ダーカー・ザン・チョコレィト 〜魔法少女の復讐、甘い香りとともに〜

浜能来

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序章-グラスから唇までは遠い

第二話 人狩り

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 太陽は青空に高く。
 じりじりとした陽射しは夏の到来を予期させる。すっからかんの青空は清涼感に溢れているのに、肌にはじっとりとした汗の気配を感じる、そんな春の終わりだ。
 街では、道ゆく人々の中には涼しげな服装も多く見られるようになり、太陽神見守る『活動の季節』らしい、人の熱気と活気を感じる。

 それは、ショコラが最も、ギルドに近寄りたくなくなる時期だった。

 だから、ショコラはなるべく人通りに背を向けるようにしてうずくまる。自分で作った日陰に手をかざし、元素魔法の練習をしていた。
 漆黒色の流動がその小さな手の下で蠢《うごめ》き、手乗りの四足獣を形作るのだが。その頭はどうにも、捏ねている途中のパン生地のようで、ディテールに欠けた。

「おぅ、嬢ちゃんどうしたい」

 そして、背後からかかった声にぱちゃりと崩れた。ショコラはスカートの裾をはたきながら立ち上がり、物怖じせずに向かい合う。

「この辺は臭いし乱暴だし、一人でお使いは危ないぜ?」
「ふん、大丈夫よ。わたしだって一人前だもの」
「ははっ、そりゃあすまなかったな」

 野生的に顎髭を蓄えた冒険者は、その屈強な身体を響かせて笑う。午前で一仕事済ませてきたからか、その身体からは拭いきれない血臭がしていた。もちろん、その身を包む革鎧の間から漏れ出る、汗や何かの体臭も一緒。
 ショコラは顔に出してはまた絡まれると、心をしかめることで我慢した。
 だから夏は嫌。人が多いし、その分臭いんだもの。
 自分をここに待たせておくヌガーを頭の中でポカポカと殴る。

 ショコラが声をかけられるのは、これで三度目。

 最初は、やはり男たちだった。
 どこか山賊然とした、トカゲらしき三人組である。同じように、冷やかしの言葉をかけられた。「中で一緒に飯を食べよう」とニヤニヤしてきたので、衛兵を呼ぶふりをしたら慌てて逃げていった。

 二度目は、這う這うの体でやってきた若い冒険者。
 見た目、ショコラより三つほど歳上の彼は、どうも依頼に失敗したらしく、傷だらけの顔でショコラを一瞥。「好奇心で来たなら、やめといたほうがいいぞ」と、情けない先輩面で去っていった。

 そして、今が三度目。
 屈強な男冒険者と、白い顔をした女性の弓使い。
 女性の疲労具合から察するに、命からがら。男の機嫌から察するに、大仕事を。二人でパーティを組んで終えてきたらしい。

 早く中に入って休もうと言う女性に、男はまぁ待てと片手を振った。
 そして、ショコラの前にしゃがみ込み、目線を合わせる。

「だがしかし、実際変な奴もいるからなぁ、ここは」
「えぇ、そうね」
「嬢ちゃん、ここになんか用でもあるのかい?」

 首を捻り、男はショコラの後ろの建物を見上げた。

 民家の何倍もの大きさの、木造建築物。冒険者ギルド。
 もっぱら他国に睨みをきかせるばかりの軍隊に代わって、民間で魔獣狩りをしてもらおうと。一種、広がった領土に見合う仕事を庶民に与えようという意味も持つ、国営の依頼仲介所だ。

 当然、仕事の性質上荒くれ者の出入りが多く、その自在扉脇に立ったショコラは悪い意味で目立っている。
 十二歳という幼さの、可憐な顔立ちをした、フリルまであしらわれたドレスに身を包む。
 そんな人間は本来、縁のない場所なのだから。

 男冒険者は存外気の配れる人間であり、良心からショコラを気遣っているのだが。
 どんなに上等なお菓子も、食べ過ぎれば胸焼けを起こす。ショコラは心底うんざりとしていて、ため息をこぼした。

「大丈夫よ。わたし、多分あなたより強いもの」
「おおっ、そうか! 本当なら今度、パーティでも組んでもらいたいもんだが……」
「嫌よ。あなた、汗臭いもの」
「はっはぁ! そいつは確かにダメだ! こんな綺麗な嬢ちゃんに俺の匂いをつけるなんて、恐ろしくてかなわねぇ!」
「ちょっと、あんた……」

 やはり体を大きく逸らして大笑いする男冒険者を見かねて、女性弓使いがその額をぴしゃりと叩いた。
 んあ、と間抜けな声を漏らした男冒険者は周りを見渡して、頭を掻き掻き立ち上がる。すっかり注目を浴びていた。

「すまないな嬢ちゃん。ちょっと気分良くなってたみたいだ」
「別にいいわよ。早く行って?」
「うーん、手厳しい」

 ショコラの対応は徹頭徹尾、「面倒だから構わないで」という一文に尽きる。つんと返された言葉に、男冒険者はおどけて額を叩いて見せ、ついにギルドに入っていった。
 使い古された自在扉の蝶番が、不安になるような軋みを鳴らす。

「ショコラ、いつも言っているがな。そうやって絡まれたくないのなら、もっと地味な服を着ればいいんだ」

 入れ替わりに出てきたのは、焦したキャラメル色のスーツを着た、ヌガーだ。

「あなただって、そんなスーツ着てるじゃない」
「これは俺の仕事着だ。これを着ていると、人というのも少しは締まって見えるらしい」
「なら、わたしもこれが仕事着」

 ショコラの服装を眺め下ろしていうヌガーに、彼女はくるりと回ってみせる。エスプレッソ色のスカートがふわりと舞って、銀を寄り合わせて作ったような髪がきらめく。
 それに、とショコラは付け足した。

「そもそもあなたが、こんなところに連れて来なければいいんだわ」
「それは、それだ。支出と、収入と。そもそもお前さんがそれを計算できたなら、そんな言葉も出ないはずなんだがな」
「うーーー、あなたのそういうとこ、嫌いよ」
「計算ができないと、豊かに生きていかないぞ、ショコラ」
「そっちじゃなくて!」

 煙を掴むような彼との会話に、ショコラは先ほどまでの鬱憤も合わせてぷりぷりと起こり出してしまう。脛に向かって飛ぶ足蹴を、ヌガーは避けることなく受け止めた。
 ただし、痛がってみせたり、怒らせてしまったりと謝ったりはしない。つまらなさそうな、面倒くさそうな顔でもって、そのまま歩き出してしまう。
 ショコラは歯噛みしながら、慌ててその横に並んだ。

「それで、依頼、受けてきたんでしょ?」
「そうだな。昼間となると、ろくな依頼も残っちゃいなかったがな」

 冒険者ギルドの依頼は、早い者勝ち。朝を逃した冒険者というのは、割りに合わない安い仕事か、割りに合わない面倒な仕事をするしかない。
 ショコラはヌガーが片手にぶらぶらとぶら下げていた依頼書を、ひったくるように奪った。
 一通り目を通して、げぇと口に出した。

「人狩り討伐じゃない。人殺し、嫌なのよ」
「午前に一人、やったろう」
「一人も二人も同じなんて言い出したら、衛兵に突き出すわよ」

 さらりと言ったヌガーに、剣呑な目つきを返すショコラだ。

 ひとえに勿体無い精神でもって、二人はタミゼを討伐したその足で依頼を取りに来ていた。
 彼らの所属する裏ギルドは王都にあり、彼らもまた王都に住んでいる。辺境にまで、たった一つの依頼のためにやってきたとなると、報酬に対する移動費の割合が高くつく。
 だから、どうせ今日は馬車がないというのなら、もう一つくらい依頼をこなそう。

 そんな、ヌガーの提案。ショコラは依頼の受注や金銭管理をヌガーに任せていたため(というか、彼ら二人の仕事におけるヌガーの役割がそれだ)そうするべきだと言われれば、そうするしかなかった。

 だからと言って、不満がないわけではなくて。

「いい? わたしが人を殺すのは、それが仕事だからよ?」
「おいおい、やめてくれ。お前さん、年は幾つだ? 十と少しばかりだろう。そんな子供が、『殺すのが仕事』だとか、言うもんじゃあない」
「じゅ、う、に、さ、い! あと、だったら人狩り討伐の仕事をわたしにやらせようとしてるのは誰よ!」
「俺だな」
「開き直らないで?!」

 一人、ひたすらにショコラはヒートアップしていく。
 そして、それだけぎゃいぎゃいと騒いでいれば、当然人目も集まりだす。人目を引きながら、十二歳の女の子が誰それを殺すと叫ぶのは、あまりよろしくないだろう。ヌガーは思った。
 ショコラの手を引き、というよりは、可愛らしい手足から繰り出される暴力を誘導して、路地裏に逃げ込む。

 薄暗く、人の音も遠ざかる。すると、ショコラも自分のことが見えてきて、多少大人しくなった。
 ヌガーは言う。

「俺はな。いや、俺とチョコレィトのやつは、人を殺した。その金でお前さんを育てた。だから、人を殺すなとは言わない」
「……また、その話?」
「そうだ。この話だ。裏ギルドの貴族殺しなんて所詮、貴族の内輪揉めだ。内輪揉めは、内輪で解決するものだ」

 裏ギルドとは、法を破った貴族を、法を破ったと公表せずに殺す手段。都合よく切り捨てられる、そんな人間を寄せ集めた場所。
 ヌガーはそれを、よく承知していた。

「だが、表のギルドは違う。あれは、国の委託だ。国の委託とは、国民の委託であり、正義だ。同じ血で手を汚したところで、少なくとも、悪だとは思われないらしい」
「……」
「お前にはそういう道もあると、わかってほしい」

 ヌガーは、けしてショコラの方を見ずに言った。この捻くれた男は、伝えたいことほど伝わりにくく伝えてしまうきらいがあった。
 少なくとも、ショコラはそんな人物像を、彼に当てはめていた。
 ヌガーは整髪油にべとべととしたオールバックを撫でつけて、気怠げに歩く。

「わかってるわよ」

 ショコラはぼそりと答えた、

「だから、わたしは自分の目的のためにしか、殺しをしたくないのよ」

 ◇◆◇

 ショコラとヌガーは、山道を歩いていた。
 ころころとした土くれが転がり、時折木の根の盛り上がった足場の悪い道行きを、ショコラを前に、ヌガーを後ろにして歩く。鬱蒼とした木々が傘をしているからか、下生えというものがほとんどないのが幸いだろうか。
 まばらな木々の先に続く土色の斜面は上が見通せなくて、道を外れればすぐにでも迷ってしまいそうだと、ショコラは思った。
 ヌガーは何の気無しに、飛びよる羽虫を手で払っている。

「それにしても、意外と『世のため人のため』な依頼よね、これ」
「まぁ、そうも言えるだろうな」
「何よ、嫌な言い方」

 人狩りは、彼らの歩く山道の辺りをテリトリーにしているらしかった。
 違法とされる奴隷売買を、そこいらで拐かした誰それで行うのが人狩りだ。どこに売るかといえば、それこそタミゼのような、後ろ暗くも人手を要する人間である。元素魔法使いでないと対処できないくらいに規模が大きくなると、裏ギルドに依頼が回ってきたりもする。
 もっとも、こんな獣道とほぼ変わらない山道をテリトリーにしているくらい、今回の標的は規模が小さい。小さいからこそ、ろくに報酬も出ず、衛兵にも無視されていたのだが。

「それなのに、どこかの商人さんが報酬を出して、ギルドに依頼が載ったんでしょう?」
「娘が拐われたから、とか。そんな私怨まみれの理由だがな」
「それでも、良いことだわ。気持ちもわかるもの」

 ショコラは上機嫌だった。少なくとも、今回の仕事の役割《・・》を受け入れるくらいには。
 万が一にも蜘蛛の巣にかかるものかと、拾った枝を目の前に揺らしながら歩いていく。

「誰がやったのかわかってるっていうのは、ちょっと羨ましいけど」

 ぼかした言葉を、ヌガーは適切に拾う。

「わかっていたところで、今のお前さんには倒せないと思うがね。なにせ、チョコレィトが負けた相手だ」
「それは、その時考えれば良いのよ。ほんと、あなたがちゃんとお父さんについててくれれば、こんな面倒じゃないのに」

 ショコラの父親は、殺し屋としての仕事で買った恨みによって、闇討ちされた。
 かつて相棒であった、ヌガーですらも預かり知らぬところで。

 到底信じられないことだったが、ショコラがヌガーから聞かされた真実はそれだ。チョコレィトの遺体とともに知らされた言葉。

 彼女が殺し屋として裏ギルドの仕事を受けるのは、全てその犯人を探すため。

「人狩りが偶然、何か知っていたりしないかしら」
「魔狼の話をすれば尻尾が見えるとは言うがね。そう都合良くはいかないだろうよ」

 と、ヌガーがショコラのぼやきを茶化した時だった。

 ショコラが手を上げ、立ち止まる。ヌガーはそのハンドサインに従った。
 ショコラは背嚢を下ろし、ヌガーがそれを受け取る。

 形の良い手が、流麗な銀髪を肩の後ろへと流す。

 それが、ショコラの戦闘態勢。

「来るわよ」

 その呟きが合図だった。
 複数の足音が駆け下りる。
 一つ、三つ、七つ。瞬く間に現れた人影はざりりと音を立てて、二人を包囲した。五人がヌガーを囲い閉じ込め、二人がショコラを挟む構図だ。
 一様に口布を当て、身を隠すボロ切れの隙間から覗く革鎧。よく砥がれたナイフの鉄刃で脅しつける、それは人狩り。

「娘をもらう。抵抗すれば殺す」

 おそらくは頭目か。ヌガーの目の前に立つ、唯一長剣を構えた男が言う。
 普通、人間と言うのは人を殺すことを恐れる生き物である。集団生活をするために身につけた共感性というものが、他者を傷つけるのを邪魔してしまう。
 そんな不完全性こそ人間の証というのなら、その頭目は人間ではなかった。

 据わった、底冷えのする瞳がヌガーを捉える。
 ヌガーは肩をすくめ、手を上げた。

「わかった、降参しよう。俺は何もしないと約束する。貧者に与うことこそ、神への奉仕と言うしな」

 言って、ヌガーは周囲を探る。
 五人いて、誰の一人とて気を抜いた様子がない。さて、これは厄介だ。
 頭目は、冷え切った口調を返す。

「挑発か? 何をしたいのか知らんが」

 探るような口調。ヌガーは彼を臆病と評した。

「それはそうだ。わからないだろう。何せ、俺は何もしないんだから」
「お前、何を……?」
「あぁ、悪いな。要領を得ない話し方というのが、俺の欠点だと良く言われる。だが、安心してもらって構わない」

 そして、おもむろにヌガーはスーツの内へ手を滑らしていく。当然、頭目は長剣を構え直して。
 ヌガーは、口の端をわずかに吊り上げた。

「代わりに、相方がせっかちだ」

 鈍い、苦悶の声。
 頭目の脇をすり抜けて、二つの人影が吹き飛ばされる。ショコラを包囲していた、人狩りの二人だ。
 しかし頭目も熟練。後ろにいるはずの敵に、即座に長剣を振り。

 ぎちり。阻まれる。

「カレ。チョコレートを味わうときは、そこから始めるものよ?」

 そこにいたのは、果たしてショコラだった。
 腕組みをして立つ彼女は、傍若無人の仁王立ち。頭目の剣は、そんな無防備な彼女に届かない。

 彼女の周囲に浮遊する、無数の黒い正方形。子供の掌に収まるほどのそれは鋼のような硬さでもって、刃を通さない。

「さぁ。次は、何をご所望?」
「っ! 元素魔法使いだ! やらなければ、やられるぞ!」

 雌獅子の美しさで笑うショコラに、頭目は飛びすさり、檄を飛ばした。放心していた手下の人狩りが、はっと短剣を握り直す。

「囲め! 数の利を活かさなければ負けだ!」
「ほんと、寄ってたかって子供をいじめるなんて、かっこ悪い!」

 ショコラの周囲に、再び人狩りが展開する。
 その物量に、ショコラは周囲に展開したカレを解除する。短剣に隙間を突かれれば、意味はないからだ。
 ぱらぱらと、落ち葉のように落ちる。

「かかれ!」

 魔法展開の隙を与えない、素早い指示だ。
 ショコラの両脇から二人が迫り、短剣の鋒《きっさき》が、横なぎが。
 ひゅうと空を裂き、ショコラに迫る。
 だが、彼女は軽やかにそれをかわした。

「危ないで、しょっ!」

 そして鋭く、腕を振る。手に握り隠されていたカレが直線的に飛び、一人が顔を庇う。
 その一時、ショコラは目の前のもう一人と一対一だ。

「このぉっ!」

 ショコラの首を正確に狙った横一閃。ゆえに、避けやすい。
 銀髪がはらり、舞う。
 頭を低くしたショコラは、すでに人狩りの懐の中だ。そして、腹部に手をつき、精神を集中させる。

「ぐうっ……!」

 黒の奔流がその腹部を打ち、吹き飛ばす。
 彼は魔獣の吐く炎弾より速く飛び、木の幹に打ち付けられてようやく停止した。これでは、いかに鎧を着ていようと関係ない。血と胃液の混じる吐瀉物をげぼりと吐き、それきり動きを止めた。

「水の元素魔法……? いやしかし、さっきのはどう見ても……」

 それを見た頭目が、呆然とする。
 ショコラの放ったそれは、元素魔法以前のただの魔力だ。無から有を産む元素魔法は、この世に産まれた以上体積を得る。
 触れ、掌で急速に魔力を元素に変えるだけで、その膨張する体積は衝撃力となる。

 一人がそうして、目の前でやられてしまった。
 人狩りは怯えるよりむしろ、次に自分がそれを食らう未来を予見して、奮い立つ。その半狂乱の斬撃を、ショコラは小さな身体を活かしてすり抜けていく。
 時たま、その銀髪を掠めることこそできるのだが。
 彼女のエスプレッソを溶かしたようなドレスにすら刃が届かないのは、ショコラがドレスをも守るように立ち回っているからだ。その余裕があるからだ。
 まもなく、もう一人が股間を蹴り上げられ。そのまま、上に吹き飛ばされた。生きていたとして、もう男としては死んでいるだろう。

 吹き上がる奔流は飛沫を飛ばし、それは離れた所で督戦していた頭目にも届いた。
 掌に落ちたそれを指で擦ると、水気の中にざらざらとした粒を感じる。

「泥水……? まさか」

 泥水の元素魔法。土の元素魔法と、水の元素魔法の混血。
 彼のこめかみを冷や汗が伝う。頭目には、その持ち主に一人だけ心当たりがあった。

 駄目だ。勝てるわけがない。

 彼は残り二人となった自分の部下に撤退を指示しようとして。

「なんだ。ことわざというのも、たまには事実を捉えるらしい」

 けれど、叶わなかった。彼の首筋には、一本の針。
 いつの間にか背後に近づいていたヌガーが、突き立てたものだった。遺骨立ち並ぶ墓所ラ・トンク・ドスと名高い白森に生息するという、樹木蛇の猛毒が塗ってある。
 首筋を庇い、振り返る頭目。何事かを口にしようとしたらしいが、もはや麻痺した声帯は言葉を紡ぐことはなく。震えるその手から長剣を取り落とし、初めて立ち上がった赤子のような無様さでくずおれる。
 死にはしないが、これでしばらくは動けないはずだった。

 そう、しばらく、口も聞けない。

「……しまったな」

 ヌガーは万が一にも毒がついていてはまずいと、手を拭いながら気付く。
 泥水の元素魔法を使え、裏の世界の人間に知られる人間など、チョコレィトしかいない。つまり、この男はショコラの探す手がかりを持っている可能性があった。
 あったが、彼は話せない。もちろん解毒剤はセットで持ち歩いているが、効くまで時間がかかる。
 絶対に話を聞きたがるショコラが、ぷんすかと怒り出すのは目に見えていた。

「まぁ、いいか」

 見れば、ちょうどショコラが最後の一人を吹き飛ばす所だった。ヌガーは、考えるのをやめた。

 ◇◆◇

「ほんと、信じられない。もっと他にやりようはあったでしょ」
「申し訳ないが、お前さんと違って元素魔法の血が流れてないんだ。人間らしく、無い物ねだりは出来ないようになってる」
「まぁ、それはそうだけど……」

 適当な木の根を見つけて座り込む二人。ショコラの追及は普段より穏やかだ。
 別に、ヌガーの正当性を認めたからではない。別に彼女は普段、ヌガーの言葉に納得していないわけではなく、彼の言い方が気に入らないのだから。
 ではなぜ穏やかなのかといえば、単純、眠いのである。

 七人をふん縛る中、頭目はチョコレィトを知っているらしいとヌガーから聞いたショコラは、やはりぷんすかと怒った。
 そして言ったのだ。「起きるまで、ここで待つわよ」と。

 結果として彼らは、七人の武器を斜面に投げ捨て、薪を起こし。とっぷりと日が沈んでなおここにいる。しんとした夜風が心地良いのが、まだ救い。
 夜の山道を下る面倒を思って、ヌガーは意味もなく手の中のシガーカッターを弄った。
 ショコラは、背嚢から取り出した焼き菓子をもそもそと食べている。ヌガーの分もあったのだが、彼自身が断ったため、彼女が今食べているのは二つ目だ。

 ぱちぱちと木の弾ける音と、さくさくと静かな咀嚼音。

「うぅ……」

 やがて、二日酔いの後のような呻き声で、頭目が目を覚ました。
 彼はまず、自分が薪の前に寝転がされていることに気づき。起き上がろうとして、手足が縛られていることに気づき。そして、火の向こうに二人を見て、自分の状況を理解した。

「あら、起きたのね」
「…………くく。まさか、お姫様の方が元素魔法使いだとはな。騙された」
「まさか、ちゃんと騙されていてくれたとはな。俺としては雑な手だったが、今夜は旨い酒を飲めそうだ」

 ショコラのような目立つドレスを着た美少女を囮にすれば、釣れるかもと考えた。ヌガーの考えた作戦は、そんな程度のものだ。
 見た目に明らかな育ちの良さだ。確かに怪しくこそあるが、拐ってみて貴族の娘だったなら。つまりは、元素魔法使いの商品を手に入れるというわけで、取り敢えず賭ける価値があった。
 問題は、ショコラが囮を引き受けてくれるかだったが、娘のために依頼を出した商人というものが、存外彼女のお気に召していたらしく。

 そのショコラはといえば、頭目が目覚めてくれたことで、幾分眠気が飛んだようだった。
 ヌガーの皮肉に苦い顔をする頭目を見下ろしながら、要求を叩きつけた。

「質問がしたいのよ。あとそう、あなたの部下も向こうに転がしてあるから」
「いいだろう。だが、取引の話はなしだ」
「あぁ、そうだろうな。それを言ってしまえば、結局回り回って、お前さんたちは死ぬものな」
「ふん……」

 不機嫌そうだが、それは仕方がないだろう。とりあえず、使う必要はなさそうだと、ヌガーはシガーカッターをスーツの内に仕舞い込んだ。
 シガーカッター。葉巻を切るにも、指を詰めるにも。便利な道具だ。

 ショコラは、炎揺らめくルビーの瞳での頭目を見つめ、問うた。

「それであなた、チョコレィトを知っているでしょう?」
「知っているも何も、お前じゃないのか」
「違うわよ。わたしはまだ、お父さんには及ばない」
「父……あぁ、なるほど」

 頭目はつまらなさそうに目を伏せる。

「死んだか」
「そうよ。だから、殺した人を探してるの」
「なら、残念だが」
「えぇ、そうね。あなた、知らないんでしょう」

 でなければ、「死んだか」などという言葉は出ない。ぴしゃりと言葉を奪うショコラに、頭目は肩を竦めた。自嘲的に。

「なら、俺は役立たずというわけか」
「えぇ、そうね」
「なら、早く殺せ」

 矢継ぎ早に言う頭目は、すでに自分の命を見限っていた。彼の言葉に応えるように、ショコラが腰を上げる。
 ヌガーが見守る中、彼女は頭目の背後に立つ。元素魔法を扱う彼女にはそれこそ、百通りの殺し方があった。
 せめて無様な悲鳴などあげるまいと、口布を噛む頭目。その背側にしゃがみ込んで。

 ショコラは、頭目の縄を解いた。

 数瞬の間を置いて、頭目は恐る恐ると言った様子で腕を動かし、確かに縄の痕が残る手首を見た。

「討伐依頼……では、ないのか?」
「討伐依頼だけど。裏ギルドの依頼じゃないもの。失敗しましたって言うわ」
「お前さん、依頼人の商人のことはいいのか?」
「わたしみたいな女の子が倒せる相手よ。自分で倒せばいいじゃない」

 ぽかんとする頭目。
 目が覚めたものの、全身が弛緩して動けない彼を、ショコラはうんしょと起こしてまでやる。
 そしてその目の前に、スカートの裾を気にしながらしゃがみ込んだ。

「その代わり、わたしの名前を広めなさい」
「……名前を?」
「そう。チョコレィトの娘、ショコラが、仇を探しているってね」

 エスプレッソ色のドレスを着た、可愛い女の子でもいいわよ、と。ショコラはスカートをぱたぱたと振って見せる。
 つまり、彼女にとってそのドレスとは。まさに焦がれる相手に見つけてもらうための正装なのだ。
 そして、他人の家族の復讐など、自分の目的のためならば即座に切って捨てる。

 ショコラのもつ、唯一大人らしいと言える割り切りであり、残酷という、数多ある子供らしさの一面。

 頭目は、その全てと言わずとも一端を理解し、くはっと笑った。

「いいだろう。俺も本来、人狩りというよりは、商人と犯罪貴族の仲介屋だ。任せておけ」

 必要最低限しか話さなかった頭目が、いきなしに言葉を並べる。その語り口は、相手の利益を提示する交渉人のそれだ。
 つまり、彼の中でショコラが、敵としての善人から、交渉相手の悪人へと変わった瞬間だ。

「あら、そうなの」

 ショコラはその豹変に、口元に形のいい手を当てて驚いてみせる。それを見て、ヌガーが飄々と言う。

「なんだショコラ。大人なお前さんなら、とっくに気付いているかと思っていたんだが」
「何よ後から! 馬鹿にしちゃって」
「後からじゃあない。第一、衛兵すら見向きもしないほど人通りのない山道で、完全武装の人狩りが現れるのがおかしいんだ」
「ふむ、確かに、その通りだ。今後気をつけよう」

 元素魔法使いのお嬢さんには、そんなもの意味がないようだしな。
 目元をにやりとさせて言う頭目に、ショコラはいつのまにか、自分が孤立無援に立たされていることを知る。むきーと地団太を踏んだ。

「随分と可愛い復讐者《ヴェンジェンス》じゃないか」
「あぁ、おかげで退屈しない」

 それを肴に、男たちは意気投合したらしかった。

「ものはついでだが、お前さん、取引相手の一人に手を切られたらしいな」
「……何?」
「だってお前さんら、商人の娘など拐っていないだろう?」

 訝しげになった頭目に、ヌガーは依頼書を見せてやる。なんの話かと興味を持ったショコラも、頭目の肩口から覗き込んだ。
 彼は、眉を潜めてその内容を読んでいくが、依頼者の名前を見て頷いた。

「あぁ、尻尾を切られたか」
「なに、どういうことよ?」
「ショコラ、流石に察しが悪いだろう」

 と言いつつも、ヌガーは説明をしていく。

 話は単純。裏ギルドのターゲットとなるような犯罪貴族と、この頭目を通じて商売をしていた商人が、別のルートを使おうと決めたのだ。だから、娘を拐われたという嘘で依頼を通してもらい、冒険者に始末させる。
 人狩りが相手なら、娘が彼らのもとにいなくとも、売られてしまったのだと納得できる。

 聞き終えて、興醒めとばかりにショコラは座り込んだ。

「あっきれた……。なら尚更、あなたを殺す理由がないわ」
「そうは言っても、俺たちが人を拐うのは事実だぞ」
「でも、わたしのために動いてはくれるんでしょ」
「それはな。俺も生きていたい」

 ショコラは頭目が一気に態度を崩したことにも呆れつつ、実際全く殺す気なんてないものだから、適当に会話を繋ぐ。その様を見て、ヌガーは思う。

 チョコレィト。お前さんの大事な娘っ子を、俺はどうも悪人に仕立てちまったらしい。

 彼女は彼女自身の正義で動く。
 その正義が、大衆の持つそれに抵触しにくいからこそ、彼女は悪人と断罪されないだけで。

 彼女がチョコレィトから最後にもらった、エスプレッソ色のドレスを。
 いつかショコラが脱ぎ捨てるのならば、その時彼女がどうなっているのか、ヌガーにはわからない。

 だから、俺が手綱を握ってやろう。

 いつまでも、そのドレスに身を包んでいてほしい。
 そんな願いを嘲るように、夜空に溶けるカラスが鳴いた。
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