神在(いず)る大陸の物語~月闇の戦記~【第三章】

坂田 零

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終節 時を告げる三日月 14

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 決して人を寄せ付けぬ、山間の深い森の中に、まるで、水鏡のように透き通るその湖はあった。
 清らかに澄む水を豊かに湛えた、まるで大粒の青玉の如き五つの湖水、それが『青の湖(アルク・ラン・アビ)』である。
 五つある湖のうち一番大きな湖『青玉の大鏡』と呼ばれるその湖の底に、このシァル・ユリジアン大陸にいくつか点在する妖精の森、青珠の森はあった。

 その森を守護する守り手達が帰ってきた時、青く輝く美しい森の色はくすみ、青珠の王宮を満たしていた、青き泉の清らかな水も枯渇する寸前、【息吹】を失った森の妖精達は、妖精王レイルの王座を囲み、皆ぐったりと倒れ伏している状態だった。

 後少し帰りが遅ければ、この森は本当に滅びていたかもしれない・・・・

 息を切らして王宮に走り込んで来た、美しき守り手レダ・アイリアスの姿を見た時、この森の統治者レイルは、透明な水の流れのような青い髪を静かに揺らしながら、力ない青玉の眼差しで微笑し、こう言ったのだという。

『・・・・そなたの身の内の【悪しき魂】は、何処へ置いてきたのだ?レダ?』と・・・・・

 妖精王レイルの手で王宮の泉に戻された【息吹】が、今、泉から吹き上がる青く清らかな水の中で美しく輝いている。
 音も無く流れを刻む泉の水は、王宮の天井を一杯に満たし、それを床に降り注がせることもなく、その頭上でまるでの水面ようにたおやかに揺れていた。

 宝石のようにきらきらと輝く天井越しに見える、黒絹の空の薄い三日月。
 導かれし者以外、一切立ち入ることを許されぬ青珠の森の王宮に、命の水が溢れた頃、広い肩に羽織った青いマントを流れるように揺らしながら、一人の無骨で屈強な青年が、王座の前に御意してきたのだった。
 強く鋭い金色の両眼。
 緩やかに波打つ青い髪と、その屈強な胸元に纏われた、牙を剥く豹の姿が描かれた金色の鎧。

 彫りが深く整った顔立ちと、僅かに上がったその目じりが、この青年の持つ威厳を更に強調しているかのようだ。
 それは、いつもなら豹の姿をしているこの森の守り手、魔豹リュ―インダイルであった。
 
優美で雅な妖精王レイルは、透き通る頬に軽く片手をあてがうと、透明な水の流れのような青い髪を微かに揺らし、澄んだ青玉の瞳で、人の姿をとっているリュ―インダイルを見つめすえたのである。
 静かな声で、しかし、どこか愉快そうな口調で、レイルは彼に聞く。

『リュ―イ・・・・水鏡が枯れていた故、私は何も見知らぬが・・・・しばらく見ぬうちに、あの未熟者は随分と強くなって帰ってきたようだ・・・・何があった?』

 王のその言葉に、リュ―インダイルは、強く鋭いはずの金色の両眼で、どこか穏やかに微笑した。

『仇と憎んだ者を愛したが故、身の内の憎しみが、消えたからでありましょう』

『実に興味深い話だな』

 知的な口元で軽く一笑して、レイルは、たおやかにゆっくりと言葉を続ける。

『人とは面白い生き物よ・・・・憎しみすら愛情に変えてしまう・・・・それで、あの者が救われるなら、私には何も言うことはない』

『レイル、実はそのことで、一つ貴方に頼みがあります・・・・聞き入れてもらえませぬか?』

 ふと、神妙な顔つきになってそう言ったリュ―インダイルに、王座にゆったりと腰を下ろしたまま、レイルは、落ち着き払った表情で答えて言う。

『珍しいな?そなたが頼みごとなど・・・・して、一体なんだ?』

『レダは未熟者故、【炎神】との戦には出すことはできませぬ・・・・しかし、【炎神】が真実に目覚める前に、もう一度、あの者が愛する者のところへ、赴かせてやってはいただけませぬか?
あの者が慕う者は、これから、【炎神】との戦に臨む強き者・・・・このまま、レダの思いを無にしてしまうのは、私とて心が痛みます故』

 落ち着き払った口調でそう言ったリュ―インダイルに、レイルは、透明な水の流れのような青き髪を僅かに揺らして、何ゆえか愉快そうに微笑った。
 そんな王の優美で雅な顔を、金色の眼差しが真っ直ぐに見つめすえる。
 その神妙な視線を青玉の瞳で受け止めながら、レイルは、静かに口を開くのだった。

『そなた、今、自分がどんな顔をしているか知っておるのか?』

『・・・・・?』

 怪訝そうに眉根を寄せるリュ―インダイルに向かって、優美で雅な王は殊更愉快そうに言葉を続ける。

『娘を嫁がせることを決めた、父親のような顔をしておる・・・・・そなた、翠蓮(シーレン)とレダを重ねて見ておるのだろう?
翠蓮(シーレン)も、人であるなら調度レダと同じような年頃だ・・・・・
あれからもう400年以上、そろそろに許しを請いに行ってみてはどうだ?
翡翠の姫にも、もう長く会ってはおるまい?』

『レイル・・・・私は今、そのような話をしている訳ではありませぬ』

 リュ―インダイルは、柄にもなくどこか困ったような顔つきをして、レイルの言葉に反目する。
しかし、青珠の森の妖精王は、相変わらず愉快そうに笑ったまま言うのである。

『そうか?私には、一目でも実の娘に会いたいと、そう言っているように聞こえたが?』

『ご冗談を・・・・』

『冗談ではない。そなたの命は、あの時、このレイルが貰い受けた、だが、そなたの自由までは奪ったつもりはない・・・・そなたが、魔豹族の掟に背いてまで娶った翡翠の姫が、未だに怒っておるのは、
そなたが、いつまでもそうやって距離を置いておるからではないのか?
いい機会だ、そなたも、慕いし者に会いにいくがいい』

『レイル・・・!ですから、私は、今そのようなことを申しているのでは・・・・!』

 いつになく困惑の様相を呈するリュ―インダイルに、レイルは、頬にあてがっていた手をゆったりと外して、実に人の良さそうな微笑みで、その手を静かに彼の眼前へ差し伸ばしたのだった。
 そんなレイルの掌に、不意に、ふわりと浮かび上がる四つの小さな青い光の粒。
 それは、長い指先の上でたゆたうように揺れると、やがて、四つの青い撫子の花へとゆるやかに変化していった。

 それが一体何を意味するものなのか、瞬時に理解して、リュ―インダイルのは、その金色の両眼で、真っ直ぐにレイルの優美で雅な顔を見つめすえた。
 レイルは、何も言わずに、ただ、穏やかに微笑している。

 その微笑は、『そなたの頼みを聞き届けよう』という、無言の答えてあるようだった。
 青き撫子の花。

 それは、この青珠の森への道を開くいわば鍵である。
 これを一つづつ左右の掌に映せば、たった一度きり、会いたいと願う者の所へ行け、その者を、たった一度だけ、 この森へ誘うことが出来る。

【息吹】が戻った今、青珠の森の妖精王は、再び、万能の賢人に戻った、これを守り手に渡すのも、今の彼にとってはいともたやすい。

 四つの青き撫子の花のうち、二つは、レダに渡すためのもの・・・・
 そして、後の二つは・・・・
 虚空に浮かび上がる、青き撫子の花を見つめながら、リュ―インダイルは、諦めたように大きな肩でため息をついた。

 揺れる前髪の隙間から覗く金色の瞳を、未だ穏やかに笑う優美で雅な妖精王に向けると、どこか困ったように微笑して、彼は、無骨な掌でそれを受け取ったのである。
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