神在(いず)る大陸の物語~月闇の戦記~【第三章】

坂田 零

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第一節 鋼色の空19

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 森の木々を激しく揺らす激しい風と雨が、轟々と唸りを上げている。
 狭い居間の床の上にうずくまるようにして毛布に包る、リタ・メタリカの美しい姫君の眼前に、あのアーシェ一族の口の悪い魔法剣士の知人という女性、ネデラ・ブランカは、暖かな矢車草の紅茶を差し出しながら、実に人の良さそうな笑顔で言うのだった。

「お口に合うか解りませんが、お飲みください、体が温まりますよ」

 リタ・メタリカの勇ましくも秀麗な姫君リーヤティアは、そんなネデラの優し気な顔を見上げながら、寒さに震える唇で小さく笑って見せたのだった。

「ありがとう」

 ネデラの手から、暖かな紅茶の入ったカップを受け取りながら、なだらかな肩で小さくため息をつくと、彼女は、そのしなやかな指先を暖めるように、両手でカップを包み込んだのである。

「高貴な出のお方に、このような粗末な物しか出せなくて・・・すいません」

 そう言って、申し訳なさそうに笑うネデラに、リーヤは、その晴れ渡る空を映したような紺碧色の瞳を向けると、もう一度小さく微笑んで見せたのだった。

「いいえ、そんなことはありません・・・助かりました、感謝します」

 瞳の色と同じ紺碧色長い巻き髪を、その秀麗な頬に張り付かせたまま、彼女は、どこかほっとしたように暖かな紅茶に口をつける。
 そんなリーヤの様子を、ネデラは、実に穏やかな表情で見やると、どこか大人の妖艶さが漂う唇を、静かに綻ばせたのだった。

 ネデラの年の頃は、30代の半ばといった所であろうか・・・
 決して華やかな美しさを持つ女性でないが、印象的な緋色の髪と暖かな紺色の瞳を持つ、実に人の良さそうな女性であった。

「まったく、あの子ってば・・・・こんな高貴な姫君を雨に晒すなんて、変なところで気が効かない所も、本当にバースにそっくりね」

 ふと、そんな事を呟いて、僅かばかり怒ったように眉根を寄せると、ネデラは、その腰に両手をあてがった姿で小さくため息をついたのである。

「バース・・・・?あぁ、ジェスターの師であった人の事ですね?
ジェスターは、時々、思い出したようにその人の名を口にします・・・・・・
一体、どんな人だったのですか?そのバースと言う人は?」

 リーヤは、暖かなカップを両手に包んだまま、興味津々というような素振りで小首を傾げると、湿った前髪の隙間から覗く、紺碧色の澄んだ真っ直ぐな眼差しで、ネデラの顔を顧みたのだった。
 そんな姫君の言葉に、ネデラは、どこか切なそうに笑うと、紺色の瞳を懐かしそうに細め、静かな口調で言うのである。

「・・・・バースは、あの子の・・・貴女様が【ジェスター・ディグ(名を棄てた者)】と呼ぶ者の実の叔父でした」
「え?」

 ネデラの言葉に、リーヤは、僅かばかり驚いたように、毛布を羽織ったなだらかな肩を揺らした。
 怪訝そうに綺麗な眉を寄せて、まじまじとこちらを見やる彼女の秀麗な顔を見つめながら、静かな口調で、ネデラは言葉を続ける。

「寡黙だけど、その実、心根の優しい・・・・本当に強いひとでした・・・
じゃなければ、自分の子でない子供達を、男手一つで育てようなんて、思いませんよね・・・・
あの子達には、随分と厳しかったけど、私には、とても良くしてくれました・・・
変なところで鈍感で、気が効かない所もありましたけど」

 ネデラは、そう言うと、おかしそうに笑った。


 あれは、彼女がまだ21の頃・・・そう、今、目の前にいる、このリタ・メタリカの姫君と調度同じような年頃の時であった。
 
 当時、エトワーム・オリアの街で、貴族の別荘の下働きとして働いて彼女は、ある日、薪を拾いに森へ行き、誤って崖から滑り落ちてしまったのだった。

 両足をくじいてしまい、崖下で動けなくなったまま、みるみる時が過ぎ、やがて、晴れ渡る空が夕闇に染まる時刻にまでなった頃。
 このまま遭難して死ぬのかと、泣きべそをかいていた彼女の目の前に、突然、鮮やかな朱のローブを纏う、一人の長身の青年が姿を現したのだった・・・・

 「大丈夫か?」

 そう言って、彼女に手を差し伸ばしてきたのは、栗色の髪と、強くありながらも、どこか穏やかな輝きを放つ綺麗な青い瞳を持った端正な顔立ちの青年。

 「風の精霊が、崖で泣いている者がいると、そう言っていたのでな・・・・」

 天空を茜に染める夕焼けと、紺色の影を伸ばす高峰の山々を背景にして、彼は、凛々しい唇で小さく笑っていた。
 それが、他でもない、朱き獅子(アーシェ)一族最後の大魔法使いバース・エルディ・アーシェであったのだ。
 そんな彼の姿を見た瞬間、失意と不安に押しつぶされそうになっていたネデラは、まるで転んだ子供のように大声を上げて泣き出した。

 緑に萌える木々に彩られた岩場を吹き抜ける、涼しやかな夕暮れの風。

 その風の道筋に、栗色の髪をたおやかに揺らしながら、バースは、僅かばかり困ったような顔をして、ネデラの緋色の髪を、まるで幼子でもたしなめるように、その大きな手で静かに撫でたのである。

 バースは、その年齢よりも大分若く見える、実に容姿端麗な青年であった。

 まさか、自分の子ではない三人の子供達を育てている賢者であるとは、ネデラは、その時夢にも思わなかった。

 後日、礼を言うつもりで、エトワーム・オリアの街外れにある「賢者の丘」を訪れた時、家の扉を開けたのは、まだ年端もいかない異国の黒髪の少年であった。

 その後ろでは、どちらが兄でどちらが弟かすら、一目では全くわからない程に良く似た双子の兄弟が、鮮やかな緑玉の瞳をきょとんとして丸くして、こちらを見ていた。
 生意気盛りの三人の少年は、なにやら、顔を見合わせて悪戯気に笑った。

「バース!お客だよ!女の客なんて珍しい、何か悪さでもしたの?」

 三人は一斉に部屋の奥に振り返り、異口同音でそんなことを叫んだ。

 その後すぐ、少年達の頭の上に、げんこつが落ちたのは言うまでもない・・・

 賢者と、孤児の少年達。

 それは、実に奇妙な取り合わせだった。
 しかも時折、三人の子供達の中に、実に育ちの良さそうな貴族の少年が混じっている時もあった・・・
 言うまでもなく、まったくの男所帯である。

 元から世話焼きなネデラは、いつの間にか、そんな彼らの身の回りの世話をするようになっていた。
 そこには、少なからずも、ネデラの胸に賢者バースへの恋心にも似た憧れがあった事は、否定できない事実だった。

 子供達が寝静まった後、時々バースは、蒸留酒の杯を片手にぽつりぽつりと、ネデラに身の上話を語る事があった。
 その中で、あの双子の兄弟が自分の実の甥であり、黒髪で隻眼の少年が、旅先で助けた異国の子であり、そして、時々此処を訪れる蒼銀の髪の少年が、ロータス公爵家の御曹司である事を教えてくれた。
 ネデラは、一度だけ、そんなバースに聞いたことがある・・・

「どうして、結婚しないの?バースなら、きっと、お嫁になりたいって言ってきたひと、沢山いたんじゃない?」

 その言葉に、バースは、栗色の前髪から覗く、強くも穏やかな輝きを宿す青い瞳を細めて、愉快そうに笑いながらもこう答えたのだった。

「私は、三人もコブがあるやもめだぞ?そんな事を言ってくる奇特な女性(にょしょう)がどこいる?」

「・・・・・じゃあ、私がバースのお嫁さんになるわ・・・・あの子達の面倒もきちんと看る・・・・私じゃ・・・・駄目?」

 意を決してそう言ったネデラに、彼は、ちらりとだけその視線を流すと、さして驚いた顔もせず、ただ、愉快そうに笑っただけで、さらりと聞き流したのだった。

 バースにしてみれば、あの時の彼女など、所詮、小娘の域を脱していない未熟な女性であったのだろう・・・・と、当時の彼の歳と同じ年頃になった、今のネデラは、そんなことを思う。

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