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37 恋愛遍歴
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サボの妻は迷ったあと、観念したように話し始めた。
「あの人、いい人なんだけど。熱しやすくて冷めやすいっていうか」
熱しやすく冷めやすい。
その言葉を聞いて、恭弥の背筋がすうっと冷たくなった。
「うちの人から聞いた、学生時代の話だけどね。霜山さん、ちょっとかわいそうな人を見ると、ほっとけなくて、すぐ付き合っちゃうんだって。でもいつも長続きしないって」
アランが恭弥にささやいた、熱っぽい言葉たちが色あせていく。
「うちの人もね。榛名くんは真面目だから、そういうのつらいんじゃないかって心配してた」
恭弥は耳を塞ぎたくなった。
「私もうちの人も、榛名くんのこと、気に入ってるから……その、霜山さんがそういう人だって心の準備はあった方がいいと思って……ごめん、余計なことだね」
感情の抜けた顔をして、恭弥は仕事場に入った。
その日、アランは店には来なかった。恭弥の方も、アランの顔を見たら平静でいられなかっただろうから、よかったのかもしれない。
店が終わると、恭弥はめちゃくちゃな方角へ自転車を漕いだ。どんな顔でアランの家に戻ればいいのかわからなかった。
感情に任せてペダルを回す。息苦しいほどの風に呑まれる。
気が付けば海に出ていた。月が雲を半分かぶってぼんやりと光っていた。ざん、ざん、と波の音がした。
(馬鹿みてぇ)
いい子。誰とも違う。特別。大好き。
この身を賭けてもいいと思ったぐらい、恭弥が好きだった言葉たち。あれはいったいなんだったんだろう。
一過性の熱に浮かされて言っただけなんだろうか。
言われてみれば、そんな気もした。愛の言葉はどれも、アランのいちばん軽薄な声でよみがえった。
(結局ただのおもちゃだった……かわいそうじゃなくなったら、飽きて捨てる。そういうことなんだろ)
たくさんの前例と自分との間に、違いがあるとは思えなかった。
(どうすんだよ。この胸とか、後戻りできねぇぞ)
胸にばんそうこうを貼っているのを思い出して、恭弥は自分を笑った。目にじわりと涙が溜まっていた。
(でも、このままいっしょに暮らしてたら、俺だけどんどん亜蘭さんを好きになる)
アランの愛だけが冷めていくのを想像して、恭弥はおそろしくなった。
(捨てられんの、耐えられねぇよ)
今のうちに逃げてしまいたかった。
(このまま自転車借りパクして、どっか行くか……どうせ俺、あの人になんも返せねぇもんな、今さら、自転車ぐらい)
恭弥の良心はちくちくと痛んだ。
(またどっか、寮のある工場探そう。店長には連絡して、謝って……あんな優しくしてもらったのに、こんなすぐ辞めるの申し訳ねぇな)
良心はさらに痛んだ。
(亜蘭さんには、毎月ちょっとずつお金を返して……俺の財力で、生きてるうちに払いきれんのか)
笑おうとしているのに、涙が出る。
(猫たちとも、もう会えねぇな)
ジーンズのポケットでスマートフォンが振動していた。アランからだろうか。恭弥は画面を見るのがこわかった。
恭弥はしばらく無視しようとした。だが、機械の振動はやまない。
「あー、もう!」
恭弥は覚悟を決めて画面を見た。
いくつかの不在着信と、テキストメッセージがあった。もちろん、アランからだ。
『サボの奥さんから連絡があったよ 説明させて』
『どこにいるの』
『大好きだよ 恭弥くんは特別』
『愛してる』
『誰より愛してる』
「そんなん、信じられるかよ」
恭弥は泣きながら笑った。
『今までの人生が間違ってたのは全部謝るから』
『嫌いにならないで』
『電話に出てよ』
『お願い』
『信じて』
「信じられねぇって言ってんだろ!」
恭弥は怒鳴った。
そのとき、音声電話の着信があった。恭弥は着信拒否ボタンの上に指をかざした。
そのまま、数秒。目を閉じて、長いため息をつく。
恭弥はゆっくりと、応答ボタンに指を下ろした。
涙を飲み込んで、耳に機械を当てる。
『もしもし、恭弥くん? 今どこ……』
「俺だってなぁ、信じてぇんだよ。俺ばっか手遅れになってんだよ、なあ」
涙声になるのは止められなかった。
『うん』
「あんた怪しすぎんだよ。いっつもへらへらしてるし。冗談ばっかだし。俺を拾った経緯も謎だし。好きだって言われたって理由がわかんねぇ。
……そんなやつ、どうやって信じろっていうんだよ」
『会って話そう、ね? 今タクシー呼ぶから、場所教えて、ねえ。どこ? ぼく、帰りが遅いから心配で、店に連絡したらサボの奥さんが事情を話してくれて、それで、それで……君に、嫌われたって』
アランの声が震えている。恭弥はふいに笑った。
「必死じゃん」
『当たり前じゃない、そんなの。恭弥くんがいなくなったらぼく』
子どものようなすすり泣きが聞こえ始めた。恭弥はぎょっとした。
ウソ泣きには聞こえなかった。
「おい、あんた」
『どこ、ねえ、どこ?』
恭弥はさすがにかわいそうになった。
「……海ですよ。めちゃくちゃに走ったんで、正確な場所は……あとで地図見て送ります」
『ありがと……あり、がと……』
受話器の向こうでアランが泣き崩れている。
「あんたほんとに、変な人っすね。いったん切りますよ、タクシー呼ぶんでしょ」
恭弥は呆れていた。
『電話するから、絶対出てね、絶対、だよ』
「はいはい。わかりましたよ」
恭弥はアランに現在位置の画像を送った。
ものの数秒でふたたび電話が震えた。
「早ぇよ」
『タクシー、来た。今行くから、絶対そこ動かないで』
「わかってます」
『十五分ぐらい待てる? 大丈夫? 時間潰せる? 飽きてどっか行っちゃわない?』
「なんの心配してんですか、あんた」
飽きっぽいはあんたのことだろう、と恭弥は内心思った。
『運転手さん、もうちょっとスピード出せません?』
アランが運転手に訴える声が聞こえる。
「安全運転で大丈夫なんで。ゆっくり来てもらってください」
『ぼくが無理……』
タクシーのヘッドライトが暗闇を割ってくる。ドアが開いたとたん、血相を変えたアランが転がりだしてくる。
左右に首を振って、恭弥を探して、
「恭弥くん、いた……」
ほっとしたような声でつぶやくと、アランは恭弥を抱きしめた。アランの頬が濡れている。
「いますよ。約束したんで」
恭弥は苦笑した。
「ごめんね……ぼくのこと、嫌いにならないで。全部話すから」
「あの人、いい人なんだけど。熱しやすくて冷めやすいっていうか」
熱しやすく冷めやすい。
その言葉を聞いて、恭弥の背筋がすうっと冷たくなった。
「うちの人から聞いた、学生時代の話だけどね。霜山さん、ちょっとかわいそうな人を見ると、ほっとけなくて、すぐ付き合っちゃうんだって。でもいつも長続きしないって」
アランが恭弥にささやいた、熱っぽい言葉たちが色あせていく。
「うちの人もね。榛名くんは真面目だから、そういうのつらいんじゃないかって心配してた」
恭弥は耳を塞ぎたくなった。
「私もうちの人も、榛名くんのこと、気に入ってるから……その、霜山さんがそういう人だって心の準備はあった方がいいと思って……ごめん、余計なことだね」
感情の抜けた顔をして、恭弥は仕事場に入った。
その日、アランは店には来なかった。恭弥の方も、アランの顔を見たら平静でいられなかっただろうから、よかったのかもしれない。
店が終わると、恭弥はめちゃくちゃな方角へ自転車を漕いだ。どんな顔でアランの家に戻ればいいのかわからなかった。
感情に任せてペダルを回す。息苦しいほどの風に呑まれる。
気が付けば海に出ていた。月が雲を半分かぶってぼんやりと光っていた。ざん、ざん、と波の音がした。
(馬鹿みてぇ)
いい子。誰とも違う。特別。大好き。
この身を賭けてもいいと思ったぐらい、恭弥が好きだった言葉たち。あれはいったいなんだったんだろう。
一過性の熱に浮かされて言っただけなんだろうか。
言われてみれば、そんな気もした。愛の言葉はどれも、アランのいちばん軽薄な声でよみがえった。
(結局ただのおもちゃだった……かわいそうじゃなくなったら、飽きて捨てる。そういうことなんだろ)
たくさんの前例と自分との間に、違いがあるとは思えなかった。
(どうすんだよ。この胸とか、後戻りできねぇぞ)
胸にばんそうこうを貼っているのを思い出して、恭弥は自分を笑った。目にじわりと涙が溜まっていた。
(でも、このままいっしょに暮らしてたら、俺だけどんどん亜蘭さんを好きになる)
アランの愛だけが冷めていくのを想像して、恭弥はおそろしくなった。
(捨てられんの、耐えられねぇよ)
今のうちに逃げてしまいたかった。
(このまま自転車借りパクして、どっか行くか……どうせ俺、あの人になんも返せねぇもんな、今さら、自転車ぐらい)
恭弥の良心はちくちくと痛んだ。
(またどっか、寮のある工場探そう。店長には連絡して、謝って……あんな優しくしてもらったのに、こんなすぐ辞めるの申し訳ねぇな)
良心はさらに痛んだ。
(亜蘭さんには、毎月ちょっとずつお金を返して……俺の財力で、生きてるうちに払いきれんのか)
笑おうとしているのに、涙が出る。
(猫たちとも、もう会えねぇな)
ジーンズのポケットでスマートフォンが振動していた。アランからだろうか。恭弥は画面を見るのがこわかった。
恭弥はしばらく無視しようとした。だが、機械の振動はやまない。
「あー、もう!」
恭弥は覚悟を決めて画面を見た。
いくつかの不在着信と、テキストメッセージがあった。もちろん、アランからだ。
『サボの奥さんから連絡があったよ 説明させて』
『どこにいるの』
『大好きだよ 恭弥くんは特別』
『愛してる』
『誰より愛してる』
「そんなん、信じられるかよ」
恭弥は泣きながら笑った。
『今までの人生が間違ってたのは全部謝るから』
『嫌いにならないで』
『電話に出てよ』
『お願い』
『信じて』
「信じられねぇって言ってんだろ!」
恭弥は怒鳴った。
そのとき、音声電話の着信があった。恭弥は着信拒否ボタンの上に指をかざした。
そのまま、数秒。目を閉じて、長いため息をつく。
恭弥はゆっくりと、応答ボタンに指を下ろした。
涙を飲み込んで、耳に機械を当てる。
『もしもし、恭弥くん? 今どこ……』
「俺だってなぁ、信じてぇんだよ。俺ばっか手遅れになってんだよ、なあ」
涙声になるのは止められなかった。
『うん』
「あんた怪しすぎんだよ。いっつもへらへらしてるし。冗談ばっかだし。俺を拾った経緯も謎だし。好きだって言われたって理由がわかんねぇ。
……そんなやつ、どうやって信じろっていうんだよ」
『会って話そう、ね? 今タクシー呼ぶから、場所教えて、ねえ。どこ? ぼく、帰りが遅いから心配で、店に連絡したらサボの奥さんが事情を話してくれて、それで、それで……君に、嫌われたって』
アランの声が震えている。恭弥はふいに笑った。
「必死じゃん」
『当たり前じゃない、そんなの。恭弥くんがいなくなったらぼく』
子どものようなすすり泣きが聞こえ始めた。恭弥はぎょっとした。
ウソ泣きには聞こえなかった。
「おい、あんた」
『どこ、ねえ、どこ?』
恭弥はさすがにかわいそうになった。
「……海ですよ。めちゃくちゃに走ったんで、正確な場所は……あとで地図見て送ります」
『ありがと……あり、がと……』
受話器の向こうでアランが泣き崩れている。
「あんたほんとに、変な人っすね。いったん切りますよ、タクシー呼ぶんでしょ」
恭弥は呆れていた。
『電話するから、絶対出てね、絶対、だよ』
「はいはい。わかりましたよ」
恭弥はアランに現在位置の画像を送った。
ものの数秒でふたたび電話が震えた。
「早ぇよ」
『タクシー、来た。今行くから、絶対そこ動かないで』
「わかってます」
『十五分ぐらい待てる? 大丈夫? 時間潰せる? 飽きてどっか行っちゃわない?』
「なんの心配してんですか、あんた」
飽きっぽいはあんたのことだろう、と恭弥は内心思った。
『運転手さん、もうちょっとスピード出せません?』
アランが運転手に訴える声が聞こえる。
「安全運転で大丈夫なんで。ゆっくり来てもらってください」
『ぼくが無理……』
タクシーのヘッドライトが暗闇を割ってくる。ドアが開いたとたん、血相を変えたアランが転がりだしてくる。
左右に首を振って、恭弥を探して、
「恭弥くん、いた……」
ほっとしたような声でつぶやくと、アランは恭弥を抱きしめた。アランの頬が濡れている。
「いますよ。約束したんで」
恭弥は苦笑した。
「ごめんね……ぼくのこと、嫌いにならないで。全部話すから」
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