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三章.
8話. ある特殊部隊の男が見た惨状〈三〉
しおりを挟む「嬢ちゃん、一体なんなんだ?」
今回の身柄確保の予定だった男の傍に、少女が立っていた。俺は勿論、その少女を知らない。しかし『変死を遂げた男の死因は少女である』何の理由もなく、俺は其れをさも当然のことのように受け入れてしまう自分自身に疑問を抱く事が出来ない。
あまりにも場に似合わない少女。この現代に。この日本に。この研究施設に。この世に。不相応な少女であるが故に、少女は異質であった。
少女は俺の疑問に答えることはない。
『━━をイジメないで。━━をイジメないで』
少女そのものが、空間から切り取られた様な存在。少女は既に心臓が動作していないであろう科学者の男に向かって、常に何かを訴えていた。顔の筋肉は一切動かさず、口元だけが無垢に言葉を紡いでいる。
「おいッ!嬢ちゃん!」
人間性を失くし痙攣しながら吹き出していた血は尽き果て、下半身から崩れた檻咲恭蔵から少女は視線を外し此方を一瞥した。
俺は初めて少女の顔を表面から視認する。無機質な表情。物静かそうな面立ち。簡素な白いワンピースを着た少女。そのワンピースと同じくらい純白な肌は、血色の悪い日本の白装束を纏った幽霊を思わせる。否、霊とは違う。白い肌からは、血の流れが感じられるからだ。その瞳は美しく澄んだ灰色をしていた。
少女はゆっくりと体の向きを此方に変えて、俺の方へ歩む。もしも、少女が何らかの方法で檻咲 恭蔵を殺害した殺戮者なのであれば、その対象が俺に切り替わっていても然程不思議ではない。
「……」
少女は黙って小さい歩みを進める。俺は身体が、強烈に強張るのを感じた。ただの少女に、かつてない程の寒気を感じる。何者にも汚すことの出来ない少女の純白を直視するだけで、俺の眼は焼けるのではという錯覚に陥り咄嗟に目を細める。
「こんな所で…………何をしてるのかない?」
やはり返答はない。少女は動けずにいる俺の隣を通り過ぎる。
人間の一部。肘から先━━指先までが、既に流血を終えた状態で床に転がっている。その腕の主は、鉄塊の下敷きになっている人物であろう。少女は俺には目もくれず、無惨に断たれた腕を両手でゆっくりと持ち上げて優しく撫でる。まるで、毎晩共に寝ている大切なぬいぐるみかのように。切断面からは、数本の血管がぶら下がっている。何の躊躇いなく切断された腕に触れる少女に、それでも俺は疑問を抱けない。
その異常な光景に対して『そういうものか』と、脳が解釈するからだ。
少女は俺の前に移動し、断たれた腕の指先が床に垂直に接するよう両手で持った。流血の停まっていた血管から、何の前触れもなく大量の血が流れ、床が生々しいパレットに様変わりする。
(…….何だ?)
腕の人差し指が『彼女をタスケルタメニー腕を持て』と俺に指図した。ボタリと音を立て、腕が床に転がる。俺が床の字に集中してから、少女の方に視線を戻す時には少女の姿は跡形もなく消失していた。
「彼女っていうのは……アレのことで良さそうだよなぁ」
正直、仲間の死よりも衝撃的な光景だった。お世辞を抜きにしても美しいと思える拘束された少女の眉間から上が、恐ろしいほど垂直に切断されていたのだ。
「…………はぁ」
俺は一目見て視界を逸らす。奥歯が軋むのを感じた。助ける為になどと言うが、俺には医学も科学の知識も持ち合わせちゃいない。そんな俺に何ができる。一体何の実験に利用された結果なのかは、凡人の俺には想像もつかない。この悲劇の少女を助けるなどという行為は、俺には不可能だ。
「でもよお。俺の仲間を殺した相手を一発も殴れねえで、ガキ一人救えねえで……そんなの刑事じゃあねえよなあ」
何の期待もしてはいなかった。檻咲 恭蔵のように、先の少女が再び現れて俺も血を噴いて死ぬかもしれない。俺は得体の知れない少女が持っていた、断たれた腕を恐る恐る持ち上げた。その腕は死んだ人間特有のゴムのような肌質ではなく、血管が僅かに膨らんで血脈を感じられた。
持ち上げたのに合わせて、鉄塊の隙間に覗く人間の下顎が、まるで不可視の糸に繋がっているかの如く形成された。
「そ……こぉ……に……誰かいるのか?」
話した。掠れた声で、徐々にその声がはっきり聞き取れるものに変わっていく。舌、喉、肺が順々に再生されているのだろう。
「警察だ。檻咲恭蔵は血ィ吐いて死んじまった」
「そうか。申し訳ないが、今から私が言う作業を正確に実行してはくれないだろうか」
檻咲恭蔵の名前を出したにも関わらず、思いのほか男の反応は素っ気ないものであった。
「お前は何だ」
「私は……照望。……涼川照望と名乗っているニンゲンだ」
(人間かあ)
俺の知らない界隈には、ぺしゃんこになっちまっても元通りに再生してしまう人間がいるようであった。
「そうかい。……人間か。……分かった……そこに縛り付けられた嬢ちゃんを助けるんだな?」
「話が早くて助かるよ。刑事さん」
長年、刑事として多くの人間と会話してきたが、誰かを助けたいと想うヤツに根からの罪人はいないだろう。
「俺は宮下総一郎だ。このアナログ人間にも分かる説明を頼むぞ」
「総一郎。染毬を助けてやってくれ」
「呼び捨てかよ。お前さんの説明次第だが……やるだけやってやるさあ」
涼川照望と名乗る、骨と皮で形成されていく頭蓋骨の言うことに俺が耳を傾けたのは、今日一日の非現実的な出来事の猛攻に常識的感覚が麻痺しちまったことが大きいだろう。
既に俺の頭は深く考えることを放棄し始めている。言われた通りに俺は、モニターの操作用コンソールにアルファベットを打ち込み、血の漏れた立方体の嬢ちゃんの脳と頭蓋骨の収まったマシーンを操作した。俺は驚くほどに的確な男の説明に驚かされながらも、慣れない作業に苦戦する。
立方体のマシーンを百五十センチほどのサイズの直方体の箱型マシーン上に置き、18790314と入力する。すると、嬢ちゃんにそっくり。嬢ちゃんの生き写しに近い人形?が直方体の箱が開いて現れた。顔の半分は知らないが、背丈から肌の色、輪郭がとても似ている。
身動き一つしない人形は直方体のマシーンを被り、白衣を着ていた。直方体のマシーンからは、異様な機械の駆動音が響き続ける。モニターには、数字が並びダウンロード画面がMAX百パーセントになるまでの数値を刻んでいくのを、全ての工程を終え眺める。
「おい、……照望はどこまで知ってんだ?」
「総一郎、私はこの施設の実験体だ。詳しいことは大した知らない。だが、そこの変死体によって我欲のままに機械人形にされそうになっていた、王色 染毬という少女を助けられなかった無様な男さ」
「今……俺とお前がそれを最後まで実行しちまったってわけだな……」
「刑事だったら、染毬がこのまま安らかに死ぬ方が幸せだと主張すると思ったんだが……意外だったよ」
「こんな……えぐい死に方で死んで……安らに眠ったなんて言えねえさ……ただ」
「ただ……?」
「こんな酷えことをした檻咲 恭蔵を法で裁けなかったのは、刑事としての俺の不手際だ」
「なあ、総一郎。そこの変死体は、何で死んでいる?」
「……さあな。俺にも分からん」
少し間を置いてから照望が、鉄塊から自らの下半身を引っ張り出すように身体を捻り仰向けになり天へ息を吐く。
「だが、檻咲 恭蔵がこのまま実験を行なっていても実験は成功しなかったそうだ」
「なぜそんな事が分かる?お前が科学者には……俺には見えないが。単なる実験体なんだろ」
「私は……言われたことを一言一句変えずに伝えたまでさ」
「言われたこと?」
「私の隣の実験室に隔離された……全知全能にね」
照望は、やはり俺が侵入した実験室の培養槽にいたのだろう。そして、自力で壁に穴なんか開けちまったのか。有り得ない話だが、この男になら出来得ることなのかもしれない。その隣の実験室にもう一人の、研究員が呼ぶ所の実験体のニンゲンがいる。
「そうかい。全知全能ねえ」
「実験が失敗して、どこのプログラムが間違っていたのか。どんな作業が必要か。全て彼から得た情報だ」
ダウンロードが百に到達し、終わった時には照望と名乗る男は、鉄塊がその身に落下する以前の姿で鉄塊に寄りかかっていた。
やはり、皮膚や血管、骨が徐々に繋がり合わされていったのだ。照望と関係あるであろう、不明点の多過ぎる謎の少女が照望の指で書いた血の文字は蒸発し、跡形もなく消えていた。
俺は、画面がバリバリに割れた簡単スマホを操作して、信頼できる仲間にとある内容の電話をした。外で待つ突入部隊で俺の部下である赤崎亜里沙には『俺の知り合い達が、救護に来る警察よりも先に来るから一緒に最上階まで来い』とメールを送った。今回は何を信じるべきか、見誤るわけにはいかない案件だ。俺の独断で、警察の上には黙っておくべき事が多いだろう。
「ん?動いたのか……」
本当に動き出すとは思っていなかった。
「私は……。ねえ、おじさん。照望の……声が聞こえるの」
「染毬!私はここにいる」
俺は数十分前に知り合った男がする、人間味のある表情に意外性を感じた。照望は人間と呼ぶことすら憚れる少女に駆け寄る。
少女の目元を覆う立方体のマシーンが半分に開き、床に落ちた。やはり可憐な少女であったのだろう。元の容姿が、極めて緻密に再現されていると推測できる。それだけ檻咲恭蔵は執念深く、少女を機械人形にすることに執着していたのかもしれない。
「照望。服は着てくれないのかしら」
俺は全裸の男に近くに置かれてあったシーツを手渡すと、照望は「ありがとう。総一郎」と素直に受け取る。
「構うな。本来だったら、公然わいせつ罪で逮捕なんだが……特例だ」
「私を……アンドロイドにしたのは貴方達ですわね」
「何故そう思うのかい?」
「彼には出来なかったのでしょう」
「ああ、彼は死んでしまった」
「そう」
機械にされてしまった少女……王色 染毬副所長と実験体であり檻咲恭蔵を知る人物である涼川照望には、NBlについて詳しく聞きたいことがある。だが、今は控えることにした。
「貴方が……殺したの?」
「分からない」
「なぜ……私を助けようとしたの?」
「君が涙を流していたから。って答えじゃ……納得してはくれないだろうか」
「ねえ……照望。今、私……泣いているのに。……泣きたいのに。泣けないのは不便ですわね」
「ああ」
照望は染毬副所長の頭に手を乗せた。
「阻止できなくて……申し訳なかった」
「頭を撫でたって。もう……何も感じないですわ」
その姿はあまりに痛痛しかった。だが不思議と、俺の目には染毬副所長よりも、涼川照望という男の方が痛々しく映っていた。自身に自覚はあるのだろう。自らの身体に纏わり付いたナニかに。
「死ぬのが……怖かったの。今の状態が生きているなんて定義出来ないかもしれないけれど。また、貴方に会えて……良かったですわ」
その瞬間、俺と照望は確かに見たのだ。
一人の少女が。副所長などという肩書きから解放された幼気な少女が。
涙を流しながら、優しい笑顔を浮かべて笑った姿を。
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