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第二節 落日は海鳴りに燃ゆる22

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 不意に、そのしなやかで柔軟な肢体が青き輝きに包み込まれると、見えざる手が、未だに眠ったままでいるウィルタールの体を静かに石畳の上に横たえた。
 青き魔豹の姿が消え失せ、代わりに、たゆたうように虚空に出現した青き光の円。
 粒子の如く舞う青き光の中から浮き出るように、一人の見知らぬ青年が姿を現してくる。
 広い肩に羽織られた青いマントが、夕映えの輝きを受ける虚空に流れるように翻った。
 緩やかに波打つ青い髪を持ち、牙を剥く豹の姿が描かれた金色の鎧をその身に纏う、長身で屈強なその青年。
 真っ直ぐに、雅なロータスの大魔法使いを見つめる、強く鋭い金色の両眼。
 彫りが深く整った顔立ちと、僅かに上がったその目じりが、この青年の持つ威厳を殊更強調しているかのようだった。
 一見すると、その年齢は、30前後に見えるだろうか・・・・
 それが、先程まで青き豹の姿をしていたリュ―インダイルであると気付くのに、さして時間はかからなかった。
 スターレットは、人の姿を取ったリュ―インダイルの鋭い金色の眼差しを、神妙な面持ちで受け止めながら、吹き付ける潮風に輝くような蒼銀の髪を揺らしたのである。
 雅なロータスの大魔法使いを真っ直ぐに見つめたまま、リュ―インダイルは、静かにその唇を開いた。

『エメルディナの箱庭は・・・・古の魔物を封じた禁断の地・・・・
クスティリン族の神とされるレスルヤーオが封じる地と同じ、その地中に巨大な闇を孕んだ場所の事だ・・・
エメルディナが寿命を迎えずに死したあの時・・・・
かの女は、自らの骸を封魔の結界とし、箱庭を封じようとした・・・・・・
だが、ラグナ・ゼラキエルは、結界たるエメルディナの骸を持ち去り、あの女性(にょしょう)の城を自らの居城とした。
そして、本来なら魔物を封じるための結界をその城に施した。
それが、「ロイアー・カークス(幻の城)」と呼ばれるあの奇妙な城の暗黒結界だ・・・・
エメルディナの骸が作り出すあの強固な結界は、城の内側からしか解くことが出来ぬ、外部からの進入はまず不可能だ・・・・・・
唯一、あの城に入ることができる場所・・・』

『それが、箱庭・・・・』

『その通りだ・・・・エメルディナの箱庭だけが、異空間であの城に通じるたった一つの場所。
400年前・・・・レクリニクスも、オルトランも、そしてイグレシオもその箱庭からロイアー・カークスへ攻め入り・・・・
ラグナ・ゼラキエルを討ち取った・・・・いや・・・・
討ち取り損ねたと・・・言った方がいいかもしれぬ・・・・・』

『・・・・・・・討ち取り損ねたと・・・!?』

 スターレットの表情が、にわかに驚愕の表情に変わり果てた。
 紅に燃える夕日の光を受けたその雅な顔に、驚きの色だけがにじみ出る。
 綺麗な眉を厳しく眉間に寄せ、僅かばかりかすれた声で、彼は、咄嗟にリュ―インダイルに問い返したのだった。

『馬鹿な、ロータスの伝承には確かに討ち取ったと伝えられている・・・なのに何故・・・・・っ?』

 緩やかに波打つ青い髪の下で、リュ―インダイルの金色の眼光が、ふと、鋭利に細められる。
 広い肩に羽織った青いマントを海風に翻しながら、徐に前で腕を組むと、神妙な顔つきをしながら彼は言う。

『時を経た伝承など、真実からは遠い物だ・・・・
確かに私は、あの時、あの場にはいなかった・・・・
今、あの時のことをよく知る者がいるとすれば、白銀の守り手アノストラールただ一人。
あの者は、人である者たちと共に「箱庭」からあの城へ入り、そして、全ての顛末を見届けた者だ。
あの戦の後、アノストラールは言っていた・・・・
ラグナ・ゼラキエルは・・・恐ろしい呪いだけを残し、自ら、命を絶ったのだ・・・と』

『・・・・・・自ら、命を、絶った・・・・だと?・・・・・まさか!?』

 信じられないと言ったように両眼を見開くスターレットを、揺るぎない真実を告げる金色の眼差しが、何をも語らず、ただ真っ直ぐに凝視している。
 海風にたゆたうように揺れる青き髪の下、一切偽りのないリュ―インダイルの真剣な表情が、その信憑性を物語っていた。
 言葉を失い、愕然とするスターレットを見つめたまま、リュ―インダイルは小さく頷いて見せる。

 『そなたも知っていよう?
今宵は月闇の夜だ・・・・・真実の【炎神】が目覚めれば・・・・全ての真意が解き明かされよう・・・・・
だがそれは、そなたの命すら奪うかもしれぬ、壮絶な戦いの鐘の音に同じ・・・・』

『・・・・・・・』

『心してかかれ、ロータスの大魔法使いよ・・・・・今の私がそなたに言えることは、それしかない・・・・・・・』

 鋭くもたおやかなリュ―インダイルの言葉に、スターレットは、一度、感慨深げにその綺麗な銀水色の瞳を瞑目させた。
 内海アスハ―ナに落ちていく紅蓮の落日。
 夕凪の海原が、宝石のような輝きを放ちながら、海鳴りと共に、今、ゆるやかに漣を起こす。
 静かにその銀水色の両眼を開き、スターレットは、異国のマントを翻しながら、ゆっくりとその場に立ち上がった。
 そして、威厳在る風格で眼前に立つリュ―インダイルを、強い眼差しでで直視し、彼は、落ち着き払った声色で言うのである。

『しかと心しよう・・・・・・リュ―インダイル・・・・』

 ふと、その知的な唇が穏やかに笑った。
 それに答えるかのように、リュ―インダイルもまた、唇だけで小さく笑う。
 たおやかに落ち行く夕日が、石畳の上に長い影を落としている。
 夜の女神がその両腕を広げ始めた東の空には、満ち足りた金色の月が、音もなく静かに佇んでいた・・・・・
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