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第二節 落日は海鳴りに燃ゆる13

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 その強烈な思念の矢が、閃光のように脳裏を突き抜けて行った。
 揺れる赤銅色の髪の下で、古の英雄がその魔眼を大きく見開く。
 眼下に燃え立つ、荒れ狂う波のような灼熱の炎。
 天空を焦すように立ち昇る紅蓮の爆炎の合間に、【炎神】と呼ばれた者の鋭い気配がある。
 かつて英雄と呼ばれた者・・・・・当時の姿のままで400年の長き年月を生きるイグレシオは、その腕(かいな)に【破滅の鍵】を抱いたまま、びくりと肩を震わせたのだった。
 【破滅の鍵】たる美しくも果敢な姫君は、身動ぎもせぬまま、ただ、呆然と、目の前に広がった炎の海を見つめるばかりである・・・・

 そんな彼女は、先程、爆炎の中から放たれたあの強烈な思念には、全く気付いていないようだった。
 晴れ渡る空の色を映した紺碧色の瞳を、驚愕と困惑の光で満たし、真っ直ぐ街を見下ろしている。
 じわりと、イグレシオの心に言い知れぬ緊張が走った。
 灼熱の炎の中から、じりじりとこちらに近づいてくる、凄まじい威圧感を持つあの懐かしい気配。

「まだ・・・・全ての記憶も・・・魔力すら戻っていないというのに、貴方という方は・・・」

 彼の精悍な唇が、ふと、どこか苦々しく笑った。
 魔眼と呼ばれる神秘的な眼差しを鋭く細め、眼下に燃え立つ紅蓮の炎を見つめながら、彼は、先程から呆然としたままでいるリーヤティアの耳元に、囁くように言ったのである。

「お判りになられましたか・・・?鍵たる御方・・・・?
【炎神】と呼ばれし者が操る炎は・・・・全てを焼き尽くす地獄の業火・・・・あの方が、本来の魔力を取り戻せば、このリタ・メタリカ中を、一瞬にして焼き払うことも出来ましょう・・・・・貴女に、あの方が殺せますか・・・?
ずっと、あの方と共にあった貴女が、真の【炎神】となったあの方をその手にかけることができますか・・・・?」

 イグレシオのその言葉に、リーヤは、ハッと肩を揺らした。
 急速に本来の意識が引き戻されていくと、彼女は、怪訝そうに蛾美な眉を寄せ、鋭く強い視線でイグレシオの顔を顧みたのである。

 「何故そのような事を!?貴方の目的は一体何なのですか!?
私が、ラグナ・ゼラキエルを破滅させる鍵ならば、貴方にとって私は忌むべき者のはず!
それなのに、何故、この私を殺そうとしないのです!?」

「・・・・・今、貴女のお命を奪うことを、我御方が望んではおられぬ故・・・
その証拠に・・・あの方は、今、ひどくお怒りになられている・・・鍵たる者に触れるなと・・・
今しがた、そう仰られていた・・・・・あの方は、まもなく、此処に姿を現すでしょう・・・・」

「!?・・・・ジェスターが!?」

 驚愕するリーヤに、何故か、たおやかに微笑みかけると、イグレシオは、ふと、こちらを仰ぎ見る彼女の秀麗な頬に、そっと手を触れさせたのである。

「真実に目覚めた御方が、それを望めば、その時は、貴女のお命を奪いに参りましょう・・・・・・」

 それは、決して脅すような口調ではなく、どこか切なさを含む淡々とした口調であった。
 銀水色と緑玉の神秘的な瞳が、艶やかな赤銅色の髪の下から、真っ直ぐに、鋭くも訝し気な顔つきをするリーヤを見つめている。
 凛と強い紺碧色の眼差しと、その瞳と同じ色をした長い巻き髪・・・
 遠い時空の果てで、その身を焦すほど愛した人も、彼女に良く似た紺碧色の瞳と髪を持っていた・・・・
 鍵たる者が、強風の最中に咲く強き花であるなら、あの女性は、草原に咲く一輪の可憐な花・・・・

「貴女は・・・・・・・本当に・・・エスターシアによく似ている・・・・・・・」

 彼がそう言った、正に次の瞬間だった・・・・・

『【鍵たる者】に触れるなと・・・そう言っておろう・・・・聞こえぬか!?』

「っ!?」

 再び、イグレシオの脳裏をその強烈な思念の矢が貫き通していく。
 ハッと両眼を見開いた彼の眼前に、閃光の如き炎の刃が出現し、それは虚空を熱く鋭く薙ぎ払いながら、その耳元を掠めるようにして後方の地面へと突き立つと深紅の焔を上げながら消えていった。
 此処からは、まだ離れた場所にいるはずなのに・・・・この術を放った者は、驚くほど正確に、こちらの位置を把握している。
 これは脅しだ・・・・・・
 次は確実に、彼の首を狙ってくるはず・・・・
 イグレシオは、苦笑を禁じえない・・・・
 驚愕するリーヤが、思わず呟いた。

「い、今のは・・・・・・っ!?」

 彼女のその秀麗な頬から静かに手を離すと、彼は、落ち着き払った静かな口調で答えるのだった。

「私に対する叱責です・・・・あの方は、貴女が今此処におられることを、教えずとも既にご存知だ・・・・」

 眼下に煌々と燃え立つ紅蓮の炎。
 その最中から、確実に、【炎神】と呼ばれる者がこちらに近づきつつあった・・・・

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