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第二節 落日は海鳴りに燃ゆる14

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 薄い闇の広がるサーディナの街に、重く不気味な足音が響き渡る。
 提督府に向かってじりじりと迫る、紅き炎を纏う、死したはずの兵士たち・・・・・

「こここ、これを!!どどどど、どうなされるんですか!?ス、スターレット様!?シ、シルバ様!?」

 その余りの恐怖に、ろれつが回らぬまま、ウィルタールが叫んだ。
 彼の顔色は、蒼白を通り越してすでに血の気の無い白に変わっている。
 辺りに漂う死臭と生温い潮風・・・
 実に不気味なこの光景を恐れずに、何を恐れろと言うのか・・・・
 ウィルタールは、思わず、傍らにたゆたう、シルバの純白のマントを強く掴んでしまった。
 艶やかな漆黒の髪を揺らしながら、白銀の守護騎士の隻眼が、どこか困ったようにそんなウィルタールを顧みる。

「おい・・・・しっかりしろウィルタール?そんな所を掴まれては、俺が動くに動けまい?」

 その言葉を聞いていたスターレットが、この不気味な死人の群れを目の前にしながら、やけに緊張感なく一笑した。

「すまぬなシルバ、ウィルトは未熟故・・・・まだ、おぬしのように肝がすわっておらぬのだ」

 吹き付ける生暖かい風に浚われて、輝くような蒼銀の髪が跳ねるように揺れた。
 その下に覗く銀水色の瞳が、一瞬にして鮮やかな深紅の色へと変わり果てる。
 異国の軍服を纏う彼の肢体に、甲高い音を上げて蒼き疾風が絡み付いた。

「効くかどうかは知らぬが・・・・試してみるか・・・・『疾風到来(フェイ・ドルーガ)!』」

 薄闇の虚空に、一筋の冷たい風が吹き抜けた・・・
 とたん、蒼き刃の如き疾風が、迫り来る死者の合間を豪速で駆け抜け、紅き炎を纏うその体ごと、次々と薙ぎ払っていったのである。
 深紅の火の粉を散らし、朽ちた体が両断されると、上半身が闇に跳ね上がり、武器を持たぬ血まみれの腕が肩から切り離され、回転しながら空を舞う。
 疾風の刃が内臓を剥き出しにした体を貫き通し、薄闇の最中に消えていく・・・・
 しかし・・・・
 あろうことか、それでも死者の群れは、手だけ、足だけ、首だけになっても、紅い炎に包み込まれたまま、尚もこちらに迫り来るのである。

「ぎゃぁぁぁ――――っ!もう、一体なんなのですかあれは!?」

 シルバのマントを掴んだまま、ウィルタールがけたたましい悲鳴を上げる。
 もう、既に、そのあどけない顔は半べそをかいていた。
 そんな愛弟子を、どこか愉快そうな視線で見やりながら、スターレットは、この期に及んで実に緊張感の無い声色で、剣を構え背後に立つシルバに言うのだった。

「・・・・やはり・・・死せる者には、呪文は効かぬようだ・・・・」

「そのようだな・・・・ならば、剣で斬り飛ばしても同じ事だろうな?」

 紫色の隻眼を僅かに細めながら、何故か、シルバもまた、緊張感の無い表情で軽く微笑した。
 この二人の奇妙な余裕を、ウィルタールはまったく理解できずに、ただ、ひたすら狼狽しておたおたするばかりである。

「なんでそんなに落ち着いていられるんですか!?お二人とも!?どうするんですか!?」

「どうするも何も・・・・ジェスターが、この死人を操る魔物を封じるまで、ひたすら斬るしかなかろうな・・・?」

 落ち着き払ったシルバのその言葉に、ウィルタールは、半ば唖然として口を半開きにしてしまう。
 そんな彼に追い討ちをかけるように、シルバは、余裕有り気な表情で言葉を続けたのだった。

「もう好い加減その手を離してくれ、ウィルタール?成すべきことは、成すべき者がやる・・・・
今、成すべきことは、死人使いが封じられるまで、この死人の群れの相手にすることだ」

 その言葉は、あのアーシェの魔法剣士に絶大な信頼を置いていないと、到底出てこない言葉である。
 そうなのだ・・・・
 先程、ジェスターが此処を離れた時点で、シルバもスターレットも、彼が何を成しに向かったのか、その全て把握していたのだ。
 だから、目の前に迫り来る、術も武器も効かぬ死人たちと対峙していても、この余裕がある・・・・
 ウィルタールが、ハッとしてその手を離すと、同時に、シルバの爪先が、叩くように地面を蹴った。
 優美な白銀を構えたまま、漆黒の長い髪と純白のマントと翻し、臆すこともなく、彼は、俊足で死人の群れへと疾走していく。

「ウィルト、相手は何の術も武器も使ってはこない・・・恐れることもあるまい・・・そなたは、この私の弟子だ、自分の身は自分で守れ、いいな?」

 やけに穏やかな微笑でそう言うと、敬愛する主人スターレットの雅な姿が、吹き荒ぶ蒼き疾風の最中に、溶けるように消えていく。

「ス、スターレット様!!お待ちください!!」

 焦ったように片手を伸ばすが、既に遅い。
 なんと、ウィルタールは、死人が迫り来る提督府の前に、たった一人で取り残されてしまったのである。

「そんなぁぁぁ――――っ!!」

 今日幾度目かの彼の悲鳴が、薄闇の最中に響き渡った。
 今にも泣き出しそうな情けない顔つきをしながら、それでも、勇気を振り絞り、大きな青い瞳を強く輝かせると、  ウィルタールはぐっとその拳を握ったのである。

 そうだ・・・・これは試練なのだ、敬愛する主人が自分に与えた試練なのだ!

 前向きにそう思うことにして、彼は、半べそをかいたまま、右手を大きく頭上に掲げたのである。
 ここまでくると、もうやけっぱち・・・・
 ウィルタールは、明るい茶色の髪と宮廷付き魔法使いの証たる蒼きローブを翻しながら、呪文と呼ばれる古の言語を口にした。

『煌めく雷 天より来たりて空を裂け!静寂に轟く雷鳴は崇高な刃となり闇を貫く!
雷光斬(ギメル・ダーレト)!!』

 どぉぉんという轟音が無数いる死人の合間に轟き渡った。
 虚空に蒼い輝き舞い上がり、そこから幾筋幾筋も降り下りてくる鋭利な雷光の切っ先が、まるで研ぎ澄まされた槍のように、死人たちの頭上を貫き通していく。
 次第に膨れ上がる激しい雷光の煌きが、辺りにうごめく死人の群れを急速に飲み込んでいった。

 ウィルタールは、半べそのあどけない顔をいかめしく歪めながら、その青い瞳を見開いて、恐怖を押し殺すかのように、ただひたすら、倒れてはまた地面から起き上がってくる死人を睨み付けたのだった。
 見習魔法使いの決死の攻防は、ここからしばらく続くことになる。
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