神在(いず)る大陸の物語~月闇の戦記~【第三章】

坂田 零

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終節 時を告げる三日月12

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          *
 王都リタ・メタリカの南、小さな港を抱く宵闇のレイ・ポルドンの町は、今夜、やけにしんと静まり返っていた。
 今、リタ・メタリカの全土を震撼させている魔物達の襲撃を恐れ、街の人々は皆、家の中へと引きこもっているのだという。

 本来ながら、随分と賑やかなはずの港町も、ここのところ、夜も昼もやけに静かである・・・・
 静まり返る街の更なる南。

 複雑に入り組んだ岩壁が連なる入り江に、一見商船風の帆船が一隻、碇を下ろし係留されていた。
 その船は、【竜の水瓶(ドラグナ・ル・べリング)】と呼ばれるこの大海洋に浮かぶ島国、エストラルダ帝国から、リタ・メタリカに派遣していた密偵を引き上げるための密航船である。

 さほど大きくないその船体が、打ち寄せる波に打たれて緩やかに揺れた。
 轟く海鳴りと白波の最中、強い海風が吹き荒ぶ甲板に出て、アストラ部隊四番隊の副官、セイレン・ラーラは、青い瞳を鋭く細めながら、水平線の上に浮かぶ頼りない三日月を眺めやっていた。

 緩やかな巻きのかかる長い金色の髪が、勇壮な軍服を纏った肩で激しく棚引いている。
 綺麗な額に巻かれた赤い布、それは彼女が、このシァル・ユリジアン大陸全土にその名を知らしめる、エストラルダ帝国の勇敢な女人部隊アストラであること明白に示唆していた。

 今、彼女が指揮する四番隊には、本来の隊長たる者が不在である。
 リタ・メタリカの王宮でにわかに魔物どもと遭遇した際に、藍色の髪をした人妖に連れ去れたままだ・・・・

 セイレンは、実に苦々しく蛾美な眉を寄せ、一つ大きくため息をついた。

「隊長・・・・早くお戻りくだされ・・・・さもなくば、貴女は裏切り者とされてしまいます・・・・」

 本国には、既に、帰還が数日遅れると使いを出した・・・しかし、そのような誤魔化しが、そう長く通じる訳もない・・・・
 微かな失意がその胸を過ぎり、彼女は、ゆっくりと踵を返して船室に戻ろうとした・・・・正にその時。
 びゅぅんと甲高い音が海鳴りの只中に響き渡り、ハッと肩を揺らしたセイレンの眼前に、蒼く輝く一筋の閃光が走ったのである。

「!?」

 青い瞳を驚愕で見開くセイレンの視界の中で、甲板の上に突如として出現した蒼き疾風が、緩やかに人の形をとっていく。
 そして、夜の闇から浮き出すように、見事な紅の髪を持つよく見知った美麗な女性と、以前、牢獄から救ったあの雅で秀麗なリタ・メタリカの大魔法使いの姿が、輝くようにようにして現れてきたのある・・・・

「た、隊長!!?」

 沈んでいたその表情を、一瞬にして歓喜の表情に変え、セイレンは、幾多の戦いを共にくぐり抜けてきた上官を呼んだのだった。
 リタ・メタリカの雅で秀麗な大魔法使い、スターレットの腕に抱かれるようにして、セイレンの上官たるラレンシェイ・ラージェは、その妖艶な唇で艶やかに微笑した。

 まるで少女のようにきらきらと瞳を輝かせるセイレンに向かって、ラレンシェイは、ひどく余裕のある表情をして、いつもの勇ましい口調で言うのである。

「ご苦労だったなセイレン?今戻ったぞ」

「隊長、ご無事で何よりでした!」

 咄嗟に駆け寄ってきたセイレンに、緩やかにスターレットの腕を抜けながら、ラレンシェイは、もう一度、艶やかに微笑してみせたのだった。
 見事な紅の長い髪が、吹き付ける海風に浚われて、淡い三日月の照らし出す虚空に跳ね上がった。

 美麗で妖艶なその顔は、先刻までの悩ましい表情から、いつもの凛とした強い武人のそれへと戻っている。
 実に嬉々として微笑みながら、久方ぶりに会う上官の前に立ったセイレンであったが・・・ふと、ある事に気がついて、思わず、まじまじと、美麗な上官の全身に、その青い視線を走らせてしまった・・・・・

 そして、思わずこう呟くのである。

「・・・・・た、隊長・・・・随分とひどいなりですね?
一体、どんな戦い方をしたら、このような格好になるのですか?」

 ラレンシェイのしなやかな身に纏われている深き青のドレスは、あちこちが破れ、所々鮮血がこびりつき、実にひどい有様であった。

 しかも・・・ふと見れば、先程から、ずっと黙ったまま、やけに穏やかな視線でこちらを見つめているロータスの大魔法使いの衣も、見事なぐらい鮮血に染められているではないか・・・・

 一体何があったのか、まったく把握できないセイレンが、きょとんと瞳を丸くして、ラレンシェイと、そして、スターレットの顔を交互に見つめやる。

 そんなセイレンを、なにやら愉快そうに顧みて、海風に揺れる見事な赤毛をかき上げながら、ラレンシェイは言うのだった。

「セイレン、私の服と剣をすぐに用意しろ、スターレットの・・・・ロータスの大魔法使い殿にも、何か服を見繕ってくれ」

「御意!」

 セイレンは、いつものように短く鋭い声で軽快にそう答えると、軍服の裾を翻し、船室の方へと駆け出したのだった。
 そんな彼女の後姿を見送って、ラレンシェイは、頼りない三日月の淡い光を散す海風の中、見事な紅の髪を揺らしながら、ゆっくりと背後に立っているロータスの雅な大魔法使いに振り返ったのである。

 凛とした茶色の両眼が、真っ直ぐに、ロータスの雅な大魔法使いの端正で秀麗な顔を見つめると、彼女は、小さく微笑してから、母国の言葉のままで言うのだった。

「少し待っていろ・・・・大魔法使いたる者が、血染めのなりでは威厳も風格もあったものではあるまい?」

 その言葉に、輝くような蒼銀の髪を海風に揺らしながら、スターレットもまた、薄い唇だけで小さく微笑んだのである。

「そうかもしれぬな・・・・・・」

 エストラルダ語で短くそう答えると、彼は、綺麗な銀水色の瞳を、どこか愉快そうに、しかし、どこか切なそうに細めるのだった。

 この凛とした美麗な異国の女剣士は、このまま、後ろ髪も引かれず母国に帰っていくのだろう・・・・
 この美しい戦人は、妙な感傷に浸るような女々しい女性(にょしょう)ではない・・・・
 後ろ髪を引かれる思いでいるのは、むしろ、自分の方だ・・・・

 きっと、此処にあのアーシェの魔法剣士がいたならば、実に呆れ返った顔つきをして、『相変わらず、うだうだしてやがるヤツだな、おまえは?』と、飄々とそんなことを言っただろう・・・・

 思わず、微笑を苦笑に変えたスターレットが、その澄んだ銀水色の眼差しで、今、眼前に立つ、見事な赤毛の美麗な女剣士の顔を真っ直ぐに見た。

そんな彼女の妖艶な唇が、何故か、底意地悪く笑ったのである。

「なんだおぬし・・・・そのような面をして?本当に、ロータスの大魔法使いとは思えぬほど感傷的な男だな?」

「・・・・・・・・・」

 思わず押し黙った彼の秀麗な顔に、その美麗な顔を近づけながら、ラレンシェイは、ひどく愉快そうに、しかしどこ性悪な口調で言葉を続けた。

「おぬし、もしや、私に惚れたか?」
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