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13 対価
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喉が渇いたというアランに連れられ、川沿いのテラスに来た。
「これからどうする? せっかくだし、赤レンガ倉庫でも行く? たしかね、水上バスがあるよ」
カップを下ろして、アランは楽しそうに言った。
「買い物も済みましたし、用はないでしょ。猫たちも心配だから帰りません?」
「大丈夫。お泊まりでもいいように、ちゃーんとごはんとお水の用意しておいたから」
アランはへらへらと笑っている。
「またそれですか。もう飽きましたよ、その冗談」
恭弥は呆れた。
「あんたは俺をからかってるだけだ」
アランは面白いものを見る顔になる。
「ほんとにそう思うの?」
その表情に、恭弥は無性にいらだった。
「ええ」
「ぼくが誠心誠意、こんなに口説いてるのに?」
いらだちは頂点に達した。
「あんたの言葉なんて、全部嘘にしか聞こえませんよ」
「まっ、恭弥くんたら」
「使い捨てのおもちゃなんだろ、俺は」
気づけば恭弥は吐き捨てていた。
「人選ミスにもほどがある。前に言ったと思うんですけど、俺、親父いないんすよ。頼れる年上の男なんてね、俺の人生にはどこにもいなかった」
言うつもりのなかった言葉が勝手に口からこぼれる。
「だからかわかんないけど、あんたに構われてると、こわいんです。気まぐれで与えられてるだけの優しさを本気にしちゃいそうで」
「恭弥くん?」
「暇を持て余した金持ちの、いっときの酔狂だって、頭じゃわかってんのに」
一気にまくしたててから、恭弥はストローからアイスコーヒーをずっと啜った。血が上った頭を冷やしたかった。
(何を口走ってんだ、俺は。バカじゃないのか)
冷静さを欠いた自分に、腹が立ってくる。
「……気のせいかな? ぼく、口説かれてる気がするんだけど?」
アランの手が、試すように頬に伸びてくる。恭弥はその手を払った。
「そうやって冗談めかしてごまかすとこですよ。俺を抱かなかったくせに。なんにも本気じゃないくせに」
「本気だよ」
アランは急に真顔になって、じっと恭弥を見た。
恭弥はぎょっとした。
アランはこんなに真面目な顔をする男だっただろうか。
「本気だから、手を出せなかったんじゃないか。君があんなに苦しそうだったから」
恭弥の心臓がばくばくと音を立てる。
「でも、君が望むなら話は別」
アランの手が恭弥の手に重なる。
「だって」
たいして力を入れられているわけでもないのに、恭弥は動けなくなった。昨日と同じ体温が手の甲に染みてくる。
「それこそ、ぼくがほしかった対価だからね」
アランは恭弥の手を握りこんだまま、スマートフォンを操作しはじめた。
「何、して」
「ちょっと待っててね……よし」
アランは顔を上げて画面を見せた。旅行サイトのようだった。
「夜景がきれいなホテル、予約しちゃった。はは、焦ってるな、ぼく」
コーヒーを飲んだばかりなのに、恭弥は急に喉がからからになった。
「ゆっくりじゃなきゃ、猫ちゃんはこわがっちゃうよね?」
客のいないテラスに、強く西日が射している。
「だからさ、まずは軽くキスから始めてみようか?」
アランは恭弥の手を軽く引いて、ゆっくりと顔を寄せた。デッキの上でふたつの影が近づいていく。
やわらかな粘膜が恭弥の唇をかるく挟んだ。
小さなリップ音を、恭弥は夢を見ているような気持ちで聞いた。
「できた」
唇を少しだけ離して、アランは笑った。
「っ……!」
恭弥はあわてて口を押さえた。
拒もうと思えば拒めたのに、恭弥は何もしなかった。
(なんで嫌じゃねぇんだよ)
恭弥は混乱していた。
(なんで)
額がぶつかりそうな至近距離で、アランはまたあの優しい瞳をしている。
(なんで俺、ちょっと勃ってんだよ)
「耳まで真っ赤」
そっと耳たぶに触れられて、肩が思わず跳ねた。アランは目を細めた。
「行こうか。ついてくるかどうかは君次第」
あっさりと身体を離して、注文票を手に、アランは立ち上がった。まるでキスなどしなかったかのような自然さだった。
「お会計してくるよ」
恭弥だけがひとり、熱の中に取り残されていた。
(ついてったら、確実になんかされる。戻れなくなる)
理性が警告を発している。
(今なら引き返せるのに)
こんな風に、誰かにほしがられたのは初めてだった。
恭弥にはずっと居場所がなかった。誰も恭弥を愛さなかった。だから恭弥の方も、とくに誰も愛さなかった。
アランに感じているものが何なのか、恭弥にはわからない。心の欲求と身体の欲求がまぜこぜになって、アランの方に強く引き寄せられていることだけがわかる。
ここでアランを追わなかったら、きっと後悔する。そう何かが恭弥にささやいていた。
(くそ……くそ)
恭弥は席から立って、アランの後を追った。
店の外でアランは待っていた。
「来てくれたんだ? うれしいよ、猫ちゃん」
抱かれたい意思を全身で表明しているようなものだった。恭弥はあんまり恥ずかしくて、俯くことしかできなかった。
タクシーは車寄せに吸い込まれていく。ポケットに手を入れ、恭弥はアランのあとから車を降りた。
大きなシャンデリアが下がったロビーに、ガラス張りのエレベーター。何もかもがきらびやかだ。
恭弥が生きてきた鼠色の世界とは全然違う。恭弥みたいな鼠色の人間を追い出すために、きらきらしているようだった。
アランにとってはこちらがふつうの世界なのだろう。恭弥は寂しくなる。
(俺にはまだ、こいつが全然わかんねえ)
ちょんと結んだ胡散臭い髪の毛を眺めながら、恭弥は考える。
(なんで俺なんだ。昨日会ったばっかだろ。ほかにいっぱいいるだろ。本気だとか言われたって、わけわかんねえよ)
「廊下の奥の部屋だ」
カードキーを差し込んで、アランは先に入った。
(やっぱ、俺が昔の恋人に似てるからだよな)
高層階の部屋だった。窓の外には横浜の景色が一面に広がっていた。夕暮れ時で、空も街並みもオレンジ色に染まっている。
ごみごみとした建物ははるか下だった。
あちらが恭弥の世界。こちらがアランの世界。
「もっかい、キスしろよ」
恭弥はぶっきらぼうに言った。心の中のもやつきを晴らすにはそうするしかないと思った。
「喜んで」
アランの手が恭弥の頬を包んだ。
ああ、あたたかい。恭弥は少し上を向いて、とろりと目を閉じた。
今度は味のするキスだった。ゆっくりとアランの舌が恭弥の唇を割って、入ってくる。
「これからどうする? せっかくだし、赤レンガ倉庫でも行く? たしかね、水上バスがあるよ」
カップを下ろして、アランは楽しそうに言った。
「買い物も済みましたし、用はないでしょ。猫たちも心配だから帰りません?」
「大丈夫。お泊まりでもいいように、ちゃーんとごはんとお水の用意しておいたから」
アランはへらへらと笑っている。
「またそれですか。もう飽きましたよ、その冗談」
恭弥は呆れた。
「あんたは俺をからかってるだけだ」
アランは面白いものを見る顔になる。
「ほんとにそう思うの?」
その表情に、恭弥は無性にいらだった。
「ええ」
「ぼくが誠心誠意、こんなに口説いてるのに?」
いらだちは頂点に達した。
「あんたの言葉なんて、全部嘘にしか聞こえませんよ」
「まっ、恭弥くんたら」
「使い捨てのおもちゃなんだろ、俺は」
気づけば恭弥は吐き捨てていた。
「人選ミスにもほどがある。前に言ったと思うんですけど、俺、親父いないんすよ。頼れる年上の男なんてね、俺の人生にはどこにもいなかった」
言うつもりのなかった言葉が勝手に口からこぼれる。
「だからかわかんないけど、あんたに構われてると、こわいんです。気まぐれで与えられてるだけの優しさを本気にしちゃいそうで」
「恭弥くん?」
「暇を持て余した金持ちの、いっときの酔狂だって、頭じゃわかってんのに」
一気にまくしたててから、恭弥はストローからアイスコーヒーをずっと啜った。血が上った頭を冷やしたかった。
(何を口走ってんだ、俺は。バカじゃないのか)
冷静さを欠いた自分に、腹が立ってくる。
「……気のせいかな? ぼく、口説かれてる気がするんだけど?」
アランの手が、試すように頬に伸びてくる。恭弥はその手を払った。
「そうやって冗談めかしてごまかすとこですよ。俺を抱かなかったくせに。なんにも本気じゃないくせに」
「本気だよ」
アランは急に真顔になって、じっと恭弥を見た。
恭弥はぎょっとした。
アランはこんなに真面目な顔をする男だっただろうか。
「本気だから、手を出せなかったんじゃないか。君があんなに苦しそうだったから」
恭弥の心臓がばくばくと音を立てる。
「でも、君が望むなら話は別」
アランの手が恭弥の手に重なる。
「だって」
たいして力を入れられているわけでもないのに、恭弥は動けなくなった。昨日と同じ体温が手の甲に染みてくる。
「それこそ、ぼくがほしかった対価だからね」
アランは恭弥の手を握りこんだまま、スマートフォンを操作しはじめた。
「何、して」
「ちょっと待っててね……よし」
アランは顔を上げて画面を見せた。旅行サイトのようだった。
「夜景がきれいなホテル、予約しちゃった。はは、焦ってるな、ぼく」
コーヒーを飲んだばかりなのに、恭弥は急に喉がからからになった。
「ゆっくりじゃなきゃ、猫ちゃんはこわがっちゃうよね?」
客のいないテラスに、強く西日が射している。
「だからさ、まずは軽くキスから始めてみようか?」
アランは恭弥の手を軽く引いて、ゆっくりと顔を寄せた。デッキの上でふたつの影が近づいていく。
やわらかな粘膜が恭弥の唇をかるく挟んだ。
小さなリップ音を、恭弥は夢を見ているような気持ちで聞いた。
「できた」
唇を少しだけ離して、アランは笑った。
「っ……!」
恭弥はあわてて口を押さえた。
拒もうと思えば拒めたのに、恭弥は何もしなかった。
(なんで嫌じゃねぇんだよ)
恭弥は混乱していた。
(なんで)
額がぶつかりそうな至近距離で、アランはまたあの優しい瞳をしている。
(なんで俺、ちょっと勃ってんだよ)
「耳まで真っ赤」
そっと耳たぶに触れられて、肩が思わず跳ねた。アランは目を細めた。
「行こうか。ついてくるかどうかは君次第」
あっさりと身体を離して、注文票を手に、アランは立ち上がった。まるでキスなどしなかったかのような自然さだった。
「お会計してくるよ」
恭弥だけがひとり、熱の中に取り残されていた。
(ついてったら、確実になんかされる。戻れなくなる)
理性が警告を発している。
(今なら引き返せるのに)
こんな風に、誰かにほしがられたのは初めてだった。
恭弥にはずっと居場所がなかった。誰も恭弥を愛さなかった。だから恭弥の方も、とくに誰も愛さなかった。
アランに感じているものが何なのか、恭弥にはわからない。心の欲求と身体の欲求がまぜこぜになって、アランの方に強く引き寄せられていることだけがわかる。
ここでアランを追わなかったら、きっと後悔する。そう何かが恭弥にささやいていた。
(くそ……くそ)
恭弥は席から立って、アランの後を追った。
店の外でアランは待っていた。
「来てくれたんだ? うれしいよ、猫ちゃん」
抱かれたい意思を全身で表明しているようなものだった。恭弥はあんまり恥ずかしくて、俯くことしかできなかった。
タクシーは車寄せに吸い込まれていく。ポケットに手を入れ、恭弥はアランのあとから車を降りた。
大きなシャンデリアが下がったロビーに、ガラス張りのエレベーター。何もかもがきらびやかだ。
恭弥が生きてきた鼠色の世界とは全然違う。恭弥みたいな鼠色の人間を追い出すために、きらきらしているようだった。
アランにとってはこちらがふつうの世界なのだろう。恭弥は寂しくなる。
(俺にはまだ、こいつが全然わかんねえ)
ちょんと結んだ胡散臭い髪の毛を眺めながら、恭弥は考える。
(なんで俺なんだ。昨日会ったばっかだろ。ほかにいっぱいいるだろ。本気だとか言われたって、わけわかんねえよ)
「廊下の奥の部屋だ」
カードキーを差し込んで、アランは先に入った。
(やっぱ、俺が昔の恋人に似てるからだよな)
高層階の部屋だった。窓の外には横浜の景色が一面に広がっていた。夕暮れ時で、空も街並みもオレンジ色に染まっている。
ごみごみとした建物ははるか下だった。
あちらが恭弥の世界。こちらがアランの世界。
「もっかい、キスしろよ」
恭弥はぶっきらぼうに言った。心の中のもやつきを晴らすにはそうするしかないと思った。
「喜んで」
アランの手が恭弥の頬を包んだ。
ああ、あたたかい。恭弥は少し上を向いて、とろりと目を閉じた。
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