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チョコレィト編-修道服を着ているから、修道士なのではない
第三十三話 自失
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「ショコラさん、朝ですよ」
朝、スフレの声で目が覚める。
窓から差し込む朝日にはやっと慣れてきて、自分でカーテンも開けられるようになった。レディとして、いつまでもスフレに寝顔を見られてるわけにもいかないから。
いつも通りの朝だ。まるで、昨日のことが全て夢だったよう。
背伸びをして、軽く手櫛で髪を整えて、戸を開ける。硬い面持ちのスフレ。
「――ごめんなさい! 昨日は僕、全然足手まといで……」
「あぁ、いいのよ。むしろ、わたしのせいだもの」
やはり、夢ではなかった。
ひたすら謝り倒すスフレを宥めすかして、やっと頭を上げさせる。最後にもう一度だけ頭を下げて、朝食の準備のためにキッチンへ向かう後ろ姿。首筋に、くっきりと青黒い痣があった。目を逸らした。
朝食の席には、ジェラートとヌガーがいた。
ショコラは、自分の探し求めていた仇を知って、謎の目眩に襲われるままベッドに潜り込んでしまったので知らなかったが。彼らは夜通し、一階で何事かを話していたらしい。
「ショコラ。俺はジェラートと組むことにした」
その結果だけを、端的に聞かされる。
「別にいいですよね。復讐、やめたんですし」
「えぇ、そうね」
だからショコラも端的に答えた。
硬いパンをちぎっては口に運ぶ。単純作業の繰り返しの中で、喋ったのはその一言だけ。
ジェラートはつまらなさそうに、鼻を鳴らしていた。
食事も終えて、習慣に導かれるまま一階に降りると、ビスキュイが忙しくしていた。横をすり抜けようとすると、声をかけられた。
「元気かい?」
それだけ言われた。だから、ショコラも「元気よ」とだけ返した。
いつものように洗い物をする。桶を持って裏口から外へ出た。はたと気づく。
頭巾も手袋も、忘れていた。
珍しく人が通って、みすぼらしい無精ひげの男、じろじろとショコラを見て、通り過ぎた。
「なんだ」
こんなものか。
こんなものなのか。
裏路地の、区切られた空。太陽はその端っこにいて、余計にまぶしい。
それが嫌で、ショコラは歩き出した。
大通り。朝の活気はうるさいくらい。
歩いてみると、気づいた誰もがショコラを見た。
無関心、あるいは同情、ないしは共感。
「ねぇ、ちょっと」
恰幅のいい、見知らぬおばさん。
「大丈夫? どうしたのそれ」
「えぇ、たいしたことないわ」
「たいしたことないって……」
虐待でも疑っているのじゃないか。
気遣わし気に困り顔の彼女を、ショコラは通り過ぎた。
誰も、彼女を責めない。
誰も、彼女を醜いと言わない。
誰もが、彼女を可哀そうだと思っている。
ショコラは足を速めた。気に食わなかった。
途中、一つの商店で足を止める。アクセサリーの類を扱う、雑貨屋だ。
スフレが、シルバーアクセサリーを買ってくれた店。
反射的に胸元を探って、そういえばどこに行ったのだろうと、ショコラは思う。
昨日、式典の間は身に着けていた。お父さんの墓に行って、クリオロに襲われて。
そのあとはわからない。
「はっ」
ショコラらしくない、嫌味な笑い。
そうして自分を笑って、ショコラは再び歩き出す。
馬鹿らしかった。
何も知らなくて。馬鹿で。弱くて。情けなくて。誇りもなくて。理由も忘れて。守れなくて。守られて。心配されて。奪われて。失くして。言い訳をして。隠して。
ショコラ自身でも判別のつかなくなった感情が、うずを巻いて彼女の中にある。
その遠心力がすべて吹き散らしてしまうから。ショコラには何も残っていない。
夢は捨てた。自分に期待もなく。
無気力に歩くわたし、リビングデッド。
失くした自尊心を追いかけて、土に還るのも悪くない。
あてどなく足を引きずり、そんな自分の身の程を街の中に描き出す。
哀れなバケモノは、侮蔑するまでもないから、心配されるのだ。
帰ろう。でも、帰りたくない。
ショコラの足は、郊外へと向かい、ぼろぼろの石造りにたどり着く。
地下水道へ通ずる階段の、その出入口だ。開け放しの、暗く湿った匂いに包まれる。
備え付けのたいまつを拝借し、火打石で着火。それを頼りに歩きなれた道を歩けば、すぐに実家《・・》へ着いた。
今でもお父さんの声、顔、すべてを思い出す、不愛想な鉄門扉。
精一杯力を込めて、重い扉を押し開き、二重扉のもう一つまで押し開くと。
「あらぁ。こんな場所に、どなたかしら」
熟れたイチジクの匂いのする、痛みきった銀髪。
見知らぬ先客が、どうしてかそこにいた。
朝、スフレの声で目が覚める。
窓から差し込む朝日にはやっと慣れてきて、自分でカーテンも開けられるようになった。レディとして、いつまでもスフレに寝顔を見られてるわけにもいかないから。
いつも通りの朝だ。まるで、昨日のことが全て夢だったよう。
背伸びをして、軽く手櫛で髪を整えて、戸を開ける。硬い面持ちのスフレ。
「――ごめんなさい! 昨日は僕、全然足手まといで……」
「あぁ、いいのよ。むしろ、わたしのせいだもの」
やはり、夢ではなかった。
ひたすら謝り倒すスフレを宥めすかして、やっと頭を上げさせる。最後にもう一度だけ頭を下げて、朝食の準備のためにキッチンへ向かう後ろ姿。首筋に、くっきりと青黒い痣があった。目を逸らした。
朝食の席には、ジェラートとヌガーがいた。
ショコラは、自分の探し求めていた仇を知って、謎の目眩に襲われるままベッドに潜り込んでしまったので知らなかったが。彼らは夜通し、一階で何事かを話していたらしい。
「ショコラ。俺はジェラートと組むことにした」
その結果だけを、端的に聞かされる。
「別にいいですよね。復讐、やめたんですし」
「えぇ、そうね」
だからショコラも端的に答えた。
硬いパンをちぎっては口に運ぶ。単純作業の繰り返しの中で、喋ったのはその一言だけ。
ジェラートはつまらなさそうに、鼻を鳴らしていた。
食事も終えて、習慣に導かれるまま一階に降りると、ビスキュイが忙しくしていた。横をすり抜けようとすると、声をかけられた。
「元気かい?」
それだけ言われた。だから、ショコラも「元気よ」とだけ返した。
いつものように洗い物をする。桶を持って裏口から外へ出た。はたと気づく。
頭巾も手袋も、忘れていた。
珍しく人が通って、みすぼらしい無精ひげの男、じろじろとショコラを見て、通り過ぎた。
「なんだ」
こんなものか。
こんなものなのか。
裏路地の、区切られた空。太陽はその端っこにいて、余計にまぶしい。
それが嫌で、ショコラは歩き出した。
大通り。朝の活気はうるさいくらい。
歩いてみると、気づいた誰もがショコラを見た。
無関心、あるいは同情、ないしは共感。
「ねぇ、ちょっと」
恰幅のいい、見知らぬおばさん。
「大丈夫? どうしたのそれ」
「えぇ、たいしたことないわ」
「たいしたことないって……」
虐待でも疑っているのじゃないか。
気遣わし気に困り顔の彼女を、ショコラは通り過ぎた。
誰も、彼女を責めない。
誰も、彼女を醜いと言わない。
誰もが、彼女を可哀そうだと思っている。
ショコラは足を速めた。気に食わなかった。
途中、一つの商店で足を止める。アクセサリーの類を扱う、雑貨屋だ。
スフレが、シルバーアクセサリーを買ってくれた店。
反射的に胸元を探って、そういえばどこに行ったのだろうと、ショコラは思う。
昨日、式典の間は身に着けていた。お父さんの墓に行って、クリオロに襲われて。
そのあとはわからない。
「はっ」
ショコラらしくない、嫌味な笑い。
そうして自分を笑って、ショコラは再び歩き出す。
馬鹿らしかった。
何も知らなくて。馬鹿で。弱くて。情けなくて。誇りもなくて。理由も忘れて。守れなくて。守られて。心配されて。奪われて。失くして。言い訳をして。隠して。
ショコラ自身でも判別のつかなくなった感情が、うずを巻いて彼女の中にある。
その遠心力がすべて吹き散らしてしまうから。ショコラには何も残っていない。
夢は捨てた。自分に期待もなく。
無気力に歩くわたし、リビングデッド。
失くした自尊心を追いかけて、土に還るのも悪くない。
あてどなく足を引きずり、そんな自分の身の程を街の中に描き出す。
哀れなバケモノは、侮蔑するまでもないから、心配されるのだ。
帰ろう。でも、帰りたくない。
ショコラの足は、郊外へと向かい、ぼろぼろの石造りにたどり着く。
地下水道へ通ずる階段の、その出入口だ。開け放しの、暗く湿った匂いに包まれる。
備え付けのたいまつを拝借し、火打石で着火。それを頼りに歩きなれた道を歩けば、すぐに実家《・・》へ着いた。
今でもお父さんの声、顔、すべてを思い出す、不愛想な鉄門扉。
精一杯力を込めて、重い扉を押し開き、二重扉のもう一つまで押し開くと。
「あらぁ。こんな場所に、どなたかしら」
熟れたイチジクの匂いのする、痛みきった銀髪。
見知らぬ先客が、どうしてかそこにいた。
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