神在(いず)る大陸の物語~月闇の戦記~【第三章】

坂田 零

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終節 時を告げる三日月13

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「・・・・・否定はするまい・・・・そなたにやり込められるのが、関の山故な」

 若きロータスの大魔法使いが、どこか困ったように笑った。
 頼りない三日月の淡い光を受け、彼のその蒼銀の髪が、金色に輝きながらたゆたうように虚空に跳ねる。
 血染めの蒼いローブの裾を、流れるように甲板の上に漂わせ、実に複雑な表情をするスターレットの秀麗な顔を、ラレンシェイは、なにやら満足気に見やったのだった。

 そんな彼の頬に、そっと片手を差し伸ばしながら、彼女は、揺れる前髪の下で、その凛とした茶色の瞳を細めると、しなやかな指先で、撫でるようにその端正な顎の線を辿ったのである。
 殊更愉快そうな顔つきで彼女は言う。

「馬鹿め、アストラに惚れると後が怖いぞ?」

「馬鹿は承知の上だ」

 やけに素直にそれを認めたスターレットに、彼女は、ますます可笑しそうに茶色の瞳を細めた。
 先刻まで、彼の指先に絡み付いていたはずの見事な紅の長い髪が、海風に浚われてふわりと虚空に跳ね上がる。

「本当に、馬鹿につける薬はないな」

 薄紅色の妖艶な唇が、意味深に微笑んだ。
 僅かばかり高い位置にある、スターレットの首元に両腕を回して、彼女はそのまま、彼の唇に、今宵幾度目かの接吻(くちづけ)をした。

 揺れる蒼銀の前髪の下で、静かにその銀水色の瞳を閉じて、スターレットは、ひどく性悪な戦の女神のしなやかな腰を、そっとその腕に抱くのである。

 感情を堰き止めていたたがが一度外れると、こんなにもこの女性(ひと)が愛しい・・・
 我ながら、本当に馬鹿だととも思う・・・・
 此れほどまでに惹かれるのは、きっと彼女が、忠誠の中にも、それだけに縛られる事も無く、己の自由を自らたぐり寄せようとする強さを持っているからだろう・・・・

 王家やロータスの家訓に縛り付けられ、雁字搦めになりながらも抗うことすらできぬ自分とは果敢さが違う・・・

 遠くで海鳴りが響いた。
 吹き付ける強い海風が、淡い三日月の光を揺らしながら、甲高い声を上げて通り過ぎて行く。

 耳元を掠める風の声が、ふと、一瞬途切れた時だった・・・・

 突然、船室の方から、人が倒れ伏すような派手な音が響いて来て、彼は、思わずハッとその肩を揺らしたのである。
 同時に、重なり合っていた唇が離れ、訝し気な顔つきをしたラレンシェイが、ゆっくりと背後を振り返る・・・・・

 すると、その視界に飛び込んできたのは・・・・

 なにやら、慌てふためいたようにその場に立ち上がる、軍服姿の若い女性達の姿であった・・・・

 どうやら、彼女等は皆、ラレンシェイの部下たるアストラ剣士達であるらしい。
 皆がその額に赤い布を巻き、焦りの様相を呈しながらも、素早くそこに整列していく。

 本国では、と異名を取るラレンシェイを、魔物の手から救ってきたロータスの大魔法使いがどんな男か、一目見るつもりで、皆、船室の扉の隙間からこちらを覗いていたのだろう。

 誰かが平衡を崩して、全員が一斉に甲板に倒れ込んだ・・・・と言ったところであろうか・・・・

 ラレンシェイは、一度大きくため息をつき、凛としたその茶色の瞳を、スターレットに向けると、軽く額を抑えながら、なにやらバツが悪そうに言うのだった。

「不躾な部下どもですまんな・・・・このように女ばかり揃っていると、男が珍しくて仕方ないのだ、許せ」

「いや・・・・気にはしておらぬ故」

 愉快そうにそう言って、スターレットは、少年のようにあどけなく笑った。
 ラレンシェイは、もう一度、小さくため息をつくと、不意に、美麗な顔を凛と強く引き締めて、整列した部下達の方を顧みると、いつもの口調で彼女等に言い放ったのである。

「全員!姿勢を正せ!」

 その声に呼応するように、勇壮な異国の女剣士達が、ぴしっとかかとを揃えて背筋を伸ばす。

「敬礼!」

 見事なほど同じ間合いで、一斉に敬礼した彼女等を背にして、ラレンシェイは、再び、ゆっくりとスターレットに振り返った。
 そして、なにやら思惑有り気に微笑むと、さも愉快そうな口調で言葉を続けたのである。

「おぬし、先刻睦言で、これからサングダ―ルと戦をすると言っていたな?」

 その言葉に、スターレットは、綺麗な眉を不審そうに眉間に寄せ、まじまじとそんなラレンシェイの美麗な顔を見つめやったのである。
 確かに、落日に照らし出されたあの森の中で、彼女のしなやかな体をその腕に抱いたまま、『これからおぬしは、あの魔物と一戦交えるのか?』と聞かれ、サングダ―ルとの戦が先だと答えた・・・・
 しかし、それが彼女とどんな関係があるのか、さっぱり理解出来ぬまま、彼は、戸惑ったように答えるのである。

「確かに、言ったが・・・・」

「私はおぬしに借りがある故、それに加勢してやろう、人が相手の戦なら、私は玄人だからな」

 そう言って、ラレンシェイは、妖艶で不敵な微笑をその美麗な顔に浮かべたのだった。

「・・・・!?」

 大きな波音を上げて、エストラルダからの密航船に白い漣がぶつかった。
 遠く響く海鳴りと、吹き付ける強い海風の中で、その船体が緩やかに揺れている。
 予想だにしなかった彼女の言葉に、スターレットは、その雅で秀麗な顔をひたすら困惑させて、澄んだ銀水色の瞳を見開くと、言葉すら忘れ、ラレンシェイの美麗な顔をただ、見つめするばかりである。

 それは、黒絹の夜空に、薄く淡く輝く三日月が浮かぶ宵辺の出来事であった・・・・

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