ダーカー・ザン・チョコレィト 〜魔法少女の復讐、甘い香りとともに〜

浜能来

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チョコレィト編-修道服を着ているから、修道士なのではない

第三十二話 正体

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 パティスリーまでの道のりは、そう遠くない。ただ、祭りの熱気を覚ますように、今日は人通りが多いから、人目を避けて歩こうとすれば遠回りが増えてしまう。今も、人ひとり分の横幅しかない裏路地をショコラを先頭に歩いているところだ。
 その道中、なんだかんだと言いつつも、ジェラートはショコラに自分の現状というのを語って聞かせてくれた。時折、気恥ずかしそうにする彼女に対し、ショコラもからかいを返す機会はあったのだが、いかんせん体調がすぐれない。

「私は、誰かにとってのチョコレィトさんになりたいんです。散々悪いことをしましたから、私はどこまで行っても悪人ですけど。盗賊よりは義賊のほうがマシなのと一緒で、少しはマシになれるでしょう」
「自分勝手ね。結局、あなたは守るために魔法を使うんでしょ? 守る分だけ、人を傷つけるわ」
「だから言ったでしょう。私は悪人だって。あなたも、そうだったんじゃないですか」
「……そう、ね」

 背中からかかる言葉は、自分を押しつぶすように重かった。
 確かに少し前までの自分は、『悪い子』であることを受け入れて、開き直っていた節がある。あの頃持っていた心の熱を失ってしまって、今では自分の思考が理解できない。開き直って、ショコラは多くの違法貴族を傷つけ、あるいは殺してきたのだ。

「純粋に、私には疑問があるんです」
「疑問?」
「えぇ、私も赤裸々に語ってあげたんですから、ぜひ答えてほしいところではあるんですけど」
「言ってみればいいじゃない」

 とはいえ、もはや歩くのに精一杯。応急処置として焼いて塞いでもらった背中の傷が突っ張るたびに、意識を一かけら掬い取られていくような心地がしている。何を聞かれても、ぼうっと答えてしまいそうだ。

「あなたは、なんで復讐をしていたんですか?」
「なんでって」
「嫌いなんでしょう? チョコレィトさんのこと」
「嫌い? ……それは、嫌いなところの一つや二つ、誰にでもあるけれど」
「いや、そうじゃなくてですね」
「そうじゃなくて、何よ」
「自分を置いていったチョコレィトさんが、嫌いなんでしょう?」
「……だったら、何よ」

 ショコラは否定をしない。
 それはそうだ。人間だれしも、相手のすべてが好きなわけではない。ヌガーのように嫌いな部分のがよぽど多い人間もいるが、あれほどではなくても、一緒にいれば一つや二つ嫌いな部分があるだろう。
 ショコラにとってはそれが、『自分を置いて死んでしまったこと』であるというだけ。

「だったらって、わかりませんか? それっておかしいんですよ」
「何が?」
「だってほら」

 なのに、それをわざわざ掘り返す意味が分からなかった。ショコラの父を想う気持ちにケチをつけるのかと、ショコラは身構えるのだが。

「それが本当なら、復讐しようとは思わないでしょう」
「――え?」
「なんですか、間抜けな声出して。初めて気づいたんですか?」

 ジェラートの指摘は、ショコラにとって予想だにしないものだった。

「だって、すごく端的に要約すると、死んだからチョコレィトさんが嫌いなんですよね。それって、チョコレィトさんが死んだのは、チョコレィトさんが悪いからだと思ってるからじゃないんですか?」
「……」
「だったら、復讐なんて思いつかないはずなんですよ。だって、悪いのはチョコレィトさんなんですから」
「それは」
「もちろん、世の中簡単じゃないですから。片方だけが悪いなんてないでしょう。チョコレィトさんも悪いけど、殺したやつも当然悪い。だから償わせる。わからない話じゃないです。ですけど、あなたから感じた、復讐の意志と、お父さんが嫌いだという感情は、そんな中途半端なものじゃなかったと思います」

 人々の雑踏の遠い裏路地で、ジェラートの言葉を聞き逃すことはできなかった。細い裏路地は折れ曲がるばかりで、何か迷宮にとらわれた気分になる。夜風はもはや、肌寒い。ショコラの足取りは早くなって、ジェラートが不満を漏らすが、そのうえで話を続ける。

「私は、単純にチョコレィトさんを殺したことが許せないから、復讐をします。パティスリーに行くのも、その覚悟を固めるためです。ですから、復讐をやめたあなたに、何か思いが残っているのなら、それは私が持って行ってあげることもできるんです」

 ショコラの足元で、硬い感触がつぶれる。どうやら、コガネムシか何かを踏み潰したらしい。最悪の感触。

「だから、教えてください」

 何もかも最悪だった。

「あなたは、どうして復讐をしていたんですか?」
「それを忘れてしまったから、復讐をやめたのよ」

 ぴしゃりと答える。
 結局は、人を殺さず良い子になろうと誓いも、復讐をしないならという考え方で選んだ、消極的な選択に思えてしまうから。自分の選択は決して立派なものではなく、ただ逃げるためのものだったから、その逃げ切れなかった分が今自分の後ろで担がれている、スフレに降りかかったに違いない。

「そうですか。まぁ、そうですよね」

 そう曖昧に口にして、ジェラートはそれきり興味を失ったらしい。道も大通りに差し掛かってしまって、ぐったりした少年を担ぐ女性冒険者と、青白い顔にひどいやけどを負ったフラフラの少女という取り合わせは、こそこそと、そそくさと、早足に通り抜ける。
 やっとこさ、パティスリーには到着しそうだが、そこでビスキュイにどんな顔を向ければいいのか。彼女やスフレと生きるために、お父さんのお墓で誓いをたてて、決別をしてきたはずなのに。皮肉が効きすぎていて笑えない。
 そしてそういう時ほど、時間は早く過ぎていくのだ。

「ほら、ついたわよ」
「えぇ、ありがとうございます」

 パティスリーの前に立つ。すでに店は閉まっているようで、厨房の奥から漏れる明かりが窓ガラス越しに見えていて、ビスキュイがそこにいると示している。気づかず、ショコラは唾をのんでいた。暖かい木製の店構えは、夜を化粧とした今は少し不気味に見える。

「どうしたんですか。入っていいんですよね?」
「えぇ。えぇ、もちろん」

 しびれを切らしたジェラートが木戸に触れるまで、ショコラは早鐘のような自分の鼓動をただ聞いていた。
 ジェラートに続く形で店にはいる。鉄色の小さなベルが、歓迎の音色を鳴らした。するとすぐに、ビスキュイが顔を出して、厨房だけから漏れる光の中を、影がぬぅっと伸びてくる。

「なんだい。ずいぶん遅くまで遊び歩いて――」

 そして、その影を踏みつけるジェラートの姿に、というより、その背に負われたスフレの姿に、しわの刻まれた目尻を吊り上げる。

「あんた、スフレに何をしたんだい」
「待って、おばさま。違うのよ」
「……ショコラ? ショコラ、どうしたんだ。顔が真っ青だよ!」
「公園で、急に襲われて。ジェラートは、私たちを助けてくれたの」

 一触即発の気配に、ショコラは慌てて前に出た。自分の体調も忘れて飛び出たものだから、あわや転びそうになったところを駆け寄ってきたビスキュイに支えられる。彼女は、抱きかかえたショコラの顔と、ジェラートとの顔を見比べる。

「初めましてですね、ビスキュイ・バーナン」
「なぜ、その名前を知ってるんだい」
「それは知ってますよ。バーナン家唯一の女傑、ビスキュイ・バーナン。男尊女卑のバーナン家にあって、その才覚で立場を得たのはいいものの、結局バーナン家の面倒を体よく押し付けられて、今は裏ギルドの長をしているなんていうのは、私のいたところでは有名でした」
「……ショコラ。この生意気な娘、何者だい」
「あいつは、クーリ・グラスよ。だけどもう、コンディトライは抜けたって……」
「はん、ヌガーの話は本当だったって事かい」

 すぐ近くで行われているはずの会話も、ショコラには遠く聞こえていた。ビスキュイの腕の中は不思議と暖かくて、瞼が重くなる。すぅっと落ちかけた意識を慌てて引き戻すと、ビスキュイと目が合った。その瞳には常の厳しさがなくて、まるで会ったこともない母親のようだと、ショコラは感じた。
 その包容力に思考をゆだねてしまったうち、話は進んでしまう。

「とりあえず、話はスフレとこの子を上に寝かせてからだ。いいね?」
「もちろんです。私だって、そんな辛そうな女の子を見ながら話すのは辛いですから」
「ちょっと。こんなにされたんだから、わたしだって話は――」

 慌てて、自分がのけ者にされるのを避けようとするショコラだが。

「黙りな!」

 ビスキュイに一喝されて、何も言えなくなってしまった。ここしばらく、ショコラは彼女と一緒に暮らしてきて、その怒りっぽさにも慣れたつもりだったが、それでも背筋が伸びた。
 丸くなった目でショコラがビスキュイを見ると、彼女は珍しくバツの悪そうな顔をする。

「お前が話を聞くにしろ聞かないにしろ、まずはその汚い身体を何とかしてからだよ。傷口から悪いもんが入って、それで病気になるやつもいるんだ。食器洗いが病気だなんて、シャレにならないじゃないか」
「珍しい。鬼の目にも涙とはこのことだな」
「なんだい、やっと出てきてうるさいね!」

 気づけば、どこからかヌガーも現れていて、横からショコラの顔を覗き込んでいる。ショコラが視線で問いかけると、ヌガーは顎をさすりながら答えた。

「いや、ここで待っていれば惚気に惚気きったお前さんという、珍しいものでも見れるかと楽しみにしていたんだが。こっちのほうが来るとは思わなかった」
「何よ。悪かったわね」
「あぁ、悪いさ」

 ヌガーは黙ってショコラの腕を取り、引っ張り上げる。ヌガーは器用に体を回して、気づけばショコラを背負いあげていた。

「そんな顔は一度見たら見飽きるからな。二度もカラスを食べたがるものはいないと、よく言うだろう。そういうことだ」
「……それ、前に『誰もが一度はカラスを食べたがるが』ってついた気がするんだけど」
「気のせいだ」

 そんな軽口を交わす合間にも、ヌガーは階段を上り始めている。

「大人って、みんな不器用なんですかね」

 後に続いてくるジェラートが呟いた。

 ◇◆◇

 その後、結局目を覚まさないスフレはベッドへ寝かし、ショコラはビスキュイの助けを借りて、簡単に体を濡れ布巾で拭った。汗と泥に重くなり、そこに血の匂いのしみた衣服を着替えると、それだけで気分が入れ替わる。依然、体の芯に疲労の残るショコラだが、会話を聞くうちに眠りこけてしまうなんてことはなさそうだった。
 いつもはビスキュイとスフレ、ショコラとで囲む食卓を、今日はジェラート、ヌガー、ビスキュイ、そしてショコラで囲む。机の中央には燭台が置かれ、ビスキュイに出されたティーカップの中の紅茶は、炎の揺らめきに宝石のように煌めいている。
 ショコラはカップを取り、口元に運ぶ。鼻先が湿り、茶葉の香りが染み込んでくる。一口含んで、ほうと一息。斜向かいの席に着いたビスキュイが、「さて」と口火を切る。

「それじゃ、前置きはいらない。早速要件から話してもらおうじゃないか」
「えぇ、そうですね。私も、バーナンの人間が目の前にいると、いつ手が出るかわかりませんし」
「粗野になったか、ジェラート。いくら憧れているとはいえ、チョコレィトのやつの悪いとこまで真似る必要は、俺はないと思うんだがね」
「う、る、さ、い、で、す」
「そうよヌガー。あなたが出てくると、進む話も進まないわ」
「驚いた。孤立無援はジェラートじゃなく、俺だったのか」

 会話の腰を折ろうとするヌガーが、二人横並びで視線の圧をかけるショコラとジェラートに両手を上げて降参したところで、ジェラートが唇を湿らせる。

「私はここに、チョコレィトさんの復讐のために来ました」
「復讐? それで、何でここに来るんだい。ここには仇もいないし、ショコラやあそこのロバみたいな男が何も動いていない以上、手掛かりだってないんだ」
「いえ、手掛かりは探していません。私、目星はもうついていますし」
「へぇ、そうなの。すごいじゃない」

 ショコラは素直に感心してしまった。何せ、自分がずっと追い続けていていたのが、まさにその仇である。

 素直に感心してしまったのだが、あまりにさらりとジェラートが言った言葉の意味を、脳がようやく呑み込んだ。がたりと椅子を揺らして、ショコラが立ち上がる。

「……え? ちょっと待ってジェラート。あなた、今、なんて?」
「なんでって、そんなに意外ですか? 私はあなたのお父さんの仇を知ってるって言ってるんです」
「う、嘘よ! あなた、この前お父さんが死んだのを知ったのに、早すぎるじゃない!」
「いやそれは、本当に偶然ですね。運がいいとは、けして言えませんけど」
「本当に、本当なの……?」
「えぇ、本当です」

 すまし顔のジェラートの横顔には、やはり一切のウソは見えない。

「それが、お前さんがコンディトライを抜けた理由につながっていると、そう思っていいのか?」
「えぇ。さすが、察しがいいですね」

 困惑するショコラをよそに、ヌガーが会話の軌道を修正する。彼に身振り手振りで落ち着けと諭されて、ショコラもまた席に座りなおす。

「とにかく。私がコンディトライを抜けたのは、そのコンディトライのリーダーこそ、仇だったからです」
「お父さんの、仇……」

 名前もわからないのでは実感もわかないが、井戸の底に金貨を見つけた気分だった。ふわふわとして、実感というものはまるでない。指先でつついて確かめるように、ショコラは質問をした。

「コンディトライって、確か違法貴族と外国の商人の仲介をしている組織よね」
「えぇ、そうです。違法貴族と絡むものですから、当然裏ギルドの一員として動いていたチョコレィトさんがどこかで衝突していてもおかしくはないんです」
「その結果、お父さんが負けて、殺された」
「そういうことですね。ただ疑問なのが、私とも滅多に直接会わなかった、警戒心の強い『あの方』が、チョコレィトさんと偶然、直接戦ったとは思えないことです」

 ショコラが道中聞いた話とそれは符合した。あの黒ずくめの男、クリオロが連絡役となっていたのだ。

「あぁ、なるほど。つまり、お前が確かめたいことは」
「そうです。チョコレィトさんが最後に受けた依頼、その詳細を教えてください」
「おい、あんたたち。このアタシを置いて話を進めるんじゃないよ」
「そ、そうよ! なんで、お父さんの受けた依頼がそんなに大事なのよ」

 とんとん拍子に進む話に、ビスキュイが待ったをかける。ショコラも正直、急に話が飛んだ感覚がしている。
 ヌガーとジェラートはたがいに目を見合わせ、ヌガーが説明係という大役を押しつけるように手を差し出すから、ジェラートはため息一つ、話し出す。

「さっきも言った通り、『あの方』はとても慎重です。私も、拾ってもらったその時と、あとは数回しか会ったことがないんです。だから、仇であると言われはしましたが、疑う気持ちも残っています」

「まぁ、私の恩人だから、というのもあるかもしれませんが」と、ジェラートは言葉を濁す。首を振って、気を取り直した。

「では、なぜチョコレィトさんは『あの方』を見つけることができたのか。そこのヌガーさんが優秀だったというのも一つ、あるかもしれませんが」
「それはないな。俺は攻めるべき場所までは絞り込んだが、正体までは掴んじゃいなかった」
「でなければ、ショコラちゃんが仇を探していた説明がつかないですからね。チョコレィトさんの側には、彼のもとにたどり着ける要素が薄いんです」
「そこまでは、わかるけれど」

 それでどうして、依頼の確認という話になるのか。
 ヌガーがその依頼にあった情報を基に調べて、それで正体がわからなかったのだから、今更依頼の内容に立ち戻ったところで、何の価値もないように、ショコラは思う。同じ思いなのか、ビスキュイも眉間にしわを寄せて聞いていた。
 そんな様子に興が乗ったか、急にヌガーが会話を引き継いだ。

「つまり、このお嬢さんが考えているのはこうだ。チョコレィトがそいつのもとにたどり着いたという仮定がそもそもの間違いで、本当は逆だったんだろうと。『あの方』とやらの方から、チョコレィトをおびき寄せていて、あの馬鹿はそれに引っかかっただけだと。そうだろう?」
「えぇ、そしてそのために一番手っ取り早いのは――」
「自分で自分の討伐依頼を出すことだって、そう言いたいんだね」
「えぇ、そうです」

 我が意を得たりとうなずくジェラート。正解を述べてしまったビスキュイは苦々しく、頭を抱えた。

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
「どうした、ショコラ」

 ヌガーはまるで元から知っていたかのように落ち着いているが、ショコラはそうもいかない。なぜって、パティスリーという裏ギルドは貴族が自分たちの不祥事をもみ消すために作った、懐刀とも言いうる機関だ。そこに依頼を出すためには、それなりの身分が必要となる。

「お父さんを殺したのは貴族だって、そう言いたいの?!」
「えぇ、そうです。それも、あなたも知っているくらいには位の高い」

 最悪の気分だった。もしそうならば、自分は父の仇を探すと言いながら、その父の仇のために人を殺していたことになってしまう。

「位の高い……?」

 その時、不意にビスキュイが机をたたく。

「それは、冗談で言ってるのかい?」
「それが、位が高いなんてものじゃないという意味なら、確かに冗談みたいな言い回しでしたね。すみません」
「待って。待って待って待って。まさか、まさかよね」

 閑職に回されたとはいえ、仮にも五大老の一角たるバーナン家に属するビスキュイが、あの狼狽えようだから。ショコラの頬を冷や汗が伝う。
 思い出されるのは、魔法演舞の一場面。集まった王都の民全てを威圧した、咆哮。銀色に輝く美しき獅子。
 その姿が、亡き父の魔法《ピエスモンテ》に重なって。

「そのまさかだ。ショコラ」

 あぁ、あの魔法は。

「お前の父の仇は、ヴァンホーテン卿。五大元素を従える、最強の五大老だ」

 あの魔法は、父の魔法の模造品なのだ。
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