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第四節 蒼き疾風の咆哮6
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「ラレンシェイ・・・・・・・目を醒ませ・・・・・・・・っ!ラレンシェイ・・・・・・・っ!」
遠くで、誰かが呼ぶ声がしている。
一瞬、自分の名前すら、忘れかけてしまっていた。
でも・・・・・
そうだ・・・・私の名前は、レイノーラと言う名ではなかったはずだ・・・・
閉じられていた長い睫毛が静かに揺れ、乱れた紅の髪の下で、ゆっくりと、その茶色の瞳が開いていく。
まだ霞んでいるその視界に映り込んでくる、輝くような蒼銀の髪と深紅の瞳・・・・
「ラレンシェイ・・・・っ!」
雅で秀麗な顔を、厳しい表情で満たしながら、彼女の名を呼んでいたのは、ほかでもない、ロータスの大魔法使いスターレットであった。
鮮血に染まった腕で、彼女の体を抱きかかえながら、真っ直ぐにこちらを見つめている、禍々しくも神々しい深紅の眼差し。
急速鮮明になっていく意識の中で、ラレンシェイは、ハッとその肩を震わせた。
「スターレット・・・・?私は・・・・・生きているのか?」
僅かばかり驚いたような顔つきをして、思わずそんなことを言ったラレンシェイが、その身を起こそうとした、その瞬間だった。
全身に酷い痛みが駆け抜けて、彼女は、美麗なその顔を苦悶の表情で歪めたのである。
「っ痛・・・・!」
気付けば、青いドレスのあちこちは裂け、しなやかでなだらかな肢体には、深く浅く大小様々な無数の裂傷が刻まれていた、節々は重く、裂傷の他にも打撲まで負っているようだ。
「動くな・・・・シャム・ルーガ(守りの風)に守られたとはいえ、あの術をまともに食らったのだ
そなたでければ、持ちこたえることも叶わなかったかもしれぬ」
どこか安堵した様子で、スターレットは、厳しかったその表情を僅かに柔らかく緩めると、自らも酷い怪我を負っているその胸に、静かに彼女を抱きしめたのだった。
今、この二人の在る場所は、先に居た断崖の向い側に聳えた、切り立つ崖の真上である。
いや、正確には、元は山があった場所が断崖となってしまった場所・・・である。
あれほどまで深かった谷底は、崩れ落ちた土砂によって、前よりも半分以上高い位置に隆起し、背後の森は、傾いた木とその根によって、辛うじて踏みとどまっているという凄まじい状況だった。
いつの間にやら、やけに静かな沈黙を保つその森の彼方には、茜色の日暮れが差し迫ってきている。
ラレンシェイは、ふと、スターレットの腕の中から辺りを見回して、なにやら、可笑しそうに笑った。
「なんだおぬし・・・・・やる気になれば出来るのではないか?
随分と恐ろし気な術を使ったようだな?最初からこうすればよかったものを・・・・・・・」
「・・・・そなたの体に、傷をつけたくなかったのだ・・・・・それ故、な・・・・」
揺れる蒼銀の髪の下で、どこか困ったようにそんなことを言って、スターレットは、ゆっくりと彼女の体を自分から離し、一度、唇だけで小さく微笑したのだった。
傾いた森の木々の合間に、びゅぅんと甲高い音を響かせて、蒼き疾風が駆け抜けていく。
ロータスの若き大魔法使いはその雅で秀麗な顔を、不意に、鋭く厳しい顔つきに変えると、未だに炎の紋章が刻まれている彼女の綺麗な額に、鮮血に染まる右掌をあてがったのである。
「また痛い思いをすることになる・・・・あの魔物が意識を離しているうちに、引き剥がす・・・・
そなたは、絶対に意識を離すでないぞ・・・・できるな?」
「ああ、アストラに二言は無い」
全身を走る激痛で腕すら上げることができぬまま、それでも尚、見事な紅の髪の下で凛と強い眼差しのラレンシェイが、再び、静かに頷いた。
あの性の悪い魔物は、まだ目を醒まさないのか、驚くほどの沈黙を保っている。
術をかける機会は、正にこの瞬間だ。
真っ直ぐに彼女を見つめる禍々しくも神々しい深紅の瞳が、爛と鋭利に輝いた。
にわかに渦を巻いた蒼き疾風が、轟音を上げてロータスの大魔法使いの肢体に絡み付いていく。
弾ける閃光を伴う風が、ラレンシェイの艶やかで長い赤毛を虚空に舞い上げると、彼女の体を腕に抱いたままのスターレットが、古の人にあらざる言語で封魔の呪文を紡ぎ出す。
『清らかなる風が運びし歓喜の詩 翳りに嘆く悲哀の眼に光を与えん・・・・』
鮮血に染まったローブが翻り、彼のその肢体からは蒼きオーラが揺らめくように伸び上がる。
炎の烙印の刻まれたラレンシェイの綺麗な額に、彼の掌からいでた清らかな風の球体が触れた。
「くぅ・・・・っ!」
跳ね上がる紅い前髪の下で、凛とした茶色の両眼を大きく見開いた彼女の額に、再び、ぶわりと闇を映す炎が灯る。
先程感じた痛みより、更に激しかろう痛烈な痛みが、一瞬、またしてもその思考を淀ませる。
苦悶に歪んだ美麗で妖艶なその顔が、ますます険しくしかめられる。
「あぁぁ――――っ!!」
たまらず悲鳴を上げたラレンシェイの手が、咄嗟に、スターレットの胸元を掴んだ。
『其は御身を守りし滅封の唇 その歌声は闇を裂き 虚無の虚空に気高く響く!』
その時、遂に、彼の唇が、最後まで封魔の呪文を紡ぎ出した。
揺らめき立つ蒼きオーラが、その掌に浮かび上がった風の球体に絡み付き、一度激しく発光すると、それは疾風と共にラレンシェイの体を包み込む。
そしてそれは、幾筋もの鋭い閃光を上げて、その体内から燃え立つ暗黒の炎を虚空へと引きずりだしたのである。
「あぁぁぁぁぁ―――――――――っ!!」
茶色の両眼が殊更大きく見開かれ、あまりの激痛にしなやかな背を反らせた彼女の体が、びくりと大きく波打った。
響き渡る悲鳴を浚う、蒼く清らかな封魔の疾風。
伸び上がる閃光の切っ先が、浮き出した暗黒の炎を取り囲み、みるみるそれを黒き球体へと変化させていく。
同時に、その清らかな蒼き風は、ラレンシェイの額に刻まれていた炎の烙印と、しなやかな肢体に付いた無数の傷すら消し去っていき、スターレットの体に刻まれていた鋭い刃傷までもを、一瞬にして消失させたのだった。
『おのれ―――――っ!!ロータスの者よ!!許さぬぞ!!許さぬぞ――――っ!!』
さざめくように揺れる蒼き疾風と弾け飛ぶ清らかな光の中に、レイノーラの激しい断末魔の声が響き渡る。
しかし、もはや彼女に抵抗など出来る力はない。
虚空に形作られた黒く淀んだ球体が、微かに振動しながらその光を失っていく。
正に、その時だった・・・・飛び交う光の帯びと疾風の中、それを見つめていたスターレットの視界に、どこからともなく飛来した、黒き炎の微かな断片が、光の如き速度で横切って行ったのである。
「!?」
一瞬、驚愕した彼の深紅の瞳の中で、その小さな黒炎が、自ら封魔の風の中に飛び込んで行く。
それが、あの不気味な眼球の形をしたレイノーラの使い魔であることを、彼は瞬時に察知した。
虚空に浮かぶ黒い珠の中に入り込んだそれは、やがて、封魔の風にその力を吸い取られて、みるみるその形を失っていく。
だが、それは、本来ならレイノーラだけを封じるはずのその術に、にわかに横槍を入れた形となった。
「・・・・おのれっ・・・・!」
スターレットは、秀麗にして雅なその顔を苦々しく歪め、咄嗟に片手を突き上げて、封魔の風に揺られる黒珠(こくじゅ)をその掌に掴もうとした・・・・
しかし、虚空に弾けた蒼い輝きの中、激しく振動した黒珠が、不意に跳ね上がるように宙を舞うと、あろうことか、それは、切り立つ断崖の上から、深い谷底へと急速に落下して行ったのである。
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