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第二節 落日は海鳴りに燃ゆる15

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 不気味な死人の隊列の最中に、純白のマントが棚引いた。
 深き地中に眠る紫水晶の隻眼が、まるで紫炎の刃の如く鋭利に煌く。
 漆黒の長い髪が乱舞し、しなやかに翻された手から放たれる白銀の斬撃が、豪速で死人の腹を浚っていく。
 紅い火の粉を散して、両断された上半身が薄闇の虚空に撥ね上がった。
 うごめくように差し伸ばされる無数の腕を、容赦もなしに薙ぎ払って、シルバは、純白のマント翻しながら、一度、優美な剣にこびりついた、どす黒い血のりを払ったのである。

「まったく・・・・本当に厄介な術を使う魔物がいる・・・・!」

 思わず、苦々しく呟いた彼の視界の中で、先程薙ぎ払ったはずの死者が、朽ちた片手で胸を支えゆらりと起き上がった。
 それに追随するように、足だけになった下半身もまた、うごめくようにその場に起き上がる。
 斬り飛ばしたはずの無数の腕が、指先で這うように彼の足元に迫ってくる。
 間髪入れずにそれを蹴り飛ばして、シルバは、振り返り様、骨の剥き出しになった腕を伸ばす死人の肩を、閃光の如き鋭利な一線で薙ぎ払った。
 肩から斜めに両断された体が、鈍い音を立てて石畳に転がるが、それもまた、うごめくように震えながら、ゆらりと朽ちた体をもたげてきたのである。
 この死人の群れは、それこそ、あの旧知の友が操る紅蓮の炎で、灰も残さぬほど焼き払わぬ限り、こうして、幾度も幾度も起き上がってくるのであろう。
 形の良い眉を鋭く眉間に寄せて、眼前から迫る首の無い死人に、その鋭い白銀の斬撃を翻した、正にその時だった・・・
 不意に、そんな彼の背後から、涼やかで鋭利な音を上げ、青き閃光の矢が豪速で飛来したのである。

「!?」

 しかし、それは決して、シルバ自身を狙ったものではない。
 一直線の青い軌跡を描く閃光の矢が、彼の傍らにうごめき立った死者の胸を貫き通し、その背後にいた片腕の死者の眉間をも貫き通す。
 清らかな矢を受けた死者は、にわかに青き光に包み込まれ、跡形もなくその場から消え去っていった。
 シルバは、驚いたようにその紫色の隻眼を見開くと、素早く背後を振り返った。
 広い肩に羽織られた純白のマントが、死臭と生暖かい風が漂う薄闇に、流れるように揺れる。
 その視界の先にある、崩れかけた家屋の屋根の上に、藍に輝く黒髪が翻った。
 跳ね上がる前髪の下から覗く、紅玉を填めこんだような鮮やかな紅の瞳。
 『水の弓(アビ・ローラン)』と呼ばれる青玉の弓に閃光の矢を番えたまま、甘い色香の漂う桜色の唇で、どこか切なそうに、しかし、どこか嬉々として微笑する女神のような美しい女性(にょしょう)・・・
 その傍らには、青き魔豹の姿があり、長い尾をゆらゆらと揺らしながら、金色の両眼で真っ直ぐにこちらを見つめすえている。
 シルバは驚愕し、一瞬、言葉を失って、その紫の隻眼を見開いた。

「な・・・何故此処に・・・っ!?」

「何をしているの!?死人に食われるわ!!」

 叱責するような彼女の声に、ハッと広い肩を震わせると、シルバは、ふと我に返り、素早くジェン・ドラグナを持つ手を翻したのだった。
 虚空を二分する白銀の斬撃が、左舷から迫った死人の首を斬り飛ばし、振り返り様、背後から来た半身だけの死人を、更に脳天から両断せしめる。
 そんな彼の脇を閃光の如く行き過ぎた青き光の矢が、次々と押し寄せてくる死人を貫き通し、一瞬にしてその場から消滅させていった。
 藍に輝く黒髪を虚空に翻し、機敏な仕草で石畳の上に飛び降りると、その美しき女弓士は、俊足でシルバの隣に駆け込んできた。
 その足元を走る青き魔豹が、シルバに向かって、どこか愉快そうにこう言ったのである。

『いくらそなたでも、死人が相手では埒があくまい?我等青珠の守り手は、白銀の守り手に借りがある・・・その借りを返しにきた、レダの用事も兼ねてな』

 言葉の語尾に意味深な含みを持たせて、青珠の森の守り手、青き魔豹リュ―インダイルは、ぶるりと、その青き毛並みの肢体を震わせる。
 俊敏でしなやかな肢体が、眩いばかりの青き光を纏い、果てしなく輝き始めると、音もなく伸び上がる幾節もの青きオーラの中で、次第にその体が二回りも大きくなっていった。
 しなやかな首筋から長き鬣(たてがみ)が伸びると、青い閃光と共に、その額に一角、その背中に五角、神々しいほどに輝く金色の鋭いが出現する。
 これが、青珠の森の守り手リュ―インダイルの本来の姿。
 縦長の虹彩を持つその金色の両眼が、眼前から迫り来る死人の隊列を睨み据えると、不意に、その只中に青く輝く光の渦が巻き起こったのだった。
 けたたましい咆哮を上げたリュ―インダイルが、抉るように地面を蹴って、一気に死人の合間へと疾走していく。
 青き鬣が棚引くように揺れ、剥き出しの鋭い牙が、死人の頭、腕を、胴を、そして足を引き裂くように薙ぎ払い、大きく湾曲した爪で紅き炎を纏う死人の体を、虚空に静止する青き光の渦に投げ込んでいった。
 死人の体が豪速で空を舞い、吸い込まれるように渦に巻かれると、一瞬にして塵のような粒子となって消滅していく。

 青珠の森の守り手が得意とする、封魔と鎮めの術。
 この青き光の渦は、まさにその魔力の集合体。
 それは、死者の嘆きすら鎮め、その肢体にかけられた術をも滅破していく。
 その光景を鋭い視線で眺めやっていたシルバが、凛々しい唇だけで小さく微笑した。
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