ダーカー・ザン・チョコレィト 〜魔法少女の復讐、甘い香りとともに〜

浜能来

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チョコレィト編-修道服を着ているから、修道士なのではない

第三十六話 突然

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「お義母さん! ショコラさんが!」
「どっか行っちまったのかい? あのバカタレ」

 パティスリーの裏口から入ってきたスフレは、顔を青くして叫んだ。その手には、ショコラがそのまま置いていったのだろう、洗い物の桶が抱えられている。
 祭日が終わった、その直後だ。客の一人だって来るはずもないと、カウンターの内に椅子を持ち込んで腰を下ろしていたビスキュイは、ため息をこぼす。

「どうしましょう……! 僕、近くを探してきます!」
「やめときな。どうせもう近くにはいないよ」
「そんな、わからないじゃないですか」
「わかるんだよ。今のあの子なら、どこに行くかくらい」
「なら、教えてください」
「イヤだね」

 スフレが珍しく、自分に詰め寄ってくるのを、ビスキュイはないまぜの気持ちで受け止めた。

 スフレの気持ちが、痛いほどわかる。この子の首筋についた青痣は、何よりその心を痛めつけているに違いない。例えまだ子供であっても、自分の好きな娘を、自分で守れなかったことを証明する傷だ。
 そして、普段自分の気持ちを優先しないこの子が、ここまで気持ちをむき出しにするのを聞き入れてやりたい気持ちも――癪であるとは思いつつも――ビスキュイは持ち合わせていた。
 この美しい少年は、やはり美しい心根で、人の助けになりたがっている。

 だが、しかし。

「お前が行って、何になるってんだい。スフレ」

 多少形は変われども、ビスキュイの想いが言葉になった。
 スフレは雷に打たれたように硬直する。震える指先が青痣をなぞり、行き場を失った感情で、彼は服の裾を握り潰している。
 ビスキュイは、彼の銀髪に指を通した。

「スフレ。お前はいい子だろ。今日はもういいから、上に行って休んでな」

 普段使わない声色で語りかけると、ややあって、こくんと首が縦に振られた。出来の悪い首振り人形のようなぎこちなさ。そのままスフレは、何も言わずに二階へと消えた。
 足音と、階段の踏板の軋みが沈黙を縁取る。

「あーあ。あんな可愛い子供を泣かせて、いい趣味してますね。血も涙も蒸発したバーナン家っていうのは、あながち冗句ではないんですか?」
「やかましいね。盗み聞きとは感心しないよ」
「いや、盗み聞きって」

 そこに茶々を入れたのは、ジェラートだった。
 ヌガーと組んだのはいいものの、肝心の彼が「やることがある」と一人で出て行ってしまったので、置いてけぼりを食らった形だ。カウンターの反対側にしゃがみ込んで、ショウケースの中のお菓子を眺めていた彼女が今の会話を聞いていて当然なのだが。
 これまた当然、今の会話を聞かれて気持ちいいものではない。

「まぁでも」

 だのに、この胸ばかり大きい小娘は「うんしょ」と立ち上がって、いらん口を回す。暇なのだろう。

「確かに、今あの少年が外に出ても、危ないかもしれませんからね。少なくとも、彼を人質に取ればショコラちゃんはイチコロ」
「そんなこと、言ってないだろ」
「そういうこと、言いたかったんですよね」
「……ふん」

 本当に、余計なことばかり言う娘だが、ビスキュイは反論できない自分のこともまた、腹立たしかったりする。視線を逸らしたまま、思案に沈む。

 彼女の言う通り、スフレにショコラを探しに行かせない唯一の理由がそれだ。ショコラはどうせ、チョコレィトとの思い出が残るあの家にいる。ヌガーすら掠め取られてしまったアレには、それくらいしか縋れるものはないのだから。
 地下水道に位置する、あの鬱屈とした場所に一人でいて、明るくなる気持ちなどありはしないだろうに。

 ビスキュイだって、ショコラを一人にさせておくのは不安だ。彼女が狙われないとも限らない。

 だが、ビスキュイがここを離れることもまたできない。
 スフレを失ったクリオロという男が、本当にヴァンホーテンと繋がっているのなら。このパティスリーという場所は、もはや敵の手中とすら言える。スフレのことを心配するのなら、同じ道理でビスキュイがここを離れる選択肢は存在しない。

 流石に、バーナンの一家に連なるビスキュイの店を荒らして、無駄な諍いを呼び込むヴァンホーテンとも思えないけれど。

「じゃあ、仕方ありません。私が行ってきますよ」
「はぁ?」

 眉間に皺を寄せていると、不意にジェラートがそう提案してきた。

「だって私が適任でしょう。どうせ狙われていて、腕も立って、何より暇です」
「それは否定しないが――」
「否定しないけど、なんですか?」
「いやね、お前がそこまでする理由が良くわからなくてね。お前、シミュラクラ・バーナン、だろう?」
「あぁ、そんなことですか。いえ、全然ではないんですが」

 バーナン家の贋作シミュラクラ・バーナン

 この魔導王国エウロパにあって、バーナン家は軍事を司る名門であり続けていて、その象徴こそバーナン家に流れる火と風の二重血統だった。浅はかな貴族はその血統さえ獲得できればバーナン家の地位をかすめ取れると勘違いし、元素魔法適正で妻を選び、生産した子供に夢を見る。
 だが、二重血統は父と母にそれぞれの適性があれば必ず生まれるわけでもなく、また、その修練法もバーナン家にしかなく。結局、夢は夢のままとなる。
 そして、身の程知らずの夢を抱いた罪として、バーナンの炎に焼かれる。

 ヌガーから、クーリ・グラスの正体としてジェラートの背景を聞いていたビスキュイには、彼女もまた、貴族社会の闇の中に消えていった贋作たちのうちの一人だと、わかってしまった。バーナン家などというものが存在したから、生まれた瞬間に人生を狂わされた子供たち。

「なら、アタシに思うことの一つや二つ、あるんじゃないのかい?」

 椅子に座ったまま、ジェラートを見上げる。
 彼女がショコラのために動く必要はもはやなく、ビスキュイに助け舟を出すという観点では、動かない理由の方があるだろう。
 ビスキュイの視線は、言葉以上のものを見透かそうとしていた。

「そりゃあ、一つや二つありますけど」

 その言葉に嘘はないのだろう。ビスキュイのほじくり返すような聞き方に、ジェラートはカウンターの板面を指でコツコツと叩いている。

「別に、あなたのために動くわけでは、まったくもってないですからね」
「ほう?」

 ビスキュイが続きを促す。指先のリズムが止まる。
 ジェラートの視線が天井へ、その上の二階へと向けられた。

「あの少年のためですよ。私はヒーローになりますので、ああいう善良な子は放っておけないんです」

「……」
「……」

「え、真面目に言ってるのかい?」
「冗談だって思ったなら思ったで、ちゃんと冗談として扱ってくれません?!」
「あぁいや、すまないね。身近にアイツがいるせいで、冗談は聞き流す癖がついていけないよ」
「え、今ヌガーさんと一緒にされたんですか。ウソですよね」

 いっそわざとらしいくらいに、あんぐりと口を開けて辟易するジェラート。
 確かにアイツという言葉の裏に想像していたのはヌガーだったものだから、反射的に申し訳なさを感じて、ビスキュイはふと思い返した。茶化されたのは自分の方なのだから、それでは立場が逆じゃないかと。
 しかし、「え、ほんとに嫌なんですけど」と確認を取ってくるジェラートは、真面目に答えたうえで冗談と言われ、その上ヌガーと重ねられたからこそ、本気で拗ねているようにも見えた。

「くくっ……!」

 そう考えると、真意を探ろうと問答を仕掛けた自分が、なんだか急に年より臭い。
 そしてついでに、笑いが漏れた。

「ははっ、ヒーローかい。大きく出たねぇ。確かにヒーローなら、あの子を助けるだろうさ」
「むぅ。なんだか不本意ですけど、納得いただけたということでよろしいでしょうか?」
「あぁ、すまないね。探るようなことをして」
「いいですよ。私なんてあなたからしたら、不審者みたいなものですよね」

 高笑いするビスキュイに、ジェラートは不満げに、腰に下げた剣の柄頭をなでた。
 彼女はバカだった。ビスキュイは好ましいものとしてそのバカさを受け取って、そのバカさが感じられたなら、別にいいかと思えた。それは、チョコレィトにかつて感じたものと同じだったからだ。

「まぁ、さっきのは半分冗談ですが」

 ジェラートが照れ隠しのように付け足す。

「私はあの子を羨ましく思うんです」
「羨ましい?」
「だってほら、彼には子供思いの素敵なお母さんがいるじゃないですか」

 ウインクを交えたジェラートの言葉を、最初ビスキュイは理解していなかったが。わかってしまえば、今度はビスキュイが照れ隠しをする番だった。怒鳴り飛ばして済まそうとして、しかしそれでは自分が『素敵なお母さん』とやらであると認めたようで。言葉に窮し、「ぐぅ……」と喉から音が漏れた。負けだった。

「ショコラのところに行くなら、地図がいるね。取ってくるよ」

 であれば、そう言って逃げるしかなかった。「ゆっくりで大丈夫ですよ~」と、したり顔で見送ってくるジェラートを、心の中で炙ってやりながら。厨房を通って、その奥にある倉庫のそのまた奥、裏ギルドとしての仕事場へと歩く。
 あぁ、失敗したと嘆く中で。

 そこで、ビスキュイはようやく一番の失敗に気づいた。

「ジェラート」
「はい、なんですか?」

 背後からの暢気な声が腹立たしい。同じ日と風の二重血統を持ちながら、やはり彼女も気づけていない。

「さっさとスフレを連れて、ショコラを探しに行きな」
「でも、地図を持ってくるんじゃ」
「どうせ、昨日と同じに墓参りでもしてるんだろ! さっさと行きな!」

 声を張ると、ビスキュイが渋々と動き出す気配がする。厨房で立ち止まったままのビスキュイを不思議そうに横目で眺めて、そのまま二階へ。やがて、戸惑うスフレを連れて降りて来ると、そのまま裏口を通って出ていった。

 これで、パティスリーの中には、ビスキュイ一人が残された形になるのだが。

「おっかないですね、ビスキュイ。相変わらず貴女は、バーナン家の名に恥じない烈火の人だ」

 真っ白な厨房に響いたのは、ビスキュイでない誰かの声だった。
 揺らぎと形容するしかない声だ。老人の声のようでも、うら若き女性のようでもあり。高音と低音、男声と女声を滑らかに変化させるその声は、生理的な不快感を伴う。
 対してビスキュイは、エプロンからケーキナイフを取り出して、虚空に突きつける。

「その気色悪い声をやめな。お前が土足で厨房≪聖域≫に入った時点で、アタシはもうかんかんなんだ」
「おかしいですね。その聖域とやらは、わたしのおかげで出来上がっているはずなのですが」
「いいからそのムカつくすっとぼけをやめて、姿を見せなって言ってるんだよ!」
「あぁほら、やはりおっかない」

 ビスキュイが突き出したケーキナイフを振り下ろす。彼女の魔力をまとった、熱風を伴うひと振りだ。それは狙い通りに、厨房の中に漂う空気の流れを切り裂いて。
 透明なカーテンを払ったかのように、ビスキュイの前に一人の人間が現れた。貴族特有の襟の高いコートを細身のシルエットで着こなした、金髪の男性。嫌味でない程度の整えられた金髪は、ビスキュイには逆に嫌味ったらしく感じられる。

「そんなに怒らないでください。わたしは貴女とお話をしたかっただけですよ?」
「なら、迷彩魔法なんてかけずに、店の入り口から入ってくるんだね」
「確かにその通りですが。いやぁ、今のわたしの迷彩魔法が、どれほどの方に通じるのか、試してみたくなりまして」

 ビスキュイの切り裂いた、迷彩魔法とは。自分の周囲の空気の流れを風の元素魔法で掌握し、その空気それぞれの光の通し方を、火の元素魔法による熱で操作することで、姿を隠す魔法だ。本職とはつまり、火と風の二重血統を持つバーナン家を指していた。
 そして、その本職に挑戦ができるほどの元素魔法の使い手が、贋作シミュラクラなわけはない。彼は正しく、火と風の元素を血統として受け継いだ人間で。

「そんなことのために、平気で覗きとはね。最強の五大老が聞いてあきれるよ、ヴァンホーテン」
「手厳しい。わたしにそこまで言えるのは貴女くらいですよ。ビスキュイ・バーナン」
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