神在(いず)る大陸の物語~月闇の戦記~【第三章】

坂田 零

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終節 時を告げる三日月 16

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夜空にたゆたう細い雲が、薄く鋭い三日月を横切るように、東の空へと流されていく。
静まり返ったタールファの街にも、再び、平穏な夜が訪れたようだ。
街から僅かに離れた、ランダムル山脈の尾根を望む林の中に、濃紺の長い衣の裾が翻っている。

広い背中に負っていた金色の大剣を鞘ごと外し、それを、片手に持った姿勢で、彼は、静かに黒絹の天空を仰いだ。
木々の合間に見える頼りない薄い三日月が、その足元にある、澄んだ泉の鏡のような水面に映り込んでいる。

泡沫の鏡の如きその水面を渡る風が、ゆらゆらと刃の月を揺らして、音も無く木々の合間を吹き付けていく。
透明な夜風の手に弄ばれるように、ふわりと虚空を漂う若獅子の如き見事な栗色の髪。

強く鋭く、しかし、どこか悲哀の輝きを宿す、燃え盛る炎の如き緑玉の瞳が、ただ、真っ直ぐに、天空に浮かぶ、時を告げる三日月を見つめやっている。

それは、この世に生まれ出でた瞬間から決まっていた、決して変える事のできない宿命であった。
ランダムルの山岳地帯で、同族の集落を焼き尽くした事も、父代わりであった人を、その手に掛けねばならなかったことも・・・・

かつて愛した女性(ひと)すら、殺(あや)めねばならなかったことも・・・・
そして・・・・
この月が満ちれば・・・・・

血を分けた兄弟をも殺めねばならず、そして、共に育ってきた同胞達とすら、刃を交えることになる・・・・
どんなに抗っても、逃げ出すことすら出来ぬ、それが運命だ・・・・・

千々に砕けた魂を一つに戻さねば、永久に、闇を滅ぼすことは出来ない・・・・

そう、【炎神】と呼ばれた者は、他でもない、彼自身であるのだから。

燃え盛る炎の如き緑玉の瞳が、揺れる見事な栗色の髪の下で、ただ、真っ直ぐに刃のような三日月を見る。
たゆたうように虚空に揺れる濃紺の衣の長い裾。

この衣の元の持ち主だった、父代わりであり、師であったアーシェ一族最後の大魔法使いは、あの時、豪雨の中でこう言った。

『そなたは、かつて魔王と呼ばれし者だ!私如きに歯向かえずしてどうする!?』

濡れそぼった栗色の髪を精悍な頬に張り付かせ、爛々と輝く青き眼差しで、今にも泣きそうなほど悲しい表情をしていただろう自分を睨んでいた、あの姿。

『本当に自分の宿命に抗いたければ、そなたは、【鍵】たる者を守り導け!だから、否が応でも強くなれ!!アランデュ―ク!!』

眼前に突き出された、金色の妖剣『告死の剣(アクトレイドス)』の鋭い切っ先から、雨粒が滴るように零れ落ちていた。
遥か古の彼方で、人であったがために苦悩し、魔王と呼ばれながら、人として一度は死んだはずの自分が、その胸の内で激しく慟哭するのがわかった・・・・

『嫌だ――――っ!!バース―――――っ!!』

金色の鋭い斬撃が容赦なく迫り来る。
その重い刃を鋼の剣で受け止めながら、まだ少年であった自分は、確か、そう叫んでいた気がする・・・・

やがて、三つに分かれた魂が一つになり、『目覚めさせる者』の肉体から全てを奪い取った時、にわかに目覚めるだろう古の自分・・・・

そうなることを知っていて、何故バースは、命に換えてまで、この手に、この金色の妖剣を託したのか・・・・

雨粒なのか、涙なのか判らない水滴がその頬を濡らし、その肢体から立ち昇った紅蓮の爆炎が、鋼の刃を灼熱の赤い刃に変えた時、豪速で翻した鋭利なその切っ先が、父代わりであった者の胸を貫き通した・・・

あの時、鮮血の帯を凛々しい唇から滴たらせ、崩れ落ちるように地面に倒れ込んだバースは、何故か、穏やかに微笑していた・・・・

『バース・・・・!どうして・・・・バース!!バース――――っ!!』

激しい雨粒が跳ね上がる地面に座り込んで、もはや、声にならない声でその名を呼ぶ自分の左胸に、血に塗れた片手を押し当てて、父代わりであったアーシェの大魔法使いはこう言った。

『アランデュ―ク・・・・・そなたは、生きろ・・・そなたは、そなたとして・・・・・
アランデュークとして生きろ・・・・』

何故、バースは、その死を目前にして、この自分に、禁忌の術をかけてまで、『生きろ』と言ったのか・・・・・
その術に、一体、何の意味があるのか・・・・

バース亡き今、それを知る者は、誰一人としていない・・・・・
たおやかに吹き付ける夜風に、木々の葉がざわめき、その手に握った金色の大剣を、彼は、静かに握り締める。

時はまもなく満ちる。

燃え盛る炎の如き鮮やかで美しいその緑玉の瞳に、淡い月の光が滲むように煌く。

泡沫(うたかた)の鏡の如き澄んだ泉に映し出される、古の魔王の姿が、夜風にたゆたう水面にゆらゆらと揺らいだ・・・・
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