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23 カフェ・サボン
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「そ、そういえば」
恭弥は手を振りほどくと、照れ隠しに話題を変えた。
「サボンってお店だから、店長のあだ名がサボさんなんですか」
「サボなんかの話より、ぼくは君がかわいい話がしたいんだけど。まあ、これから上司になるんだから、知りたいか」
アランは肩をすくめてみせた。
「逆、逆。学生時代のあだ名がサボだったから、サボン。ひどいサボりぐせだった」
話題に乗ってくれてほっとしながら、恭弥は訊き返した。
「同級生だったんですか」
「そうそう。大学を卒業して商社マンになったんだけど、合わなかったみたいで。結婚を機に脱サラしたいっていうから、じゃあうちの不動産、安く貸してあげるよって。空いてた貸家を改装して、三年前にオープンしたんだ」
(よかった、サボさん、結婚してんだ)
そう思って初めて、恭弥は自分がサボに嫉妬していたことに気づいた。
なにせサボは、恭弥の知らないアランを知っている。
「ついたね」
検索画面で予習した通りの外観で、店は建っていた。古民家の面影をよく残した、モダンだが落ち着きのある喫茶店だ。入口にカフェの名前がカタカナで木彫りされている。
ドアを押して開けると、客席は半分ほど埋まっている。
「サボ、来たよ」
「よう。ああ、その人? うちで働かせたいのって」
カウンターの向こうから、ヤギに似たあごひげの男がにこやかに恭弥を見た。写真と違い、今日は丸眼鏡をしている。
「そうそう。榛名恭弥くん。ぼくの……」
「はじめまして、霜山さんのお宅でお世話になっております、榛名恭弥と申します」
客が見ている前で恋人と呼ばれ、また腰を抱かれてはたまらないので、恭弥はアランをさえぎった。
「ああ、なるほど。霜山が気に入りそうな感じだ」
サボは恭弥を眺めて、からからと笑った。
「ほんと懲りないな、霜山」
「恭弥くんは特別。すっごい真面目だよ、お前と違って」
アランは口を尖らせた。
「それは何より。俺並みに不真面目だったら即不採用だからな」
(仲いいな)
話題を共有できないことに、恭弥はさびしくなる。
「じゃ、榛名くん。厨房に来て」
「面接ですね」
今のやりとりにいろいろと気になることはあったが、まずは採用されるかどうかがいちばん重要だ。
「いや? もう顔パス。採用」
(類は友を呼ぶ)
サボの軽い声を聞いて、恭弥は思った。
「こらこら。私に内緒で採用はないでしょう」
奥さんらしき人が奥から出てきた。すらりとした、きれいな人だ。
「はは、かみさんに怒られちゃった」
「まあ、霜山さんの紹介なら大丈夫だとは思うけど、一応面接はしておかないとね」
常識的な感じの人が出てきて、恭弥はどこかほっとした。
「よろしくお願いします」
「じゃあ、向こうでね」
恭弥はスタッフルームに通された。職歴と現在の状況について夫婦に話すと、サボはにやにやと笑っている。
「霜山が目をつけただけある。見たまんま、不幸の煮凝り」
「こら、そういうことを言うんじゃないの。うちの人が失礼しました」
「いえ」
アランはやはり、前にも恭弥に似たタイプを拾っていたのだろう。考えないようにしていても、つい思考はそちらに向かってしまう。
(昔の恋人……)
嫉妬なんて、横浜からの電車に揺られながら追い払ったはずなのに。
(余計なことを考えるな、今は仕事のことだけ考えろ)
「キッチンスタッフだけど、多少は接客もしてもらうからそのつもりで」
接客という単語が耳に入り、恭弥は我に返った。
ホテルマンと家政婦さんのポーカーフェイスが高速で頭をよぎった。
「覚えることは多いから覚悟しててね。ちゃんと私が教えるから。あ、この人はあてにしないで。豆の仕入れはともかく、店ではほとんどお客様との雑談専門」
「うん、あてにしないでね」
サボはへらへらと笑っている。
(迷うな。ここまで来たらやるっきゃねぇだろ)
「未経験ですが、精いっぱいやらせていただきます」
腹を決めて答えると、サボの妻はにっと歯を見せた。
「よしよし、その意気。今から時間いい? 少し教えとく」
「は、はい」
恭弥は使い古した小さなノートとボールペンを取り出した。工場の厳しい指導の中でも、業務の勘所を記したメモだけは恭弥の味方だった。適当に開くと、かすれた文字がいっぱいに並んでいた。恭弥の苦労の歴史だった。
過去に別れを告げるように、恭弥は新しいページをめくった。
ホールやキッチンの仕事をこなしつつ、サボの妻と先輩の従業員は交代で恭弥に仕事内容を説明した。
前職では埋めるのに何年もかかったノートのページが、すぐに手書き文字でぎっしりと埋まった。
ぽつん。ふいに紙の上に、しみがひとつ広がった。
なんだろう。
「ちょ、ちょっと恭弥くん? 泣いてるの?」
サボの妻にそう訊かれるまで、恭弥は自分が泣いていることに気づかなかった。
恭弥はきょとんとして、目の下を拭った。
「すみません……なんか、めちゃくちゃ丁寧に教えてもらえるんで……こんな職場、あっていいのかなって……」
ろくに教育しないでいきなり働かせるのが当たり前だった前職を思うと、天国だった。
(俺、めちゃくちゃがんばる。恩、返す)
恭弥の胸ににわかに忠誠心が芽生えていた。
サボ夫婦は顔を見合わせた。それから同時に言った。
「これは霜山がほっとかねぇわ」
「これは霜山さんがほっとかないわ」
どうやらアランの不幸好きは筋金入りのようだ。
終業時間を過ぎて客のいなくなった客席で、アランはゆったりと脚を組んで、何杯目かのコーヒーのおかわりを啜っている。
「恭弥くん、どう、大丈夫そ?」
恭弥たちがキッチンから出てくると、アランは尋ねた。
「うんうん。戦力になりそうだよ、恭弥くん」
サボの妻からお墨付きをもらって、恭弥はほっとした。
「突然泣いちゃったのはびっくりしたけど。前の仕事、よっぽどつらかったみたいね」
「え、泣いちゃったの」
サボの妻に向かって、恭弥はしーっと唇の前に指を立てていたが、遅かった。
「恭弥くんかわいそ」
恭弥の好きな、アランの優しいまなざしが恭弥を包んでくる。からかわれるかと身構えていた恭弥は拍子抜けした。
(優しいんだよな、この人)
恭弥の胸がぎゅっと切なくなる。
(でもほんとは、俺の向こうに俺じゃない誰かを見てる)
恭弥は手を振りほどくと、照れ隠しに話題を変えた。
「サボンってお店だから、店長のあだ名がサボさんなんですか」
「サボなんかの話より、ぼくは君がかわいい話がしたいんだけど。まあ、これから上司になるんだから、知りたいか」
アランは肩をすくめてみせた。
「逆、逆。学生時代のあだ名がサボだったから、サボン。ひどいサボりぐせだった」
話題に乗ってくれてほっとしながら、恭弥は訊き返した。
「同級生だったんですか」
「そうそう。大学を卒業して商社マンになったんだけど、合わなかったみたいで。結婚を機に脱サラしたいっていうから、じゃあうちの不動産、安く貸してあげるよって。空いてた貸家を改装して、三年前にオープンしたんだ」
(よかった、サボさん、結婚してんだ)
そう思って初めて、恭弥は自分がサボに嫉妬していたことに気づいた。
なにせサボは、恭弥の知らないアランを知っている。
「ついたね」
検索画面で予習した通りの外観で、店は建っていた。古民家の面影をよく残した、モダンだが落ち着きのある喫茶店だ。入口にカフェの名前がカタカナで木彫りされている。
ドアを押して開けると、客席は半分ほど埋まっている。
「サボ、来たよ」
「よう。ああ、その人? うちで働かせたいのって」
カウンターの向こうから、ヤギに似たあごひげの男がにこやかに恭弥を見た。写真と違い、今日は丸眼鏡をしている。
「そうそう。榛名恭弥くん。ぼくの……」
「はじめまして、霜山さんのお宅でお世話になっております、榛名恭弥と申します」
客が見ている前で恋人と呼ばれ、また腰を抱かれてはたまらないので、恭弥はアランをさえぎった。
「ああ、なるほど。霜山が気に入りそうな感じだ」
サボは恭弥を眺めて、からからと笑った。
「ほんと懲りないな、霜山」
「恭弥くんは特別。すっごい真面目だよ、お前と違って」
アランは口を尖らせた。
「それは何より。俺並みに不真面目だったら即不採用だからな」
(仲いいな)
話題を共有できないことに、恭弥はさびしくなる。
「じゃ、榛名くん。厨房に来て」
「面接ですね」
今のやりとりにいろいろと気になることはあったが、まずは採用されるかどうかがいちばん重要だ。
「いや? もう顔パス。採用」
(類は友を呼ぶ)
サボの軽い声を聞いて、恭弥は思った。
「こらこら。私に内緒で採用はないでしょう」
奥さんらしき人が奥から出てきた。すらりとした、きれいな人だ。
「はは、かみさんに怒られちゃった」
「まあ、霜山さんの紹介なら大丈夫だとは思うけど、一応面接はしておかないとね」
常識的な感じの人が出てきて、恭弥はどこかほっとした。
「よろしくお願いします」
「じゃあ、向こうでね」
恭弥はスタッフルームに通された。職歴と現在の状況について夫婦に話すと、サボはにやにやと笑っている。
「霜山が目をつけただけある。見たまんま、不幸の煮凝り」
「こら、そういうことを言うんじゃないの。うちの人が失礼しました」
「いえ」
アランはやはり、前にも恭弥に似たタイプを拾っていたのだろう。考えないようにしていても、つい思考はそちらに向かってしまう。
(昔の恋人……)
嫉妬なんて、横浜からの電車に揺られながら追い払ったはずなのに。
(余計なことを考えるな、今は仕事のことだけ考えろ)
「キッチンスタッフだけど、多少は接客もしてもらうからそのつもりで」
接客という単語が耳に入り、恭弥は我に返った。
ホテルマンと家政婦さんのポーカーフェイスが高速で頭をよぎった。
「覚えることは多いから覚悟しててね。ちゃんと私が教えるから。あ、この人はあてにしないで。豆の仕入れはともかく、店ではほとんどお客様との雑談専門」
「うん、あてにしないでね」
サボはへらへらと笑っている。
(迷うな。ここまで来たらやるっきゃねぇだろ)
「未経験ですが、精いっぱいやらせていただきます」
腹を決めて答えると、サボの妻はにっと歯を見せた。
「よしよし、その意気。今から時間いい? 少し教えとく」
「は、はい」
恭弥は使い古した小さなノートとボールペンを取り出した。工場の厳しい指導の中でも、業務の勘所を記したメモだけは恭弥の味方だった。適当に開くと、かすれた文字がいっぱいに並んでいた。恭弥の苦労の歴史だった。
過去に別れを告げるように、恭弥は新しいページをめくった。
ホールやキッチンの仕事をこなしつつ、サボの妻と先輩の従業員は交代で恭弥に仕事内容を説明した。
前職では埋めるのに何年もかかったノートのページが、すぐに手書き文字でぎっしりと埋まった。
ぽつん。ふいに紙の上に、しみがひとつ広がった。
なんだろう。
「ちょ、ちょっと恭弥くん? 泣いてるの?」
サボの妻にそう訊かれるまで、恭弥は自分が泣いていることに気づかなかった。
恭弥はきょとんとして、目の下を拭った。
「すみません……なんか、めちゃくちゃ丁寧に教えてもらえるんで……こんな職場、あっていいのかなって……」
ろくに教育しないでいきなり働かせるのが当たり前だった前職を思うと、天国だった。
(俺、めちゃくちゃがんばる。恩、返す)
恭弥の胸ににわかに忠誠心が芽生えていた。
サボ夫婦は顔を見合わせた。それから同時に言った。
「これは霜山がほっとかねぇわ」
「これは霜山さんがほっとかないわ」
どうやらアランの不幸好きは筋金入りのようだ。
終業時間を過ぎて客のいなくなった客席で、アランはゆったりと脚を組んで、何杯目かのコーヒーのおかわりを啜っている。
「恭弥くん、どう、大丈夫そ?」
恭弥たちがキッチンから出てくると、アランは尋ねた。
「うんうん。戦力になりそうだよ、恭弥くん」
サボの妻からお墨付きをもらって、恭弥はほっとした。
「突然泣いちゃったのはびっくりしたけど。前の仕事、よっぽどつらかったみたいね」
「え、泣いちゃったの」
サボの妻に向かって、恭弥はしーっと唇の前に指を立てていたが、遅かった。
「恭弥くんかわいそ」
恭弥の好きな、アランの優しいまなざしが恭弥を包んでくる。からかわれるかと身構えていた恭弥は拍子抜けした。
(優しいんだよな、この人)
恭弥の胸がぎゅっと切なくなる。
(でもほんとは、俺の向こうに俺じゃない誰かを見てる)
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