ダーカー・ザン・チョコレィト 〜魔法少女の復讐、甘い香りとともに〜

浜能来

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チョコレィト編-修道服を着ているから、修道士なのではない

第三十話 懺悔

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 香ばしいにおい。紙にくるまれて手のひらに収まるそれは、歩いているうちに勝手に両手から飛び立ってしまうのではないかと思うほどに軽かった。
 ショコラはそれをルビーの瞳で見つめる。表面にまぶされた砂糖の粒が、ダイアモンドのように輝きを返す。

 ざくり。

 歯を立ててみると、それは小気味よく音を立てて。霜柱の降りた地面を踏みしめるような、そんな食感の楽しみ。甘味の中、かみ崩すたびに広がる小麦の風味を味わった。普段食べているパンも、砂糖や卵白を塗って二度焼きするだけでこうも美味しくなるのかと、ショコラは思う。

「いっそ、この世のパンを全部、ラスクにしてしまえばいいのよ」
「それはいいですね。きっと、うちが繁盛します」

 鼻歌さえも混じっていそうなショコラの言葉に、右隣を歩くスフレもうなずく。
 彼らの歩く王都の道は普段に増して人にあふれ。出店も多く並ぶ中、食べ歩きをする彼らはあくまで王都民の中の一人でしかなかった。ラスクに夢中になるあまり、フードに隠れて何かをむさぼる不審者となったショコラを気にする人もいない。
 この昼間から赤ら顔すら混じった群衆はたまの機会と財布を揺らし、その音につられた商売人たちが声を張る。雑踏。人の流れであり、人を押し流す活気という名のエネルギー。

 今日は貴族式典の日。ショコラとスフレの待ちに待った日だ。

 ◇◆◇

 貴族式典とは読んで字のごとく、貴族たちが行う式典である。

 一年も終わりに差し掛かるこの時分、作物もおおよそ収穫しつくし、貴族それぞれの土地から税を吸い上げ切ったこの時期に、王が貴族たちの功を労うのだ。つまりは一年に一度の叙勲の場であって、本来庶民には関係のないものなのだが。

「なぁ、五大老サマの魔法演技、そろそろなんじゃないか?」
「なんだお前、あの大きい元素魔球も見えないくらいに酔っぱらってるのか。まだ一時間はあるだろう」
「えぇ? お前こそ何を言ってるんだ! 早くいかなけりゃ、人の頭で見えるもんも見えなくなってしまうだろう!」

 そんな掛け合いをしながら、二人の男が通り過ぎていく。
 そう、今年の目玉は五大老の魔法演武だった。五大老とは元素魔法の血統たる貴族たちの中でも特に優秀な五つの家系であり、例えば水の元素魔法を扱うドゥロウ家当主は、王都の水源を一人で賄っている。時折自慢げに王都内を凱旋する下級貴族とはとても比べ物にならないのだろうと、民衆の期待は最高潮に達していたのだ。

 実際、人の流れは確実に王都の中心、円形の大広間へと向かい始めていて、けれどショコラはその流れに逆らうように歩いている。

 彼女は歩く中で、油断なく右に左に目を凝らしては、珍しいお菓子を食べることに意欲を燃やしていた。ラスクに始まり、変わり種のマカロン、そして、そして。ひたすらに食欲と結びついた好奇心を満たすショコラに、人の流れなど見えていないようだった。
 さらに言うならば、彼女には食べ物以外も見えてはいない。この前一緒に買いに出かけたくらいだから興味はあるのだろうと、スフレがアクセサリーを扱う出店に誘ったのだが、ショコラはその隣の砂糖の香りにこそひかれていってしまったのだ。
 あくまで、お菓子への食欲第一のショコラである。

 一方のスフレは、もうさっぱりと諦めをつけ、心から楽しむショコラの姿をこそ楽しんでいた。なにせ、今はお菓子への食欲が強いといっても、彼女の首元には彼の選んだシルバーアクセサリーが光っている。それがショコラの動きに合わせて跳ねるさまを見ているだけでも、スフレは十二分にこの機会を楽しんでいた。
 楽しんではいたのだが、彼には同様に魔法への憧れもある。先ほどの会話に後ろ髪をひかれるままに、彼はショコラの右手を引いた。

「ショコラさん、いいんですか?」
「ん? どうしたのかしら」

 その時にはすでに次なる標的を見つけていた彼女は、生返事に答える。

「いえ、五大老の魔法演技。人が集まり始めているみたいですよ」
「そう」
「僕たちも、そろそろ行きませんか」
「確かに、そろそろではあるけれど」

 気づかわしげなスフレに、ショコラは大げさにため息をついて見せる。そういった仕草をされると、もしや自分が何か見落としていたのではないかと心配になる、素直なスフレだ。ショコラは自分の右手を引く力が弱まるのを感じながら、彼に向き直った。

「あの大きな元素魔球が見えないの? まだ一時間もあるじゃない」
「えぇ……」

 言われ、スフレはがっくり肩を落とした。周りの会話など耳に入っていなかったショコラには、スフレをそこいらの酔っ払いと同程度に扱ってしまったことに気づく余地はなく、予想外に気落ちする彼に首をかしげるほかになかった。
 ただ、それでもショコラには今の標的を逃すことは考えられない。とすれば、スフレを説得して、納得して、お互いの目的を達するのがベストだ。別にスフレをないがしろにしたいわけではないのだから。
 そのためにショコラにできることといえば。

「スフレ、あれを見なさい」
「あれって、あの屋台のことですか?」
「えぇ、そうよ」

 ショコラは指差し、スフレが人ごみの合間に目を凝らす。彼の言う通り、その先にあるのは一つの屋台だ。その看板には、独特のクセが感じられ、一筆書きのようで読みにくい。

「ダッ……クワーズ」
「そう、ダックワーズがあるのよ! スフレ、あなた、ダクスは知っているでしょう。あの保養地の。あそこの人が良く作るお菓子なのだけど、外のビスケット生地の食感と、間に挟まれたアーモンド風味のメレンゲが……」

 そう、スフレにも「食べたい!」と思わせてしまえばいいのである。
 ショコラは身振り手振りを交えて味を表現する。スフレは大前提としてパティスリーで働く見習いアプランティなのだから、その珍しささえ伝わればいいというショコラの目算。
 スフレは堰を切ったようにしゃべりだすショコラをしばらく眺めていたのだが。

「ぷふっ」

 唐突に噴き出した。

「ちょっと!」
「いえ、ごめんなさい。その必死に説明してくれているのがとっても」
「とっても面白かったって言いたいの?!」

 ショコラは耳を赤くして怒り出す。抗議のこぶしを振りかざして、ぽかぽかとスフレの肩を叩いた。スフレはしばらくの間、「違います、違います」と言いながら、されるがままになり。

「本当に違いますよ。ショコラさん」
「どう違うっていうのよ!」
「僕は、可愛いなって言おうとしたんです」
「へっ?!」

 たったの一言でショコラの手を止めてしまった。
 ショコラは彫像のように固まって、ぎこちなく手を下す。そして出店のほうに向きなおると、フードを目深にかぶりなおした。

「あなたって、最近憎たらしいわ」
「そうでしょうか?」
「そういうところっ!」

 ショコラはずかずかと出店のほうに歩きだしていって、スフレはその歩調にぴったり合わせてついていった。それがまた、ショコラにとっては嫌味に思えてしまったりしたのだが。さすがに理不尽すぎると我慢した。

 そして、目当てのダックワーズにありついた二人は、その足で王都中央の広間を目指す。
 王都中央の広間は本来、貴族院の決定を王都の民衆に知らしめる際に使われるような、子供を放り込めば喜んで一日中走り回りそうなほどに広いものである。普段は行商の人々が集まって雑然としているのだが、いったいどこへしまったのかと驚くほどに片づけられ。中心に用意されているのだろう舞台の見えないほどに、人がひしめき合っている。
 ショコラがいくら首を伸ばしたって、ブロンズの男の後頭部だったり、栗色のポニーテールだったり、いかついスキンヘッドだったり。誰それの頭しか見えなかった。

「まさか、ここまでとは思わなかったわ……」
「だから言ったじゃないですか」
「うぅ、悪かったわよ」

 申し訳なさそうに声を小さくするショコラ。
 事実、彼女たちは広間に入ることすらできそうにない。広間からあふれ出した人々はそれぞれの路地まで広がり始めているようで、広間の出入り口に屋台を置いておいた誰それは、自分の店の前を塞がれてしまってやるせなさそうにしている。
 空を見上げれば、五彩の輝きが悠然と回っていて、時刻はもうほど近い。

「別の路地に回ってみましょう。そこももう埋まっているかもしれませんけど、ここよりは」

 そう言って、スフレがショコラの手を引いた時だ。

「ねぇお母さん! 見てよ、あれ!」

 人だかりの中から子供の声が響いた。一斉に人々があたりを見渡す。そして、ざわめきは確実に、広間の中に伝播していった。
 青空の奥から、火炎の行列が伸びてくる。王都を囲む十二の時針塔、そのすべてから延びる火箭。遠く、判然としなかった形が次第に鮮明になる。あれは騎士だ。やがて来る主人を出迎える、騎士の行列である。

「すごい……」

 誰が言ったか。それを問うのも馬鹿らしいほど、人々は自分の頭上までやってきた行列に見惚れていた。騎士たちは天高く広間を囲み、統率された所作でもって剣を掲げた。それを合図にして、音楽が鳴り渡る。
 荘厳を音色に乗せた、幾重にも重なる管弦楽。楽団など存在しない。音は風に乗って、神の福音のように人々に届く。結果、彼らは鳴動を始める地面に恐れることなく立ち尽くし、だからこそ奇跡を目にした。

 舞台の中央を突き破り、岩柱が屹立したのだ。二本、三本と並び立つその間に壁が張られ、もうもうと立ち込める粉塵の中、影は小さな塔を象っていく。一夜すらかからず、数瞬のうちに。アーチ構造を六角形に重ね合わせた、芸術品としての建造物が人々を見下ろしていた。
 その頂上から立ち上る黒雲は広をつつみ、霧雨をもって砂煙を洗い落とす。

 日の光すら遮られ、炎の騎士に包囲された、世紀末の一風景。

 固唾をのむ民衆の緊張感を、稲光が切り裂いた。思わず悲鳴を上げるショコラの肩をスフレが抱く。

「皆様、よくぞお集まりくださいました。この度は我ら五大老の力、存分にご覧いただければと!」

 広間に響く、芝居がかった張りのある声。稲光の照らし出した塔の上、その芝居がかった張りのある声は聴衆の注意を見事に集め。歓声が巻き起こった。

「ヴァンホーテン卿……ヴァンホーテン卿じゃないか?」
「あれがか? ずいぶん若いが……」
「だからじゃないか。ヴァンホーテン卿は数年前に、孫に代替わりしたばかりだろう」

 突然の光に震えていたショコラもようやく落ち着きを取り戻して、塔を見上げた。距離がある分、塔の頂上のバルコニーにあるその姿は、彼女にはよく見えた。
 確かに、若い。もちろん青年と呼べるほどの未熟さが見えているというわけではなく、かといって『老』の称号を持つほど、老いぼれてもいない。人間として、熟成の極みにあるといた風貌で、嫌味でない程度に整えられた金髪は、大人にふさわしい嗜みの形容といえるだろう。
 今、彼がまとっていた煌びやかなローブの裾を払い、握りこぶしをかざす。人々の注目の中、彼が優雅に手を開くと、銀色の小鳥たちが飛び立った。

「あれが、機械魔法」
「機械魔法?」

 スフレがこぼした単語を、ショコラはオウム返しに繰り返す。初めて聞く魔法だった。
 疑問を受けたスフレは一瞬目を見開いて、けれど咳払い。機械魔法というのはですね、と。流暢に説明を始める。

「ヴァンホーテン卿が五大元素魔法のすべてを扱えるのは知ってますよね?」
「当り前じゃない。だから、あんなに偉そうなんでしょ」

 ショコラが顎でしゃくる先、魔法で作られた塔の先端にはヴァンホーテン以外の五大老も――ヴァンホーテン含め四人しかいないものの――姿を現していた。誰も彼も、ヴァンホーテンより年齢の深みを威厳と表した、風格ある立ち姿なのだが。あくまでヴァンホーテンを中心にして並び立っているため、まるでヴァンホーテンの側仕えのようである。
 スフレは不敬ともいうべきショコラの言いざまには触れず。

「その五大元素すべてを複合した、当代のヴァンホーテン卿が独自に扱う魔法分類。それが、機械魔法です。魔法によって、現代技術では実現の難しい魔道具を作り出し、それを動かそうという魔法で、『現在の技術で作れる魔道具というのは、すべてヴァンホーテンの後追いに過ぎない』と言われるほどなんですよ」
「ふーん、そう」
「あっ、ショコラさん、あんまり興味ないでしょう」

 珍しく少年のように目をかがせていたスフレが、むっとした。ショコラは平謝りするのだが、興味がないというのはその通り、ショコラの本音なのだ。
 彼が空に解き放った数羽の小鳥のうち、一羽がショコラの肩にとまった。その流線型をした金属の身体からは、きちり、きちりと、金属のかみ合う音がする。この滑らかな造形を、中に細工を仕込めるほどの薄い板金で作り上げているのだろう。おそらくは土の元素魔法の応用であって、毎朝泥水で子犬を作ろうとしていたショコラは内心で舌を巻く。
 ただ、それだけだ。

 もう戦うことのないショコラには、魔法の熟練など興味の外。こんな細工を作れるほどの技術など、洗濯やなにやらの家事には全く不要なのだ。
 ショコラは肩に乗っていた小鳥を手に乗せ換えると、食い入るように見つめていたスフレの手に渡してやる。まるで本物のように首を振る小鳥と、いまだ魔法が飛び交うステージと。どちらを見るべきか、いや、どちらも見逃せないと、スフレはせわしなく視線を動かし始めた。

「それにしても」

 一旦、そんな彼は放っておいて、ショコラは一歩引いた気持ちでステージを見る。

「ずいぶんと演出好きなのね、貴族って」

 どうも、ふたを開けてみればこの魔法演技、ストーリー性があったらしい。この世界の終わりじみた風景を、五大老が晴らすというシナリオなのだろうとショコラは推察する。それを証明するように、五大老のうちの一人が水の元素魔法でもって、炎の騎士を倒し始める。
 貴族たちの悪事を代替悪として始末してきたショコラとしては、このマッチポンプを純粋に楽しむ気は起きなかった。その分、周囲の会話が耳に入る。

「それにしても、やっぱりバーナン卿はこういう場所には出てこないんだな」
「そりゃそうだろ。あそこは、女性が産まれれば殺してしまうほどの、徹底した武人の家系だって聞くぞ」
「なんだかなぁって気もするけど、そのくらいじゃなきゃ軍事を一手に任せたりしないだろうしな」
「むしろ、今回の演出の最初、炎と風に乗せた音楽がバーナン卿の協力だとすれば、十分珍しいだろ」

 今、その人の協力の産物をしらみつぶしに消してるところじゃない。嬉々として指揮をふるうヴァンホーテンを見ていると、何かくだらない対立でも裏に潜んでいそうな気がするショコラ。

「嫌味な人ね、ヴァンホーテン卿って」
「やめてくださいよショコラさん。ヴァンホーテン卿は優しいお方なんですから」
「あら、まるであったことがあるみたいに言うじゃない」
「いえ。それはもちろん、あったことはないですけど」

 スフレはついに飛び立ってしまった小鳥を残念そうに見送りながら言う。

「パティスリーにある調理用魔導機械の多くは、ヴァンホーテンさんが寄贈してくれたんですよ?」
「え? 『パティスリー』に?」
「ほかにどこがあるっていうんですか? なんでも、お義母さんのお菓子が気に入ったとかで」
「ふーん。そう」

 ショコラの意図は微妙にスフレに伝わりきってはいないのだが、仕方のないことだった。
 不思議と口の重くなったショコラにスフレが不思議そうにする頃には、炎の騎士は一切残らず討ち果たされていた。ヴァンホーテンは結局のところ何もしておらず、他三人が魔法を使う中で、さも『自分も働いています』みたいな顔で立っていただけだ。

「それでは皆さん、これで最後です」

 大仰に腕を広げるヴァンホーテン。非日常にひたすら魅せられた民衆は、隠され続けた最後の一人の実力に期待し、湧き上がる。歓声を上げないだけで、スフレも興奮しているらしく、背伸びをして見逃すまいとしていた。

「たとえ皆さんの未来に暗雲が立ち込めたとしても、われらが晴らして道を示せると、ここに証明して見せましょう」

 その期待に、ヴァンホーテンは瞑目し、腕を突き出す。他のだれもが何も感じない中、ショコラにはわかる。何気なく差し出されたその腕にこもる、膨大な水の、土の魔力。彼が五大元素すべてを扱うのならば、ショコラが感じている魔力ですらその一端に過ぎない。
 使い方を誤ればこの広間の全員を殺せてしまうだろう力。ショコラといえど、背筋を正さずにはいられない。

「これが」

 その魔力は指先へと。密度を増し。威力を増し。ついに空間の歪みとして、誰もがそれを認識し。

「これが、私の発明《ちから》です」

 魔力の塊たる雫が、指先から滴った。
 それは、みるみる速度を得て地面に迫り、そしてはじけた。その数秒、静寂。やがて嵐のような轟音が訪れる。

 赤熱し、溶解する塔。瓦解し、それをさらに溶かし込み、溶岩として膨れ上がる。それは悲鳴を上げて後ずさった民衆の前を流動し、形を変えていった。
 それは獰猛たる爪。しなやかな前足。勇猛たる立ち姿。
 一つ形ができるたび、中から水が噴き出して自身を冷却する。じゅわぁっという音が幾重にも重なりあい、耳を聾《ろう》する。水蒸気の中から現れるのは光を映さぬ黒鉄の巨躯。

「あれは……」

 あれは、獅子だ。
 誰もがその姿を理解し、雄々しい眼に睥睨されていることを自覚した時。獅子の全身を紫電が駆けた。錆を落とすように漆黒の外皮が剥がれ落ち、純銀の輝きが視界を染める。そして、人々が再び獅子を見上げれば。

 その獅子には、命があった。

「なんで、獅子なのよ」

 ショコラは自分の右腕をかき抱いた。たとえ本当の感覚でないとわかっていても、きっちり抱き留めていなければ燃えてなくなってしまいそうなほど、右腕が熱かった。
 機械音の唸りをつけて、獅子は吠えた。ただの空気の振動ではない。すべての魔法を複合した、不可視のエネルギー波だ。立ち込めていた黒雲は自身の身体を食い合うように細切れになり、文字通り、雲散霧消する。
 最強と

 しての獅子は彼女に思い起こさせる。
 何を?

 そんなもの一つしかなかった。なかったのに、もう一つ増えてしまった。
 わたしの使うべき、強い力。
 わたしには敵わない、強い力。
 わたしの求めた――

 気づくと、スフレがショコラの右手を握っていた。
 まるで、どこかに行きそうな自分をつなぎとめるようなその力に、ショコラは思い出す。

 自分は、それを捨てることにしたのだと。

 広間の中央に立つ獅子は、いつの間にかその頭の上に五大老たちを乗せていた。ヴァンホーテンが適当な挨拶をし、民衆は熱狂で答える。しばらくそれに手を振っていたヴァンホーテンだが。いかな祭りにも終わりが来る。
 獅子は大きく体を撓めると、大きく跳躍して去っていく。ショコラは、人々の壁すら超えて届くその風圧を受け止め。獅子を見送った。

「ねぇ、スフレ」
「どうしたんですか、ショコラさん」

 ショコラはスフレの手を握り返して。

「わたし、行きたい場所がある」

 ◇◆◇

 そこは貴族の荘園の一つ。公共の場として民衆にも開放された、森林公園だ。魔法によって人工的に理想的な土壌を用意されたそこには、王都においては珍しい緑があふれていて、休日には王都の人々の憩いの場となっている。
 ショコラにとっては、かつて父と魔法の練習をした、思い出の場所。秋の夕日が余計、ショコラにいつかを思い出させる。
 貴族式典という一つの行事があったこともあり、わざわざ森林公園にも行こうというもの好きはいないようで、今日の森林公園に人の気配はなかった。これ幸いと、ショコラは道すがら買ってきた菊の花を抱えなおした。

「ここで、何をするんですか?」
「お墓参りよ?」
「なるほど、お墓参り……お墓参り?!」
「何よ、そんなに驚いて」
「だって、いくら僕たちにも開放されているといっても、貴族様の土地ですよ? いったい、ここに誰のお墓が」
「お父さんよ」
「え。もしかしてショコラさんのお父さんって」
「貴族なんかじゃないわよ。わたしが勝手に墓を建てた。それだけ」

 スフレのもっともな疑問に答えるのも面倒だと、ショコラはスフレの手を引いた。そも、おおよその説明は済んでいる。
 ここに、ショコラはチョコレィトの墓を建てたのだ。決まった住所といえば地下水道の隠れ家しかなかったチョコレィトを埋葬できる場所は限られた。公共の墓所を利用するにしても、ショコラに何年も墓を借り続けられるだけのお金はなかった。
 ショコラは自分にとって唯一の父親には、ちゃんと一人分の墓標を立ててあげたかったのだ。

 だから、ショコラはヌガーに頼んでチョコレィトの遺体を焼いてもらい、わずかな灰をこっそりと、この森林公園の中に埋めた。木のうろに隠れるように、元素魔法で墓碑を建てた。

「これが、ショコラさんのお父さんの……」
「えぇ、そうよ。残っててよかった」

 名前のない、形だけの墓碑は、変わらずにそこにあり、ショコラはほっと一息をついた。落ち葉や木くずの積もった墓碑を左手で払い、その表面に手を添わせる。名前すら書いていない、まったくもっての不愛想。

「わたし、ここに墓を建ててから、一度もここに来たことがなかったのよ」
「それは……どうして」

 ショコラは元素魔法で花鉢を作り上げ、その中へ水を注ぐ。

「さぁ、なんでかしら。あんなにお父さんの」

 仇を討とうとしていたのに。
 危うく口に出しかけて、スフレを巻き込んではいけないと口をつぐむ。背後のスフレがそこに追及を挟まないことに、感謝しつつ、ショコラは言葉を継いだ。

「いえ、ごめんなさい。とにかく、あんなにお父さんのこと好きだったのに」

 好きだったのに、なぜお墓参りすらしないのか。
 初めて父に花を供えながらそう考えて、自分が歪んでいたのだとショコラは気づいた。彼女は自分の右手にはまった手袋を取り、その火傷痕を眺める。今は不思議と、自分に似つかわしい気すらする。
 ショコラはそのままひざまずき、両手を組んで、亡き父に祈る。

「ねぇお父さん。わたし、もしかしたらお父さんの思うようないい子に育っていないかもしれないけれど。ううん、悪い子に育ってしまったけど」

 これからは、もう良い子になるから。

 これからはけして、人を殺したりなんてしないから。

 ちゃんとこの傷を抱えて、生きていくから。

「どうか、許してください」

 彼女自身にも、何を許してもらうのかわからなかったが、その言葉はするりと口からこぼれ出た。そして、彼女の中にはすっぽりとはまった言葉だった。もう、この手袋はなくてもいい気がしてくる。
 とはいえ、もう習慣になったものでもあるので、ショコラは右手に手袋をはめなおす。

「ごめんなさい、スフレ。付き合わせちゃったわ」

 スカートについた土を払いながら、ショコラは背後にいるはずのスフレに声をかける。普段ならすぐさま返事をしてくれるスフレが、珍しく何も言わなかった。そうすると、森の静けさというのはむしろ、ショコラにとって不気味だ。

「ねぇ、スフレ。もしかして、寝ちゃったの?」

 冗談めかして、ショコラは振り返る。すると、スフレはいつも通りにこやかにそこにいて、すっかり聞きなれた、安心する声を返してくれる。



 そのはずだった。

 振り返った眼前。突きつけられたナイフ。艶の消えた黒金の刃。黒づくめの人影。

「今日一日、ずっと待っていた」

 必要最低限の言葉をしゃべる、黒い人影。奥に、倒れ伏したスフレ。

「ショコラ。お前を始末する」

 理解できない状況の中であっても、ショコラに向けられたそれは間違えようもなく。
 殺気だった。

「っ!」

 殺し屋としてのショコラの本能が行動を起こさせる。左手から放たれた魔力は一条の濁流となり、目の前の黒ずくめの男を打ち抜いた。木の葉か何かのように男は吹っ飛んで、木々の間にどさりと落ちる。

「スフレ!」

 敵を倒したと見るや否や、ショコラはスフレに駆け寄ろうとして――

 咄嗟に身を引いた。
 鼻先を風圧がかすめる。投擲されたナイフだった。あと一歩踏み出していたら、自分の頭が串刺しになっていただろうと、ショコラは冷や汗をかく。いや、それより重要なのは。今のナイフは、先ほど吹き飛ばした敵とは別の方向から飛んできたのだ。

「何よ、女の子一人によってたかって」

 愚痴に答えるものはない。
 ショコラはうかつに動けなくなり、周囲の木々に目を配った。この森林で身を隠すとすれば、それは木の陰に違いなかった。けれど、敵はその姿を見せない。
 やがて視線は、最初の敵へと戻る。その男は、吹き飛ばされたその姿勢から、動こうとしない。

(気絶しているの……? いや、まさか)

 死んでいる?
 その想像が脳裏をよぎった途端、ショコラを吐き気が襲った。いやまさかと、経験が否定する。この攻撃でも、人が死ぬことはなかった。いやしかしと、理性が反論する。突然のことで、力を誤ったか、あるいは当たり所が悪ければ……
 どちらにせよ、彼女には自分の言葉の軽さが許せない。
 自分は変わるのだ。右手を握りこむ。このコンプレックスを乗り越えて、堂々と外を歩けるように。スフレと、ヌガーと、ビスキュイと、対等でいるために。
 頭を振って、葛藤を追い出す。まずはそのスフレを助けなければ

 ならば、自分のやることは一つ。殺さず、制圧する。


 自分の方針をしみこませるように、ショコラは長く息を吐いた。重心を低く、構えを取った時。

 倒れ伏すスフレの側へ、何かが転がされる。

「ばかっ!」

 あれはきっと、火薬玉だ!
 ショコラが泥水を呼びだし、スフレの周りに壁を作ったのと、爆発は同時。ショコラの視界を閃光が襲い。

 フラッシュバック。

 身を焼く炎の記憶が、身体の動きを奪う。

「つぅっ!」

 それを狙いすました一突きが背後から差し込まれる。泥水を渦と巻き、その中から高速の礫を背後に向かって撃ちだすが、手ごたえはない。引き抜かれた傷口から血のこぼれる感触に眉をひそめながら、ショコラは振り返る。
 そして、目を見開いた。

「驚いた。双子か何かかしら」

 そこにいたのは、ショコラが吹き飛ばしたのと同じ黒ずくめの男だった。口まで黒い布で覆っているから、もしかしたら別人なのかもしれないが、それにしては声が似すぎているとショコラは思う。背格好まで全く同じなのだ。

「違うな」

 やはり必要最低限の言葉しか返さない男。

「ちょっと。そんなに素っ気なくして、レディに失礼だとは思わない?」
「……」
「あぁ、そう。思わないのね。だったら!」

 ショコラは苛立たしげに腕を振る。

「パレ!」

 先ほどと同じ泥水の渦が、今度は六基。彼女の背後に現れる。
 かわるがわる連射される礫は、今度こそ敵の身体をとらえる。腕を撃ち、脚を撃ち。穴を穿つことはできずとも、骨を折ることはできる威力。
 だが。

「うそ、なんで止まらないのよ!」

 黒ずくめの男は、かまわず歩み寄ってくる。礫は確実にその肢体をとらえ、抉り始めている。
 まるで、痛みなど感じぬように。
 頭を撃つしかないと、動かしかけた照準を慌てて戻す。殺しては駄目なのだ。
 その逡巡のうち、ついに男の間合いに入ってしまう。

「そうか、お前」

 男は低い声で言う。
 ショコラは男が抉れた腕を振り上げるのを、その傷口から砂粒がこぼれるのを見て気づく。

「人を殺すのを、やめたのか」

 自分が戦っていたのは、土人形なのだと。

 すぐさま照準を頭部に合わせようとする。間に合わない。背後に展開した砲門は、自分の身体に遮られて至近を狙うことができないから。
 ショコラは自分の首筋へ迫る、黒金の刃をルビーの瞳に映す。

 自分の首筋から飛ぶ血飛沫を幻視する。

 その時、陽炎が揺らめいた。
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