んだ部屋の一つに入りました。私も何とか滑り込みセーフで入ることができました。
私は物陰に隠れて、彼の観察を始めました。
彼はベッドに腰掛け、ため息を一つつきました。そして、傍に置いた鞄から何やら取り出し、胸に抱きました。
それはどうやら、リボンのようでした。
その柄には見覚えがありました。お嬢様がいつもつけていらっしゃるものです。
そういえば、と私は今日お嬢様の仰っていたことを思い出しました。
ー今日は、浦戸さんにプレゼントをあげたのよ。彼は使わないかもしれないけど、とても喜んでくれたわー
この話を聞いた時、なぜか浦戸氏を羨ましく思ったのを覚えています。
プレゼントとはあのリボンの事だったのでしょう。
浦戸氏はリボンを見つめて、呟きました。
「白氷お嬢様…。私と同じように、人と違う寂しさを抱えてこられた方か。あんな可憐な方が私を気に入ってくださるなんて…。」
彼は固い決意の籠った口調で言いました。
「是非私の花嫁に迎えたい。きっと彼女なら分かってくれるだろう。…この屋敷で、永遠に2人で暮らすのだ。想像するだけでも胸が高鳴る。」
そして彼は、大きく伸びをしました。
(!)
私は驚きました。彼が伸びをすると同時に、彼の背から大きな黒い羽根が生えたのです。
「いけない、またやってしまったか…。」
浦戸氏は別段驚いた様子も見せず、スーツとワイシャツを脱ぎました。
そしてそれらを洗い場に運び、洗濯籠に入れました。
彼はそのままバスルームに入りました。
この隙に、室内を調べるとしましょう。
私は人間の姿になって、クローゼットや箪笥を調べ始めました。
クローゼットの中には、合わせの部分が飾られた白シャツと質のいいズボン、ネクタイ掛けには上質なシルクのリボンタイが掛けられていました。
彼がこんな高級な服装をしているのは見た事がありません。
箪笥には普通のシャツが入っていました。
一体彼は何者なのか…。余計分からなくなりました。
私は次に冷蔵庫を開けてみました。
するとそこは空っぽで、何の食材もありませんでした。手を入れてみると、冷たくありません。どうやらダミーのようです。
私は冷蔵庫のダミーを閉め、別の場所を調べようとしました。しかしその時、バスルームから物音がしました。浦戸氏が入浴を終えたようです。
屋敷の別の場所を調べる事にしましょう。
私は再びネズミに姿を変え、部屋を出ました。
廊下には同じような扉が沢山あり、慣れていないと迷いそうでした。
階下に降り、暫く探索していると、地下に続く階段を見つけました。降りてみましょう。
段を降りていくと、ひんやりとした地下の空気が足に伝わって体が冷えてしまいました。
私は人間の姿に化けようとしましたが、どうやら短時間に色んな物に化けすぎて妖力を使い果たしてしまったのか、人型にはなれたものの耳と尻尾がそのままになってしまいました。まあ、人に見られなければ問題はないでしょう。
…どうやら階段を降りきったようです。暗くて周りがよく見えませんが…。
「狐火…。」
私は狐火を出し、周りを照らしました。
「!?」
そこは地下牢のようでした。
そしてその中には、沢山の人間の女性が閉じ込められていました。揃いも揃って美人ばかりです。
その中の女性の一人が私に気付き、言いました。
「あ、あなた!」
「は、はいっ!?」
私は耳と尻尾について言及されると思い、慌てました。
しかし、女性の口から発せられたのは意外な言葉でした。
「血…!」
「は…?」
女性は尚も繰り返しました。
「血…。あなたの血を頂戴…!」
「…え?」
私は首を傾げました。血を欲しがる人間など、聞いた事がありません。
が、そうのんびりしてばかりもいられなくなりました。
1人が騒ぎ始めたのを皮切りに、周囲の女性達も騒ぎ始めました。
「…この地下室に人が来るなんて!」
「赤夜様以外の人が?」
「きゃあ、私最近牛の血しか口に入れてないのよ!こっちに寄越して!」
「何言ってるの、私もよ!ほら、こっちに!」
四方から細い手が伸びてきます。
ガタガタと檻を揺らす音、女性達の叫び声。
彼女らは精神に異常をきたしているのでしょうか…。まさに地獄絵図でした。
その時、背後から階段を降りてくる音と共に、人の声が聞こえてきました。
「何の騒ぎだ?うるさいぞ。」
騒ぎが一瞬で治まりました。
そしてその代わりに、さざ波のような囁き声が辺りに広がりました。
「ねえ、あの声…。」
「赤夜様よ!」
先程から聞こえる「赤夜様」という名前。どこかで聞いたような名前です。
私はとりあえずネズミに化けようとしましたが、やはり妖力が足らず狐の姿に戻ってしまいました。
仕方がないので、そのまま地下室の一番奥に行って隠れていることにしました。
「赤夜様!」
「どうか私にお恵みを!」
女性達の縋り付くような声の飛ぶ中、地下室の半ば辺りまで歩みを進めてきたのは、ボルドーレッドのバスローブに身を包んだ浦戸氏でした。
そうか、確か彼の下の名前は赤夜。自己紹介の時に一度聞いたきりだったので、忘れていました。
しかしいつもの黒縁眼鏡はかけておらず、代わりに現代日本では珍しいモノクルをつけておりました。片目の視力が悪いのでしょうか。とにかく、いつもと纏う雰囲気が違いました。
「いやに騒がしかったが…。何があった?」
浦戸氏は女性の1人に尋ねました。
「はい。今ここに人間の男がいて…。」
「人間の男?」
彼は首を傾げました。
「そんな奴入れた覚えはないが…。」
そして彼は辺りを見回し、言いました。
「きっと、渇きが見せた蜃気楼だろう。」
彼は今まで見せた事のないような表情で笑いました。
「君達にとって、この場所における人間はオアシスだ。」
その時、私は確かに見ました。
浦戸氏の口から、鋭く白い牙が覗いていたのを。
ー
あれは世に言う「吸血鬼ドラキュラ」、「ヴァンパイア」というものの類いでしょうか。
浦戸邸を脱出した私は、小町邸への帰り道で考えておりました。
浦戸氏がその類いのものであるとすると、確かに辻褄が合います。日光は苦手、普通の食料の備蓄がないこと、そして何より蝙蝠のような羽根に鋭い牙。
あの地下牢の女性達は、皆彼が「食料」として閉じ込めているのでしょうか。しかし女性達からは、逃げようという意思は一切感じられませんでした。むしろ女性の方から彼に従っているような印象を受けました。
しかし、どちらにしても彼が普通の人間でないのは確かであり、お嬢様に危害を加える可能性がある事に間違いはありません。
何とかお嬢様が彼の家を訪れるのを阻止しなくては。
私は決心して、歩調を早めました。
ー
「えっ、どういう事!?」
「申し訳ございません、何度も頼んだのですが、旦那様は駄目だと。」
翌朝、私はお嬢様に浦戸邸へ行く事を諦めるよう説得していました。
「稲荷ならお父様の許可を取れると思ったのに。」
お嬢様はうなだれました。
「申し訳ございません、私の力不足で…。」
私はお嬢様がすんなり事情を受け入れてくださった事に喜びました。
しかし事はそう甘くはありませんでした。
「お嬢様!大変です!」
突然部屋の戸が開いて、浦戸氏が現れました。
「何です、庭師のあなたがお嬢様の部屋に入るならノックくらいするのが礼儀でしょう。」
私は内心ひやりとしながら浦戸氏に言いました。
「すみません…。で、でもそれどころじゃないんです!」
お嬢様が私を手で制して、浦戸氏に尋ねました。
「何があったの?」
浦戸氏はもともと青い顔色を更に青くして言いました。
「旦那様が…。旦那様が突然倒れられて!」
「え、お父様が?」
お嬢様は驚いた様子で口を押さえました。
「旦那様が倒れられた!?どうして…。」
彼は私の復讐相手。勝手に死なれては困ります。
「わ、分かりません。僕がお仕事を承っていると突然…。」
「それで、今旦那様は?」
「他の執事さん方が寝室にお運びしました。」
「そうですか。」
私はほっとしました。
「それで…。旦那様が気を失う間際に仰ったのですが。」
「何です?」
浦戸氏はちらっとお嬢様を見上げ、言いました。
「自分の体が回復するまで、お嬢様を私の屋敷に置いて世話をして欲しいと。」
「何ですって…。」
私にはようやく見当がつきました。
旦那様が倒れた事には、浦戸氏が深く関係している。
確実にお嬢様を自宅に呼び込む為に、一番の権限を持つ旦那様の言葉の力を借りたのでしょう。
「浦戸さん、それは本当ですか?例え旦那様が倒れても、この屋敷には沢山の執事がいるのですから、お嬢様は生活に困らない筈ですが。浦戸さん、お嬢様を家に招きたいだけでは?」
思い切ってカマをかけてみると、浦戸氏はキッとこちらを睨みつけました。
「どうして僕がそんな嘘をつかないといけないんですか!こんな非常時に。」
「そうよ、稲荷。」
お嬢様が私を見つめて言いました。
「浦戸さんがこんな事で嘘つく訳ないでしょ。しばらく彼のところにお世話になるわ。」
「お嬢様…!しかし私は不安で、」
「稲荷!心配しすぎよ。それに浦戸さん、すごくいい人じゃない。どうしてそんな事言うのよ。」
「…申し訳ございません。」
私はお嬢様に頭を下げました。
「…何だか稲荷も窮屈になってきちゃった。」
私はショックを受けました。
「ね、浦戸さん。早く連れてって、あなたの家。」
そしてお嬢様は言いました。
「稲荷は留守番してて。」
「え…。」
私はその場に立ち尽くし、いそいそと支度を始めたお嬢様を黙って見つめることしかできませんでした。
ー
「じゃあ行ってくるわ。家の事は頼んだわよ。」
「はい…。」
お嬢様は私に背を向け、浦戸氏と共に屋敷を出て行かれました。
「…。」
勿論このまま黙って見送る訳にはいきません。
私は屋敷に残った執事達に術をかけ、私がいなくても疑問を持たないようにしました。
そして私は烏に化け、2人を追いました。
お嬢様と浦戸氏は楽しげに会話をしながら歩いておりました。
本当なら私が浦戸氏の位置にいるはずだったのに。
そんな思いが湧いてきて、なぜかひどく胸が痛くなりました。
屋敷に着くと、お嬢様ははしゃぎながら建物内へ入っていきました。
私もネズミに化け、屋敷に潜り込みます。
「白氷お嬢様のお部屋はこちらです。」
浦戸氏はお嬢様を広い部屋に通し、微笑みました。
「何かあれば内線の電話をお使いください。」
「分かったわ。ありがとう。」
「いえ。それでは、僕は食事の準備をしていますので。」
浦戸氏は頭を下げ、部屋を出て行きました。
お嬢様がベッドに潜り込み、休み始めたのを確認してから私は浦戸氏を追いました。
浦戸氏が向かったのは台所。食事の準備をするのだから当たり前なのですが、この家に食料の備蓄がないのは先日見たばかりです。
浦戸氏は、一体何をお嬢様に出そうというのでしょう…。
興味を持って観察していると、浦戸氏は不意に肩を震わせ始めました。
…笑っています。笑いながら、眼鏡を外しました。
「やった…。ついに白氷お嬢様を我が屋敷内に…!」
興奮したのか、口の端から白い牙が出ています。瞳は赤く燃えていました。
「あとはお嬢様のあの白い首筋を軽く咬めば、彼女は私と共に永久に生きることができるのだ…!」
何という事でしょうか。この男は、事もあろうにお嬢様を吸血鬼仲間に引き入れようと画策しているのです。
小町邸での気弱な印象はどこへやら、今私の目の前にいるのは冷酷非情なドラキュラ伯爵でした。
これは大変です。一刻も早くお嬢様を屋敷から連れ出さなくては…。
事によっては…。
私の正体の露見も、厭うことはできません。
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