上 下
39 / 64

第三節 夜の闇と追憶の月影10

しおりを挟む
 ジェスターが構える妖の大剣が、そのの刀身から眩いばかりの黄金のオーラを吹き上げて、それはゆらゆらと揺らめくように彼の肢体に絡み付いていく。
 刹那、ジェスターの両足の柔軟な発条(ばね)が地面を叩き、高い跳躍と同時に迅速で手首を返すと、妖の大剣が放つ鋭利な閃光の弧が、虚空で黒衣を翻すシグスレイの胸元を一瞬にして鋭利に薙ぎ払ったのである。

『ぐ・・・っ!?』

 低くうめいたシグスレイの体が虚空で平衡を崩し、黒い炎と共に急速に地面へと引き寄せられていく。
 鈍い音がこだまして、地面に叩きつけられた魔物は、苦々しく白い顔を歪めると、素早くその身を起こさんとした。
 だが、その鼻先に、ゆらゆらと揺れるの光を宿した妖剣の鋭利な切っ先が突きつけられたのである。
 三つの視線を舐めるよう上げたシグスレイが見たものは、揺らめき立つの爆炎を、そのしなやかで柔軟に引き締まった肢体に悠然と纏いながら、凶悪で冷酷な薄い微笑みを浮かべる、主君と同じ顔をした青年の姿だったのである。

『青珠の秘宝を狙ったか三つ目?そんなもの、今更、あいつには無用なはずだが?』

 煌々と立ち昇る紅蓮の焔が、若獅子のの如き栗色の髪を、炎の色を映した朱色に輝かせ、その前髪から覗く鮮やかで美しく、そして禍々しい緑玉の両眼が薄ら笑いさえ浮かべこちらを見やっている。
 その姿はまるで、地獄の業火を宿した炎の獅子を具現化させたような出で立ちであった。

 ざわりと、シグスレイの内で何かがうごめいた。
 それが、魔物である彼の肢体をのたうつ大蛇の如くじりじりと締め上げて、動きを奪っていく。
 その見えざる大蛇の正体が、恐怖と言う名の毒蛇であることを、魔物であるシグスレイは、今悟った。

『そ、そなたは・・・・!?一体、誰だ!?御方は城に戻られたはず・・・・!!
そなた・・・・・そなたは御方の弟・・・・所詮、人である者のはずではなかったのか!?』

『わめくな・・・・うるせーんだよ・・・・俺が誰であろうと、たかが使い魔の使い魔如きには関係のないことだ』

 朱色に輝きながら揺れる前髪の下で、形の良い眉を不愉快そうに眉間に寄せて、ジェスターは、恐怖に歪んだ三つ目の魔物の白い顔を、魔物より魔物じみて爛々と輝く、鮮やかで美しい緑玉の両眼で睨むように見た。

『ならば何故だ!そなたの心根・・・何故、読めぬっ!?』

 半ば叫ぶようにそう言ったシグスレイの片腕が、苦しまぎれに掲げられ、鈍い音を上げて沸き立った暗黒の炎をジェスターに向けて解き放つ。
 同時に、シグスレイの額から零れるように第三の眼球が虚空に飛び出すと、それは黒き光の珠となり、月影舞う夜空へと跳ね上がったのだった。

 黒き火の粉を舞い上げて、轟音と共に地面をめくり上げた闇の黒炎が、紅蓮の炎を纏うジェスターの肢体に揺らめくように巻きついて来る。

 だが、そんな彼の凛々しい彼の唇が、ふっと嘲笑うように歪められた。

『どいつもこいつも、同じようなことをしてきやがる・・・・こんなもん、俺には通じねーんだよ・・・・足掻いても無駄だ、おまえの行き先はもう決まっている・・・・・・・・地獄(ゲヘナ)だ』

 吹き上がる紅蓮の炎に染められ朱色に輝く前髪の下で、燃え盛る炎の如き緑玉の瞳が禍々しくも美しく煌いて、今、鋭く大きく見開かれた。

 意図して低められたジェスターのその声が朱と黒のの中に響き渡り、時を同じくして、迅速で一閃された妖剣の鋭利な斬撃が、真っ向から黒き闇の炎を切り裂いていく。

 炎の獅子を具現化したようなその姿。
 焔を映して朱に輝く見事な栗毛の髪。
 鮮やかな緑の両眼が、どこか凶悪で冷酷な光を宿し鋭く発光する。

 紅蓮の炎と金色の閃光に満たされた告死の剣(アクトレイドス)の刃が、瞬きもできぬ程の迅速(はや)さをもって、シグスレイの脳天を、今、獲物を狩る獅子の如く容赦なく捕えた。

『う、うぎゃあああああ――――――――っ!!!』

 鈍い衝撃がジェスターの腕に伝わり、紅蓮の炎を宿すアクトレイドスの刀身が弾けるような火の粉を散して、断末魔の悲鳴を上げるシグスレイの頭から腰までを、一気に斬り下ろしていく。
 辺りにの閃光がり、真っ二つに両断された魔物の体は、糸の切れた傀儡の如く地面に雪崩伏した。
 一筋の白い煙を夜空に立たせ、ぶすぶすと燻りながら、やがて魔物の体は灰になり果てて虚空に漂う。
ジェスターの体から揺らめき立っていたの炎が、ゆるやかに、その体内に吸い込まれるように小さくなり、そして、消えて行く。

「魔物を斬る時の貴方は、まるで炎の獅子のようですね、ジェスター。
なんだか、貴方に斬られる魔物が気の毒になってきました」

 アクトレイドスの鋭利な切っ先を地面に下ろし、緑玉の瞳を僅かに細めたジェスターの鋭敏な聴覚に、不意に、そんな声が飛び込んで来た。
 未だに発光する妖の大剣を背鞘に収め、ジェスターは、群青の衣を翻しながら緩やかに背後を振り返る。

 するとそこに、【無の三日月(マハ・ディーティア)】を手にしたまま、なにやら感心したような表情をする、リタ・メタリカの姫君が立っていたのだ。
 そんな彼女の隣には、青い瞳を大きく見開いて、ぽかんと口をあけて呆然とする見習魔法使いウィルタールの姿もある。
 レイ・ポルドンで見たジェスターの戦いぶりも見事であったが・・・
 先程の彼の姿は、あの時よりも、数倍、迫が増した気がするのは、決して気のせいなどではないはずだ。
 凡人が目の当たりにすれば恐怖すら感じるだろうあの姿を見ても、リタ・メタリカの姫君リーヤティアは、てんで気にも止めない様子で、片手でさらりと艶やかな紺碧色の長い巻き髪をかきあげると、音も無く短剣へと戻っていく赤き刃を腰の鞘に収めたのである。

 そして、怪訝そうな顔つきをするジェスターの元へ、緋色のマントを翻しながらゆっくりと足を進めたのだった。
 ふうっと肩で息を吐くと、リーヤは、晴れ渡る空を映したような澄み渡る紺碧の両眼を僅かに細めて、真っ直ぐに、ジェスターの凛々しく端正なその顔を見つめたのである。
 凛々しい頬に刻まれた一筋の傷からは、未だに薄らと鮮血が流れ落ちて、その精悍な顎までを赤い帯で彩っていた。

「・・・・その傷・・・何故、この間のようにすぐに塞がらないのです?
・・・・とは言っても、それは私が付けたもの、素直に謝ります・・・すいませんでした、大丈夫ですか?」

 そう言って、リーヤのしなやかな指先が、流れる血を拭うように彼の頬に触れた。
 広い肩で大きく息を吐きながら、呆れたように彼は言う。

「これぐらいで死にはしねーよ、大丈夫だ」

「この間は、あれほどの傷もすぐに消えたのに・・・どうしてこの傷は・・・」

 ジェスターの視界の中で、実に怪訝そうに蛾美な眉を寄せるリーヤが、そっと指先を離しながら小さく首を傾げる。

「【無の三日月(マハ・ディーティア)】で付けられた傷だからだ」

「え?」

「その剣の力は、禁忌の呪いの効力をも打ち消す、【無の三日月(マハ・ディーティア)】でまともに突かれたら、魔物同様、俺だってただじゃすまない・・・・」

 そう答えたジェスターが、どういう訳か、やけに穏やかに笑って、ふと、静寂の戻った夜空を仰ぎ見たのだった。
 不意に吹き付けた夜風に遊ばれ、持ち上がるようにふわりと揺れる若獅子のの如き見事な栗毛の髪。

 黒絹の夜空が引き連れた幾千幾万の星々と金色の月。

 それを仰ぐ、燃え盛る炎のような緑玉の瞳が微かな憂いの輝きを含み、どこか遠い所を見つめるようなその視線が、僅かに細められる。
しおりを挟む

処理中です...