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終節 時を告げる三日月11
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広大な大地に、完全に太陽は落ちた。
西の空の煌びやかな明星が、紺色の天空に、滲むようにして静かに佇んでいる。
煌々と燃える焚き火の赤い炎が、背後の岩場に、ゆらゆらと揺れる大きな影を作っていた。
その火の向こう側では、未だに眠りの縁にいる可愛らしい妖精の少女が、純白のマントその華奢な肢体に掛けた姿で、まるで猫のように丸くなってすやすやと安らかな寝息を立てている。
そんな彼女の姿を、深き地中に眠る紫水晶の如き隻眼が、ふと、愉快そうに見やった。
萌え立つ草の上に、片膝を立てた姿勢で座り込みながら、白銀の守り手シルバ・ガイは、ふと、傍らの岩場に背中をもたれさせている、優美な銀色の髪と黒曜石のような黒き瞳を持つ美貌の青年に、右目だけの視線を向けたのである。
『まさか、サリオの父親が、400年前の白銀の守り手だったとはな・・・・』
どこか感慨深げにそう言ったシルバに、もう一人の白銀の守り手アノストラールが、ゆっくりと、黒曜石のように輝く漆黒の眼差しを向けたのだった。
本来は、煌く白銀の鱗を全身に纏い、額に一角の角を抱く銀竜である彼が、今、人の姿をしたまま、その秀麗な唇でどこか切なそうに微笑する。
『おぬしには、まだ話していなかった故・・・・驚いたか?シルバ?』
『いや・・・・』
艶やかな漆黒の長い髪を、白衣を纏う広い胸で揺らしながら、シルバは、小さく首を横に振った。
いつものように、冷静で沈着で、しかしどこか穏やかな表情をする彼に、アノストラールは、再び、小さく微笑するのである。
『・・・・サリオの父親は、レイラング・ファルース=アドメスタと言う名の・・・・
それこそ、おぬしと同じ雷の気質を持ち、そして、竜狩人であった者だ・・・・』
『レイラング・・・・』
それは確かに、先程、サリオを通して白銀の女王ディアネテルが口にした名だった・・・
しかし、それ以外で、ふと、シルバの脳裏に浮かび上がったある記憶がある・・・
昨夜のあの女妖・・・
アルアミナも、その名を口にしていたはずだ・・・・
形の良い眉をにわかに怪訝そうに潜めて、シルバは、その実直な紫水晶の眼差しで、アノルトラールの美貌の顔を仰ぎ見た。
静かに吹き付ける宵闇の風が、漆黒の長い髪を、その精悍の頬でふわりと揺らす。
低く艶のあるシルバの声が、ふと、アノストラールに問った。
『アノストラール・・・・おまえなら知っていよう、アルアミナと言う名の魔性の名を?』
『知っているとも・・・・・厄介な魔物を扱う者の名だ・・・・
レイラングが、エトワーム・オリアに封じた女妖・・・それがどうかしたか?』
静かにシルバを顧みたアノストラールが、その美貌の顔を僅かばかり怪訝そうな表情に変え、小さく首を傾げてみせる。
『昨夜、その魔性は俺が切った・・・・・
そのアルアミナが、最期に、やけに悲しそうに呼んだ名が、レイラングと言う名だった・・・・
それが、少し引っかかってな・・・』
いつものように、冷静で沈着な声色で紡がれたシルバのその言葉に、アノストラールは、前で腕を組んだ姿勢のまま、感慨深げに西の空に輝く宵の明星を仰ぎ見たのだった。
緩やかな曲線を描く優美な銀色の長い髪が、静かな夜風に浚われて、音もなく虚空に跳ね上がる。
秀麗なその唇をおもむろに開くと、アノストラールは、静かな口調で語り出した。
『・・・・レイは・・・レイラングは、アーシェ一族の中で育った、アーシェの者にあらざる者だった・・・
まだ、歳若いおぬしが知るはずもないが・・・
あやつは、リタ・メタリカが攻め滅ぼした、アドメスタと言う国の王族の生き残りでな・・・・・
アーシェの長が、まだ赤子だったあやつを哀れんで一族の中で育てたのだそうだ・・・・
アルアミナは、そんなあやつに、ひどく執心していた女性(にょしょう)だ・・・・
レイが、ディアネテルを愛していると知るが否や、ラグナ・ゼラキエルの僕となった・・・・
そして、結局は、自らが執心したレイラングに討ち取られる事となった・・・・ある意味では、実に哀れな女・・・・』
『白銀の守り手をやけに憎んでいたのは・・・・・そのせいだったのか・・・』
ふと、呟くようにそう言ったシルバに、もう一度、澄み渡る黒き瞳を向けて、アノストラールは小さく微笑する。
『アルアミナにとっては、レイラングを奪ったのは白銀の森であり、白銀の女王だ・・・・
だからであろう・・・・女の情念とは、実に恐ろしい・・・・』
ふぅっと大きくため息をついて、なにやらぶるりと背中を震わせたアノストラールに、シルバは、思わず愉快気に笑った。
ゆらゆらと揺らめく炎の影を、その精悍で凛々しい頬に映しながら、彼は、どこか意地悪く、しかし実に可笑しそうな口調で言うのである。
『なんだ?まるで、女に恨まれた事があるような言い方だな?』
『馬鹿を申せ、そのような事があってたまるものか・・・・・・・!
恨まれるもなにも・・・・・執心していたのは・・・・むしろ、私の方だったからな・・・』
なにやら言葉の語尾を濁しながら、アノストラールは、拗ねたような顔つきをして、実に愉快気な表情でこちらを見るシルバの隻眼から、その視線を反らしたのである。
シルバの凛々しい唇の隅が、可笑しくて仕方ないと言うように綻んでいる。
『なるほどな・・・・おまえも、誰かに執心するような事があった訳か・・・・?
まぁ、600年近くも生きていれば、一度や二度、そんなことがあっても仕方あるまいな・・・・・・・
で、見事にふられたか?』
『心外な!身を引いたと言え・・・・っ』
『ものは言いようだな?アノストラール?』
『・・・・まったく・・・・さして器用でもない男が、このような時だけ饒舌になりおって・・・・・』
不貞腐れたようにそんなことを言ったアノストラールに、シルバは、いつものように穏やかに微笑して見せる。
岩場を囲む森の最中に、ゆらゆらと揺れる炎の影。
幾千幾万の星々を抱く夜の闇に、たゆたうような夜風が吹き抜けていく。
ふと、その時、深き地中に眠る紫水晶の如く澄み渡るシルバの右目が、黒絹の夜空に浮かんだ、頼りなさ気な薄い三日月を仰ぎ見た。
生い茂る木々の葉の隙間に、滲むように浮かんだ刃のような月の影。
新月を過ぎたばかりのその月が、やがて満ちた時、このリタ・メタリカは、遥か古の彼方より11年周期で訪れる月蝕を見ることになる・・・・・・
溢れる程に満ちた金色の満月が、暗黒の闇に消える・・・それが、月闇の夜・・・・・
真実の闇が、その瞳を大きく開くだろうその夜が、もう、間近に迫って来ている・・・・
三つの魂と二つの体に分かれた真実の闇が、一つの魂と一つの体に戻るだろう、月闇の夜・・・
シルバの脳裏に、幼い日より、まるで兄弟のように育ってきた、真実の闇たる旧知の友の姿が、今、ありありと浮かび上がって来て離れなくなる。
ランダムルの地で、アーシェ一族の集落を舐め尽くすように焼き払った、地獄の炎の如き灼熱の業火・・・・
あの深紅の爆炎が、今度は、このリタ・メタリカの地を炎の海へと変えてしまうのだろうか・・・・・
揺れる漆黒の前髪の下で、実直で澄んだ紫水晶の瞳が、鋭くもどこか切な気に細められる。
アランデューク・・・・もう少しで・・・・時が来る・・・・・
あの炎が、大地を這う前に・・・・俺は、おまえと・・・刃を交えなければならない・・・・
共に大陸中を渡り歩き、幾多の修羅場を潜り抜けて来た相棒であり、友であり、兄弟のようであった者・・・・
それが、真実の闇たるあのアーシェの魔法剣士の青年・・・・
運命とは、本当に皮肉で、そして悲しいものだと・・・・今更ながら、彼は思う。
その胸中にそんな複雑な思い巡らせた時、まるでその思いを汲み取っているかのように、やけに落ち着き払った声色で、アノストラールが、シルバに語りかけたのだった。
『・・・・・いくらおぬしとて、辛かろう・・・・?
共に育ちし同胞(はらから)を、おぬしは、これから討たねばならぬ・・・・・
魔王と呼ばれた者は・・・・ラグナ・ゼラキエル・アーシェは・・・・
おぬしが思うより遥かに恐ろしく、そして、悲しき者だ・・・・
だが、躊躇わず戦うがいい・・・・・・・
されど、ディアネテルが分け与えたその命を、無駄にするようなことだけは、決してするな・・・・・』
『ああ・・・・・判ってる・・・・アノストラール・・・・』
『その時がくれば、この私も共に行く・・・・・・・シルバ』
『ああ』
ゆらゆらと揺れる炎の影が、広い胸元で揺れる漆黒の長い髪をたおやかに照らし出している。
夜空の月を仰ぐ紫水晶の右目を、ゆっくりと瞑目させると、シルバは、その凛々しい唇だけで小さく微笑んだのだった。
その時、ふと、何ゆえか、そんな彼の脳裏に、あの美しい青珠の守り手の姿が横切っていった・・・
『私も行く・・・・私も一緒に連れて行って・・・・』
あの言葉が、何故か今、じんわりと胸の奥に響いてきて、微かな痛みをその心に感じさる。
もう、二度と、君と会うことはないかもしれない・・・・レダ・・・・
間近に迫った月闇の夜を暗示させるでもなく、そこに横たわる黒絹の夜空には、滲むように輝く宵の明星と、薄く頼りない三日月が、静かに穏やかに浮かんでいた・・・・
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